109
さくさくと、砂浜を裸足で歩いていた。
海はエメラルドグリーンに輝き、水平線まで島影一つない。
穏やかな波の音以外、何も聞こえず、静音は、陸の方を見る。
小さな島だった。
恐らく五分もあれば一周出来てしまう程度の。
島の中央には樹木が茂っていて、砂浜の近くには椰子に似た木があり、大きく海へ張り出している。
垂れ下がった葉の根元には、実が成っていて、それが一つ、ぽとりと海へ落ちた。
ゆらゆらと波に揺れ、ゆっくりと沖へ向かって流れていく。
静音はそれをぼんやりと見送った。
島の中へ向かって歩いていくと、静音が数人手を繋いで取り囲まなければ一周出来ないほどの太い幹の巨木があった。
幹の表面はつるつるしていて、枝は不思議なことに上部でのみ天へ向かって別れている。
どこかで写真を見た事がある、バオバブに似ていた。
静音は幹に手を触れ、撫でてみた。
見た目通り、つるつるしている。
磨いたように滑らかで、うっすら光ってさえいた。
手の下で、魔力がゆっくりと流れて樹木全体を満遍なく巡っていた。
この木は、魔力で育った木だった。
金木の森。
ふと、嘗て月神に聞いたことを思い出す。
南の大陸の木は特殊で、金木の森と呼ばれていると。
恐らくそれは、魔力によって育つ木だろう。
であれば、今この目の前にある巨木は金木で、ここは南の大陸に近いのか。
幹に手を触れさせてぐるりと一周してみる。
手触りは滑らかなまま、一つの引っ掛かりもない。
幹の色は灰色っぽく、だが、静音の「目」には金色の光が緩くまといついている。
言うまでもなく、樹皮の下を巡る魔力がその源だった。
静音は、樹上を見上げ、天を目指して枝分かれする「それ」に向かって声をかけた。
「そこへ行ってもいいかしら」
応えは幹に当てた手の下から伝わってきた。
静音は軽く身をかがめると、地を蹴った。
重力を操作して身を浮かせ、一旦、枝の上まで飛び上がると、着地点を探した。
葉が少ない季節なのか、枝の分かれ目から中央に少し空間が見える。
小さな窪地のようになっていた。
そこへ静かに着地した。
足の下から魔力が伝わってくる。
樹木全体を巡るそれが身体へ流れ込んできて、まるで樹木の一部になった心地がした。
「話が出来るかしら」
周囲を見回しながら尋ねる。
枝は、それが一つの木立ちのように静音の周りを取り囲んでいた。
それらが、ざわざわと風もないのに一瞬揺れた。
金の魔力粉がふるわれるように、枝から離れて舞い、やがて一つにまとまって静音の前にやってきた。
「何故人がこんなところにいるの?」
「それ」が問いかけてくる。
静音は首をかしげた。
「私にも判らないわ。気が付いたらここにいたんだもの。ここって精霊や妖精だけが住むという南の大陸に近いの?」
「それ」は、更に近づくと、確認するようにくるくると静音の身体の周りを回った。
「ああ、あなた人ではないわね」
そして「それ」はなんでもないことのようにそう言った。
静音は眉間にしわを寄せた。
「人のつもりなんだけど」
「それ」はもう一度くるりと静音の周りを一周し、髪にとめられた「普通の人間」には見えない花の髪飾りにちょんと触れた。
「もう人の範疇にはおさまらないわ。受け入れ難いという事?」
静音は苦虫をかみつぶしたような顔になった事を自覚しながらため息をついた。
「勘弁してほしい……」
日が暮れると、枝の先には小さな光が灯った。
蛍がとまっているようだった。
金木はその枝から林檎より小さく林檎に良く似た味の実を分けてくれた。
静音はしゃくりとその実にかぶりつきながら、少し前に月神とウ・ルスウの市場で果物を買った事を思い出した。
殆ど精霊たちに提供してしまったが、いくつか収納空間へ格納していた気がして探すと、月神がラクレスと呼んでいた赤い実が出てきた。
「まあ、美味しそうね。どこで手に入れたの?」
日中からずっと静音の傍にいる「それ」が覗きこむように飛んできて尋ねた。
「ロウスウという国の首都ウ・ルスウの市場で買ったの。ええと、オウナ大陸って判るかしら」
「判るわ。月神の土地で、人間が住んでいる所ね」
「それ」の知識は随分昔で止まっているようだった。
「今はもう一つの北の大陸にも人がいるわよ」
「え、そうなの」
「それ」はびっくりしたように飛び上がった。
静音は、ここ最近知ったあれやこれやの知識を混ぜながら、現状北半球がどうなっているかを語った。
