【初投稿】いつか、本当の君とキスをする。
なろう初投稿です!そして初めての1万文字越えの短編小説です!
なにぶん初心者なので、多少表記揺れなどがあるかもしれません。ご了承下さい。
感想くれたら涙を流して喜びます。
ポイント評価してくれたらこれからのモチベーションに繋がり、小説書きにのめり込みます。
よろしくお願いします!
「きーみをーまーつー……はぁ」
……何やってんだ、俺。
午前0時をすぎた頃、すでに終電の終わった小さな駅前で1人ため息をつく。かれこれ今日も、ここで4時間近く歌っていたことになるが、怪訝な目を向ける人はあれど、俺の歌を真剣に聞いてくれる人はいなかった。
大丈夫。いつものことだ。
もうなんど唱えたかわからない呪文を今日も自分に言い聞かせつつ、片付けを始める。集金用に前に置いているギターケースの中は、当然の如く今日もからだった。
もうダメかもな。諦めて実家に帰るか……。
そんなことを漠然と思いながら、ギターをしまおうとしたとき、ひらりとケースの中に一枚の紙っぺらが舞い込んできた。
よく見ると、驚くことにその紙っぺらは一万円札だった。
慌てて周囲を見渡すと、黒いフードを深く被った少女がいつの間にか側に立っていた。身長はそれほど高くなく、俺より少し年下の中学生のように見えた。
もう終電も終わった時間だというのに、いったいどこから現れたのだろうかと不思議に思っていると、少女は突然問いかけてきた。
「もう、終わり?」
ぶっきらぼうに放たれた短い質問に、俺は少し面食らいながらも、ああ、と答えた。
「あっそ」
すると少女は身を翻してポツポツと歩き出した。その後ろ姿からは行先の決まっていない浮浪者の雰囲気が感じ取れた。
突然の出来事であっけに取られていた俺だったが、ふと手の中の一万円札を思い出す。まさか、見た目中学生の少女から1万円は受け取れない。
俺は慌てて少女を追いかけ、肩を掴んで引き止める。
「お、おい!これ!」
一万円札を返そうと少女の前にそれを出すが、しかし一向に受け取る気配はない。
俺は少女の手を取って強引に一万円札を握らせた。
「こんなもの受け取れるか!お前まだ中学かそこらだろ!?こんな時間に何してんだ!」
「関係ないでしょ。それにこれはあんたにあげたもの。変な心配しなくて良いから受け取りなさい」
そう言ってまた立ち去ろうとするのを俺は慌てて少女の手をつかんで引き留める。
「離してっ!」
そう少女が強引に手を振り解いたとき、深く被っていたフードがひらりと取れた。そして、少女の顔があらわになる。その顔を見て俺は一瞬言葉を失った。
「お前……月無明里か……?」
月無明里とは今や全国民が知っているであろう、超人気と言って良いほどの若手女優だ。多くのCMや広告、雑誌に載るほどの有名人である。
そんな有名人がこんな時間に、こんな場所にいるのは明らかに異常だった。それだけではない。
その少女は泣いていたのだ。
しかし少女は、俺がそう問いかけた瞬間、一瞬顔を歪ませて走り出した。
「おい、待てよ!」
俺は再度、少女の腕を掴んで引き留めるが、少女は先ほどよりも強い力で振り払おうとする。
「離してっ!あんたも私が月無明里だと分かったら追いかけてくるのねっ!もううんざりよ!いいから離して!」
「ばかか!お前が誰だろうがどうでもいい!こんな時間に一人で泣いてる女の子を見過ごせるかよ!」
「え……?」
少女の腕から力が抜け、何を言っているのかわからないと言うような目でこちらを見つめてくる。その目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「はぁ……、ちょっとこっち来い」
俺は少女の腕を引いて、先ほどまで歌を歌っていた駅前の場所まで戻ると、敷いていた段ボールの上に少女を座らせた。静かになった少女は先ほどまでの抵抗が嘘のように全身から力が抜けており、素直にいうことを聞いてくれた。俺も少女の隣に腰掛ける。
さて、どうしたもんか……。ほっとけなくてとりあえず座らせたけど……。
