5 仕事はいつでも全力です(ただし用法容量は正確に
どうやらはじめに任されるのは、掃除のようだ。
引き車にセットされた掃除用具一式を渡されて、ついてこいと示されるままに歩く。
その間ハンナさんは一言もしゃべらなかったけど!
移動の間、しゃらんしゃらんとこすれる鍵束の音だけが響いているのには、王宮の女官長を思い出した。
あの人も仕事には厳しかったんだ。あの鍵束の音が響くたびに思わず身がすくんだものだけど、あたしと同じくらい姫様愛のある素晴らしい人だった。
とはいえほんとに一言も声を出さないので、もしかしてあたしが人間だから嫌われている? と悩んでいるうちに目的の場所に着いたらしい。
ハンナさんが立ち止まった先には、先客がいた。
「おっはよーございますミセスハンナ! うわー君も入れてたんだ! よかったよかった!」
はつらつと挨拶をしてきたのは、謁見の間で真っ先に倒れた犬っぽい子だった。
外見の年齢は16歳のあたしと同じくらい。
赤毛に包まれた犬っぽい耳をぴんっと立てて、無邪気に赤毛のしっぽ振り回している。
きゃっきゃとはしゃぐ姿はもっと下にも見えるけど、胸回りの発育が大変良い。
そうか、彼女も入れたのか。
「ルールーはね、ルールーって言うんだよ」
「アウローラです」
「よろしくアウラ!」
無邪気に縮めて呼ばれたあたしは顔を引きつらせた。
愛称は姫様だけのものだったのに……。
ほんのつかの間のことだ。我慢しろ我慢。どうせ、この魔王紋が消えたら切れる縁なんだから。
さあまずは仕事だ。と気持ちを無理矢理切り替えたあたしだが、当のハンナさんに業務内容を聞こうにも、あたしと会ってから一言もしゃべらない。
どうやって解読しようと思っていたら、ルールーが体当たりで聴きに行っていた。
「ミセスハンナ、ミセスハンナ。今日のお仕事はなにを教えてくれるんですかっ」
すごい、勇者だ。
あたしが密かに見守っていれば、いつの間にか腕まくりをしていたハンナさんは、雑巾を持ち出して、バケツの水に浸していった。
「りょーかいですっ。窓ふきですなー!」
ハンナさんがしゃべらないことにも突っ込みを入れずに、喜々として同じことを始めるルールーに戸惑ったあたしは、彼女に話しかけた。
「ハンナさんその、話をしてないけど……」
「ミセスハンナさんはシルキーだからしゃべらないんだよー! ルールーもなんとなくで理解せし!」
そ れ で い い の !?
魔族の常識にあたしは少々くらりときたが、なんとか持ち直す。
ちらりと彼女を伺ってみれば、タイミングを計っていたかのように、こくりと頷いて、大きな窓を指さしていた。
その手には固く絞った雑巾が握られている。
ああ分かる。まずは窓ふきからやります見ててくださいねって声が聞こえる。
確かにハンナさんの目線や手振りは雄弁で全く困らないけれども。
くらりときたけれど、なんとか持ち直した。まずは仕事だ。
あたしだって2年間も姫様のおそばでメイドをやってきてたんだ。
王宮の家女中たちの仕事ぶりだってしっかり見てきた。
窓ふきは上から順に。固く絞った雑巾でそのあとすぐにから拭きを。
脚立はちゃんとカートに折りたたみ式のがセットされていた。
至れりつくせりだ。
まずは手本と、ハンナさんが固く水を絞った雑巾で、窓を拭いていきはじめた。
その姿にはよどみがなく、見る間に曇っていた硝子が輝きを取り戻していく。
そっか、魔王城の周りは荒野になっているからほこりがたくさんこびりつくんだ。
目で見て盗めってことか。望むところだ。
「よーしっがんばるよー! さあさあアウラもやろやろっ」
ルールーが真っ先に雑巾を手にして、窓のそばに脚立を立てて上っていく。
赤のしっぽを揺らしながらの足取りは軽やかで危なげがない。
戦闘訓練された気配はないが、走ったら速そうだし、運動神経は良さそうだ。
けれど、雑巾の絞り方が甘くて、窓に水がしたたっている。
べちゃっとした雑巾のまま拭き始めるが、隅々まで拭き切れていないから、ムラになってしまっていた。
「ミセスハンナ、どうどう?」
期待のまなざしを向けるルールーに、ハンナさんは曖昧な表情で、水のしたたる場所とムラを指さしていた。
「あやや、難しいなあ」
首をかしげてもう一度ふきなおし始めるルールーから視線から外したハンナさんは、あたしを見た。
そのまなざしは雄弁だ。次はあなたの番ですよ。
静かなまなざしに気合を入れて、あたしはルールーの隣に脚立を立てた。
大丈夫だ。やり方は知っている。
雑巾は水がしたたらなくなるまで固く絞る。
上から下へ。そして時間をかけずに乾いた布で二度拭き。
重要なのは早さだ。
標的は格子状に連なる右隅の一枚目!
