お風呂と次の階層
(久しぶりに、ゆっくりと湯船に浸かったな)
お湯に足をつけ、その翼と肩を湯船に沈めてから2分、アレクが最初に考えたのはそんな事だった。
自己再生があるとはいえ、精神的な疲れというものはやはり溜まっていたようで、ボンヤリとしていると、眠る必要も無いのに眠たくなってくるし、思考も停止し始める。
「くあ・・・」
小さく欠伸をして、浴槽の縁に頭を乗せる。
『斥候』の『スキル』を全て使用せず、一切警戒を解く。
アレクは、まるで家に居るかのごとくリラックスしきっていた。
だから、突然背後から聞こえた扉の開けられる音にも気づかなかったし、入ってきた人が天井を見上げるアレクの顔に映るまで気づかなかった。
「アレク、随分と寛いでるな」
「んー、カナンか・・・カナン?」
視界に映ったのは、カナンの整った顔と、綺麗な鎖骨。幸いと言うべきか、たわわに実った胸部が視界に映るより早く、アレクは冷静に状況を判断すると、直ぐに目を閉じて、カナンの姿を視界から消す。
「あの・・・なんで服着てないのか聞いても?」
「なんだ、風呂入るのに服は着ないだろう?」
「男湯に入ってくる常識知らずが常識を語るのか・・・」
「まあまあ、それくらい、いいじゃないか。それにモンスターには性別が無いからな」
「だから、元は男だったって言ってるでしょ・・・何、羞恥心とか無いの?」
「はっ、馬鹿を言え!私のこの身体、見られて恥ずかしい所など一つもない!」
男前である。
アレクが疲れたとばかりにため息を吐き出していると、彼の隣にカナンが入ってきたのがわかる。
「とりあえず目を開けたらどうだ?」
「お前さんが服を着たらな」
「ふむ、『人族』はわからんな、私は人の形をしているだけで、本質的には魔物だぞ?今のお前が私の身体を見て興奮しているというなら、お前は犬とか狼に欲情する変態という事だ」
「あまり頭は良くねえが、その理屈がおかしい事だけはわかるよ」
「だったらこれでどうだ?」
「ん?」
「目を開けなければわからないだろう」
嫌な予感がしつつも、薄っすらと目を開けるとそこには、狼ような耳を生やし、尾骶骨の辺りから尻尾を生やしたカナンの姿があった。
無論、その括れた腰や、可愛らしいおへそ、女性らしさを全力で強調している大きな胸や、しなやかな身体付きはそのままで。
アレクは両手で顔を覆うが、カナンは一体どうした?といったような感じでアレクの方を覗き込んでくる。
「問題点はそこじゃないんすけど・・・」
「何!?なんて業が深い一族なんだ・・・『人族』」
「うん、もうそれでいいから、とりあえず服を着よう」
その後、暫く言い争った後に局所を隠すように、つまり水着のような服をカナンが着る事で二人の妥協点は決定された。
「ところで、カナンはここから出たら何をしたい?」
「ん?別に沢山あるが・・・最初にする事と言えば、やはり妹に会うことかな」
「妹?」
「ああ、私のような粗暴者の姉を慕ってくれるいい奴で、とても可愛いんだ。是非、お前にもあって欲しい。絶対に気にいると思う」
「ああ、そう・・・だな」
「なんだ、随分と歯切れが悪い」
「いや、俺の目標と大違いだなー、とね」
「ふむ、お前を裏切った奴らへの復讐だったか?」
「まあ、そうだな」
「別にそれだって立派な目標だろう?他者を殺そうとしたんだ。その報いは受けなければならない。お前は間違ってないと思うよ」
「そりゃどうも」
「それに・・・」
「うん?」
「お前は優しいからな、きっと殺しはしないだろう?」
「・・・そうか」
ポツリと呟くアレク。
背中合わせに座ったカナンの体温がお湯と変わらなくなってきて、自分と彼女との境界が分からなくなる。
「なあ、カナン・・・俺は・・・さ」