そう思いながらもう一度少女の顔を確認する。その常人離れして整った顔立ちは、何度見ても人気女優、月無明里のものだった。先ほどの少女自身の発言からもおそらく本人で間違いないだろう。
とりあえず俺は少女ーー月無明里に事情を尋ねることにした。
「何があったんだ?」
余計な地雷を踏まないよう俺は短く、そう尋ねた。
しかし、月無は答えるつもりはないらしく、硬く口を閉ざして地面を見つめていた。
困ったもんだな、このままおいて帰るわけにもいかないしな。
とりあえず俺は月無が何か喋るのを待つことにした。
それから何分経っただろうか。10分にも1時間にも感じられる長い沈黙の時間は、月無の予想だにしない衝撃の発言で突如終わりを告げる。
「ねぇ、キスしよっか」
「……は?」
いったいどんな事情なのだろうと思索を巡らせていた俺の耳に、突如として入り込んできた衝撃発言。思わず間抜けな声が出てしまった。
しかし、その爆弾発言の元凶をみてみると、その目はこちらを捉えておらず、依然として地面を見つめていた。
「アホか。するわけねえだろ」
努めて素っ気なくそう返事をすると、月無はようやくその視線を地面から外しこちらを見た。その表情は驚いているような、疑問に思っているような、そんな間抜けなものだった。
「どうして……?」
「逆に何でここでキスするって話になるんだよ」
「どうして?私は月無明里だよ?あの人気女優の月島明里だよ?」
今にもまた泣き出しそうな震えた声で彼女は言った。
「だからなんだよ。こんな可愛い私とキスしなくていいのかってか?まず自分で人気女優とか言ってる時点で0点なんだよ」
大体、お前まだ中学生かそこらだろ……。いくら可愛くても対象外なんだよと心の中で付け加えておく。
すると月無は呆気に取られたような表情でポツリ、と呟いた。
「そっか……。あんたはまだ私を普通の女の子として見てくれるんだ……」
「いや、こんな時間に一人で泣きながら歩いている奴が普通の女の子なわけねえだろ」
地雷臭半端ねえし。近くに交番がなくてよかった。こんな状況、即事情聴取もんだしな……。
などと考えていると、そうゆうことじゃないし……と小声で呟くのが聞こえた。
「わたしをキャラとしての月無明里として見てないってこと。あんなの本当のわたしじゃないから」
「確かに、テレビの中じゃがっつり清楚系お嬢様だからなお前。綺麗で、頭も良くて、性格も良さそうな完璧美人のイメージだな」
そう、こいつが本当に女優の月無明里だとしたらそのイメージが違いすぎるのだ。まず格好からして、パーカーにショートパンツにスニーカーなどと言ったラフなものはイメージとは正反対。
流石に極端すぎるが、イメージとしては毎日ドレスでも着てそうな印象の人物だ。そして今の彼女は、話し口調、態度、所作のなにからなにまでそのイメージとは到底似つかわしくない。
それはもう洗脳でもされたのかと疑ってしまうくらいに。
「……がっかりした?」
俺の反応をおそるおそる確かめるように、少し遠慮気味に上目遣いでこちらを伺いながら、彼女はそう尋ねた。
その様子からは今にも壊れてしまいそうな危うさがあった。その視線には、一縷の希望を見るかのような期待と不安が混在しているように思えた。
だから、俺は女優の月無明里を思い出すように夜空を見上げながら、ありのままにこう伝えた。
「いいや、むしろ人間味があっていいんじゃないか。テレビでのお前は確かにすごいけど、なんていうか、作り物みたいな感じがするしな」
すると彼女はまたハッと驚いたような顔をして、すぐに顔を伏せた。
そして胸に両手を当ててギュッと、確かめるように、はたまた縋るかのように「そっか……。まだ私を認めてくれる人がいたんだ……。」と呟いた。それは誰かに伝えるというよりかは、自分に言い聞かせてるようだった。
そうしてしばらく胸に手を当てたまま心を落ち着けてから、パッと満面の笑顔をこちらに向けてきた。
