30 滅殺タイムというやつです
白銀の鱗を日の光に照らされながら、シリウスは大聖堂上空まで一気に上がった。
『さあて、じゃあ始めるぞー!』
妙にテンションが高いシリウスは、尻尾を杖のように振り回した。
『まずは、人命救助の名シーンと言えば『遙か高き希望の空』のこれ! 崩壊するダンジョンの地下に取り残された百人の奴隷を同時に転移させた魔法使いの最大の見せ場、多人数同時転移!』
とたん、膨大な魔力が荒れ狂い、眼下の大聖堂の窓から、ちかちかと光が瞬き消える。
あたしははっと首を巡らせれば、大聖堂から遠い大広場に大量の人間が現れるのがわかった。
結構離れていても、視界を強化すれば楽に見えるとはいえ、あたしはシリウスのでたらめさに顔を引きつらせた。
けれど頭上の反応なんて全く気にせず、シリウスはばさりと翼を羽ばたいた。
『さあてお次は、『女領主ヴィエリと忠実なる従者』より! 吸血鬼の従者を封印していた最高位の封印結界! えーと3重くらいっ』
言葉が終わるやいなや、もはや常識外の魔力が大聖堂を正しく三重に結界障壁が構成された。
今にも大聖堂から道へと流れ出そうとしていた瘴気の泥がおしとどめられる。
あたしはこのガントレットと身体強化以外の魔法は使えない。
けど、しみじみとつぶやくシリウスがやっていることがとんでもなくでたらめなことぐらいはわかった。
いやそもそもイメージだけでほいほい魔法を使うことがおかしいんだけど。
そう、魔法はイメージした物に変換される。
魔道具はそのイメージを明確にしたり固定化したりするために魔法陣を用意している物だ。
明確であればあるほど、魔力量は少なくてすむけれど、逆を言えば魔力量さえあれば、どんなとんでもない事象でも引き起こすことができる。
つまりだ。こいつ、あふれるような魔力と想像力で、国中の魔法使いが何十日もかけてくみ上げるような魔法をほいほい使っているのだ。
しかも、口走っている単語からするに……
『はーこれだけ魔法使うの久しぶりだなー!』
「あんたその詠唱、もしかして、全部娯楽小説の中からとってる?」
あたしが若干こわばる声で問いかければ、シリウスはちょっとはにかみ声で応じた。
『そのとおり! 作家さんてすごいよなあ。あんな魔法どうやって思いつくのかって言うくらい夢の魔法を生み出してくれるんだからなー!』
「いやそれフィクションだから!」
『いやでもファンとして再現してみたいじゃないか。さーあとはゆっくり瘴気を散らして回収するだけだぞー!』
それで再現する馬鹿がいるか!
おそらく真顔だろうシリウスにあたしは言葉を失ったが、眼下の瘴泥の変化に気づいた。
「ねえ、シリウス、あの泥、なんか人間みたいな形になってない」
『へ?』
ぐら、と首が動いてみてみれば、大聖堂の下の方でどろどろとしていた泥がいつの間にか大聖堂の鐘楼をのみこんで形になり始めていたのだ。
その姿は雨の日に発生するスライムによく似ていたけど、濁りきった色合いといい、粘着質な感じといいどこかあのデブいおっさんに似た気色悪いフォルムになっていた。
しかも、その肥大化した腕がこちらに伸びてきた!?
『ふぉあっ!?』
間抜けな声を響かせながら、シリウスが大ぶりな手をよけた。
首がしなったことで、あたしの体に負荷がかかる。
結界の上部が空いていたから自由に伸ばすことができたのだろうけど、これは予想外だぞ!?
「シリウスどういうことこれ!?」
『たぶん溶かされた大量の人間と魔獣も怨念が染み付いて、疑似生命になりかけてるんだと思う!』
「それってつまりアンデット!?」
『多分そんな感じ! というか閉じ込めた上で、ちょっとずつ瘴気を吸い取ろうとしてたけど無理そうだ。あんまりにも結びつきが強いものだから、ぜんっぜん吸い取れないどころかこっちを取り込みにかかってるぞ!』
「それピンチって言わない!?」
『めちゃくちゃ言う! うわぁっ!?』
アンデットの腕が複数本襲いかかってくるのを、シリウスは身を翻してよける。
わずかに視界に入ったシリウスの魔王紋は光を帯びて活性化していたけど、周囲に靄になっている瘴気が薄くなるだけで、泥の方は全く形を崩さない。
『やっぱり、俺たちに瘴気が惹かれてくれるおかげで被害が広がらないのはありがたいけど、これはきついな』
なるほど、吸引力が弱いんだな。
あたしが納得しているうちに、瘴泥の腕の一本がシリウスの尻尾を掴んだ。
物掴めるの!?
