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鞘から引き抜かれた大振りの刃はてらりと銀の光を反射して震えた。
静音の目には、魔力に反応しているように見えた。
砕けた水晶の形成するドームも呼応するように振動した。
「待った、ガイキ」
呼び止めたのは本物の学者アディトリウスだった。
振り向いたガイキの元へ歩み寄ると、学者は右手を差し出した。
掌の上には青い石があった。
それは、あのオパールと化した竜の化石の前でエイディスに渡された魔核だった。
学者の手の平に刻まれた星の中心にあって、ほのかに魔力を帯びて光っている。
「エイディスに返しそこなった石だけど、今君に必要だと思う」
刃の表面がそのほのかな光に同調するように微細な揺らめきを伝えてくる。
ガイキがそれを受け取ると、するりと取り込まれるように消えてしまった。
「僕の魔力とも繋がっているみたいだ」
石がなくなっても、学者の手の平の星はほのかに光り続けている。
そして、気が付いたように周囲を見回した。
「どうかしたのか」
ガイキが問うと学者は首をかしげた。
「うん。エイディスの魔力も感じるんだ。石の片方は彼が持っているだろうから」
不思議そうに周囲を探るが、ここにエイディスはいない。
「ひょっとして、そちらとも繋がりが出来たのかな」
とても近くに存在を感じる、と学者は呟いた。
竜の化石の前で、エイディスは月神の頼みで洞窟に残った。
距離も時も離れているはずだが。
「剣は力を得たようだ」
ガイキはそれ以上気にせず、剣を持ち上げてそう言った。
「有難く借りて行こう」
ガイキが軽く刃を振ると、氷の雫が散る。
「気を付けて」
「ああ」
ガイキは振り返らず隣の空間へ踏み込み、学者はその背中を見送った。
ドームはガイキが腕を突きだすと、何の抵抗もなく受け入れた。
するりとドーム内へ入り込み、ガイキは半身を青白く染め上げた横たわる竜を見る。
竜は目を閉じていたが、ガイキが近づくと瞼を上げた。
闇の瞳に、自身の青白い鱗の反射が映っていた。
「我が名はガイキ」
剣士は告げた。
「嘗て異界からこの地へ呼び寄せられた男の息子だ」
切っ先を竜へ向ける。
冴え冴えとした刃が竜の鼻先でぴたりと止まった。
「時の王が何を考え、何故そうしたのか、想像は出来るが理解は出来ない。だが父も俺も、あの闇魔術による制約を一度は受けた」
じっと瞳を見る。闇竜の瞳の色は、深淵にうっすらと青を混ぜはじめていた。
「父がどうしたかは判らないが、俺の分は今返そう」
ガイキは刃を竜の鼻先へ打ち付けた。
それは力任せだったわけではなく、むしろ軽く振っただけのように見えたが、接触した瞬間、盛大に火花が散って、魔法陣が現れた。
赤黒い文字がぐるりと刻まれている。
---ワレ、セイヤクヲムコウトシ、ソウオウノムクイヲノゾム
ぱん、と魔法陣が飛び散った。
飛び散ったかけらはそのまま竜の顔面に吸い込まれた。
途端に、竜は叫び声をあげ、身体を起こした。
先ほどまで凪いでいた瞳が怒りに燃え上がり、憎悪を帯びて剣士に向けられる。
剣士は冷静に竜の爪をするりと受け流した。
「また持ち物を増やされましたか」
掌の星を見つめていると、何時の間に近づいたのか静音がすぐそばにいて、学者は驚いて顔を上げた。
「いや、ええと、これはうっかりついちゃったんだよね。神殿の仕掛けを発動させようとして」
故意ではなかった。
手順通りに神殿を回ったにも関わらず、一つ星が足りず、それでまさか発動するとは思わなかったが、念の為に台座の仕掛けに触れたのだ。
触れた人間に最後の星が刻まれて完結するとは。
「ああ、まあ……あなたですからね……」
静音は何が起こったのか理解したのか苦笑した。
「あなたは精霊に好かれやすいそうですよ」
不意に思っても見ない事を言われて瞬きした。
「『そこまで近づいた』あなたに、精霊も道標を渡したのでしょう」
遠くにいれば縁は無かったが、近づいて触れようとした為、縁は繋がれてしまった。
「ではこれは道標なのか?」
