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27 幕間 姫君は誰によって救われる?

 



 大聖堂の奥深く。

 ティアンナは、地下の儀式場へと降りていった。


 聖女専用だという、簡素だが背中が大きく空いた形の簡素なワンピースは、今まで着たことがない類のもので、ひどく頼りない。


 ティアンナの周りには、多くの司祭と聖騎士たちによって囲まれている。

 これは自分を守るためではなく、逃がさないための処置だと理解していた。


 彼らの表情は仮にも聖職者とは思えないほどよどんでいる。

 こうして儀式の場に随行しているのだから、彼らは知っているのだろう。


 このアイツベル大司教区が抱える禁忌の一端を。


 厳重に魔除けの術式が施された扉を、何枚もくぐり抜けてたどり着いたのは、地下とは思えぬほど広々とした空間だった。


 天井、壁、柱、床、ありとあらゆる場所に刻み込まれた浄化と封じの術式は、もはや偏執的とも言える執拗さで行われている。


 が、その中央で吹き出す腐臭を抑え切ることはできていなかった。


 空間一体に立ちこめる甘ったるくもおぞましいにおいにティアンナは顔をしかめ、予想以上の侵食に息をのんだ。


 泉にたたえられている、よどんだ汚泥のような代物は、実体化するほど濃縮された瘴気だ。


 この空間には、あふれれば優に国一つは滅亡させられるほどの瘴気が貯蔵されていた。

 そして、その瘴気の汚泥は、すでに泉からあふれ出してもおかしくないほど飽和している。


「なんて、ことを」


 ナルク司祭の言葉に偽りはなかったと思い知る。

 ようやくそれだけ、つぶやいたティアンナは、隣を歩いていた男が動く気配を感じて、一歩下がる。


「怖じ気づきましたかな、姫よ」

「オーベル大司教。ご自分の所行を棚に上げての物言いはいかがなものか」


 ちょうどティアンナの太ももあたりに手をさまよわせている男、オーベル大司教に当てこする。

 そのあいだに、肌に走った怖気を取り払った。


 年の功は60後半だと聞いている。

 この大聖堂で一番位が高い証である豪奢な司教服を身につけた男は、だが日頃の生活態度がわかる、緩んだ体つきをしていた。

 そして頭がこの汚泥のようによどみ果てていることは、この聖堂で過ごしてみて思い知っている。


 ここにナルク司祭の姿はない。


 案の定、オーベル大司教はティアンナの言葉などまったく響いた風はなく、哀れむようなまなざしで言った。


「仕方ないのだよ。聖職者といえど、俗世と対等に渡り合うためには清濁を飲むだけの度量が必要なのだから。教会の教えに反するものを説得するための手段の一つなのだ」

「その説得する手段が、瘴気を集めて魔結晶を生み出すことですか」


 大司教区が供給していた魔結晶の大半がここから生み出されていることは、ナルク司祭を通じて知っていた。

 ティアンナがねめつければ、オーベル大司教は、でっぷりとした腹をゆすって笑った。


「まるで我らが教義に反したことをしているような物言いだが、我らは世界の安寧を脅かす魔族と魔獣を浄化する義務がある。しかしながら通常の征伐だけでは司祭たちの武器を整えるための魔結晶は足らないのだよ。それを補うための技術の粋とも言える空間なのだ」


 オーベル大司教の愉悦の含んだ表情に、ティアンナは絶望的な断然を思い知った。

 言葉では飾っている。

 しかしアイツベル大司教区は、ここで精製した魔結晶を市井に売ることで資金源としていたのだから救いようがない。

 魔結晶は魔力の濃い場所にのみ生じるものだ。


 しかし、魔力が濃ければよどみやすく、簡単に瘴気が吹き出す温床となる。

 そのためわずかばかり魔結晶が採掘できる場所でも採掘は難しく、魔堕ちした魔獣から採取するにも微少なため、危険が伴う。


 ならば、魔力を集めて精製すれば良い。

 その発想の元作り上げられたのが、この儀式場と貯蔵槽だったのだ。

 司祭たちがここで浄化の魔法を使うだけで、魔結晶が生み出される。


 一面だけをみれば、魔結晶の安定供給ができるそれは確かに画期的であり、権力者であれば誰もがほしがる技術だろう。


 しかし、それが禁忌とされている理由もあるのだ。


「たとえ竜脈から取り込んだとしても、魔力を一所に留めるにはそれと同じくらいの魔力が必要となります。ですが瘴気ならば容易に集められる方法がある。……あなたは魔堕ちした魔獣を、どれだけここで溶かしたのですか」


 そう、瘴気に侵された魔獣は、瘴気を呼ぶようになる。そして瘴気を浄化すれば、魔力に変化するのだ。


 彼らは、温厚な魔獣へ意図的に瘴気を注入し魔堕ちさせた上で、瘴気を集める触媒としていたのだった。


 教会ならではと言えば聞こえが良いが、本来の教義からかけ離れた所行に、ティアンナは震えるような怒りを覚えていた。


 だがオーベル大司教はティアンナの義憤にも一切揺り動かされた風はなく、あごをなでるだけだった。


「さあ、どれほどかは記録をたどってもわからないが。しかし害悪である魔獣をどれだけつぶしたところで、人類救済の一助にしかならないだろう? そもそも、技能を有益に利用しているだけだからな」