と驚くのもつかの間、シリウスの飛行姿勢が崩れた。
『ひょわわわああああ!!??』
ああもう!
あたしはタイミングを見計らい、シリウスの頭から飛び降りる。
そして、尾を掴んでいる泥の腕へ向けて、一気に左の手刀を抜きはなった。
「“切り裂け!”」
右腕の魔王紋がかっと熱くなる。
とたん、手刀から放った斬撃は、瘴泥の腕を両断した。
だけでなく、両断した傷口からは、魔結晶がこぼれ、残りはぶわっと瘴気の霧に変わってシリウスへと吸い込まれていったのだ。
『君無茶するな!?』
すかさず自由になったシリウスの尻尾を掴んだあたしは、シリウスへと怒鳴った。
「あれ、砕けば瘴気に戻るみたいよ。攻撃魔法ぶち込みなさいよ!」
『そっか、君の方に変換があるから……了解っ。じゃあとっておきのを見せてあげよう!』
心なしかいつもより快活な声で応じたシリウスは、器用に尻尾を持ち上げて、あたしを左手の中に収める。
すると、一気に上昇を始めた。
『さあ、俺がいっちゃん好きな攻撃魔法! 『武神アーライト』のラストシーン! 山のように巨大な魔獣にたった一人で立ち向かい、見事倒した彼の必殺奥義!……は無理だからそれっぽくアレンジしたやつっ』
きらっきらと青銀の瞳を輝かせたシリウスから大量の魔力が放出され、彼の周囲がゆがむ。
魔力はすぐに巨大な氷の塊に姿を変え、整然と眼下の瘴泥へと狙いを定める。
『手数が多ければ、なんとかなる! いっけー!』
魔王紋が活性化したとたん、その氷の塊が勢いよく瘴泥へと落ちていった。
泥の腕が幾本も伸びてきて氷を砕こうと襲いかかる。
が、氷の塊は途中で砕け散ると、拳っぽいフォルムの塊に姿を変えて、瘴泥へと降り注いだ。
甲高い音が断続的に響く中、瘴泥の体は切り刻まれて瘴気へと戻っていく。
そして帯になってシリウスへと吸い込まれていった。
『ぐぅっ……やっぱり一気には効くな……』
苦しそうなシリウスの声が漏れ聞こえたとたん、あたしの右腕も熱くなり、いつもより大きい魔結晶が落ちた。
姫様が浄化しきれないような瘴気があそこにあるのだ、それならシリウスだって容量いっぱいになったっておかしくない。
あたしはシリウスの太い指の一つを握って、いつもより多く瘴気を流れ込ませるように集中する。
みるみるうちにあたしの周りに魔結晶が積み上がり、こぼれたものが地上へと落ちていった。
子供の拳くらいはあるから、下に人がいないといいけど。
苦しくはない、けれど煮えたぎるような瘴気に不思議を高揚すら覚える。
やがてすべての氷の拳が降り注いだあとには、大聖堂の姿は影も形もなかった。
『すまん、アウラ、しんどい落ちる……』
けれど、シリウスもよろめきながら、高度を下げるとがれきの上へと不時着したのだ。
あたしを下ろしたとたん、ドラゴンの姿はほどけて、いつもののほほん人間に戻る。
服はちゃんと着ているのね、助かる。にしても、
「あんた、瘴気で弱体化していただけだったのね」
疲れた息をつきながら、シリウスはへらりと笑った。
「まあなー。みんなに影響がないようにずっと瘴気を体に貯蔵してたから。魔結晶を作り続けるのもしんどいしなあ。君が来てからは寝込むこともなくなってて万々歳だったんだけど」
あれ、その言い方だと、まるでシリウスだけじゃ、ほとんどできなかったみたいなことになるけど。
ただ、あたしの疑問はすぐに後回しになる。
「やーでも倒せたからいいだろ。霧状の物なら姫さんの方が効率良いはずだから、あとよろしく頼む」
「いいえ、まだよ」
シリウスは圧倒的な魔法を使えても、やっぱり戦闘は素人だ。
……素人が倒せないのも悔しいけどね。
がれきの上にへたり込むシリウスの後ろから、ぞぶりと濃い瘴気の泥が吹き出した。