それは、涙を流しながら目を赤く腫らしたひどい顔だったけれど。その笑顔は、雑誌やテレビで見た、彼女のどんな笑顔よりも輝いてみえた。
ーー可愛い。俺は素直にそう感じた。
もちろん、女優である彼女の容姿は元々とんでもなく整っている。だから、その顔から放たれる笑顔は誰がいつ見たって可愛いものに違いないのだろう。
だけどこのとき見た笑顔は本当の意味で人の心を動かす、そんな笑顔だった。
「ありがっ、とうっ……」
最初は笑顔でそう言ったものの、途中で感極まったのかまた泣き始めてしまった。今度は俺の左腕にしがみつくようにして寄りかかりながら。
ったく、泣いたり笑ったり、また泣いたり……忙しいやつだな。事情は未だ掴めないものの、今の会話のうちに彼女の心を動かす何かがあったのだろう。そして彼女の表情から、それが決して悪いものではないということも分かった。だから今はこれでいい。とりあえず、思う存分に泣かせてあげよう。
* * *
そしてそれから10分ほど。もう十分泣き終えたのか、月無はそっと俺の腕から離れた。おかげでシャツの袖が涙でぐちゃぐちゃだけど仕方ない。どうせ安もんだし。
ちらと横を窺うと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな、人気女優にはあるまじき顔をしていた。けれど、どこか垢抜けた、すっきりとした表情をしていた。
「ほら、これで顔拭け」
俺はポケットからハンカチを手渡す。月無はそれを無言で、うんとうなづいて受け取るとぶぅーっ!っと鼻を噛み始めた。
このクソガキ……人のハンカチで鼻噛むか普通……。つい口に出そうになるのを必死に堪えてから、先程の質問を繰り返した。
「何があったんだ?」
今なら答えてくれる確信があった。その確信に違わず、硬く閉ざされていた少女の口は、今度はすんなりと成り行きを話し始めた。
「家出してきたの。お母さんとマネージャーと私で仕事の打ち合わせをしている最中に。…お母さんがね、最近私のこと明里って呼ぶようになったの。それが耐えられなくて……」
「ん?どういうことだ?」
「私の本名は有月由美。月無明里は芸名よ」
つまり、自分の母親が自分のことを本名の由美、ではなく明里と呼ぶようになったということか。
「それが耐えられなかったっていうのは?」
「あんたがさっき言ったみたいに、女優としての月無明里は本当の私じゃない。小さい時からあのイメージを作り上げるよう周りから指導された。最初の頃は、いい子を演じてみんなにチヤホヤされて、正直楽しかった。だけど段々、本当の自分を抑えるのが辛くなってきたの……」
幼い頃の自分を悔やむような苦々しい表情で、月無――いや、由美はこう続けた。
「だけどそれに気づいた時にはもう遅かったの。マネージャーもファンも、みんなが求めているのは月無明里だけだった――」
確かに、芸能人、特に女優やアイドルといった存在はそのキャラが求められているのであって、本人の性格など大抵の人にとってはどうでもいいことだろう。
「けど、お母さんだけは私を、由美を見てくれている。そう思うことが私の唯一の心の拠り所だった。なのに……っ!」
ああ、なんとなく見えてきた。その唯一の心の拠り所であった母親が、彼女を明里と呼ぶようになった。すなわちそれは、彼女にとって有月由美という存在の根底を揺るがすショックなことだったのだろう。
「だから家を飛び出してきたのか」
「うん。これ以上あそこにいると自分がいなくなるような気がして怖かった。まるで透明人間になったみたいに、私と話している目は誰ひとり私を見てはいなかった。」
現代社会では、誰しもがコミュニティの中で少なからずキャラを演じて生きている。そしてキャラクターと本当の自分との乖離に悩む人々はそう珍しくない。
由美の悩みも究極的にはこれと同質のものだろう。ただ、由美の場合そのコミュニティがおよそ全国民に及び、また実の母親にさえキャラとしての自分を求められてしまう。思春期の一人の少女にとってその精神的苦痛は計り知れないものだろう。
