4 何事もはじめが肝心
魔王シリウス暗殺に失敗し、魔王城でメイドとして奉公することに決まって翌々日。
夜が明けぬうちから、あたしは使用人を束ねているという、羊角のレブラントさんに連れられて魔王城を歩いていた。
そう、あたしが投げ飛ばした偉い人だ。
彼は謁見の間にいたこともあって、事の顛末を知っているのだが、何をどう説得したのか協力者の一人として引き込まれているらしい。
「あなたについては、陛下の魔力に充てられて寝込んでいたことになっていますので、話を合わせるように。……まったく、なぜ陛下はこのような者を雇い入れたのか。脱走したのならそのままにしておけば良いものを」
「おとなしくします」
魔王紋なんてものがひっついたからですよ。
と言いたいのをこらえてしおらしくしてみたのだが、思い切りびくつかれた。
やっぱり投げ飛ばしたのが尾を引いているらしい。
ちなみに、どうして翌々日なのかというと、翌日はあたしが脱走していたからだ。
……だってその日の夜、あてがわれ部屋で一人で考えてみて気づいたんだもん。
全部嘘ってこともあるんじゃない? と。
だもんで、ここに来たとき持っていた荷物は全部返却してもらっていたから、夜のうちに意気揚々と魔王城を抜け出した。
あたしにとって大事なのは、今姫様に役に立つかも知れない情報をお届けすることだ。
ならば、この身がどうなろうとかまいやしない。
その他諸々は気合いでなんとかする!
と燃えに燃え、気づかれる前に行方をくらまそうと走りに走った。
追手の気配はまったくないし、これはもう逃げ切れた、と思いましたよ。
瘴魔の森で一休みしたとたん、ぼこぼこと大地からアンデットが出てくるまでは。
アンデットはその土地で死んだ生物の怨念に、魔力が宿って生まれる魔獣だ。
なんか細かい区分では受肉していないから魔物とよばれるらしいけど、ともかく獣や人間の形をしたものもいる。
そして瘴気を帯びたとたん、攻撃性を持って生者に襲いかかってくる。
つまりはだ。
ちょっと仮眠のために立ち止まったとたん、あたしは大量のアンデットに襲いかかられた。
しかも倒しても倒してもぼこぼこと現れる。
自分が本当に引き寄せ体質になったと気づくのに、時間はかからなかった。
十分な装備があったから良かったものの、あたしは半日かけて走破した行程を、魔獣を倒しながら死ぬ気で戻る羽目になった。
魔王城まで帰ってきたときに、やんわりとした表情を浮かべるシュヴァルさんに迎えられた気まずさったらない。
魔王城の城壁の内側に入ったとたん、全く魔獣が出現する気配がなくなったことで、嫌でも実感してしまったのだ。
魔王紋をどうにかするまでおとなしくしているしかないと。
『では、明日からよろしくお願いしますね』
その言葉に、あたしは屈辱を覚えながらも、もう一度頭を下げたのだった。
と、いうわけで仕事初日である。
一応は上司に当たるレブラントさんは、夜が明けないうちから部屋まで迎えに来てくれて、こうして案内までしてくれる。
苦虫を何十匹もかみつぶしているような顔をしているけど。
「この魔王城で働く魔族たちは全員に部屋をあてがわれています。あなたはメイド長の下について頂く予定です。始業は職場それぞれ。朝食は6時から7時半。昼食は12時から1時、夕食は7時から9時までですので遅れないように」
「魔族もご飯を食べるんですか」
あたしの驚きが気に入らなかったのか、レブラントさんは心底嫌そうな顔をした。
「人間は魔族を霞を食べて生きている何かだと思っているのですか。魔力だけであがなえるものもそれなりにいますが、肉体を持つ魔族は食事が必要なのですよ」
ご飯はただなのはありがたい。空腹には慣れているけど、できれば食べられるものが出てくることを祈ろう。
不意に角の影が動いて、レブラントさんがこちらを向くのが分かった。
「あなたはアイツベルの王宮に勤めていたと聞いていますが」
レブラントさんの視線に、あたしは密かにつばを飲み込みつつ答えた。
「14の頃から二年間姫様のそばにお仕えしていましたので、一通りのことは習ってます」
嘘は言っていない。王宮では多くの仕事があって、たくさんの人に教えてもらったし。
「まあ確かに、あなたの立ち振る舞いはなかなかのものだと思いますが」