「その有益な技能でできたのが、このるつぼをもてあまし、聖女を使い捨てるだけのシステムと言うことですか」

「その愚かなシステムに組み込まれるのはあなたですよ、聖女様」


 最大限の侮蔑を込めて言い捨てれば、オーベル大司教の顔が嘲笑にゆがんだ。


 その醜悪さにティアンナは鼻白みながらも、毅然と言い放つ。


「あなた方のためではありません。この汚泥が外にあふれれば、アイツベルが滅亡します。それだけは避けねばなりません」

「ご立派なあなた様でしたら、そう決断してくださると信じていましたよ。お優しい慈悲の姫」


 今までこのアイツベル大司教区で保護された聖女は、この瘴気の泉があふれかけるたびに、その身を投じて収めてきたのだという。


 聖女はそこにいるだけで、瘴気を浄化する。

 難しい詠唱も魔法理論も知らなくて良い。


 事実、ティアンナがこの場にいるだけで、砂粒のような魔結晶が生み出され続けている。

 聖女の証である背中に広がる紋様が、疼きのように主張していた。


 そうやって消費(・・)された聖女がいた事実に気づかなかったことが悔しくてたまらなかった。

 だから、ティアンナは己が最後に消費される聖女だと決めていた。


「わたくしは聖女ですがこの国の王族です。この所行はすでに国へと報告しています。あなたもこれまでです。おのれの罪を数えて待っていることね」

「さあ、それはどうかな」


 粘つくような声と当時に、オーベル大司教に無理矢理手を取られた。


「何をするのです!?」


 ティアンナがふりほどいて離れれば、にやついたオーベル大司教はゆっくりと近づいてくる。


 いつの間にか、聖騎士と戦闘司祭がいない。

 たしかに、浄化の護符を持っていたとしても、この瘴気は耐えがたいだろう。


 だが、ティアンナはオーベル大司教の下劣な本性が丸出しになった顔で、もう一つの理由があること悟った。


「あなたには魔族と関係しているという疑いがかかっていてな。密かに送られた手紙には、その証拠となる記述が発見されるのだ。むろん信仰に厚い優秀な聖騎士たちがあなたと通じていた魔族を討伐している頃だろう」

「っ!」


 ティアンナは、あの壮年の魔族の理知的な顔を思い出す。

 手紙は侍女に託したために、安否はわからなかった。


「だが、安心しなされ、わしが魔に侵されたその身を浄化してしんぜよう。正しく行いができるようにな」

「なんと下劣な! 恥を知りなさい!」


 屈辱と悔しさに胸を荒れ狂わせながら、ティアンナはまっすぐ汚泥の泉へと走った。

 この身を穢されるのであれば、聖女としての役目に殉じたほうがまだマシだった。


 しかし。


「“捕縛”」

「あぐっ!?」


 足が石のように重くなり、ティアンナはその場に倒れた。

 足にはめられていた拘束具を作動させられたのだ。


 無防備な背中の聖女紋に指を這わせられ、鳥肌をたてる。


 ティアンナが振り仰げば、オーベル大司教の愉悦に彩られた顔に見下ろされていた。


「美しいものですなあ、聖女紋は。くはは、そう、そうだ。一国の姫ともあろうものが、無様に地べたを這いずるなど滅多に経験できないものでしょう? 十分に浄化してさしあげましょう」


 にやついたオーベル大司教にティアンナは心をすくませながらも、どこか遠くのことのように感じた。


 物語の姫であれば、きっとここで助けが来るだろう。

 ティアンナ自身もいくつかしたためたことがある。


 だが、それは物語だ。

 現実では人間と魔族は瘴魔の森で距てられ、生臭聖職者の欲望のためだけに瘴気の泉に溶け消えた聖女たちが大勢いる。


 ティアンナもここで穢され、何もできぬまま瘴気の汚泥に放り込まれるだろう。


 なぜなら聖女はそこにいるだけで浄化する。

 心臓が止まっても。

 肉が朽ち果てても。

 骨のいっぺんがなくなり、聖女紋が消えるまでずっと。

 そこに、聖女の意志はいらないとばかりに。


 聖女なんてものをつくりたもうたこの世を恨みたくもなるが、それも今回で終わりだ。


 あの子は魔界領にいる。

 唯一絶対。安心できる。

 できるならば、最後に会って話がしたかったけれど。


 ティアンナは床を這う手を、止める。



 びり、と見上げた天井が震えた気がした。


 オーベル司祭は気がついていないようだ。

 ティアンナですら気のせいかと思うほど。



 だがしかし、次の瞬間、ぴしり、と天井に亀裂が走り。



「―――……り裂けええええ!!!!」



 轟音と、怒濤のように降り注ぐ砂礫と共に、オーベル司祭が消えた。


 ティアンナがあっけにとられているうちに、砂埃が収まる。


 オーベル司祭の代わりに立つ彼女の、暗色のスカートがひらりと舞った。

 使用人服に不釣り合いな黄金のガントレットは、不謹慎ながらティアンナは彼女にとてもよく似合っていると密かに思っている。


 ホワイトブリムで彩った黒を揺らめかせ、美人だ、と言ってもちっとも取り合わない快活で美しい顔がこちらを向く。


 勝手にティアンナの碧の瞳から、涙がこぼれた。


「姫様っ長らくお待たせしました!!」

「アウラ……っ」



 紫の瞳に喜色を浮かべる、ティアンナの大事な友がそこにいた。



 


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