「でも、あんたのおかげでちょっと安心した。こんな私でも存在していいんだって思えた。だから、ありがとう」
「どういたしまして。たいしたことしてないけどな」
「けど、これから私どうしたらいいのかな……」
しかし結局、俺一人の力では由美の悩みを完璧に解決してやることはできない。俺ができるのはせいぜい、有月由美という普通の女の子の存在を認めてあげることくらいだ。
「やっぱり家には戻りたくない……。帰ってもまた月無明里を演じさせられる。それはもう嫌だ……」
「母親にはそう伝えたのか?」
「うん。だけどまともに取り合ってもらえなかった。悪い人じゃないの。ただ、月無明里としての成功が私の幸せになるって頑なに信じてる」
たしかに一部の有名人などは、自ら固有のイメージを作り上げそれを売りにしている者もいる。それが世間に受け入れられれば、その者たちにとっては確かにそれは成功なのだろう。しかし、由美にとってそれは同時に、自身の精神を削る行為でもあったのだ。
「なら、思い切ってテレビで暴露しちゃえばいいんじゃねぇの。今までの清楚キャラは嘘でした、本当の私はこんなのですって」
「はぁ?無理に決まってるじゃない、そんなの!簡単に言わないで!」
「どうしてだ?」
「だってそんなことしたら、きっと、今いるファンのほとんどが離れていっちゃう!ファンが求めてるのは私じゃなくて明里なの!」
それは誰もがわかっている当たり前の事実。マネージャーも母親もそれがわかっているから由美に月無明里を演じることを求めているのだ。
「けど、今のお前を好きだっていう奴もいると思うぞ。実際、俺はこっちのお前の方が好きだしな。もちろんファンはある程度減るだろうけど、その分新しいファンがきっとできるんじゃないか」
「そんなの……」
「まぁ詭弁だな、こんなのは。だけどこのまま続けるよりかはずっといいんじゃないか。少なくとも母親がお前の幸福を第一に願っているならいずれ分かってくれると思うぞ。お前は十分可愛いし、演技もできる。だから明里なんてキャラを捨てたってやっていけるさ」
「そう、かな……こんな私でもみんな受け入れてくれるのかな」
「ああ、そうさ。こんな俺なんかと違って、お前には才能がある。どこでもやっていけるさ」
思わず口をついて出た言葉に、余計なことを言ってしまったと後悔する。
それはほんのわずかな嫉妬心から出た言葉。
今は彼女を励ますべきなのになんて浅はかなのだろうか。
もう二度と口の出ないよう心の奥底へ仕舞い込む。
「そんなことない!あんたの歌すっごい良かった。メロディーもなんか耳に残るし、歌声も聞いてて落ち着けた。何よりも、歌詞が頭から離れなかった!聞いてていろんな感情が込み上げてきた。あんなの初めてだった!」
「ははっ、ありがとう。お世辞でもそう言ってもらえて嬉しいよ」
そう言って由美の言葉を軽く受け流そうとすると、由美は「お世辞なんかじゃない!」と一際大きく声を上げた。
「あんたの歌が駅の外から聞こえた時、気づいたら電車を降りてた。それから2時間近くずっとあんたの歌聞いてた。家を飛び出してきてどうしたらいいかわかんなかった不安も、歌を聞いてる間だけは忘れられたの!」
そんなに長い時間由美が俺のを歌を聞いてくれているとは思わなかった。だがこれ以上はダメだ。これ以上、傷心の女の子を自己満足のために使うのは下劣な行為だ。
ここは素直に軽く感謝の言葉を言って話題を変えなければ、そう必死に自戒している時、ツーっと頬を水滴が滑るのを感じた。
「あ、あれ?なんだこれっ。おかしいな、なんなんだよこれ……っ」
一度大きく動かされた感情を元に戻すのは容易ではなかった。
何泣いてんだよ、俺。情けない。
「ははっ。悪い。誰かに歌を褒めてもらうのなんて久しぶりだったからつい……」
恥ずかしさを紛らわすように、俺は涙を抑えながら言葉を重ねた。うん、と今度は由美が俺を慰めるように優しい目で俺にうなづきかけてきた。
「あんたも色々溜め込んでたんだね」