狙いを定めたあたしは、曇った窓硝子へ向けて腕を振りかぶった。
そして。
あたしの右手が着弾したとたん、窓硝子がすべて割れた。
「はうわあ――――!!!???」
ルールーが驚きの声を上げて脚立から落ちる。
硝子の破片を避けて飛び降りたあたしはしまったと思ったが、魔力が使われる気配がした。
魔力の中心はハンナさんだ。
飛び散っていた硝子は空中で停止すると、時をさかのぼるみたいに窓硝子へ戻っていく。
あっという間に窓硝子が元通りになったけど、ルールーは!?
あたしが確認すれば、彼女はくるんっと一回転して体勢を立て直し、廊下に降り立つところだった。
「はーびっくりしたびっくりした」
その顔には驚きはあれど恐怖はなく、からからと笑っていた。
ほっとしつつも、背後のプレッシャーに背筋がぞくぞくとする。
誰だと考えるまでもない。
振り返れば、両手をかざしたまま、無言で立ち尽くすハンナさんだ。
ああ、やってしまった。
無表情は変わらないが、その雰囲気にはとがめる気配がある。首をかしげるハンナさんに、あたしは素直に謝った。
「ごめんなさい、ミセスハンナ、次は気をつけます」
あたしは命じられたことをうまくできなかったのだから謝るのは当然だ。
そう言ったものの、あたしは内心首をかしげる。
それにしてもおかしい。王宮でやった時は、標的の一枚だけで済んでいたのに。
だが、考え込むのは後回しだ。
ハンナさんは今度は窓ふきではなく、掃き掃除用のほうきを持ち出してきた。
窓は危ないから、掃き掃除ってことか。
あたしも仕事をするからにはきちんと役目を果たせないことは申し訳ない。
お役に立てなければメイドたり得ないのだから。
次こそは成功させねば!
あたしは燃えさかる決意のまま、ほうきを構えたのだった。
*
「それで実際に絨毯を燃やす人間がどこにいますか!」
医務室だという部屋の一角で、レブラントさんの一喝が響いた。
「あの、いつもはちょっと床が焦げるくらいですんでたんです」
「普通は掃き掃除で焦げません!」
まったくその通りだったから、あたしは身を縮こまらせる。
前はちょっと焦げ付くくらいだったから、石の床の時は掃き掃除くらいはさせてもらっていたんだ。
今回も石の床だし、大丈夫だろうと思ってたら、うっかり絨毯を掃いたとたん火がついたんだ。
木製の床でもないのにおかしいなあ。
ちなみに今日は、仕事研修3日めだ。
初日のあとも、あたしはハンナさんに任されるまま、いろんな仕事を試していったのだ。
けれど、その結果と言えば、レブラントさんがお怒りなことで察せられる。
レブラントさんは、顔をしかめながらも、片手に持った紙を眺めながら続けた。
「この3日間のあなたの仕事ぶりについてハンナから報告がありました。床掃除で廊下を焦げ付かせる以外にも、はたきで調度品を破壊。皿洗いでは洗うよりも先に皿が割れる。洗濯では布のほうが破ける。牧畜は家畜に逃げられる、そして床を磨けば人が滑る!」
かっかと頭から湯気を出しかねない勢いで怒るレブラントさんは、もう片方の手で、頭にできたたんこぶに氷のうを当てていた。
そう、彼はあたしが丹精込めて磨き抜いた床で滑り、見事な階段落ちをきめたのである。
あ、いや、階段落ち自体はあたしが受け止めたから大丈夫だったんだけど、そのあとあたしが放り投げたブラシとバケツが頭に落ちたのだ。
そりゃあいい音がして気絶してしまったものだから、慌ててこの医務室へ運び込んだのだ。
誰かとすれ違うたびに、背中で悲鳴が上がったけど。
医務室の先生にもおっそろしい顔で睨まれたけど。
幸いにも羊角は欠けず、打ち身程度で済んでくれていた、良かった良かった。
「あなたは人の国で使用人をやっていたと聴いていましたが、人並みにこなせるものがないのですか?」
心底疑わしげなまなざしを向けられて、あたしはむっとしたが、記憶をたどってみた。
それ以外、と言うと、なんだろう。
そっと物陰から貴婦人たちの話を盗み聞きして姫様に報告するとか、夜に出てくるネズミの掃除とか、姫様に言いつけられて城下にお使いに行くとか。姫様のおそばについているとか。
その前は仕事らしいことをしていたとは思うけれど、今回は関係ない。思い出したくもないし。
王宮の女官長様からも「あなたは姫様を喜ばせることだけを考えなさい」って言われていたし。
あ、でも一つだけあった。
「その、紅茶を淹れていました」
「つまり、それ以外は、したことはないと」
レブラントさんにかぶせるように言われたあたしは、ようやく気づく。
紅茶を入れることは姫様にも褒められていた。
けど、それ以外だと簡単な荷物運びくらいしかまかされなかったような。
……もしかしてあたし、普通のメイドがやる仕事ができたことない???
あたしが答えられないでいると、レブラントさんは特大のため息をついた。
「あなたの馬鹿力ですと、その紅茶を淹れるためだけにどれだけの茶器が犠牲になるか分かりません。下がってよろしい」
「でもあたしはっ」
「私が下がってよろしいと言っているんです。追って指示は伝えます。そろそろ昼食時ですから食堂へ行きなさい」
「……はい」
メイド心得、上司には間違っているとき以外逆らわない。
レブラントさんに深々と頭を下げたあたしは、医務室から出たのだった。