学者が目を眇めて星を見つめる。
「そうですね」
静音は学者の少し上へ視線を移し、小首をかしげた。
それからすっと右手を手のひらを上にして胸の高さへ上げた。
そこへ、するっとそよ風が通り抜けた気がして学者が周囲を見回すと、静音の手の平に薄緑の柔らかな光が灯されていた。
「あなたの得意な魔法は風でしたっけ。精霊も風ですね」
「え、その光、精霊なの?」
「ええ」
学者には光に見えているが、静音には、小さなふわふわの幼子に見えていた。リルよりも更に幼く見える。
意思の疎通は可能で、幼子は身振り手振りも交えて静音に話しかけてくる。
「あなたに今まで軽い加護を与えていたのはこの子です。制約のあれもこの子が半分以上防いだので中途半端だったようですよ」
精霊が語るには、「返った」所は地下深い太古の神殿で、周囲を見回しても仲間は全くおらず、人の気配もなく、意識が薄いまま暫くふわふわと漂っていたらしい。
精霊が現れるほど凝っていたはずの魔力粒子はどこにも見当たらず、唯一強い魔力を帯びていたのは崩れかけた台座に置かれた丸い石の玉。
暫くその石の傍で過ごしていたが、精霊を精霊たらしめる程の魔力ではなく、多くの精霊がそうであるように、長くは存在できず消えてしまう運命と思えた。
もうすぐ消えてしまう、という時に、学者が壁を崩して入ってきたそうだ。
精霊はその時のことを忘れられないと言う。
太古の人間達のように、強大な魔力ではないけれども、柔らかく暖かく、身体を包み込んで掬い上げられる心地がしたそうだ。
繋がりを持ちたいと強く思ったが、昔の人間程の魔力量もなく、意思の疎通は難しかった。
ただ、傍にいると精霊として存在する事は出来た。
それ故、それ以来、精霊はずっと学者の傍にいて見守ってきたという。
「何度も学者さんには会っていますが、今までは気が付きませんでしたね。なぜでしょうね」
静音が首をかしげると、精霊はまた説明した。
学者の魔力量が少ないせいで、形を保てるぎりぎりの存在であったため、学者の魔力に混ざってしまっていたのだろうと。更に普段は、転移の玉の中にいたらしい。
「今は?」
以前に比べると格段に魔力量が増えたことと、先ほど掌から取り込んだ魔核の力で一時的な魔力量の底上げがなされたという。
静音は、好奇心で目を輝かせている学者に説明した。
「今なら契約出来るのでは?」
精霊は頷いた。
「え、ほんと?」
学者は嬉々として静音の手の平の光に近づいた。
静音はそれを彼に差し出す。
「名付けをどうぞ」
「そうだねえ……」
学者は考え込むように薄緑の光に見入る。
「エイファでどうかな」
その途端、薄緑の光は輝きを増し、爆発的な光量があふれ出したが、ほんの数秒の事だった。
学者が思わず瞑った目を開くと、目の前にふわふわと浮かぶ、小さな小さな幼子の姿が見えた。
「エイファかい?」
話しかけ、手を伸ばす。
幼子はにこにこしながら学者の手の傍まで飛んできた。
「意思の疎通はある程度可能ですが、流暢になるにはもう少しかかりますかね」
静音の言に顔を向ける。
「大丈夫ですか?契約には魔力が必要ですから」
言われて胸に手を当てる。そうして自身の中を探ってみると、ごっそりと魔力が減っていた。
「早まったかな……」
隣の空間を見やる。
剣士と竜の戦いは続いていた。
ガイキは一つもひるむことなく竜に立ち向かっていた。
力の差は歴然と見えたが、ガイキの大剣の傷は竜の身体のあちこちに開いており、見たところガイキの方は無傷であった。
「彼に助力できるよう魔力を温存すべきであったと考えているなら、心配いりません。精霊が力を貸してくれるでしょう」
静音が言い、精霊エイファも学者の前に来て首を振る。
「そうか。ありがとう」
学者は精霊に微笑みかけた。
いつも皮肉の混ざった笑みしか見たことが無かったが、そういう笑い方もできるのか、と静音は思った。
抜けば玉散る氷の刃。
何となく思い出しました。
ま、昭和生まれですからね。
それより目下の問題は、不在のお宅が二件もあって町内会費が集まらない事です。
一体いつならご在宅なのだらう……