「情けないな……女の子の前で泣くなんて」
「いいんじゃない。今日はそういう日なんだって思えばさ。ほら、私も泣いたし。あんたの話も聞かせてよ」
そう言って由美はぽんっと俺の方に頭を預け寄りかかってきた。
「なんだかな……お前を慰めてたのに、何やってんだ俺」
「ほら、聞かせて」
そうして俺は、上京してからこんな寂れた駅前で路上ライブを続けることになった経緯を話した。
* * *
中学を卒業して15歳の時、俺、月島 修は親の反対を押し切って歌手を夢見て上京した。もともと地元内では歌がうまいと評判で、自作の曲を披露して同級生たちにもてはやされるのが堪らなく嬉しかった。同級生たちからは「お前なら東京でもやっていける!」「早く有名になって自慢させてね!」なんて言われて、自信満々に東京へと踏み出した。
「今ではなんて愚かだったんだって思ってるよ……」
しかし、そんな過剰な自信はすぐに打ち砕かれることになる。井の中の蛙、大海をしらず。諺にもなるほど典型的な失敗を俺も漏れなく味わったというわけだ。
上京してすぐ、俺は何百人と人が行き交う大きな駅で路上ライブをした。しかし、何度、何曲歌ってもお金はおろか立ち止まってくれる人すらいなかった。
それでも俺は、時を変え、場所を変え、諦めずに路上ライブを繰り返した。だが結果は同じ。圧倒的な実力不足を思い知らされた俺は、次第に大勢の人々の視線に恐怖を感じるようになった。
「上京したての自信満々の時には気になりもしなかったのに、自信がなくなるにつれてみんな白い目で俺を見てるような気がしたんだ」
そしてある日、声が出なくなった。いつものように大きな駅前で、段ボールを敷きギターを構える。ギターで音を奏で、いざ歌い出そうと思った瞬間、息が詰まった。まるで心臓が、肺が、歌うのを拒否するかのように痙攣しているようだった。俺はその場で過呼吸になり救急車で運ばれた。
以来、俺は大きな駅での路上ライブをやめた。生活費を稼ぐためにバイトをして、それでも毎日ギターには触り続けた。
不屈の精神なんてかっこいい物じゃない、自分への言い訳だった。啖呵を切って実家を出てきた手前、今更すごすごと帰れない。だからそれは、俺は歌を諦めたわけじゃない、まだこうして頑張っているんだと自分に言い聞かせるためのポーズだった。わざわざこんな小さな駅前で歌ってるのもそれの一環だ。
「どうだ、幻滅したか?」
自分で語っていてもカッコ悪い人生だ。由美の場合と違って、俺の場合は自身の驕と実力不足が原因だ。反応を確かめようとして、肩に体を預けている由美をちらと窺う。
「ううん、全然。大抵の人なら諦めて実家に帰っちゃうよ。ポーズでもなんでも続けて諦めなかった。その結果が今のあんたの歌になってるんでしょ。めっちゃかっこいいじゃん」
そう言って肩から少し頭を上げて上目遣いに微笑みかけてくる。
反則だろ、その笑顔は……。
「さっきお前に偉そうに言ったことも全然俺ができてないんだよな」
俺は由美に、キャラなんて捨ててありのままの自分を出せばいいと言った。
「自分を表現したい気持ちはあっても、いざ大勢の前でやるのは並大抵のことじゃない。その難しさを俺自信が一番よくわかってたはずなのにな……」
先程の無責任な発言を反省する。本当の自分を大勢の前で表現するということは、その分ありのままの自分に対する批判を覚悟するということだ。決して簡単なことなんかではないのだ。
「じゃあ私たち似た物同士だね」
再び俺の肩に体を預けながら、由美はぽつりと呟く。
「ああ、そうかもしれないな」
自分の弱さと情けなさに改めて向き合ったせいか、俺の心は不思議とすっきりしていた。だから今度は素直に由美の言葉を受け入れられた。
「今日あんたに会えて良かった」
「俺もだよ。なんか最初はお前をほっとけなかっただけなのに、いつの間にか俺も励まされてる」
「お互い様だね」
言って、由美はそっと手を重ねてきた。俺もその細い、小さなてを壊さないように優しく握り返した。
