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オラール王国の使者 2

 翌日になってもクロードは機嫌が直っていなかった。部屋に帰った後もヴァランから散々説教されたのだ。とにかく彼女が高潔な聖女のような変な幻想を抱いていて、それが普通の女と変わらないと分かったから腹が立つのだろうと思う。それなのに何故〝来い〟と言ってしまったのだろうか?と悩むところだ。しかも機嫌が悪い原因のイレーネが直ぐ近くにいるのだから最悪だった。主賓と同等に扱われている彼女の席が近いのは当たり前だし、今回の主役である皇帝と花嫁もほぼ同席状態だった。


(しかし・・・こんなに仲がいいのに何で別れるんだ?しかも妻同志仲が良かったら理想の後宮じゃないか・・・)


 三人の様子を窺いながらクロードは納得いかない思いを考えていた。男と女の関係は冷めたと言っても簡単には済まない。何かとしこりが残るのは当たり前だった。それだけ一時は深い繋がりを持つのだから・・・・考えれば考える程、訳が分からなくなってきた。直感で言った居場所とかも、これなら関係無いような気がしてきだしたのだ。皇帝から皆が羨むぐらいに扱われているのだから花嫁の次に幸せなのでは・・・と。


(今まで何でも負けた事は無いが・・・今回は負け戦のような気がしてきた・・・)


 心の中でそう呟いた。

恨めしげにイレーネを見ると、彼女もチラッと視線を向けたが、完全に無視を決め込んでいるようだった――にこりともしない。

 クロードは皇帝の前だというのも忘れて大きな溜息をついた。するとナイジェルが透かさず問いかけた。

「クロード殿、お疲れか?」

 イレーネは〝馬鹿ね〟と言うようにクスリと笑ったが、クロードはそれも気に入らなかった。さっきから彼女と皇帝の仲が良いのにも腹が立っていたところだ。だから腹いせに意地悪を言いたくなった。

「いいえ。あまりにも盛大なので気が引けただけです。これから後宮に咲く花々も数多くなるでしょうから大変ですね?しかしあえて一言言わせて貰えば、次回からは花はその都度取り替えるのでは無く、増やして愛でるほうが宜しいかと・・・・色々な花々は皇帝を飾る宝石であり、威光そのものでしょうから」


 今の不敬罪に当たるような言葉が聞こえた者達は青くなって息を呑んだ。婚礼を挙げたばかりの花嫁の前で言う言葉ではないからだ。後から多くの花嫁が嫁ぐだろうとか、皇帝に妻は捨てるものでは無く増やすもので、それが威光に値すると高言したのだ。隣国の王族出身の宰相とはいえ、この場で切り殺されても不思議ではない暴言だった。

 ツェツィーリアは眉をひそめ、ナイジェルは紫の瞳を細めた。ヴァランは真っ青だったが言った本人はどう出る?と言いたげに不遜に微笑んでいた。


(この男はなんて馬鹿なの!)


 イレーネは信じられなかった。誰もが恐れるナイジェル相手に喧嘩を仕掛けているのだ。呆れてしまったがこの場で流血騒ぎになっても大変だ。イレーネはその男の挑戦的な瞳をきっと横から睨んで言った。

「陛下、事情のしらない者の戯言でございます。ご自国のお話しをそのままなさっているのでしょう。ですからどうぞお許し下さいませ」

 彼女の取り成しにナイジェルは頷いて応じた。

「・・・・・・最近即位したアラン王は、王子時代から数多くの花を持たれているという話は聞いている。だが私はそれが羨ましいと思う事はないだろう。心無く多くの花を愛でても虚しいだけだが、ただ一つでも大切な花を見つける事が出来たなら幾万の花々にも敵わない。私はそれを見つけたのだから他は必要ないのだ。この喜びを知らないアラン殿のほうが気の毒だと私は思う」


 ナイジェルはそう言うと心配そうに見上げていたツェツィーリアの額に口づけを落とした。イレーネもほっとしたように微笑んだが、クロードは昨晩のように怒りをあらわにしていた。先に自分が仕掛けたと言っても、自国の王を引き合いに出されて否定されたのだから怒っているのだろうとイレーネは思った。怒ると男の瞳の青さが抜けるのか赤が増すのか分からないが青紫が一気に綺麗な紫色に変化する。まるでナイジェルの瞳の色のようだった。二人は何処と無く似ていると思ったが性格は正反対のようだ。


