24 参謀が帰還したようです
「話がまとまったところで二人とも、そろそろ良いでしょうか」
低い落ち着いた声が聞こえて、あたしはぎょっと振り返る。
開いた入り口に立っていたのは、シリウスの腹心であるシュヴァルさんだった。
別れた時と同じく皺の寄った顔に理知的な表情を浮かべているが、全体的に疲れた雰囲気をしている。
と言うか全身にけっして少なくない傷まであった。
ここにたどり着くまでにかなりの苦労があったのだろうというのは想像に難くない。
けど、それよりもシュヴァルのすこし苦笑するような雰囲気に、あたしはシリウスと抱き合っていることを思い出した。
「っ!」
「へぶっ」
慌てて突き放して立ち上がれば、シリウスがつぶれた蛙のような声が聞こえたけどかまうもんか。
「よ、用件は何ですか」
「すみません、少々急を要するもので」
うわあああ生ぬるいまなざしやめろおおおお!!!
と全力で叫びたくなったけれどこらえた。
なぜかものすごく負けたような気になるから!
「シュヴァル! よかったっ。無事に帰ってきてくれたんだなっ……て傷だらけじゃないか。手当てするか!?」
そうこうしているうちに、復帰したシリウスが喜色満面から一転。顔を青ざめさせて慌てていた。
その姿にはあたしが与えたダメージは一切残っているようには見えない。こいつの頑丈さはもはや魔法レベルだ。
けれどもあたしは、無事に帰ってきてくれた、と言うフレーズが引っかかる。
まるで彼が窮地にいることを知っていたみたいな。
「いえ、魔結晶を分けてもらえれば、自力で治せます。それよりも」
シュヴァルがあたしにむけて、頭を下げる。
「まずは申し訳ない。ティアンナ姫を説得することができず、教会に明け渡してしまいました」
「……姫様に会いに行っていたのか!?」
初耳のことで愕然としていれば、魔結晶の箱を持ってきていたシリウスが後ろめたそうな顔をした。
「あの、な。ちょくちょく話していたと思うんだけど、昔は聖女に魔界へきてもらうのが慣習だったんだ。そのついでに魔王がため込んだ瘴気も浄化してもらう。魔王の城ってその滞在のために構えている部分もあるんだよ」
「だから、人間みたいに暮らして」
「いやそれは俺の趣味と実益」
趣味かよ!?
一瞬見直しかけたあたしががくっときていれば、シリウスはのほほんと告げた。
「何せみんな形が違うからね、それごとに設備を作るのが大変だから。人間型が一番めんどくさくなかったってのと、俺が小説の中の生活って言うのを体験してみたかったからなんだ」
なんて公私混同だ。
あきれていれば、シリウスは話を戻した。
「まあともかくね、前の魔王からそういう風に聞いていたんだけど、俺の代は一度も来なかった。おかしいなあと思ったときにアウラの話で齟齬があると気づいて、調べてもらうことにしたんだよ」
魔結晶を受け取っていたシュヴァルさんが、あとを引き取る。
「私はシリウスに願われて、姫君へと連絡を取り、彼女と協力体制を敷いて密かに人間界の瘴気の増加について調べを進めていました。そして、アイツベル大司教区が瘴気の増加、および魔獣の増加を引き起こしていることまで突き止めました」
「それって、魔族に直接瘴気を注ぎ込むってやつ!?」
リーリーの話を思い出したあたしが勢い込んで訊ねれば、シュヴァルさんは眉をしかめた。
「その通りです。どうやら、魔獣の増加は戦闘司祭が意図的に引き起こしていたようで。手慣れた様子からしても常習化していたようですね。すでにこちらにまで、被害に遭った同胞が?」
「シュヴァルがよこしてくれた、運び屋の人狼が被害に遭ったらしい。彼はアウラのおかげでなんとか助けられた」
「そうですか」
シリウスは全部わかっているみたいだけど、あたしにはさっぱりだ。
「ねえ、そこまでわかっていてどうして姫様は大司教区へ行ったの!? それって完全に黒じゃないか!」
「聖騎士と戦闘司祭の追っ手がかけられたために姫と直接話すことはかないませんでした。ですが彼女の侍女から預かった手紙には、大司教区で行われていた所行が克明に記されていました」
あれ、シュヴァルさんさらっと言ったけど、聖騎士と戦闘司祭で構成された教会部隊に追跡されて無事だったの。
あたしの村の人ほどじゃないとはいえ、魔の者を専門的に狩る彼らはそれなりに強いのだ。
疲労も傷もあるものの、五体満足で帰ってきていると言う事実にあたしは彼に対する認識を改める。
シュヴァルさんが魔結晶を握ると、淡い光を帯びてほどけて、彼の中に吸い込まれていった。
そうして、荷物から分厚い封筒を取り出し、シリウスに渡す。
うー姫様の手紙なのに!