数刻の沈黙の後、ねえと由美が切り出した。
「お互いの目標が達成できたらまた逢おう」
「ああ」
「私は月無明里を辞めること、あんたはもう一度路上ライブに挑戦していっぱい観客を集めること」
「そうだな」
俺たちはそう約束して眠りについた。
「……ねえ、最後にひとつだけ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「あんた今何歳?」
「16だけど」
そう答えると由美はふーんと意味ありげに言うだけでまた眠りにつこうとした。しかし、俺も気になったので聞き返す。
「お前は?」
「言っていいの?聞かない方がいいと思うけど」
「どういう意味だ?」
「私17だから。一応、年上だから」
「えっ!?まじかよっ!?い、いやまじですか……」
最初見かけた時から完全に年下だと思っていた。だって明らかに見た目が中学生だし。なんなら、ずっと「あんた」呼びが気になってたのに……。
様々な会話が脳裏をよぎり悶々としている俺の思考を、知ってかしらずか由美はからかうように言った。
「あはは、別にもういいわよ気にしなくて。けどさっきの話で15歳の時に上京したっていうからもしかしたらなーって思っただけだから」
クスクスとなおも笑い続ける彼女はやはり間違いなく可愛いのだが、してやられた気分で少し悔しかった。だから仕返しとばかりに俺もひとつ気がかりだったことを尋ねることにした。
「なぁ、俺からもひとついいか?」
「なによ、年下の修くん」
「最初の『キスしよっか』ってどういう意図で言ったんだ?」
聞いた瞬間、由美はバサッと俺の肩から頭を上げ、「あ、あれはっ、違うのっ!」と言いながら必死に両手で顔を隠した。しかし隠し切れていない耳は、今にも湯気が出そうなほど真っ赤に染まっている。仕返しの効果は絶大だったらしい。
「あれは、その、とにかく月無明里の清楚なイメージを壊したくて、その、たまたま思いついたのがそれだっただけで、だから、と、特に深い意味はないからっ!!」
焦り焦り早口で言いながら、体をくるっと反対方向へ向けていじけてしまった。
少しやりすぎたかな……。
そんなこんなで最後にお互い痛み分けをしつつ、俺たちは寂れた小さな駅前で再び眠りについた。
翌朝起きると既に由美の姿はなく、「また、いつか、必ず」と書き残したメモ書きが代わりに置いてあった。
* * *
由美との出逢いをきっかけに、俺はもう一度大勢の人の前で歌う勇気をもらった。そしてあの日の翌日から毎日毎日、とある駅前の大広場で歌い続けた。
以前同様、最初こそ、誰も俺の歌に足を止める者は居なかった。しかし、それでも俺は諦めなかった。諦めるわけにはいかなかった。由美との出逢いは天が俺に与えた最後のチャンスだと思った。ここで諦めたらもう二度とーー。
そうして路上ライブを続けていくうちに、ある一人の青年が俺の歌を聞いて立ち止まった。その青年はいたく俺の歌を気に入ってくれたようで、ちっぽけですがと断りつつ千円札を渡してきた。その上、俺の歌っている姿をSNSにアップさせてほしいと頼み込んできたのだ。
Twitterなどへ動画を上げて宣伝する方法は考えたことはあったが、自らでやるのは流石に気が引けていた。しかし、俺の歌を聞いて感動してくれた人が広げてくれるのなら、と俺は青年の申し出を快諾した。
それ以降、俺の歌を聞きにくる人は一人、また一人と増えていった。
結局、世の中運なのかもしれない。そう思いつつも、あの青年との出会いは俺が毎日ここで歌っていたからこそのものだと思う。
あれ以来、由美とは一度もあっていない。当然だ、由美はもともと人気の若手女優なのだから。
しかし、そのおかげで由美の活躍を確認することはできた。
あれから、由美は本名での芸能活動を始めた。テレビで無邪気に、活発に笑う姿は、あの日見た目ありのままの彼女だった。
以前の月無明里というキャラとのギャップも次第に受け入れられ、今ではむしろそのギャップをうまく利用しているようだった。
