29 爪を隠していたらしい
光に包まれたと思った次の瞬間、踏んで居たのは土の地面だ。
目を開ければ、そこは街の真ん中にある大広場だった。日は既に上がりきっている。
シリウス十八番の空間転移だ。
道の向こうには大聖堂が見えるから、まだ本山内なのだろう。
普通の生活を営んでいたらしい人たちが、突然現れたあたしたちに注目していた。
あたしたち以外にも、あの儀式の場で気絶させていた、聖騎士と戦闘司祭が地面に転がっているから当然だ。
「シリウス様、この者たちも転移させたのですか!?」
あたしから降りた姫様が驚きの声を上げれば、ちょっと疲れたふうのシリウスが表情を緩ませた。
「だってあのままじゃみんな呑まれちゃうだろ。そのまんまにはしておけないさ」
あっさり言うけど、転移魔法はそれだけで高度だし、人が一人増えるだけで魔力も段違いに消費する。
十人以上を一気に転移させるなんて離れ業、それこそおとぎ話のことなのだ。
姫様は、魔法を使わなくても、そのあたりの事情は知っているから驚いたのだろう。
「見ろ、大聖堂がっ!」
誰かの叫び声に見てみれば、大聖堂からよどんだ瘴気の泥があふれ出してくるところだった。
精緻なステンドガラスや、もろい壁を突き破ってぼたぼたとあふれる瘴気の泥は、ゆっくりと大聖堂の外へとゆっくりと流れていく。
どこにそんな質量があったかというそれは、やがていびつながらも手のような物を伸ばして何かを探すようにうごめき始めた。
正視することすらおぞましいそれが、べちゃべちゃと大聖堂から出てこようとするのを、広場にいる人間たちは混乱と絶望のまなざしで眺めている。
あたしも、そもそも魔力の混じった瘴気があんな風になるのを初めて見た。
「あれは、なんですか……」
青ざめた姫様に、険しい表情のシリウスが応えた。
「魔力と瘴気が高密度で凝ったせいで、実体化しちゃったんだと思う。瘴気の汚泥瘴泥とでも言えばいいかな」
「わたくしの浄化でどうにかなるでしょうか」
「もうすでに芯というか核ができてしまっているから、君の力は優しすぎて届かないだろうなあ」
「そんな」
なるほど、つまりあれは瘴気の塊で、それをつなぎ止める芯ができていると。
何となく自分がやるべき事がわかったあたしは、ぐるぐると腕を回して、両拳のガントレットを打ち鳴らした。
がんっと良い感じに音がすれば、気合いも入る。
「シリウス、何回殴ればおとなしくなるかしら」
「あ、うん。君ならそういうと思ったけど、思い切り良いね!?」
目を丸くするシリウスに見下ろされたあたしは、青銀の瞳を半眼でにらみ上げた。
「はん。だいたい形になってるものなら、殴ればなんとかなるのよ。というかこれ、魔王の仕事って奴じゃないの」
瘴気をどうにかするのが魔王の仕事、と言う話をちらっと思い出せば、シリウスが少し申し訳なさそうに眉をハの字にした。
「そうなんだよなあ。けど今魔王紋は半分になってるから、どうしても君の力を借りなきゃいけないんだよね」
「ご託は良いわ、とっとと行くわよ」
「ああ待って! わかったから! 俺だって準備があるんだよ」
何だと思って振り返れば、シリウスが姫様の前でそわそわと挙動不審になっていた。
「あ、あの、アウラから聞いたのですが、執筆などをたしなまれるようで。俺のあこがれの作家さんでいらっしゃるかもしれないとか考えるとこう言うのはものすご……ごふっ」
「端的に言いなさい」
姫様が面食らっていらっしゃるし、付き合っている暇ないから。
不審者の極みになっていたシリウスの長口上を背中をはたくことで止めれば、シリウスは涙目になりながらも、思いっきり頭を下げて手を差し出した。
「すみません、手を握って俺の中にある瘴気を浄化してくれませんか」
「え、ええ。わかりました」
珍しくぼうっとしている姫様は、言われるがままにシリウスの手を握って集中する。
すると、上着越しでもわかるほど、姫様の背中にある紋様が輝いた。
姫様の瘴気の浄化は、手をかざすか握ることで発動して、浄化された瘴気は魔力に変わる。
その変換された瞬間、高密度にこごるから魔結晶になるのだが、今回は全く違った。
2人のあいだでまばゆい光がはじけた。
こんな目をやられそうなほど強い浄化の光は見たことなかった。
膨大な魔力が周囲にあふれ出して、あたしは反射的に身構える。
「あ、やっば魔力抑えなきゃ」
そんな、のんきな声が聞こえたかと思うと、光が急速に和らいだ。
やけにすっきりした顔のシリウスが、上機嫌で立っていた。
だけど、変わらないのは外だけで、今までとは比べものにならないほどの魔力をその身に蓄えている。
あれだけ派手な浄化だったのに、魔結晶はひとつも転がっていない。
つまり、その魔力の全てがシリウスの中にあるということだ。