「ん?」
ボンヤリとしたアレクの呟き、カナンが自分の肩に掛かった重みが気になって、振り返ってみると、アレクはその目を閉じて、眠ってしまっていた。
「しょうがない奴だな・・・」
カナンもポツリと呟いて、彼の白い髪の毛に指を通した。
♢☆♢☆
風呂上がり、アレク達は次の階層に向かおうと魔法陣の前に立つ。
「さて、次はどこだと思う?」
「さあな、私としては森林とかがいいが」
軽口を叩きながら、二人で踏み出した瞬間、アレクはいつもと違う感触を覚えるが、もう遅い。
視界が光に包まれ、浮遊感が生まれる。
光が収まった瞬間、アレクが居たのは薄暗い場所だった。
周囲にはなにかが燃えているような匂いが充満しており、周りを見渡せば朽ちた木々や、灰色の岩場しか見えない。
空を見上げれば、真っ黒な雲がどんよりと立ち込めており、火山灰が舞っているのが見える。
そして、腹の底に響くような音が響き、アレクが音のほうをむけば、火山が噴火して上空を赤に染め上げた。
どうやら、ここの環境は火山とその周辺らしい。
だが、そんな事はどうでもいい。
アレクは自分の視界が信じられないとばかりに周囲をもう一度、確認するが、やはり無いのだ。
常に隣に居たカナンの姿が。
「分断されたか・・・それに」
アレクが臨戦態勢に入る。
それと同時に上空から何かがアレクの事を強襲した。
「ひゃあ!」
ガードの為にアレクが上げた腕に強い衝撃が走る。
加えられた衝撃に耐えきれなかった大地が放射状にひび割れた所で、アレクは相手の勢いを流して、その場から離脱、攻撃を加えてきた相手を睨みつけた。
「誰だ」
アレクは尋ねつつも視線の先、ゆっくりと立ち上がるそれの正体を殆どわかっていた。
何故なら、それは自分と似ているどころか殆ど同じ姿をしているのだから。
「ひひっ、誰だとはご挨拶じゃあねえか。同種だろう?」
『上位悪魔』、モンスターであるにも関わらず、知性を持つ者。
これまで戦ってきたモンスター達と比べたってそこまで能力が高いわけじゃ無いが、何よりも厄介なのはその知性。
嘗めてかかれば、ここで殺されたっておかしくない強敵だ。
「ひひ、楽しいね〜。ここまで戦ってきたモンスター達、みんなみんな弱すぎてさ、退屈してんだヨ〜」
「・・・」
「おいおい、無言かよ。自己紹介くらいしようぜ?俺は、ジエル、ジエル・エスパーダってんだ」
「・・・アレクだ」
「成る程、いい名前だ!」
先に動いたのはジエルだった。
飛び上がったジエルが、アレクの側頭部へと蹴りを放つ。
アレクは受けようと腕を上げようとして、即座にバックステップ、次の瞬間、蹴りの延長線上にあった地面が爆発した。
(魔力による追加攻撃・・・か)
「いい判断だ!」
着地したジエルが、右腕を払う。
アレクは右腕の延長線上から逃れるように跳躍、すると、足下を強い衝撃波が駆け抜けて、大地をめくり上げる。
アレクはすぐに翼を広げて、更に上昇、ジエルもそれについてくる。
「どうした!避けてばかりか!」
「うるせえ!」
空中で不規則な軌道を描き、二つの白が舞う。
そして、その二つがぶつかり合った瞬間、空気を震わせる衝撃が走った。
「ぐうう!!」
「ヒャア!」
ぶつかり合いは、ジエルに勝敗が上がり、アレクは荒れた山肌に叩きつけられる。
「ハーッ!こんなもんか、アレクゥ!!」
挑発気味に叫ぶジエル、だが、起き上がったアレクは不敵に笑う。
「そうだな、こんなもんだよ」
「っ!?」
アレクが握っていた手を開く。
そこにあったのは、ジエルの右耳であった。
「成る程、いいねえ!楽しいね!」
傷口から血を流し、それでもなお楽しそうに叫ぶジエル。
アレクもまた、その口角を吊り上げた。