――俺も早く追いつかないと。
テレビ越しに由美の活躍を感じるたびに、俺は彼女から勇気をもらえたのだった。
* * *
そして約一年後、気づけば俺は大きすぎると思っていた駅前の広場を埋めるほどの観客に囲まれていた。
歌い終わりと共に流れ込んでくる拍手の波に当てられて、呆然としていると、誰からともなくギターケースにお金を入れ始めた。
金額なんて気にならなかった。こんなにも大勢の人が、俺の歌に価値があると認めてくれたこと。
ただそれが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「ありがとうございますっ!ありがとうございますっ!」
だから俺は何回も何回も同じ言葉を繰り返し続けた。何度も何度も頭を下げた。
そうして最後の一人が立ち去って、俺はギターケースの中を確認する。中には様々な色の硬貨がまるで宝石のように爛々と輝いていた。加えて何枚かの紙幣も入っていた。
自分が頑張った成果がここにある。その目に見える形で現れた成果は俺の自信に繋がった。
これで堂々と由美に会える。
早くこれを由美に伝えたい。
そして、ありがとうとあの日から忘れられないこの想いを伝えたい。
その時だった。
片付けようとしていたギターケースにひらりと一枚の紙が滑り込んできた。それは、何と一万円札だった。どこかで見覚えのある光景。ハッと後ろを振り返ると、あの日と変わらぬ黒いフードを深く被った、見た目中学生、いや高校生ほどの少女が立っていた。
「もう、終わり?」
あの時とは違い、そのフードからうっすらと見える口元は微笑んでいた。
「いいや、ここからだ。これがスタート地点だよ」
そう言いながら俺はその少女へと向き直る。そして今度は優しくそのフードを取る。
そこにはほんの少し成長を感じさせる大人びた雰囲気の有月由美がいた。彼女の目は涙で潤み、口元は微笑を称えていた。
「少しはマシな表情になったじゃない」
言われて気になった。果たして俺は今どんな表情をしているのだろうか。きっと涙を必死に抑えるような、情けないツラをしてるんだろうな。
「お前もな。久しぶり、由美」
「ほんと久しぶりね、修。もう待ちくたびれたわよ。いつまで待たせるんだってずっと思ってた」
「悪い、お前よりちょっと時間かかっちまった。…ってか、俺のことずっと考えてくれてたのか?」
「っ!う、うっさい!そこ聞き返すな!!」
由美はまるで火にかけたやかんのように、今にも湯気が立ち込めそうなほど顔を真っ赤にさせて俯く。
ほんと可愛いなこいつ……。ちょっと大人びたかと思ったけど、やっぱり年上に見えねえ……。
そんなことを思いつつ、俺は俯いた由美の顔を顎を支えてクイッとこちらに向けさせる。
「待っててくれて、ほんとありがとう。由美に話したいことたくさんあるんだ」
すると、突然のことに一瞬驚いた由美も、頬を赤らめながら、うんとうなづいた。
「知ってる。私も修にいっぱい話したいことあるよ」
「ああ、知ってる」
そんなやりとりに、お互いふふっと思わず笑いがこみ上げてきた。嬉しさや恥ずかしさなどいろんな感情を含んだ笑いだった。
そうしてしばらく二人で笑い合っていると、由美が、ごほんとわざとらしく咳払いをして、上目遣いに俺の目を見つめてきた。
何だ、いきなり。そうやって真っ直ぐ見つめられると恥ずかしいんだが……。
だが視線を逸らすことは許さないという強い意志を感じる眼光に俺は体が硬直してしまう。
すると由美は思いがけずこんな事を口にしたのだ。
「ねえ、キスしよっか」
それはいつぞやの夜に聞いたことのあるセリフ。それは月無明里の清楚なイメージを壊そうと、ふと思いついただけの言葉のはずだった。
だから俺は念のために確認をする。
「それは……有月由美としての言葉か?」
「うん」
「そっか、ならよかった」
そう言った瞬間、俺は不意打ちとばかりに由美の頭を後ろから抱き寄せ、一思いに口づけをした。
唇から感じるその感触は柔らかく、ほんのり甘かった。