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「それは、それなくば、世は滅びるという事か」
公爵は乾いてたまらぬ口内を必死で唾液でぬらしながら問う。
「ええ」
渡り人は無表情に答えた。
「何故止めようとしないのだ」
渡り人は瞬きした。
「何故止める必要が?」
「そなたとてそこで終わるであろうが!」
公爵が声を荒げると、渡り人は笑った。
「私はこの世界が嫌いよ」
公爵は息をのんだ。
「その存続のために何かするつもりはもうないのよ。浄化はしてあげたでしょう?後は自分たちで何とかなさいな」
ぱっと一際強烈な光が弾け、隣の空間へ目を向けると銀竜が闇竜の頭を呑みこんだ所だった。
「あら、始祖王負けちゃった?」
渡り人の暢気な声に公爵はいら立ちを募らせる。
「腹が立つならあなたがあちらへ行って代わりに戦ってはいかが?」
静音はにこやかに言った。
ぐっと言葉に詰まった公爵を見て、更に笑みを深める。
闇竜の頭をかじり取るように呑みこんだ銀竜は弾けた光をもその身に取り込んだ。
「静音」
学者の形をした男が渡り人を呼ぶ。
静音はそれに応えるように、手にした先ほどの玉をぽんと倒れた首なしの闇竜へ放った。
闇竜の身体の上で、玉はぱちぱちと弾けながらくるりと円を描き、するりとなくなった首へ溶けるように消えた。
と、青白い頭が現れ、闇竜は再び立ち上がった。
「あんまりセンス良くないわね」
静音は呟いた。ソフビ人形の首だけ挿げ替えたように見えた。恐らくここにいる誰に言っても理解してはもらえぬだろうが。
すっと静音の横を、冬の精霊が通り抜けた。
静音が顔を上げると、長身で美貌の精霊は、たった今闇竜の頭を呑みこんだ銀竜のきらめく鱗に手を触れていた。
「ご苦労様。次は私です」
頭部だけ青白い闇竜を見上げてアルデシオンは言った。
銀竜は何も言わず、羽ばたいて空高く上がり、溶けるように姿を消した。
向き直った闇竜とアルデシオンは、合図があったかのごとく、お互い魔法を放った。
闇竜は闇の炎。アルデシオンは氷結の爆風を。
それは二人のちょうど真ん中でぶつかり合い、爆音を上げて打ち消し合った。
「終わりではなかったのか……」
公爵が呟いた。
学者の形をした男が笑った。
「甘い、と先ほど申したであろうに」
万年積み重なった闇の呪い。
「そなた、この世の崩壊と引き換えの戦いがあれしきで済むと考えるのか」
そう言われ、公爵は言葉が出てこなかった。
「そも、「あれ」に全てを返さねば、歪みは正されぬ。竜の次は精霊だが、それでも半分と言う所だ」
公爵は怪訝そうな顔をした。
「始祖王は竜と精霊の他に何をしたというんだ」
男は、はっと笑った。
さもおかしげに。
「人間があるではないか」
それを聞いて公爵は目を見開いた。
「一人二人ではないぞ。矮小な存在でもな、数が積み重なればその威力は計り知れない。そなた為政者側の人間ではないか。よく知っているはずであろう」
人の数は多ければそれだけで「力」になる。
民のいない国は無い。
「それに支えられてそなたらの地位は成り立っているのではないか。今、生きてそこにあるのさえ、それがなければありえない」
皮肉な笑みで男は公爵を見る。
最も侮っていた存在に足元を支えられている現実をもう少し真剣に考えてみるべきだったのだ。
と男は続けた。
だが、それすら、娘と同じく駒の一つと考えて終わらせるのだろうが。
かつん、と隣の空間から聴こえてくる轟音にも消されず響いた音があった。
渡り人が床を杖で軽く突いた音だった。
かつかつかつん、と更に三度、杖の先は床を鳴らした。
鳴らした場所から火花のような小さな光が弾けた。
弾けた光は、くるくると回りながら、炎を吐く闇竜の元へ近づき、その身体へとりついた。
とりついた場所が、見る間に結晶を帯び、薄青い花を咲かせた。
