アズノの心臓
ボクは自分が誰なのか知らない。
覚えていることは、ボクを作ったのはとある人間の魔法使いだということだけ、ボクを作って一体何をしようとしていたのかはもう分からない。ただその魔法使いはボクに色んなことを教えて育ててくれた。
大きな木がたくさん生えた森の中の家に住み、木や草、花の名前など毎日知らないことをたくさん教えて貰った。
魔法使いには子供がいた。女の子だ。病弱でいつもベットから出られなかった。心臓の病気らしい。けれども、彼女に今日教えて貰ったことを話すと、いつも楽しそうに笑っていた。
「いつも話し相手になってくれてありがとう。ごめんね、私のせいで勉強もできないし遊びにも行けない・・・」
彼女を看病するのは大してつらくはなかった。むしろ彼女と話している時間は本当に楽しかった。夜寝る前は明日はどんなことをするんだろう、彼女と何の話をしようと考えていた。
「いいかい、アズノ。君が生きていられるのはその心臓があるからだ。命というものはどんな物よりも重いんだよ」
「大岩や丸太よりも?」
「その通り、だから大事にしなさい。アズノが死んだら私やミライは悲しい、それだけは忘れてはダメだぞ」
命。魔法使いは時々その単語を口にする。天から授かったこの世にたった一つしかないものだと、虫や草花にも命があるのだと、ボクはなんだか暖かい気持ちになった。
ある日、魔法使いは普段は入らせてくれない書庫に入れてくれた。魔法使いが取り寄せた世界中の本があるのだという。ボクは文字が読めなかったので、まずは文字を書いて覚える勉強から始めた。すらすらと読めるようになるまで三ヶ月もかかった。
「じゃあまずはこの本から読んでみようか」
魔法使いはそう言ってボクに一冊の本を差し出した。初めて触る本はざらざらとした感触で、淡い青色の表紙だった。
その本はその日の内に読み終えてしまい、ボクはその夜に急いでミライが寝ている部屋へ行って感想を伝えた。ただこちらが自分勝手に話しているだけなのに、彼女もボクと一緒に読みながら興奮していた。その日から彼女も本を読むようになった。
その日も書庫から引っ張ってきた本を読んでいると、意味が分からない言葉が書かれていた。いつもは分からない言葉があればその度に魔法使いに教えて貰っていたが、ここ最近は家にいないことが多い。
友達。これはどういう意味なんだろう。
「友達って言うのはね、心と心が通じ合った存在なの」
「ボクと君は?」
「友達に決まってるじゃない、私とアズノは一生友達。いい?」
その約束はボクにとって命よりも大事なものとなった。これからもミライと魔法使いがずっとボクの側にいる。この時のボクは何の根拠も無しにそう思い込んでいた。
翌年、ミライの病気が拗れた。高い熱を出し、日に日に弱っていった。薬草をどれだけ取って来て飲ませても一向に良くなる気配はない。
かなり遠くに良く効く薬草があると聞き、取りに行った魔法使いは帰って来ない。
ボクは何日も何日もミライを励まし続けた。しかし、ミライの受け答えも徐々に曖昧になってきた。
「アズノ、もう良い。もう良いよ」
ある晩、汗ばむミライの額を拭こうと伸ばした腕を掴んだミライがそう言った。
「そんなこと言わずに頑張れよ。明日にはきっと魔法使いが薬草持って帰って来てくれるよ。だから・・・」
言葉が詰まった。理由は解ってる。心の何処かで諦めているからだ。どうして、約束した筈なのに。
「お父さんは多分もう帰って来ない。あの谷に行った筈だから、お兄ちゃんと同じように」
その時、頭の片隅で稲妻が走り、見たことのない映像が浮かんだ。
「お兄ちゃん!」と笑顔でボクを呼ぶミライの顔、深い谷に咲く薬草に手を伸ばすボク、どうして、これはボクじゃない。
「私ね、生まれた時からアズノのこと知ってたの、アズノは私のお兄ちゃんだったから」
意味が分からかった。ボクは幼い頃のミライのこと何て知らない。
「アズノは・・・死んだお兄ちゃんから作られた人形なの」
人形。ボクは自分の手を見つめる。これはボクの体だ。他人のものなんかじゃない、でも、この記憶は・・・。
「二年くらい前にも私、病気が悪化した時にお兄ちゃんは森を抜けた奥にある谷へ薬草を取りに行ってくれた。でも、帰って来たお兄ちゃんは血だらけで、私に薬を作って死んじゃった。私のせいで、全部全部・・・私のせいで・・・!」
ミライは泣き出した。死んだ兄のことを思っているんだろう。「泣かないで」と言ってあげたい、その涙を止めてあげたい。だがそれが出来るのはボクではない、前のボクだ。
自分の命を犠牲にミライを守った前のボク。凄いなあ、大切な人の為に全てを投げ出したんだ。ならボクは? 何が出来るんだ。
ボクは所詮は偽物だ。最初からいらなかった存在だ。けど、そんなボクにもやっと大事なものが出来た。人間はいづれ死んでしまう。生きる意味がないボクが死んで、生きるべきミライが死ぬ。
それだけは嫌だ。
「ミライ、お別れだ」
「・・・うん、そうだね」
「ボクの心臓を君に託す」
ミライは驚いた顔でボクを見ている。それを無視して話を続ける。
「どうして? ダメだよ! アズノが生きてよ。私の分まで色んな世界を見て、幸せになって欲しいのに!」
「残念だけど、それはミライの役目だ。ボクじゃない、先刻ミライのお兄ちゃんの記憶を見たよ。お兄ちゃんは最後までミライの幸せを考えていた。自分のことなんて省みずにね」
「アズノはお兄ちゃんじゃないよ。私の大事な友達だよ。私はもう充分だから、これ以上誰かの命を犠牲にして生きていたくないの!」
今もボクの中で心臓は鼓動を続けている。この心臓を動かしているのはボクでも魔法使いでもない。君なんだよミライ。
「ミライはもうボクにとっての心臓なんだよ。だからこの心臓は元々君の物だ」
幸せな日々がいつまでも続く。それはあり得ない話なんだ。この世界にいられる時間はほんの僅かしかない、ボクの時間なんて本当は存在しない。これはその時間を作ってくれたミライに返すだけなんだ。
さようなら、ミライ。いつか君が見た沢山の物をボクにも教えてね。
◇◆◇◆
実に十年ぶりだ。この家へ帰って来るのは。
帰って早く君に伝えたい。世界は私たちが思っていたよりもずっとずっと広かったよ。
海っていう大きな水溜まりの先にはまた新たな土地があって、優しい人、怖い人にも沢山会った。綺麗な花、見たことのない動物たち、沢山見てきたよ。
まだ世界中とまではいかないけど、少し疲れたからこうしてまた帰って来たよ。
昔は君の方が賢かったけど、今はどうかな? もしかしてまだ追い越せてない?
心配しなくても明日にはまた旅に出るつもり、今度は北の方へ行ってみようかな。北には大きな氷で出来た大陸が浮かんでるらしいよ。わくわくするね。
心臓がドクドク鼓動する度に感じるんだ。ここに君がいるんだって、恥ずかしいからここから先は言わないけどね。
ありがとう、アズノ。君がしてくれたように、私もなれるかな?
こんにちは、柊です。
初めて童話を書かせて頂きました。誰かの生きている意味になりたい。最近、そういう感情を抱いた経験からこの物語を書かせて頂きました。読んで下さった皆様も必ず、誰かの生きる意味になっています。それだけは忘れないで下さい。
長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂き有り難う御座いました。