「はーこんなに体が軽いの何十年ぶりだろうっ! よっしゃー今なら何でもできるぞぅ!」
はしゃぐシリウスはぱちんっと指を鳴らした。
とたん、この大広場を中心に、すさまじい勢いで障壁が構築されるのを感じた。
もちろん、術式が書かれるどころか、詠唱もない。
まさに人間離れした技に、あたしと姫様はそろって呆然としていた。
「言うなれば、『犠牲の剣』の中にあった対瘴気用の魔法障壁だ! ここにいれば瘴気にやられることはないからな。にしてもヒロインの全魔力を捧げて主人公たちを守り抜くシーンは胸熱だった……とシュヴァルからだ」
なんかものすごくわかりたくないようなことをのたまわっているシリウスは、服のポケットから魔結晶が埋め込まれた魔道具を取り出して話し出して話し始める。
「シュヴァル、無事だったか。そっちは……うん、わかった。魔結晶の在庫がんがんつかっていいから、何人か派遣してくれると助かる。なるべく人間に化けるのが得意な奴が良い、脅してでもすかしてでも避難させてくれ」
「避難誘導もしてくださるのですかっ」
衝撃から立ち直るのがはやかった姫様は、シリウスに勢い込んで問いかけていた。
「あ、うん。必要だろう」
「でしたら、わたくしが参ります。この顔と肩書きは民に知られておりますので。こちらはお任せください」
シュヴァルさんの声は聞こえなかったけど、姫様は大方の内容を把握したのだろう。
確かにこうして話している間にも、姫様をみて「聖女様だ」とつぶやく声が聞こえてくる。
いつもの王族の顔で宣言した姫様に、シリウスがほっとした顔をした。
「それは助かる。じゃあシュヴァルんところに送るからたのんだ。ついでに大聖堂に残ってる人をここに送り込むからさ」
「助かる、というのはわたくしの言葉ですのに……て、なんですって」
耳を疑う姫様に気づかなかったように、シリウスはなぜかいっちにーさんしーと腕を伸ばし始めた。
「ちょっと離れててなー」
姫様とあたしが数歩下がれば、シリウスの姿が陽炎のように揺らく。
とたんその姿が溶けて一気に膨張する。
状況がわからず傍観していた民衆から、どよめきが起こった。
ばさっと銀の皮膜の翼が広げられ、同色の鱗に覆われた尻尾が優雅に揺らめく。
そこに存在していたのは、白銀のドラゴンだった。
広場の半分を占有する大きな体格は白銀の鱗に覆われ、朝日で光り輝いている。
左の翼の付け根から前足にかけてに浮かぶ、魔王の文様は美しい装飾だ。
そこには、魔族と対峙した恐ろしさですら超越する存在感があった。
広場にいた人間たちもあっけにとられて見上げている。
あたしは一度竜頭をみたことがあったから衝撃はなかったけど、ほとんどのことでは動じない姫様ですら、シリウスの本来の姿に呆然と見入っていた。
『あー、元に戻るのも久しぶりだあ。ずっと省魔力モードだったからなー』
その妙な緊張の糸は、シリウスの脳天気な声で霧散した。
少なくとも姫様とあたしは。
ごきごきと妙に人間……いやおっさんくさい仕草で腕と翼ををまわす姿は、いつもののほほん魔王と何ら変わりがない。
ああ、ドラゴンだとつばさなんだ。肩甲骨だから?
シリウスのしみじみとした言葉からするに、瘴気を吸収する過程で自分の能力に制限がかけられていたのだろう。
まあいい、今は干渉に浸っている場合じゃないし、とあたしは身軽にその銀色のドラゴンの背を上り、良い位置に陣取った。
『えーとアウ……アウローラさん、なんで俺の頭なんですかね』
「角が手がかりになるじゃない。こんなに大きければ、あたしの重さぐらいたいしたことないでしょう」
『確かにそうだけど、俺の手の中とか選択肢あったよね!?』
「あんたの手の中じゃ真っ先に殴りにいけないでしょう。ほらさっさと行くわよ」
『わかったよわかった!』
「それと、呼びづらいんならアウラで良いわ」
『へっ』
小さく付け足した言葉にシリウスが目を動かして頭上を見上げようとする気配がしたけど、努めて無視する。
何度も言い直されるのはそれはそれでうざいのだ。
追求するのはあきらめたらしく、シリウスがその白銀の翼を羽ばたく。
『君も大概ツンデレだよなあ! というか、ほんとにいいの? あんないやがってたのに』
「そんなにこだわるならやめても良いのよ」
『いやいや呼ぶからな!』
そんなやりとりをしていたら、姫様がくすり、と笑っていた。
むっ結構まじめなのに!
けれど、いつもよりも肩の力が抜けた姫様はかわいらしかった。
「アウラ、シリウス様、気をつけて」
「姫様も!」
ふわっと涼風のような姫様の浄化の力が体を抜けていった。
その声が合図だったように姫様の姿が転移によってかき消える。
『じゃあ行くよ』
あたしは足くらい太い角へ掴まると、シリウスは力強く羽ばたき、空へと舞い上がった。




