8 解決は迅速に
真顔で深刻に告げられたあたしだが、はっきり言ってよくわからなかった。
瘴気を処理できなくなっているって、そもそも魔王が瘴気を抑えているとは聞いていたけど原理を全く知らないのだ。
あたしの顔にはてなマークでもついていたのだろう、シリウスは落ちつかなさそうにしながらも、話を続けた。
「ええと君がどれくらい魔族について知っているかわからないんだが」
「瘴気によってよどんだ魔族は人類にとって害悪。速やかに倒すものだけど」
「……だと思った。まずな、魔獣も魔族も根本的には一緒で、瘴気を集めて魔力に変換できるんだ。そのせいか上級に上がれば上がるほど、瘴気を多く取り込める。いや、魔力に変換できるから上級なんだろう」
「はあ」
アイツベルでは魔獣と魔族の研究も盛んだから、学者様ならそのあたりを知っているのかもしれないけど。
あたしが知っていることと言えば、魔獣と魔族の効率的な倒し方だけだから、はっきり言えば初耳の話だ。
村長様もそんなこと知らなくていいっていってたし。
「んで、魔王は、普通の魔族よりも何百倍も魔力と瘴気の許容量があるんだ。その上で瘴気を集めることで、魔界の均衡を保っているわけ」
「瘴気をたくさん集めて魔力に変換できるから、魔王は強いってこと? ということは瘴気のほとんど集まらない地域におびき出せば弱体化する……?」
「自然な流れで俺を倒す手順を考えないでくれないか」
「メイドのたしなみだから」
「俺の知ってるメイドと違う!」
戦慄するシリウスの言葉にふと思い出す。そういえばこいつ己の欲望をかなえるためにメイドを雇っているかもしれないんだっけ。そりゃあかわいがるためのメイドとはちがうでしょうよ。
「……その視線の意味が気になるけど、わりと緊急用件だから話し続けるよ」
息をついたシリウスは、再度、顔を引き締め直して続けた。
「ただ、魔王になった俺でも、魔界にはびこっている瘴気を吸収し続けていると、魔力の変換が追いつかないわけだ。瘴気を浄化する聖女とは根本から処理の仕方が違うから。聖女が瘴気という病を治せる特効薬だとすれば、魔王は超健康な体と体力で病気を治しているものでね。限界があるんだよ」
「つまりあたしの姫様は素晴らしいってことなのね」
「うん……それでいいよ。ほんと」
何で泣きそうになっているんだろう。
「普通の魔族だったら、器があふれるほど瘴気を取り込めば“魔堕ち”する。けど魔王は、魔王紋のおかげで、普通の魔族の数百倍瘴気を取り込んでも変換することができるんだ。その成果がこれな」
シリウスが部屋の隅から持ってきた箱には、色とりどりの魔結晶が大量に入っていた。
箱の大きさは彼が両手で抱えているほど。
魔結晶はあたしの小指の爪くらいのサイズで、優に一ヶ月は遊んで暮らせるものだ。
そんな代物が赤子の拳くらいのものすら混じって、箱いっぱいに無造作に!入っているのである。
もしかして、使用人のブローチって全部ここが出所なのだろうか。
さすがにあんぐりと口を開けて驚けば、シリウスは途方に暮れた様子でざらざらと箱を揺らした。
ちょっそれ一箱で国家予算だぞ!?
「瘴気を変換して魔力があふれたら、こうやって魔結晶になるわけ。一日2、30個くらいで箱がいっぱいになったら向こうの部屋に積み上げてるんだけどさ」
「そんな抜け毛感覚で魔結晶ができるの!?」
「どっちかって言うと鱗の生え替わり的なやつだと思ってる」
あの竜人型が体を揺すったらばらばら魔結晶が落ちてくる光景を想像して微妙な気分になった。
そんなお手軽に財宝を量産しないでほしい。
「それで、ここが大事なんだが。今、俺は瘴気を結晶に変換できなくなってる」
「……は?」
瘴気を魔力に変換できなくなっている。というのは、つまり。
整理しよう。
シリウスは瘴気を取り込んで、それを魔王的な技で変換して魔結晶にしている。
魔結晶にできないってことは、瘴気がシリウスに蓄積していくわけで。
「今すぐあんたの息の根を止めればいいかしら」
「待ってくれ! 俺はテン・シー先生の最新作を読むまでは死ねない! というか何でそういう結論に至るんだよ!?」
あたしが再び髪からかんざしを抜き放てば、シリウスは即答してから慌てた。
器用なものだと思ったけど、あたしにだってきちんと考えがあるんだ。
「だって、瘴気を帯びた魔族は手当たり次第に暴れるって相場が決まってる。ならあんたがおとなしいうちに処理するのが一番だ。安心して、痛いと感じさせないうちに終わらせるから」
「それって魔堕ちのこと言ってる!? 魔族だって瘴気に冒されさえしなければ言葉も通じるしおとなしいからな! ほら、城内見ただろう? ちゃんと話せる子ばかりだ!」
「……そういえば」
ずいぶん理性的で驚いたものだ。
魔族の討伐の悲惨さは筆舌に尽くしがたかったけど、ここでは拍子抜けするほど普通だ。
魔堕ちというのが関係しているらしいって口ぶりだけど。
「魔堕ちが起きなければ、魔族は安全?」
じーっとシリウスを見つめていれば、青銀の瞳がなぜか泳いだ。
「大半は、おとなしい、ぞ?」
あ、日和った。