さっきよりもずいぶん小さくなったけれど、そのぶん光を拒絶するような虚無の闇をたたえている。
「こういう奴って、たいてい大本を叩かないと、いくらでも再生するものなのよ」
『オオォオォオオオォォォォ――……!!!』
シリウスの首根っこをひっつかんだあたしは放り投げる。
たった今まで、そこにいたシリウスを捕まえ損ねた瘴泥は、恨めしげにあたしへと襲いかかってきた。
頭部にある目のようなうろがあたしを恨めしげに見ているけど、それを受け入れることはできない。
こうして間近で見てみればわかる。
これはただの残滓だ。たまたまこの世にとどまってしまっただけで元に戻ることはない。
あまりにも異質で、ここにいることすらありえないもの。
あたしにできることは、あるべき形に戻してやることだけだ。
姫様も、たぶんシリウスもすごく気に病むだろうから、これはあたしの役目だろう。
さっき生成していた魔結晶を右拳で握りこめば、あっという間に溶け消えた。
とたん、絶大な魔力が渦巻き、体が重くなる。
うん、良い感じだ。
「さあ、終わらせるよ」
あたしに狙いを定めて襲いかかってくる瘴泥の触手を、魔力を帯びさせた拳でさばいていく。
殴りつければ霧散するが、次から次へと襲い掛かってくるから、きりがない。
だけどその間に、じっと目をこらして狙いを定める。
人型をしているけれど、これは本来不定形の物だ。
ならばどこかに核となる中心があるはずだ。
右腕の魔王紋が熱くなるのを感じた。
見えた。
「“我が拳は、天をも穿つ”」
あたしは右拳を強く握りしめた。
瘴泥の泥が肌を焼くけど、あたしはかまわず一歩踏み出す。
拳の周りを、煉獄の花のような鮮やかな魔力が舞い散った。この魔導兵装の名前の由来だ。
……ついでにシリウスが好きだと言っていた最終奥義のひとつでもある。
鮮やかに魔力が花開いた瞬間、全身全霊を込めて、拳を振り抜いた。
「貫けええええええ!!!」
銀と紫の炎のような魔力をまとった右拳が、瘴泥の中心に突き刺さる。
あたしの魔力に呑まれた瘴泥の泥は一瞬で霧散し、きらきらと魔結晶をまき散らして終わった。
ぱらぱらと落ちてくる魔結晶は痛くはないけどちょっと気になる。
ふいーと、息をつけば、どっと体が重く感じられた。
ルールーのお兄さんから瘴気を移したときと一緒だ。
めずらしく足をふらつかせれば、その前に意外と力強い腕に支えられる。
「おっと、大丈夫かい」
「だいぶマシになったわ」
腕の主はシリウスだ。ぼっさぼさの銀髪や顔には土埃をつけて、鼻の頭をすりむいている。
あーもしかしなくてもあたしが投げたせいか。
非常事態だったから許してもらおう。
瘴気が濃いせいかまだ酔ったような感覚は続いているけど、シリウスに支えられたらちょっと楽になった。
魔王紋ってめんどくさい。
けど、シリウスもそれは同じだったらしい。
シリウスは大きな安堵の息をついたあと、にへらといつも通りに笑った。
「あーうんじゃあ帰ろっか。甘いものが食べたい」
「それは同感だけど、大聖堂壊しちゃったし、あんたの竜体見られちゃってるし、たぶんすんなり帰らせてはもらえないわよ」
「げっ! そっか。うんそうだよなー。けど俺いつもの100倍くらい頑張ったし休んだって良いだろう」
嫌そうな顔で本音を漏らすシリウスだったが、やっぱり気になるらしい、すぐにぶつぶつと考え出した。
「シュヴァルに相談して、姫さんにも協力してもらえばなんとかならないかなー。あーこれを機にひっそりこっそりアイツベルと貿易とかできないかなー」
「まあお茶くらいは、淹れてあげる」
「それはいいな」
うんうん悩むシリウスが、ぱっと表情を明るくするのに、あたしは釣られて表情を緩めたのだった。