話し終えると、「それ」はふらふらと無軌道に漂いながら静音の手の中のラクレスにとまった。
「そんなことになっているとは知らなかったわ。これ、ちょっと頂いてもいい?」
「これ」とはラクレスの事らしく、静音は頷いた。もとより金木の実を分けてもらっているので否やは無い。
光は小さく赤い実の端をかじり取った、らしかった。
静音には、その部分が光に覆われると消えたように見えただけだった。
くるくるくる、と小さな光は回りながら飛び上がり、静音の目の近くへやってきてぱっと弾けて散り散りになった。
思わず目を閉じ、そっと目を開くと宙に人の形が浮かんでいた。
「やっぱりあなた精霊だったのね」
その姿も力の発露も、リルによく似ていた。
「私は金木よ」
「金木の精?」
「いえ、金木」
首をかしげて静音はもう一度腰を下ろしている樹木の樹皮へ手を当てた。
さらさらと水のように流れる魔力。
それは目の前の小さな人の中にもあって、全く同質だった。
「ああ、なるほど……」
確かに、この「人」も金木だ。
「どう理解したらいいのかしらね。分身?」
「ちょっと違うけど、まあ似たようなもの」
「そう……」
それ以上考えるのも面倒になって、静音はぱたりとその場に仰向けに寝そべった。
降るような星空だった。
日本の都会に住んでいると、殆ど見る事が出来ないような。
時折流れ星が見える。
昔、田舎で夜空を見上げた時、幾つも流れ星が見えたのを思い出した。
夏の流星群だったのだろう。
「丁度今の季節、星屑の雲海へ飛び込むの」
金木が静音の胸の上に乗ってきた。
「流れ星が沢山見えるわ」
言っている間に、夜空のあちらこちらで星が流れ始めた。
「私が住んでいた所では、星が流れて消えるまでに三回願い事を言うとかなえられるって言われてたわ」
ひゅーっと真上を長い尾を引いて星が流れて行った。
「……三回言えそう……」
「今のは大きかったわね」
ここへきて、もう願い事などないのだが。
静音は溜息をついた。
元の世界へ戻る、という願いは、「人でなくなった」以上望むべきではないだろうと考える。
現代日本で永遠を生きるのは難しい。その気力もわかない。
「あなたの事金木って呼んでいいの?」
胸の上で蛍のようにふわふわと光っている小さな人の形をしたもの。
「いいわよ」
それは頷いた。
「で、金木、ここは南半球にある島ね?」
「ええそうよ」
「でも南の大陸にさほど近いわけでもないと」
「ええそう」
そこまでは聞きだしていた。
精霊たちの住処である南の大陸はここから少し離れているらしい。
「ここはね、私が一人で住んでいる「ゆめまぼろしの島」ね」
「……実在しない?」
金木はふふっと笑うと、静音の胸からふわりと軽く浮き上がった。
「金木は夢を見るの。年の半分を眠って、こうやって夢の中で生きるの」
静音の手に握られたままの赤い実に近づいてちょんと触れて離れる。また、ひとかけら消える。
「私たちは、夢の住人だから、ここが夢の中か現実か、あまり気にしていないの。だから……」
ここが、実在するかどうかは、どうでもいい……
金木はそう言ってまた笑った。
「あなたはここへ迷い込んできたのか、それとも私が夢に見ているだけの人なのか」
もう一度ちょんとラクレスをつついて、夜空へ浮かぶ。
「ああ、あなたにとっては私も実在があやしいと」
「そう。どちらが現実かなんて、私たちには些末な問題なの」
ふむ、と静音も考え込んだ。
この身が現実か否かは確かに静音にも判らない。
一度意識を失って目覚めた時にはここにいたのだ。
最後に見たのは、真っ黒な粘液に似た「あれ」が大きく広がってこちらを覆い尽くそうとしていた。
咄嗟に結界を発動したが、その後の記憶が無い。
恐らくあの一瞬の後、意識が途切れたのだろう。
何故だかは判らないが。
「そうね、私にとっても、これが夢か現実かなんてわからないし」
静音は溜息をついた。
「どちらでもいいと言えば、どちらでもいいわ」
夜空を見上げ、流星群を眺めながら、静音はいつしか眠りこんでいた。
数日をそうして静音は過ごした。
毎晩流れ星を眺めた。
「金木はいつからここに一人でいるの?」
樹木に「一人」は適当ではないかとは思いつつもそうたずねた。
「憶えてない。気が付いたら一人でここにいたの」
「昔は違っていたの?」
「生まれてから大きくなるまではみんなと一緒にいたわ。南の大陸にいたはずなの」
