8、命の運び手
「うまくやれよ、太一」
森内が太一の耳元でささやいた。
森内が気を利かせて、太一と礼子が二人きりになるように誘導してくれた。
駿の見舞い時間が終わった後、太一は礼子を連れて病院の外に出た。
こんな状況になることは想定していなかったので、太一はどうしていいかわからなかった。
礼子も黙っていた。
お互いにこういう雰囲気に慣れていなかった。
それを見越してか、ちょうどいいタイミングで森内から電話が入った。
「おい、何やってんだよ。もっと積極的にアプローチしろって」
「いまどこにいるんだ、お前?」
「上、上」
言われて、太一が顔をあげると、病院のテラスから手を振る森内の姿が見えた。
森内は高いところから二人の恋仲を見物していた。
「もうすぐ5時だろ。とりあえず、食事に誘えよ。それが一番いいって」
「どう言えばいいんだよ?」
「飯食おうぜって言えばいいんだよ。そんな大げさなことかよ」
森内は軽口にそう言ったが、太一には簡単なことではなかった。
「ともかく無言で歩いてたら恋のムードは逃げてくぜ。いいから、積極的に行け」
森内は無責任にそう言って電話を切った。
太一は電話を仕舞うと、とりあえず自分にできる限りの方法で礼子にアプローチした。
「え、駅まで送ってやるよ」
「うん、ありがとう」
たった1つの会話だったが、太一には清水の舞台から飛び降りる覚悟だった。
◇◇◇
都会の喧騒は、恋の雰囲気に慣れない太一にはちょうど良かった。
ざわついているから、小さな会話は聞こえない。そのため、会話をしなければならないという強迫概念にさらされなかった。
しかし、同時にあまり二人の距離が縮まらないことでもあった。
太一が先を歩き、礼子は太一のやや後ろをついていった。
喧騒の目と鼻の先に駅がある。あとは電車に乗り込むだけだ。礼子のほうが先に電車を降りるので、二人きりという魔法はもう10分ちょっとで切れてしまう。
しかし、太一は魔法を延長させる術を知らなかったので、流れるように改札を抜けてプラットホームに出た。
すぐに電車がやってきた。
結局、あまり会話をすることができなかった。
二人は電車に乗り込んだ。
周囲の喧騒もあって、ここまで会話はほとんどなく、この先も別れ際の挨拶ぐらいしか予想できなかった。
この世界はおとぎの世界ではないと痛感させられる。
特別なことのない、そんなありふれた虚しい日常しか広がっていない。
しかし、そんな日常は一瞬にして引き裂かれた。
車内で悲鳴が上がった。
込んでいた車内では、誰も十分に身動きが取れなかった。
太一は突然、後方から押された。ドミノ倒しに人のバランスが崩れていった。
「なんだよ?」
「やめろ、こら、押すな!」
準満員電車だった車内はひどく乱れた。
太一は壁際に押されていた礼子を守るように、前方のスーツの男性を押した。
「大丈夫か?」
太一が尋ねると、礼子はうなずいた。
しかし、車内はパニックになっていた。
事の発端は第六車両に現れた死神ゲジゲジだった。
死神ゲジゲジは満員で身動きできない中をスルスルと移動して、B型の男性を標的に襲いかかった。
一人が倒れると、関係ない者たちが慌て、それが伝染し、気が付けば車内全体がパニックに陥った。
車掌が遅れて電車を急停車した。
落ち着いて避難しようと先導する者の声はかき消され、我先にと、人々が密室の車内でうごめいた。
そんな窮屈に関係なく、死神ゲジゲジは車内を軽やかに移動した。
太一は視界に死神ゲジゲジの赤い瞳を捉えた。
死神ゲジゲジを見るのはこれが二度目だった。
太一は冷静に死神ゲジゲジを見ていた。
改めて見ると、死神ゲジゲジはとても無垢な目をしていた。
とても殺戮者とは思えなかった。
これまで容赦なくB型の日本人を殺戮してきたという経歴が信じられないほど、その瞳は優しさに満たされていた。
太一は礼子をかばうようにしながら、死神ゲジゲジと対峙した。
太一はにらみつけるようにして、死神ゲジゲジを遠ざけようとした。
一瞬、目が合ったような気がしたが、死神ゲジゲジはすぐに礼子よりも近くにいたB型の人間を襲撃した。
死神ゲジゲジは四人を殺戮すると、そのまま姿を消した。
ドアが開き、すべての乗客が避難したのは死神ゲジゲジが消えてから約10分後だった。
死神ゲジゲジが殺害したのは4人。それとは別に人災に巻き込まれて4人が死亡した。
◇◇◇
夕方6時を過ぎて、駿は薬の副作用でまどろみの中にあった。
このとき、駿は夢うつつの中におかしな光景を見ていた。
何か得体の知れないものが自分を締め付けている。
それは温かく優しい抱擁だった。
駿はその抱擁に身を任せていた。
その抱擁は異様な生温かさに満たされていた。まるで血のたまりの中に浸かっているような感じがした。
それでも、そこは心地よくずっと身を任せていたかった。
ところが、罪悪感が頭をもたげてきた。
この心地よさの中に溶けている罪や犠牲といったものが感じられると、背筋が凍り付いた。
駿は抱擁を解くように体に力を入れた。
駿の目が開かれた。
「……」
ぼんやりと開いた視界に赤い瞳が輝いた。
誰もいない薄暗い病室。空調の音がかすかに聞こえてくる。
そんな中、死神ゲジゲジが赤い瞳を輝かせて、駿と向かい合っていた。
「……」
「……」
二人は無言で見つめ合っていた。
駿の血液型はB型。
死神ゲジゲジの標的は血液型B型。
しかし、死神ゲジゲジは駿に襲い掛かろうとしなかった。
宙に浮いたまま、ジッと駿のほうを見ていた。
駿も脱力した状態で、死神ゲジゲジを見つめていた。
「君は……」
駿がささやくように口を開いた。
「そうか、君だったんだ……」
駿はそう続けた。駿は目の前の死神の正体を悟っていた。
死神ゲジゲジはしばらく駿の姿を見ていた。駿の確かな生を確認すると、そのまま姿を消した。
駿は自分の胸に手を当てた。
心臓は鼓動している。それは自らの生命力ではなく、死神の献身によってつながれた命だった。