(昨日も思ったけれど、この方は直ぐ怒られる性格のよう・・・でも機嫌を直して頂けないとせっかくの披露宴が台無しだわ・・・)


 イレーネはそう思うと自分が何とかしようと行動に出る事にした。

「クロード様、連日の祝宴はお退屈でしょうから、皇城自慢の庭をご覧になられませんか?今が一番見ごろの花も咲き誇っておりますので」

 イレーネは言った後で、しまったと思った。さっきから女を〝花〟に例えた話で険悪になっていたのに花の話題を出してしまったからだ。此処は大人になってかわして欲しい所だが・・・彼には通用せず、その話題に喰らいつかれてしまった。

「庭?それは俺達男が喜ぶような甘い蜜が香る花園があるとか?そんな接待なら喜んでお誘いに同行させてもらおう」

 男はすっかり言葉使いが素に戻っているのも忘れて、イレーネをチラリと見た。言った意味が当然分かったのだろう案の定、昨日と同じく頬を赤く染めていた。それを見るのが何とも楽しい。


 堪りかねたナイジェルが身を乗り出しかけた時、イレーネが立ち上がった。

「では、参りましょう。貴方がご期待するものはございませんが、庭は花ばかりではございませんので、十分気に入って頂けると思います。さあ、どうぞ」

 イレーネはそう言うと庭へ続く扉を扇子で指し示した。

 有無を言わせない迫力が彼女にはあった。完全にこの場を支配したのだ。完敗だった。クロードはそう認めずにはいられない。皇帝に喧嘩を売って自分でも馬鹿馬鹿しいぐらい意地を張ったが、結局彼女のせいで喧嘩まで行き出さなかった。


(すかした奴を怒らせたかったのに・・・まったく!)


 クロードは何故かナイジェルが気に入らなくて仕方が無かったのだ。だが諦めるしかないだろう、きっと彼女が防波堤のように立ちはだかるに違い無いからだ。捨てられた女なのに恨むどころか健気に尽くしている意味が理解できなかった。ただの偽善者なのか?返り咲きを狙っているのか?悪く言えばそんなものだろう。だが彼女には曇りのない気高く澄んだ心を感じた。だから大事な王子を任せたいと思ったのだが・・・・

「・・・・・案内してもらおう」

 クロードは思いを断ち切りそう言うと立ち上がり、イレーネの後をついて行った。


 ヴァランは同行するかどうか迷ったが、誘われたのは彼だけだから立ち上がりかけた腰を元に戻した。それを見たナイジェルが声をかけた。

「セゼール元帥、そなたも苦労するな」

「いえ。いつもの事でございますが・・・場をわきまえぬ言動を致しまして誠に申し訳ございませんでした。寛大なる陛下のお心、ありがたく思っております。この不始末の謝罪は後日させていただきます。誠に申し訳ございませんでした」

 畏まって硬い口調で言うヴァランをナイジェルは探るように見た。

「謝罪は国王から頂けるのか?」

「・・・・・・・・・」

 家臣がそうだと約束出来るものでは無いが、普通なら国王がするのが道理。しかしヴァランは答えず、額に汗を滲ませていた。

 ナイジェルは少し微笑んだようだった。

「あのような考えなら謝るなどしないだろう。人はそれぞれ考え方が違うのだから・・・」


 ヴァランははっとして青くなった。まさか?しかし、今は深く頭を下げるしかなかった。


 ツェツィーリアは二人が出て行った扉を見つめていた。ナイジェルもそれに気付き、ヴァランから彼女に視線を移した。全てを見透かすような鋭く尖った視線から開放されたヴァランは額の汗をほっとして拭った。