「そうなの?じゃあ地殻変動に巻き込まれて、一人になっちゃったのかしら」
「多分そうかな。地が割れて、海が逆巻いた事は憶えているの」
ではここは、南の大陸の一部であったのか。
「寂しくなかった?」
「ううん。面白かった」
「え、そうなの?」
「うん。だって私たちって、移動が難しいでしょ?変化があまりないの。私は内陸の方で育ったから、海の傍は楽しくて面白い」
「ああ、そういうことね」
「それにね、私たちは年の半分は眠って過ごすと言ったでしょ?夢の世界は繋がっているから、他の金木とも会えるし話せるの。一人になる前とさほど違ってないのよ」
大差ないということか。
「むしろ、あちこちに散らばってしまって、今まで知らなかった場所の事を見聞き出来て面白いの」
「あら、あなたみたいな人が他にも沢山いるの?」
「ええ。大陸の半分は沈んでしまったから、海の底に沢山いるわ。浅い海から深い海まで。浅い所では、半身を海面から出していて、海を渡る鳥や小魚が住処や止まり木にしていたりするようよ」
「なんだか楽しそうね」
「変化があって楽しいみたい」
「嵐の時は?折れたりしないの?」
「幼木は危ないかもしれないけど、私たち、結界を張るのはそれなりにうまいのよ?」
そういえば、魔力をたっぷりと含んでいるのだった。
浅い海はともかく、深海で無事でいられるのはそれこそ魔法でもなければ無理だろう。
「それに折れてしまってもね……。私たちの寿命は長いから、それもまた「変化」として受け入れてしまうの。必要でしょ?」
金木は南の大陸にしかないという。恐らく一定数以上はあまり増えないのだろう。
停滞……という状況は生き物としてどうなのか。
人間や動物とは違って、樹木とはそういうものなのかもしれないが。
そこでふと、この世界の「生体活力が」と言っていた神官や月神の事を思い出す。
もしかすると、精霊たちが多く生きているこの星は、樹木の時間感覚がベースだったのかもしれない。
のんびりとした、数百年を昨日ととらえるような感覚が。
「死は遠いのね」
「ほぼ無縁なの」
「まあ、あなたたち不死なの?」
「そうじゃないけど……、そうね、私たちの根はね、魔力脈に繋がっているの。私たちは常に魔力脈と循環していて、折れても死ぬ事はないし、枯れる事も滅多にない」
「滅多に?」
「例えば地殻変動が起こって、魔力脈から根が離れてしまえば枯れてしまうわ」
「ああ……」
では二度の地殻変動で、枯れてしまった金木も多いのだろうか。
「そうね、海に沈んでしまった金木の半分はもう夢を見ないわ」
繋がっていない、という事なのだろう。
それを持って金木たちは仲間の死を知るのか。
「長い眠りって、永遠を生きるには必須よね」
静音は半身を起こした。
静音の胸の上にいた金木はころころと転がって落ちた。
それが面白かったのかくすくすと笑う。
「そうね。月神だって眠って過ごしているのでしょ?」
「あれは望んでそうしているわけじゃなくて、療養の為らしいわよ」
「ん~、でもその眠りでだいぶ精神は安らいでいると思うわよ」
期せずして、と金木は言う。
そうかもしれない、と静音も思う。
金木と違って移動の自由はあれど、永遠を生き続けるのは精神的負荷が高いだろう。
月神は、神と呼ばれ、人より高次の存在ではあっても、決して神と同じではないだろうから。
「私たちは同種が沢山いるけれど、月神は唯一の片割れを失くしているでしょ。精霊たちは近い存在だろうけれど、それでも全く同じではないわ」
精霊は月神にとって愛し子たりえても、同質ではない。確かに。
立場も力も違いすぎる。
同等であったのは太陽神のみ……
そこまで考えて、静音は唸った。
己が「それ」である覚悟はまだ出来ない。
永遠に出来る気がしない。
「あなたも永遠を生きるなら、眠って過ごすといいわ」
金木の言葉に、ふっと息をつく。
確かに眠って時をやり過ごすのもいいかもしれない。
百年に一度程度目覚めるようにでもして。
「私たちと一緒に眠る?寝床を作ってあげる。ここでもいいし、金木の森でもいいわ」
「そうね……」
魅力的な誘いだ。
静音はもう一度横たわった。
夢の中でまた夢を見るような、不思議な気分だった。
夜空を流星が幾つも流れていく。
とろとろと眠りが押し寄せてきた。
いきなり寒くなりましたね。
お話はまた海へ戻りました。