レブラントさんの嫌そうながらも肯定の言葉に、あたしはふふんと得意になる。
体を使うものは大得意だ。
「ひとまず本日からあなたには順番に職場を体験していただきます。どこも人は必要ですから、あなたに適した部署へと配属しなければなりません」
レブラントさんはいかにも不承不承という感じだった。
けど、こうしてはっきりと態度で嫌いと表現してくれる魔族が居ることはむしろ安心する。
「ああそうでした、あなたが人間であること、謁見の間で“特別試験”を受けたことは周知されていますので、みなの話題になっています」
「えっ?」
「何か問題でも?」
不思議そうなレブラントさんに不思議そうに見返され、あたしは言葉に詰まる。
特別試験をやったうえで、あたしが採用された、とという筋書きははすでに聞かされていたから、注目を集めるのも仕方がないだろう。
魔界と人間界は地続きだけど長い間不可侵の状態にある。らしい。あたしには特に関わりのないことだったから詳しいことは知らない。
まあそれでも数百年前、勇者によって魔王が倒された逸話もあるように、敵対関係にあると言っても過言じゃない。
シリウスがトップな魔王城とはいえ、ここは敵地だ。
たとえ、あたしが正式にやとわれた身だとしても、人間のあたしはどうあがいても異物でしかない。
ということは、その“話題になっている”というのをそのままの意味で取るべきじゃないことくらい、あたしにもわかる。
レブラントさんは神経質そうな顔を変えないまま続けた。
「人間ならではの細やかな仕事ぶりを、期待していますよ」
なるほど宣戦布告のようなものか。
そっちがその気なら、全力で相手をするまでだ。
王宮では、職業意識の高い使用人たちがお互いを切磋琢磨しながら仕事に励んでいた。
姫様のところはそんなにでもなかったけど、隙あらばその地位に成り代わろうとする野心にあふれた人たちもたくさん居た。
もちろん、働くからにはそんな人たちに負けるつもりはない。
さあ、魔王城ではどんな化け物が現れるのか、あたしは気を引き締めたのだ。
まずは朝食だと案内された食堂の長テーブルは約半分が埋まっていた。
ほぼ全員が程度の差はあれ人の形をしている。透けていたり、これ絶対石だよね?というやつもいるけれども。
天井がひどく高く開け放たれた大きな窓から、時折大きな手やら、窓を埋め尽くさんばかりの鳥頭がにゅっと現れて朝ご飯をもらって去って行くのには唖然とした。
レブラントさんに聴いてみれば、この場にいるので魔王城に勤める魔族の半分らしい。
常時半分は外で働き魔王城を留守にしていて、魔王城にいるものでも、部屋に持ち帰って食べる魔族が居るからだという。
さらに使用人のスペースが一階にあったのも驚きだった。
普通そういうものは、高貴な人たちに見えない地下や城の隅に置かれるものだと思っていたから。
まあともかく、これだけの魔族を一度に相手にするのは骨が折れそうだ。
やっぱりシリウスをやるとしたら暗殺だな。
改めて決意しつつ、あたしは朝食に挑んだのだが。
朝ご飯はパンにスープにベーコンエッグまでついているという、普通でボリュームたっぷりなメニューには驚きすぎて気がついたら完食していた。
おいしかった。パンは5回おかわりした。
い、いや別に懐柔されているわけじゃない。
おなか空いてたし、おいしいものにはちゃんと感謝しなさいって村長様に言われてるし。
レブラントさんにあきれたまなざしを向けられつつも、そのあと紹介されたのが、あたしの直属の上司に当たる人だった。
「こちらが、あなたの上司となるシルキーのミセスハンナです。彼女の指示にはきちんと従うように」
レブラントの言葉と共に、しゃらん、と軽い金属がこすれるような音と共に、虚空から現れたのは、半透明の貴婦人だった。
地味な服装に身を包んでいるけれども、落ち着いた美人で、腰にはまとめられた鍵束が下げられている。
無言で軽く会釈する姿は、王宮の侍女たちよりも美しく完璧だ。
本能的に、あたしはこの人には逆らってはいけないことを察知した。
「この城で働くからには、半端は許しません。魔王陛下の恥とならぬよう励みなさい」
あたしの主は姫様だけだ。
とはいえ、そんな姫様の恥にならないようにしなくちゃ。
ちょっと湿り気のある手のひらを握り混み、あたしはハンナさんの後ろについて行ったのだった。