あたしが今か今かと待つ……ことはなかった。
シリウスは複数枚に書かれていた内容を青銀の目を高速で動かして、ぱらりとめくっただけで読み終えたらしい。
そしてはっきり顔をしかめた。
それはあたしが見たことない、嫌悪の表情だった。
「なんてことをしてるんだ、教会は」
「ねえ、なんて書いてあったの」
シリウスは少し迷うそぶりを見せたけど、ちゃんと見せてくれた。
便せんを開けば、ふわりと姫様の好きな香りと共に、流麗な文字が綴られていた。
目を盗んで急いで書いたのだろう、すこし乱れた筆致で、ただ淡々と書き連ねたそれはあたしの予想を遙かに超えた内容で、吐き気すら覚える。
それなのに、最後にこう書かれていたのだ。
『瘴気の増加はわたくしが食い止めますのでご安心を。念のために、教会の者がくる前に逃げてください。お世話になりました。アウラのことをよろしくお願いいたします』
あたしはぐっと息を詰める。
ああこれが、姫様だ。
ご自分の幸せを考えて欲しいのに。多くの人間が救えるのならば、あっさりと自分を切り捨てる。
シリウスが以前言っていた言葉が、身にしみるようだった。
「姫様……」
「決断は迅速にするべきですが。ところで、この部屋の荒れようを説明していただけませんか」
「そうだ、俺も知りたかった。どうしてまた暗殺しようと思ったんだい」
シュヴァルとシリウスの問いかけに、あたし自分の醜態を思い出して目をそらす。
けれどあれだけのことをしておいて、言わない選択肢はないだろう。
「魔王紋は魔王の証なんでしょ。魔王紋を奪ったあとに、一通り人間界で暴れて衆目の中で姫様に倒してもらえば、明確な脅威もなくなって教会に対抗できる発言権が姫様にできると思ったの」
「君……意外と考えてたんだね」
「あたしをなんだと思ってたの」
ものすごく感心した風にシリウスに言われて、顔をしかめたあたしだったけど。
頭が冷えた今ではもうひたすら恥ずかしいとしか思えなかった。
「もうやる気はないわよ。自分でもどうかしていたと思うし。それなら姫様をさらってきた方がずっとマシな気がするわ」
それで、姫様が納得して付いてきてくれるかは別として。
「お、それ良いかもしれないな」
「はい?」
シリウスに同意される意味がわからなくて、あたしは戸惑ったのだが、シリウスはシュヴァルさんの方を向いていた。
「俺が、うっかり彼女に伝え損ねた結果だから、怒ってくれるなよ」
「……わかりました。それよりも、今後の方針については」
ぴりっとした殺気はシュヴァルさんか。
まあそうだよね、仕えている主君が命の危機にさらされていたってあとで聞いたら複雑な気分にもなる。
今のあたしみたいにさ。
シュヴァルさんの問いかけに、シリウスは迷うような沈黙のあと訊ね返した。
「シュヴァルは、ティアンナ姫のことをどう感じた。人柄と、この行動について」
「前回も言いましたが、聡明であり、公正に物事を判断し、国民のことを考えて行動する良い人物でしょう。それが行き過ぎた結果が今回の行動に結びついたのだと思います」
「姫様は、良くないものは全部自分が背負うから」
そう、だから姫様が聖女ということについても、ごく少数にしか明かさずに、聖女の実態について調べ続けていた。
教会にいなければ、浄化の力が全地域に行き渡らないからと、教会はずっと聖女を囲い続けていた。
でも、教会から浄化の力がきたって話は聞いたこともないし、聖女が教会にいるときもいないときも、魔獣は増加していた。
長年の検証でわかったのは、聖女の力は聖女の周りにしか通用しないこと。
だから、姫様は全国を飛び回って瘴気の土地を、文句も言わずに浄化していたのだ。
ぎゅっと、拳を握っていればシュヴァルさんは淡々と続けた。
「手紙の内容が事実であれば、姫は間違いなく、時間を稼ぐために大聖堂へ向かったのでしょう。おそらくアイツベル国王の元にも同じ内容のものが届けられているはずです」
そう、遠からずアイツベル大司教区は終わりを迎える。
けれど。
「今までの聖女は、一度教会に入ると、一生外には出てこられなかった。それって、浄化の人柱になるってことだ。姫様が死んでしまうなんていや、死ぬよりもひどい目に遭うなんてそんなの絶対嫌だ」
姫様一人で大司教区がつぶれる証拠だ。
確かに人一人で安いと姫様が考えてもおかしくない。
あたしの動機は元から不純だ。
まだ姫様の下に帰れないのに、姫様が手の届かないところに行くなんて絶対受け入れられないのだ。
「うん。わかった。じゃあ姫さんを攫いに行こうか」
シリウスの提案に、あたしは虚を突かれた。