とはいえ、この3日でうすうすは気づいていたけど、ここの魔族はあたしが倒してきた魔獣や魔族とは少し違う。さっきまで話していたルールーやフェリも普通の女の子だったし。
こほんと咳払いしたシリウスはなんとか続けた。
「ここ数日、色々試してみたけど、正確には、変換効率がめちゃくちゃ悪くなってるんだ。とりあえず、ちょっと見ててくれ」
言うなりシリウスは、左腕の袖をまくり上げると、ぐっと眉間にしわを寄せて、集中するそぶりを見せた。すると、左腕の素肌に魔王紋が浮かび上がり、かびのようで甘ったるい腐臭が鼻につく。
それはあたしも知っている、よどんだ瘴気のものだった。
瘴気を取り込んでゆらゆらと魔王紋の光が揺らめくのを、あたしは感心して眺めていたのだが。
「ぐっ……」
わずかに苦痛の声が聞こえて視線を上げると、シリウスの額に脂汗がにじんでいた。
あきらかに苦痛ゆがんでいる表情にあたしが目を丸くしていれば、ふいにシリウスの表情がほどけた。
荒く息をつきながら左掌を差し出してくる。
「こんな感じで、砂状のものしか精製できなくなってるんだよ。いつもよりも断然少ないし、俺の負担も段違いだ」
たしかにそこには、わずかにきらきらしたものが転がっていた。箱の中身と比べれば雲泥の差だ。
「俺はみんなを瘴気によって魔堕ちさせないためにここにいる。今このまま瘴気を変換できないと、俺が魔堕ちするかもしれない」
「具体的には、あとどれくらいよ」
確信に切り込めば、シリウスは視線をさまよわせながら、ぽつりと言った。
「こうして精製して時間を稼いでも一か月、かな?」
「やばいじゃない!」
「やばい、めちゃくちゃやばい。絶対影響はあると考えていたけど、一番あってほしくない影響が出た。あと数日もしないうちに俺の正気も危うくなるし、俺が魔堕ちしなくても、魔王城から瘴気がこぼれたらここで働いている子たちが危険だ」
「あんたもうちょっと焦りなさいよ」
渋面で悩みこむシリウスのいまいち真剣みが足りない様子に苛立ちながらも、あたしはちょっと意外に思った。
だってその口ぶりでは、命の危険が迫っているのに、自分のことよりもこの魔王城で働く人たちのことを考えているように聞こえたから。
「シュヴァルさんに相談しないの」
「あいつは今いないからな。助言は欲しかったとは思うけど、感覚的にどうすればいいのかはわかるから、後は試行錯誤だ」
あのそっちが魔王じゃない?系相談役なシュヴァルさんはいないのか。
食えないおじさんがいったい何をしているのかは気になったけど、だからどうこうって訳じゃない。
「まるで解決策がわかっているような口ぶりね」
「君が今この部屋にいて大丈夫なのが証拠だ。ここ、瘴気の吹き出し口になっているんだよ」
「へ?」
シリウスの言葉に戸惑ったけれど、そういえば、さっきは瘴気が匂いとして感じられるほど濃くなったことを思い出した。
魔王城内で働いていたときには一切しなかったのに、魔王の私室という重要な場所に瘴気がよどんでいるなんておかしくない?
「いいんだよ。ここは瘴気を集めるための部屋だからな。むしろここ以外の城内にあっちゃ困る」
また顔にでも出ていたらしい。
ちょっと決まり悪い気分だったが、シリウスは気づかない様子で続けた。
「一応人間の君がここの瘴気に平然としていられるのは、魔王の瘴気を中和する機能も半分君に移っているからだろう。たぶん俺と普通に話せてるってことは、魔力量も多くなっているかもしれない。それに加えて魔結晶に変換する能力が移ってるんだと思う」
「つまり、あたしがあんたの瘴気を変換できるかもしれないってこと?」
ようやくあたしも飲み込めてきたけれど、半信半疑だった。
だって魔道士でもないあたしが魔結晶を作れるなんて言われても全くぴんとこない。
「とりあえず、試させてほしい。君に瘴気の耐性がついていても、いずれ悪影響が出てくるだろうし。お互いを救うと思って協力してもらえないか」
「まあ、姫様のところに帰れなくなるのは困るから。で、どんなことが必要なの」
それに、これも一つの仕事だろう。
それなら失敗を巻き返すためにもおとなしく協力するのがいい。
だからあたしが先を促せば、なぜかシリウスは青銀の目を泳がせて、なかなか言おうとしない。
「なによ」
「その……肉体的接触なんだが」
あたしがぱちぱちと瞬いているうちに、シリウスは言い訳のように早口で続けた。
「いやこれには理由があってだな、魔法学では縁というものが何よりも重要で、魔法的パスがつながった状態といえども不慣れな君じゃ魔結晶の生成の感覚がわからないだろうから、それを考えると俺が補助するのが一番だと思うんだが俺もはじめてのことで君に負担がかからないように瘴気を流し込む感覚がわからないからそれを補うにはどうしても直接触れていた方が」
「わかった」
「いいと思うわけで……ってえ」
そんな声が響いたのは、あたしがエプロンを外したときだった。
シリウスののほほん顔がさらにまぬけ面になるなかで、あたしは服のボタンに手をかける。
このお仕着せのメイド服は前ボタンだから脱ぎやすくて助かる。
手際よく外したあたしは、無造作にワンピースを脱ぎ捨てた。