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ゆらゆらと、暗闇に、真っ黒い陽炎のような影が揺れている。
静音は目を眇めてその輪郭を見定めようとしながらも、それが何かは判っていた。
咄嗟に障壁を張ったが、金木の一部は黒く焦げて煙を上げていた。金木自体の結界も間に合わなかったのか、力負けしてしまったのか。
可哀想な事をしてしまったと思ったが、焦げた枝の先端からふわっと精霊姿の金木が現れ、興味深げにこちらをうかがいながら宙を漂っているのを見て、多少ほっとした。魔力脈に繋がっている限り、直ぐに癒えるのだろうし、滅多にない経験に本人は面白がってさえいるのかもしれない。
「何の用なの、アルケ・アルトナミ」
黒い影に静音は尋ねた。
リルは肩を揺らして静音の胸に縋りついた。
揺れて形の定まらない影はじり、と近づいてきたが、静音の張り巡らす結界に阻まれてとまった。
「ソナタハ、ワタシト、イッタイトナルベキダ……」
静音は眉を寄せた。
「コノセカイハ、マチガッテ、イル……」
じりじりと、近づこうとしては結界に弾かれてそれは軟体動物のように蠢きながら身を震わせた。
「間違っているからって、それを何故私が正さないといけないのかしら」
静音は指先で小さな浄化の塊を作ってそれへ弾き飛ばした。
ぴしりと塊の天辺に当たると、じゅわりと蒸発するように影が揺らぎ、一部がへこんだが一瞬で修復される。
ダメージがあるのかないのかよく判らない。
「さっさと成仏なさいな。面倒な男ね」
「ワタシト、イッタイニナレバ、ソウゾウシンヘトドク……」
創造神と来た。
静音は呆れて溜息をついた。
「私に何のメリットがあるの」
「ソウゾウシンナレバ……、スベテノジクウノセイギョガカノウダ」
「ああ、そういうことね」
全ての制御が可能であれば、時を戻すことも、異世界へ渡る事も出来るのだろう。
「なかったことにできると」
「ソナタノノゾミハ、カナウ」
召喚からの諸々を全てなかったことに。
胸の中のリルが、はっと顔を上げた。
静音はリルの顔を見る。
虹色の光を弾く瞳が、揺れていた。
「時を戻した所で、どっちみち、召喚されてしまうじゃないの」
「ワタシトイッタイナレバ、ジンキヲハカイスルコトハタヤスイ」
時空を超えて……?
そうすれば、召喚されることなく、この世界は魔力脈から弾かれた負の魔力で満ちて、終焉を迎える。
アルトナミは真っ先に魔の沼に呑まれ、元の通り、人の存在しない大陸となる。
ルーはキシュキナを動力が尽きるまで守り、機能停止する。
リルは名付けのないまま、細かな精霊の一粒として短い生を終える。
月神は目覚めないまま、負の気が満ちた地上に出ることも出来ず、眷属の精霊たちと地下空間に閉じ込められ。
オウナからも人が消え、南の大陸では精霊や妖精が消え、金木も無事でいられるかどうかは判らない。
「死の世界ね……。あなたはそれが望みなの?」
「ソウゾウシンガ、ミチビクセカイダ」
最初に負の因子を落としたのはそう言えば、「神」だったか。
そして、それきり、興味を失くした。
「どうなろうと、創造神とやらはもうどうでもいいんじゃない?」
「……」
それは黙った。
「あなたがその意思に従おうとしているようにも思えない」
静音はリルを結界で囲ってふわふわ漂っている金木の方へ押しやった。
「静音……」
それが避難の為であると判ってはいても、リルは不安げな声で静音を呼んだ。
静音はリルに微笑んでみせると影に向かい合う。
「いずれにせよ、あなたと一体になるなんて御免よ」
「望みハエイエンニ叶わぬゾ」
ざらざらとした聞こえにくくたどたどしい言葉。
それがわずかずつ流暢になっていく。
解像度の低い画が、少しずつ鮮明になっていく。
「私の望みはね、こんなことがなかった所へ「元の自分」のまま戻ることよ。どっちみち永遠に戻れないわ。例え記憶を消したって、なかったことにはならない」
静音の身体は、もうそれほどに「作りかえられて」しまっていた。
その身体を持って為さなければ、時空を戻すも何もないのだ。
「私の身体はこの世界に捧げられてしまった。私の意思など関係なく。そうね、だから、あなたの破壊衝動も理解は出来るわ」
こんな世界など、なくなってしまえばいい。
粉々になって消えてしまえ。
そう思う気持ちは確かにある。
「私が生きている限りこの世界がある、というのなら、この世界を壊してしまえば、私は死ねるのかしら。……恐らくそうじゃないわよね」
そう、壊した所で、何らかの形で残るか、蘇ってしまうだろう。
ならば、静音が死ねばどうか。
恐らく、何をしても「こと切れる」事は無い。
心臓一つになっても「静音」という存在は残るだろう。
いや、心臓を失くしても、世界が静音を再構築する。
「切れば痛いし血も出るし、瀕死にもなるだろうけれど」
溜息をつきながら静音は左肩の辺りを押さえた。
かつて、有翼の自動人形に爪で抉られた傷はもうない。
「世界が「在ろう」としている限り、私は存在し続けるしかない」
そうと望んだことは一度もなかったのに。
そうしてふと顔を上げる。
「そう言えば私の世界には、さまざまな宗教があるけれど、世界の破壊と再生を繰り返すなんて物もあったわよ」
詳しいわけではなかったが。
日食などの周期をとらえてそういった考えが出来上がったのではなかったか。
「あなたが壊して、私が再生させる。そういう宗教を作りたかったのかしらね、創造神は。いや、穿ちすぎかしら」
静音は首をかしげた。
「まんまと乗ってあげる必要あるのかしら?」
映像のように影が揺れる。
形を持たないアメーバのような存在であったものが、今は明確に人と判る輪郭をなしていた。
「デハ……」
それはようよう声を出した。
「では、コノママで、そなたハ、ヨシトスルノカ……」
言葉は流暢になりつつあったが、じりじりと雑音が混じっている。
静音は首をかしげた。
「良しとするわけでもないけど、あなたと一体になる事とどっちがマシかという話」
「釣り合わぬ、カ……?」
「気持ち悪いのよ」
眉間に皺を寄せながら静音は言った。
流石の影も絶句したようだった。
「あなたの子孫が私に闇玉を埋め込んだわ。方法は判っているわよね」
思い出したかのように静音は喉元を押さえた。
あれもまた、無かったことに出来ない事柄だった。
「私はウ・ルフィネラになる気はないのよ」
捉え、縛った闇精霊。
その魂魄をどのようにして従わせたのか。
静音は収納空間から闇玉の核とされていた石を取り出した。
かつて闇精霊の「眼」だったとされるそれ。
静音に浄化され尽くして、内部が異常な浄化空間へと変じた、らしい。
その発露でゆらりと陽炎のような気が立ち、だいぶ人の形となっていたアルケは震えて後ずさり、輪郭を崩した。
「あら、これが苦手なのね。囲い込んで意のままにしていた闇精霊の一部でしょうに」
笑いながら静音はそれを手の平に乗せてアルケへ差し出した。
アルケは更に後ずさる。
「帰りなさい。シリルがあなたを探しているらしいわよ」
それを聞いてアルケは更に身を震わせた。