「ツェツィーリア、どうかしたのか?」

「陛下、イレーネ様は大丈夫でしょうか?私・・・心配で・・・」

 ナイジェルは微笑んだ。ほとんど表情を変える事が無い皇帝が、彼女にだけ向ける穏やかでとろけるような微笑だ。見慣れない周囲の者達が呆然とするのもしばしばあった。

 そのナイジェルが更にツェツィーリアを抱き寄せて言った。

「イレーネなら大丈夫だ。彼女にもしも何かあれば私も黙ってはいない。彼女は私達二人の大事な友なのだからな。あの者も馬鹿でなければ当然わかっていると思う。セゼール元帥、そうだろう?」

 再び名を呼ばれたヴァランはどっと汗が出た。あの傍若無人を絵に描いたような男が、大人しく散歩だけをしてくれるのを祈らずにはいられなかった。


 イレーネは後から大人しくついて来る男を肩越しに様子を窺った。機嫌は直っていないようだが先程の話題を持ち出す様子は無いようだ。庭を案内と言っても広大な庭園は何箇所もあって徒歩で回るのには無理があった。しかしこれはあの場から彼を連れ出す口実だったから、本人も本当に庭を観賞したいとは思っていないだろう。だから庭園の所々に点在する東屋へ彼を案内した。

「どうぞ、こちらでご休憩下さいませ。お飲み物は何がよろしいでしょうか?」

 披露宴会場があった皇宮の一角からそんなに離れていないその場所は、中で演奏される音楽が聞こえていた。近くで聞けば心浮き立つものも、遠くで聞けば甘美な旋律となるようだ。男は澄まして飲み物を尋ねるイレーネが面白く無いと思って、ふん、と短く鼻を鳴らすと大仰にふんぞり返って腰掛けた。そして足を組みブラブラさせ始めたのだ。


 イレーネはクスリと小さく笑った。まるで彼が親に叱られた大きな子供みたいだからだ。彼女がたてたその音に男はピクリと反応した。

「今、笑っただろう?それにさっきも同じように笑った」

 イレーネははっとした。彼から立ち昇るものが不機嫌を通り越して憤っているのが見えたからだ。瞳の色がまた紫に変わっていた。〝さっきも〟と彼は言った。そういえば先程の押し問答が始まったのは、彼を笑った後からだった。誰もが皇帝の前では緊張するのに彼は大きく溜息をついたからだ。そんな態度をとるものなど初めてだった。やりたい放題する小さな子供のようだったから、思わず笑ってしまったのだ。馬鹿にして笑った訳では無いのだがこの男はとても矜持が高いのだろう。それにしてもたったこれくらいで?とも思わなくも無いが、確かに笑ったのは事実だから自分が悪いとイレーネは思った。


「申し訳ございませんでした。貴方の態度が奔放でいらっしゃると微笑ましく思っただけで他意はございませんでしたが、ご不快に思われたなら謝ります」

 イレーネが愁傷にそう言うと、男の今にも射殺すかのように光っていた紫の瞳に青が戻ってきた。そして豪快に笑い出した。

「ははははっ、ガキみたいだって言うんだろう?ヴァランからも良く説教される!だがな俺は俺だから誰の指図は受けん!好きなようにするし、誰にも邪魔はさせない」

 イレーネは呆れた。

「貴方は困った方ですね。王子の教育者を探すよりも、貴方を教育してくれる方を探す方が宜しいかと、わたくしは思いますわ」

 その言葉がうけたのか彼は再び笑い出した。


「教育者はそれこそ山のようにいたさ!今でもヴァランのように煩く言う奴もいる。だが今はもっぱら興味があって勉強中なのは・・・夜の勉強だろうな」

 男はそう言ってニヤリと笑い、イレーネを見た。やはり頬をぱっと染めている。本当にこの手の話題でからかうのは楽しい。彼女の反応が実に新鮮で飽きないのだ。だから更に追い詰めてみたくなる・・・

「ああそうだ。王子の教育の他に俺の夜の指南をして貰おうか?あの透かした皇帝の技でも是非教えて頂きたい。今まで一人であいつを満足させていたんだろう?さぞかし凄かったのだろうな?」

