63.武闘会 そして買い物
部屋の前に着いた二人が、扉を3回ほど叩くと、中から声が掛かった。
「入ってくれ」
イルゼ達を出迎えたのは、30前後のまだ若い男だった。彼の机には、たくさんの書類が無造作に置かれており、印鑑が押されている物と押されていない物が適当に並べられていた。
「あなたがギルマス?」
どう見ても若い。
そしてライアスのような覇気は感じられなかった。
そんな彼が、この国の冒険者ギルドを治めているとはとても思えない。
「ああ、そうだよ。イルゼさんがそう思うのも無理はないね」
気持ちが顔に出ていたのか、イルゼを見て、彼は苦笑した。
「ん、ごめん。そんなつもりじゃなかった」
「気にしないでいい。初対面の人にはよく言われるからさ」
ぽりぽりと彼が困ったように頬を掻く。
「ランクはいくつなの?」
「Aランクだよ」
「へー」
普通ならそこで驚く所だが、イルゼは剣聖で、Sランク冒険者だ。へー、ふーんの一言で済んでしまう。
その反応は織り込み済みだったのか、彼は苦笑しながら立ち上がる。
そしてイルゼ達の元にやってくると、右手を差し出した。
「改めて、この国のギルドマスターをやっているテオ・トーノロだ。よろしく」
「うむ、よろしくなのじゃ!」
イルゼが取るより先に、リリスがその手をがっしりと掴んだ。
求めていた相手とは違ったが、彼はリリスに優しく微笑みかける。
「君が魔王様かな? 話は聞いてるよ、もう世界を滅ぼす気はないんだって?」
テオが冗談めかして笑いかけると、リリスが「うむ」と偉そうに頷いた。
「余には元々世界を滅ぼす気などなかったのじゃがな……それにな、今の余は無害な女の子じゃ! 安心せい」
それを自分で言うかと思った二人だったが、事実、今の魔王は無害である。
――変わった子だな。これが本当にあの魔王なのかな?
リリスに対する彼の印象は、少し変わった女の子であった。
「テオ。凄く眠そう」
「ははっ、そう見えるかい?」
「ん。見える」
近くで見たテオはかなりやつれており、何日も眠っていないように見受けられた。
「仕事が忙しくて、最近満足に眠れてないんだよ」
彼が生粋の苦労人であると同時に、やはりギルドマスターとは苦労する役柄なのであろう
「ギルマスー。あのここはどうすれば……」
「あぁ、そこはね」
彼と一言、二言、喋っている間にも何人もの受付嬢がこの部屋を訪れていた。
その度に彼は、話を中断して対応しなければならなかった。
「ねえ、テオ。いま忙しいの?」
そう問われると、彼は力無く頷いた。
「年に一度の武闘会の日が近いから人手が足りないんだ。この時期は他国からも多く人が集まってくるし、あっちにもこっちにも行かないと行けないから、みんなそれぞれの仕事があって忙しいんだよ」
僕もその類いさ、と彼は自分のデスクに散らばる書類を遠い目で見つめる。
「ん。大変だね」
どこか他人事のように呟くイルゼ。
「補佐の者はいないのか? 余が公務で忙しい時はその者にやらせておったが」
こちらは経験があるからか、テオに同情の目を向けた。
「残念ながら今はいないんだよ。去年まではいたんだけど、結婚を機に辞めちゃって……」
どこか悲しい目をするテオの肩をリリスがバシバシと力強く叩いた。
「あまり気にするでない。良き女性は、他にいっぱいいるはずじゃ」
「ん、リリスの言う通り。大丈夫、次があるよ」
「……君たち何か勘違いしてないかい?」
「嫉妬してるのかな?」 「嫉妬しているのではないか?」
二人だけで勝手に話が盛り上がっていく事に、テオはもう訂正するのを諦めた。
◇◇◇
「宿はこちらで取ってあるから心配しないでいい。何か荷物があったら、先に運んでおくように言っておくよ?」
「ん。大丈夫」
元より荷物の少ないイルゼ達であったが、リリスが異空間魔術を使えるようになってから、アイテム袋に入りきらないものは、全てそちらに放り込んでいた。
そのため、手荷物は最小限で済んだ。
「では、余輩は観光に行こうではないか!」
「ん。闘技場に行ってみたい」
「なら、まずはそこからじゃな……のう、テオ。この辺で一番上手い料理を出す店はどこじゃ?」
彼はギルドマスターになるまでは、よく一人で食事に行っていた為、それなりに詳しかった。
「それなら大通りにあるカルステラーという店がオススメです。貴族の客が多いのが難点ですが、それ以外は料理も含めて全てが一級品でしょう」
なぜ貴族の客が多いのが難点なのか、疑問に思ったものの、美味しいものを食べられるのならそれに越したことはない。
リリスのお腹は、美味しいものを食べられると聞いただけで、ぐーぐーとなっていた。リリス自身もじゅるりと音を立てて涎を啜る。
「なら夕飯はそこに決まりじゃな! 今から楽しみで仕方ないのう」
そこでイルゼがあれっ? と間の抜けた声を出す。
「ん? どうしたのじゃイルゼ?」
「ウルクスに着いたら、リリスが料理してくれるんじゃなかったの?」
作ってくれないの? とイルゼは不安そうな顔をしてリリスに近づき、首元あたりを掴むと、腰を低くして、小さい子が親に何かをせがむような体勢でリリスを下から見上げた。
――あっ。
心臓を鷲掴みされたかのように、息ができなくなった。
(かわいすぎる――)
思わず抱きしめたくなるのを我慢して、ドキドキする胸を押さえる。ここがギルドでなく、他に人がいなかったら、満足するまでイルゼを抱きしめていた所だろう。
リリスはギリギリの所で理性を保つ。
「なははははっ! もちろん、もちろん作るとも。今日は材料だけ買って、明日の朝、そう、明日の朝作ってやろうではないか!」
その言葉を聞いて、イルゼの顔がぱぁっと華やいだ。
「分かった! 明日の朝、楽しみしてるね」
イルゼが無邪気に笑う。
心の底から楽しみにしている様子だった。
(うっ……あ……頑張らねば)
リリスはイルゼに連れられ部屋を出る。テオが「頑張ってねー」と他人事のように手を振っているのが見えた。
(テォーーーー!!)
部屋の外で、イルゼから話を聞こうと待ち構えていた冒険者達も年相応の少女達に声を掛けられないでいた。
買い物! 買い物! と機嫌よく歩くイルゼを邪魔できる者などいる筈ない。
なにより、今話しかける事は死に直結する。
(出来るか、今の余に出来るのか!?)
確かにリリスは子供の頃、趣味で料理を学んでいた時期があった。
しかし、あれから随分と時が経ってしまっている。
これだけ大見得切って言ったものの、自信の程は全くなかった。
(まずい……凄くまずいのじゃ。こんなに期待の眼差しで見られてしまったら失敗する事も出来ん。第一、失敗したらイルゼは余の事を嫌ってしまうかもしれん。それだけは、それだけは絶対避けなければ)
言い訳にしか過ぎないが、今の自分にイルゼを満足させられる程の料理を作れる気がしなかった。
だが身から出た錆だ。
あの時、張り合わなければ良かったとリリスは今になって後悔した。
そして、この笑顔を守るためには努力しなければいけないと、魔王は必死になって頭の中で知っているレシピを描いた。
(確かあれと、あれと、あれを用意して、その次にあれをやって……うぅ〜母上、余をお助けて下さい)
母が料理上手だった事は父から聞いていた。自分にその血が流れている事を祈って、リリスは材料を買い集めた。
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