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月影映る・海  作者: 林伯林
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 ゆっくりと進み出たのは、学者の形をした男。


 シリルの前に立つと、その輪郭が揺らめいた。


 「そなたも、確たる形を失うまで迷惑をかけた」


 その言と同時に、男の輪郭がゆるりと解けた。


 見る間に光の粒子になって漠とした存在としか感じられなくなった。


 男は、静音が王都の光柱の先にあった異空間で出会った、封じられた竜だったはずだが、ここへ来て、銀竜、精霊、剣士が闇竜と戦うにつれ、徐々にその存在をあやふやにしていった。

 

 時と次元を捻じ曲げて何体も存在する竜の一頭だったはずだが、統合が進んだのか。


 「長らく時空の歪みを支えていたのだ。先ほど同一の個体である銀竜とも相まみえてしまった。もう形を保つ力はあるまい」


 そっとシリルの指が柔らかな光の一部に触れた。


 微かな力の放出を感じると、そこに漸く小さな小さな光の竜が出現した。


 「そなたが望んでいた通り、終端へ導いても良いのだが、もう少しこの先を見てみてもよくはないか?」


 竜は少し考え込むように首をかしげた。


 その仕草が幼子のように見えて静音はふと可愛いなと思ってしまった。


 竜がこちらを振り返った。


 「あ……」


 しまった、と思った時には遅く、竜は静音の傍へ飛んでくると、肩先へとまって一声鳴いた。


 光が弾け、一瞬の後には、姿が消える。


 だが、静音と、「視る」事の出来る者には、静音の髪を飾っている魔力の花の中心に小さな虹色の宝玉があつらえたかのごとく嵌ったのが見て取れた。


 「そなたを飾る小さなものが一つ増えただけだ。邪魔になることもあるまい」


 シリルの言に溜息をつく。


 「小さくても存在が重いんですよ。なんで私なんです」


 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ」


 「は……?」




 「約束したはずだ。そなたの寿命が尽きるまではこの世界を持たせると」


 シリルの言葉に、静音は開いた口がふさがらず呆然とその麗しい顔を見つめた。


 そう、静音の寿命くらいは持つ、と言われた。


 あの時。


 「あれは()()()()()()だったの……?」


 「そなたの世界には言霊というものがあるのだろう?特にそなたの言葉、「契約」には魔力が乗る。あの時より更に力が増しているようだな」


 「契約、ですって……」


 「私は「頼む」と言った。そなたは「いいですよ」と答えた」


 静音の身体が震えた。


 「そしてそなたは、「見返り」という言葉で約定を紡いだ」


 「……騙し討ちって言葉ご存じ?」


 漸くの思いで、静音は口を開いた。


 「そなたとて、己の身体年齢が遡っている事に気づいていながら、寿命を確認しなかったであろう」


 「では今確認するわ。私の寿命ってどうなっているの」


 「……そなたは既に太陽神だ、と言えば判るか?」


 言葉を失くして息を詰める。


 確かに今まで、身体が若返っている事について深く考えては来なかった。


 治癒魔法を会得したとは言え、この世界で健康で長生きできるかどうか確信が持てなかったからだ。


 持病があって、服薬治療中だった事もある。


 転移後、何故か薬が無くとも悪化することはなかったし、完治したのかと思うほど身体が楽にはなっていたが、無理をすると覿面に症状が出た。


 用心して過ごせば、元の世界並みの寿命で生きられるだろう、という程度の認識しかなかったのだ。


 「私には永遠を生きる覚悟は無いわ」


 シリルを睨みつけて静音は言った。


 「だが、()()()()()()()のだ」


 シリルの言葉に苛立たしげに首を振る。


 「本当に、この世界はひどい。あなたたちはひどい。アルケが狂ったのはそういう理不尽のせいではないの。今度は私がアルケになるとは思わないの」


 静音の言葉は静かで、それがより怒りの深さを物語っていた。


 「世界を滅ぼしたい程の怒りは確かにあるわ」


 胸を押さえる。


 と、シリルの手の中にあった闇のぎょくが震えた。




 震えて形を曖昧にし、シリルの指の間からどろりと粘液のように滴り落ちる。


 ぼとりと足もとに落ちた途端、それは俄かに体積を増し、真っ黒に広がって静音に覆いかぶさってきた。




 もう随分と記憶の彼方に去ってしまった、魔沼の水のように。




 静音は、一番最初に相対した時、己に絡み付いてきた軟体動物のような黒い水を思い出した。


 あれは、避けようとした腕に巻き付いて、そこから肌を食み、骨に届くほどの冷気と熱が同時に走り抜けたのだった。


 黒煙が上がり、焼き尽くされるかと思った。




 身体を覆い尽くされる直前、浄化魔法を発動し、静音は咄嗟に自身を守った。




 金色の光が眩く繭を作り、それが静音を包むのが、黒い水の隙間から見えた。


 一瞬の間だった。


 周囲の人間達が呆然と見ているその一瞬に、何処からか現れた虹色の光が一直線に繭に飛び込んで行き、その直後に、闇は閉じられた。




 真っ黒な一個の球体が残された。 

  


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