かつかつかつん、と渡り人は再び音を鳴らす。
その度、小さな光は生まれ、闇竜にとりついて花を咲かせた。
見る間に、闇竜の身体は薄青い結晶の花に覆われた。
青白い頭部ももう不自然ではなく、結晶に馴染んでいる。
闇竜の炎が止まった。
冬の精霊の紡ぐ氷結の爆風は勢いを緩め、穏やかに花の咲く闇竜の全身を包んだ。
浄化するかのように。
漸く終わったのか、と玉座側にいる人間達が息をついた途端、結晶の花が黒く染まった。
精霊の前に見えない壁がそそり立ち、突然発生した雷撃を受け止めた。
闇竜は身動きできない状態でありながら、魔法を放ってきた。
空間中が帯電したかのように紫色に光り、次々に精霊に向かって雷撃が落とされる。
精霊は再び氷結の爆風を操って闇竜に浴びせかけたが、その爆風の中で稲光が縦横に暴れまわる。
「「飛来する嵐」ね……」
渡り人が呟いた。
冬の精霊が笑った。
闇竜に爆風を浴びせながら、翻る銀髪を走る稲妻で紫に染めた、凄絶な微笑だった。
「折角浄化の花が綺麗に咲いたのに」
この場にそぐわないのんびりとした口調でぼやくように呟き、渡り人は再び杖で床を一つ突いた。
そこから広がったのは一つの反響だった。
静かな水面に一滴の雫を垂らしたように、一音ホールでぽんとピアノのキイが叩かれたように。
それは嵐の影響を受けず、闇竜の身体に当たって複雑に跳ね返り、闇に染まった結晶を鳴らした。
反響し、共鳴し、闇の結晶は震え、次々に砕け散った。
砕け散る時にも透明で美しい音をまき散らした。
それぞれがそれぞれに反響し、共鳴し、不思議な重音を紡ぎだす。
「ああ……」
渡り人は何事か感じたように吐息をもらし、目を閉じた。
同時に、遠くから、竪琴の音が響いてきた。
---清らな少女は月神の巫女となりて
渡り人は歌った。
声に魔力を乗せて。
砕け散った結晶が宙に舞う。
嵐の中、きらめいて竜の身体を裂く刃となる。
そして人々は見る。
その一つ一つのきらめきの中に、竜がいた。
氷壁の中に、水晶の中に、地の底に。
封じ込められ、眠りにつく竜の姿。
その数だけ、アルトナミ王家に降り積もる不浄を引き受けて。
その姿を知らず、その仕組みを知らず、ただただ不浄を降り積もらせる王家。
この時空に僅かずつ位相をずらして封じ込められる、複数の「同じ竜」。
その存在が時空を歪ませ、世界を歪ませ。
崩壊へ向かう亀裂は日々新たに生まれ。
事ここに至って、その場にいた人間は初めて認識した。
真に世界の危機であるという事を。
闇に染まった結晶は、砕かれ、精霊の起こす嵐に洗われる事で浄化され、お互い緩くつながりながら、再び頭以外は闇一色となった竜をすっぽりとドーム状に覆った。
雷撃はドームの中を跳ね回るが、外部に出る事はなく、精霊は氷結の風を止めた。
大きく息をつき、静かに精霊は膝をつく。
「大丈夫?」
渡り人が声をかけると、美貌をわずかに歪めて精霊は頷いた。
「あなたの歌のおかげで、魔力の巡りがとても良い……」
そっと手を伸ばし、軽く振ると、精霊の指先からダイヤモンドダストのようなきらめきが生まれ、そよ風のように竜を囲むドームへ吸い込まれていった。
内部で荒れ狂っていた雷撃がやんだ。
竜の半身が、青白く染まっていた。
「それでは……」
冬の精霊はそのまま、空気に溶けるように消えた。
「今や数少ない太古の精霊に無理をさせた……」
未だ学者の姿のままの男が呟く。
「他に適任者がいなかったのだから仕方ないでしょう」
「そうだな……」
渡り人に答えて、何かを堪えるような顔をし、溜息をついた。
ドームの中で半身を青白く染めた闇竜を見やる。
「今、そなたの歌であれは静まっているが一時的なものだ。次は……」
進み出た者の方へ視線を移す。
剣士ガイキが背負った大剣の柄を握っていた。
遅くなって申し訳ありません。
途中放棄だけはしませんので、気長にお待ちいただけるとありがたいです。




