やりすぎ案件
「嘗めるなよ」
カナンが呟いた瞬間、暴威が吹き荒れた。
『上位悪魔』となったアレクですら、耐えようと思わなければ、吹き飛ばされてしまいそうな程の衝撃。
衝撃で舞い上げられた雪がアレクの視界を塞ぐが、それも一瞬の出来事、晴れた視界の先には砕かれた氷の礫が星々のように舞い散る幻想的な景色があった。
そして、迫り来る氷塊を粉砕した張本人、本来の姿へと戻ったカナンは、遥か彼方にそびえる巨大な山の方を睨みつける。
アレクもまた《遠見》でその方向を覗いてみれば、そこにはヒヒ型のモンスターらしき姿が見えた。
そいつは楽しそうにケラケラと笑うと、両手で拍手するかのように叩き出す。
アレクが何をしているのかと、訝しんだ次の瞬間、ヒヒの頭上に7つの氷塊が出現した。
「さっきの攻撃はあれか!」
アレクが叫ぶのと同時に、それらが再びアレク達を強襲する。
だが、今度はアレク達の下に届く遥か前方で、カナンの咆哮により全て粉砕された。
『生き急いだな、猿ごときが!』
カナンの咆哮に乗っかって、そのような思念がアレクに伝わる。
そして、カナンの背後から強い追風が吹き始めた。
『アレク、私の背中にしがみつけ!一気に飛ぶぞ!』
「お、おう・・・わかった」
何をするつもりなのかはわからないが、とりあえずアレクはジャンプしてカナンの背中に乗っかると、その身体にしがみつく。
その次の瞬間。
『我が道に障害無し!『疾風』!』
暴風と言ってもまだ足りない。
異常な程に強い風がカナンの背中を後押しする。
そして、カナンは空を駆けた。
空を飛ぶ、では無い。
言葉の意味そのままにカナンは空を走ったのだ。
まるで瞬間移動のようにヒヒの目の前まで移動したカナンは、驚愕に顔を歪めたヒヒを爪の一振りで5枚におろした。
転がったヒヒの肉を齧るカナン、その様子を背中から見ていたアレクもまた、ヒヒ程では無いが、驚愕を隠せなかった。
何しろ、彼らがいた位置からここまで優に3キロはあった筈なのだ。
直線距離とはいえ、その距離を殆ど一瞬で詰めるカナン、それもかなり余力を残している。
アレクはカナンと敵対する事にならなくて良かったなと心の中でため息を零しながら、彼女の背中から飛び降りた。
♢☆♢☆
雪中行軍、というのを別にやっても良かったが、カナンからしてみればそれをする必要は無かったようで、現在、アレクはカナンの背中に乗りながら、広大な雪原を移動していた。
「速くていいねえ〜」
『もっと速くできるぞ、ほら!』
「辞めてね?これ以上速くなられると罠の発見が追いつかなくなるから」
血で汚れたりしていた筈なのに、何故か綺麗な毛並みにしがみつきながらアレクは呟く。
ここは外の世界のようだが、あくまでも遺跡、白い雪の下には凶悪な罠が眠っているのだ。
「天井も無いし、この景色、いくらみても遺跡だとは思えないよな」
『まあ、そうだな。実際、『伏魔殿』だった頃は違ったらしいしな』
「そうなの?」
『ああ、こちら側に飛んできた際に遺跡が変質したらしい』
「へえ、おっと、そこは飛んでくれ」
カナンが軽く跳躍するとその足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
発動と同時に、火柱が上がるようだが雪の世界でそれはどうなんだろうな、とアレクが思考の片隅で考えていると、《サーチ》にモンスターが引っかかった。
「カナン、後方に何かいる」
『わかった』
カナンは回るような軌道で走り、方向転換、背後を警戒しつつ、モンスターのいるであろう方向に注意を向ける。
カナンはこの階層に於いて、匹敵する敵なんていない程の強さを誇っており、おそらくはこんな事をせずとも、走ったまま処理も出来るだろうとアレクは思っていた。
実際、カナンも念の為振り返ったという程度の考えで、そこまで危険だとは思っていない。
しかし、その予想は大いに裏切られる事になった。
『っ!?』
「カナン!?」
カナンの顔が横に弾かれたのだ。
それもかなり強い力で。
困惑するカナンに、アレクが咄嗟に指示を出す。
「カナン!思いっきり飛べ!」
カナンは直感的にアレクの判断を信じて飛び上がる。
そして、どんよりとした雲の中に入るくらいの高さまで跳躍したカナンは、それと同時に無詠唱で『疾風』を発動。
空中に留まる。
『今のは何だ』
「わからん、だが、確実に何かがそこにいた。今もここの真下でカナンが落ちてくるのを待っている」
『成る程・・・位置はこの真下だな?』
「ああ、どうするんだ?このまま急降下して倒すのか?」
『いや、ここから殺す』
「は?」
アレクが何をするのか尋ねるより速く、カナンは下に向けて腕を大きく振った。
ほんの僅かに、距離にすると10センチ程腕を振っただけで、2メートル程先にいたヒヒのモンスターを触れる事なく切り裂くほどの力を持つカナンが身体を使って、大きく腕を振り下ろしたのだ。
その結果がどうなるのか?
答えは1秒にも満たない時間でアレクの目の前に示される事になった。
吹雪で見えなくなってしまう程の距離まで、というよりアレクが見えていた範囲に巨大な4本の線が入ったのだ。
それも一本一本が、地割れよりも深く、それでいて鮮やかな大地の層が見えるレベルで。
山も、凍り付いていた湖らしきものも、一切関係なく、見えている景色をキャンパスに描いた絵に引っ掻き傷をつけるように切り裂いた。