 からかうように言ってイレーネを見ると、反応が期待とは全く逆になっていた。彼女は真っ青になっていたのだ。そして震えながら手をあげると男の頬を打った。


「わたくしの事はどう言われても構いませんが陛下を愚弄する事は許しません!王子の教育も貴方の教育もお受け致しませんわ!もう金輪際わたくしに構わないで下さい!」

 イレーネは激しく言い捨てると足早に立ち去った。残された男は力いっぱい打たれた頬に手を当てて呆然とするしかなかった。優しげで大人しそうで、どちらかと言えば男に従順な感じと思っていた彼女が突然牙を剥いたのだから驚いたのだ。しかも女から叩かれるなど彼の経験では一度たりとも無い。烈火のように怒った彼女がいつもより綺麗に見えたのはその打たれた衝撃なのか?皇帝を庇ったのが気に入らないが、怒るよりも愉快な気持ちに傾いて思わず笑いが込み上げてきたのだった。



<閑話> ヴァランの気鬱


「やあ、ヴァラン!どうしたんだ?そんな難しい顔をして?」

 先刻しでかしたのも忘れたかのようにのん気に声を掛けてきたクロードにヴァランは呆れた。

「貴方はいったい何をお考えなのですか?あんな事をしでかしておいて・・・よ、よくもそんな平気で居られるのですか!こちらは生きた心地もしなかったというのに!まさかあの後、あの方に何もしなかったでしょうね!」


「あーそーだな・・・まぁーな」


クロードはイレーネに打たれた頬に手を当てて適当な返事をした。

ヴァランはそれを見逃さなかった。

「何かなさったのですか!何ということを!あーあもう我々は生きてオラールには戻れない・・・」

「はぁ~そんな大げさな。ちょっと怒らせただけさ」

「ちょっと?誠でございますか?誠に?」

「んん~ん。イレーネに俺の夜の指南を頼んだら叩かれた・・・冗談だったのにな」


ヴァランは真っ青になった。


「な、なんという破廉恥な・・・し、しかも絶対冗談じゃなく本気で言ったのでしょう?」

「う・・・ま、まぁな。興味あるだろう?男なら誰だって」

「あ、貴方だけです!あーもう駄目だ!皇帝に殺されてしまう・・・」

クロードはむっとした。

「なんであいつから殺されなければならないんだ!お前、あいつに対してびびり過ぎだ!どいつもこいつも全く!」


「皇帝陛下をあいつ呼ばわりするものではありません!びびるも何もあの方は有名な〝皇族殺し〟親族でさえも顔色一つ変えずに殺す非情なお方です。その方の大事な人を傷付けるなど万死に値しますぞ!今日、言われたばかりだというのに・・・」


クロードはイレーネがその皇帝の大事な人だという言葉を聞いてやはりむっとなった。


「うるさい!あれぐらいでガタガタ言う女じゃない!だから俺は気に入ったんだ。絶対に手に入れてみせるさ!はははは・・・」

ヴァランはそう自信たっぷりに言う彼に何かを感じた。諌めるべきか?知らぬふりをするべきか?迷うところだ。


「それは王子の為でございますか?それとも貴方のため?」


不遜に笑っていた男がじろりとヴァランを見た。

「・・・・貴方は皇帝の使い古しを貰うのですか?」

「なんだと・・・もう一度言ってみろ・・・」

ヴァランはナイジェルの冷ややかな目にも生きた心地がしなかったが、この男にも同じものを感じる。若くして国政を握るこの男に、ナイジェルと性格が異なっていても同質のものを感じるからだろう。しか杞憂は当たりのようだった。イレーネに対して恋情にも似た気持ちを抱き始めている。なんと面倒な事をと思ってしまうのだが・・・・


「・・・・失礼いたしました。夜選ぶのも大変なくらいの花々をお持ちの貴方に愚問でございました。しかしながら王子の為だけであれば問題はございません」

「・・・・・お前が何を言いたいのか分からないが、俺はイレーネの事なんか何とも思っていない。あんな何処にでもいるような特別綺麗な訳でもない女!あいつの女だったと言うのが少しばかり興味があっただけだ!あくまでも王子の為だ!」

「では、そういうことにしておきましょう。今の言葉をお忘れないように・・・」

クロードはふんと鼻を鳴らして背を向けた。ヴァランは大きな溜息をつくのだった。〝忘れないように〟と言う言葉が何時まで続くものなのか全く分からない。

そしてそれが泡のように消えるのはそんなに先のことでは無かった―――



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