34.魔王の想い
「ふにゃせー! ふにゃすのひゃ!!」
「あーもううるせぇな。大人しくしろ!」
イルゼと引き離されたリリスは、図書館を出た後、逃げ出そうと激しく暴れたが、屈強な男達に今のリリスが勝てるはずもなく、口を塞がれ、手首を後ろに縛られ、しまいには目隠しまでされてしまった。
男達はそのままリリスを小脇に抱え、地下道を通って、とある場所へと向かっていた。
そして先頭を歩いていたビルクが足を止める。
「ほら、降りろ。目隠しは外してやるから自分で歩け」
「ほひょは……どほひゃ……」
もごもごと喋るリリスがいる場所は、不思議な感覚に襲われたあの灰色の建物の真下だった。
地下道を出て、建物内へ入る。
「ここまで来れば安心だ。もしも剣聖が来てもお仲間さん達が相手してくれる」
「おひゅし。何故イルゼがけんへいだと知っておる」
猿ぐつわのせいで上手く喋れない。
「あ、何言ってんだ? まあ、もうここまで来た事だしそれは外してやるか」
ビルクがリリスの猿ぐつわを外し、その口を自由にする。
「お主は、何故イルゼが剣聖だと知っておるのだ?」
「あ? アルファ達から聞いたんだよ。この俺が簡単にぶっ飛ばされたのも納得だ。それより、俺が夜の相手を頼んだのが魔王様だったと言う事の方が驚きだったがな」
「ぬっ……」
嫌な事を思い出して口を噤む。あの時、ビルクに触れられた感触がいまだ肌に残っていた。
「そんなに怯えなくていいぜ魔王様。俺はもう手出し出来ねぇよ。魔王に手をつけたりしたら俺の方が殺されちまう。なんてったって魔王様に触れたら死ななければいけないからな『魔王様のお体に触れたので私は命を絶ちます』ってな。イカれた連中達だぜ全く。まあ今は俺もその一員だが」
ビルクは自殺する気などさらさらないような口調で、自分が属する組織の事をイカれた連中の集まりだと比喩する。
「……お主、イルゼに殺されるぞ。今ならまだ間に合う。余が口添えすれば一度死ぬくらいで済むはずじゃ」
盗賊を目の前で肉塊にしたのを見ていたリリスだけが言える事だ。イルゼを本気で怒らしてはいけないと。
「なんだよそれ、俺は結局死ぬんじゃねえか」
「当たり前じゃ、イルゼを本気で怒らすと怖いのだぞ」
「そうかいそうかい。でも安心しな、剣聖様を殺すのはあんたになるんだからな」
「なっ! 余がそんな事するものか!!」
「ははっ、そんな怖い顔するなよ。俺たちの目的を忘れたのか? 俺たちは暴虐の魔王リクアデュリス様の復活を目指しているんだぜ。今の魔王様に何が出来るってんだ? せいぜい助けが間に合う事を祈るくらいか?」
「「はははははっ!」」と周りにいた男達が一斉に下卑た笑い声を上げる。
聞いているだけで不愉快な声に耳を塞ぎたいが、手を縛られている為それは叶わない。
(余は、こんな縄一つほどけないのか……)
同時に力のない自分を恨んだ。
今のリリスには対象の記憶を覗くという能力が残されているだけで、それ以外は何も特別な事は出来ない。
無力だった。
「転ぶんじゃねえぞ」
先の見えない暗い階段を降りる。先頭を歩くのはビルクだ。
魔王の周りにはその部下達が守りを固めている。
調子よく喋ってる割には、イルゼに対する警戒、油断は怠らないらしい。
そして5分ほど歩かされると地下の広い空間に出た。まるで教会の一部、聖堂のような場所だ。
しかし神々しさは感じない。代わりに瘴気が立ち込めている。
そして聖堂の中心には……。
「な、死体!? ――それにあそこに溜められているのは……血!?」
施術台に寝かされた一糸纏わぬ死体。巨大なフラスコ瓶に溜められた大量の血。
無残にも山積みされた、干からびたミイラのような死体。
それらが指し示す事は。
「これは生贄……か」
「ご名答」
顔前に現れた凄惨な光景を目の当たりにしたリリスは、己の辿る運命を悟った。
「なんと酷い事を……」
「俺もこれに関しては可哀想だと思うぜ。同時によくこれだけの生贄を集めたと思ったよ」
「お主がやったのではないのか?」
「まさか? 俺は入ったばっかりだぜ。俺がここに初めて来た時にはもうこのくらいの生贄が揃っていた。この辺で見ない奴らばかりだから、どっからか運んできたんじゃないか?」
「何という事じゃ……余のせいで無実の人間が……」
「はっ、笑わせんな。今まで何十人も数え切れないくらい数の人間を殺してきたんだろ?」
ビルクの正論にリリスは「うっ……」と黙り込んでしまう。
彼が言っていることは間違っていない。
かつてリリスは魔族を束ねる者として、先頭をきって、数多くの人間達を殺してきたのだ。
ビルクはリリスを責めているつもりはなかった。責めるというより感謝しているとでも言いたげな顔をしている。
「お主は……」
リリスは何かを言いかけ、やめる。そしてよろよろと施術台に近づいた。
ビルクの部下が止めようとしたが、彼がそれを手で制す。
「自分の目で見た方がはえーからな」
リリスは沢山の管で繋がれた死体の腕をとる。
(まだ、生暖かい……血が抜かれて間もない死体じゃな……んっ?)
その死体に見覚えがあった。
「こ、この死体はこの前の射的屋の店主!?」
「お、気付いたか。随分しわくちゃになってるけどな、確かにそいつは魔王様の言っている店主だぜ」
「なぜ、あの時の店主がここに……」
「いやな、俺が裏切らないように誰でもいいから生贄を一人連れてこいって言われちまったもんだから、適当に街から出て行こうとしていた奴を攫っただけよ。まあ運がなかったな」
「そんな……」
イルゼに仕掛けを見抜かれた店主の男は、その日の内に街からひっそりと抜け出ようとした所を不運にもビルクに目をつけられ捕まってしまったのだ。
「あとこれも何か分かるんじゃねえか? 俺は立場上触れないけどよ、こっちに来てみてみろ」
そこには神棚が置かれており、その上の壁には”暴虐の魔王リクアデュリス”が描かれていた。
壁画のリリスに供えるようにして、神棚の上に二つの杯が置かれている。
(一体この建物はいつからあるのじゃ……それにこの杯の中身は……)
「それはあんたが本物の魔王であった頃の血だぜ。どうやって手に入れたのかは知らねえ。その反対側の杯には先代の魔王様の血が入ってるらしい」
リリスはそれが何か、ビルクに言われずとも分かっていた。
そして同時に理解した。自分があの日、この建物の前で止まったのは、この杯に注がれていた血……魔王としての器、力が、自分の事を呼んでいたのだと。
先代の魔王達は言っているのだ。早く人間を辞め、魔王へと戻り、この世界を蹂躙せよと。
平和主義であったリリスの父とは違う、心の底から人間との戦いを望んでいた魔王達の魂が。
魔王になる為には先代の血を呑む必要がある。リリスも一度、父から魔王の力――真価を受け継ぐ為にその血を呑んだ。
そうやって魔王の血は代々受け継がれてきたのだ。
(余は……もうイルゼとは会えんのかもしれんな。次に会うとしたらそれは余ではない”暴虐の魔王リクアデュリス”であろう。だとしたら余がイルゼに会えるのは殺される間際か……最期にみたイルゼの顔が苦渋に満ちた顔とは……あれは……今にも泣きそうであったな。叶うならもう一度イルゼの笑顔を拝みたかったのう)
今やそんな些細な願いも叶わないというように、着々と魔王復活の準備は進められていく。
壁画の真下にある玉座に座らされ、その手首足首を拘束される。
いよいよ儀式を行うらしい。
そして階段を降りるコツコツとした音が聞こえてきた。
「俺の役目はここまでだな」
「?」
そしてビルク達は階段を降りてきた人物と交代する――黒衣を纏った女だ。
風に揺られたベールの隙間から顔が見えた。
「お、お主がなんで!?」
「私は”人形遣い”。さぁ、魔王様。お目覚めの時間ですよ」
人形遣いは、全盛期のリリスの血が入った杯を持ち上げ、近づける。
「さあ、呑んで下さい」
「嫌じゃ嫌じゃ!! もう余は人を殺しとうない」
必死に抵抗するリリス。しかし手足を拘束されている為、思うように動けない。
「それは貴方様のご意思ではありません。人間としての、リリスとしての気持ちです。本当の貴方に目覚めて下さい。そして私たちを導いて下さい」
「嫌じゃ絶対――んっ!!」
人形遣いはその開いた口に、上から血を一滴垂らした。
その瞬間リリスの脳裏に様々な記憶がなだれ込んでくる。
「ううっ、ああ」
その中に、自分が笑いながらランドラの街を滅ぼしている光景が映る。
「魔王様。それが貴方の本来あるべき姿なのですよ。さあ血を全て受け入れて下さい」
人形遣いは、杯をリリスの口元に這わせる。
もしここで抵抗すれば、無理矢理にでも呑ますつもりであった。
だがリリスは拒もうとはしなかった。その事に人形遣いは歓喜した。
(イルゼ……すまん。やはり余はお主に殺されるべきなのじゃ)
杯に注がれた血を啜り呑もうとする。
その時、リリスの耳に聞き慣れた少女の声がどこからともなく聞こえて来た。
「リリスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーー!!」