23 覚悟は何のために必要だ?
扉を開けば、シリウスは行儀悪く長いすに足をかけて床に寝そべっていた。
ごろごろ転がっているうちに、そうなるらしい。
ああ、好都合だ。
ぱたん、と扉を閉めれば、ほぼ完全防音になることをあたしは知っている。
「おー? アウローラか、ってあれ、その格好……!?」
体内魔力活性。足に集中。加速。
のんびりと、ペーパーバックを呼んでいたシリウスの言葉は、あたしの拳によって遮られた。
轟音と共にさっきまでシリウスの頭があった床に、クレーターができあがる。
間違いなく当たる軌道だったが、魔法障壁が生じたことでわずかな間ができたのだ。
やっぱり不意打ちは通じない。
転がるように立ち上がってあたしから距離を取ったシリウスは、焦った調子であたしに言ってきた。
「ど、どうしたんだアウローラ!? 今のは洒落にならないぞ!? と言うかその服と篭手なんだい」
今のあたしはアイツベルを出たときと変わらない格好をしていた。魔獣を屠るために特化した装備である。
そして腕にはめているのは、金色の篭手だ。
有機的な装飾でもかき消せない無骨なフォルム。
二の腕あたりまでを覆うそれの内側には、びっしりと魔法術式が書き込まれている。
「あたし専用の魔導兵装よ。いつもはこれで戦っているの」
「魔導、兵装……?」
「これを使うとさ、当たり所が悪いと、一発で倒せないんだ。無駄に苦しませるし、被害も大きくなるから。姫様付きになってからは拳を痛めないためにしか使ってなかったんだけど」
がきんっと、握った両拳を合わせれば、あたしの魔力を呼び水に、魔法術式が活性化する。
床を蹴った衝撃で、床板が割れる。
虚を突かれるシリウスへ拳を振りかぶった。
「“唸れ”」
起動詠唱を唱えて、シリウスの腹へ向けて全力で振り抜いた。
障壁に阻まれる感触。
けれど、シリウスは障壁ごと、壁の本棚に叩き付けられた。
ただし、本棚は無事だ。
本棚にめり込む寸前で障壁を作り上げるなんて余裕があるのか。
さすが本の虫ってところだろうか。
衝撃でばらばらと落ちてきた本にまみれたシリウスは、今更声を荒げた。
「なにするんだ、アウローラ! ちゃんと説明しろっ」
「姫様が聖女だってばれた。教会に入るらしいって」
「……っ。君、どこで」
シリウスの反応で、あたしはこいつがすでに知っていたことを悟った。
ぎしっと胸の奥が軋む気がする。
たいしたものじゃない。気のせいだ。
こいつらは魔族だ。人間の事情なんか関係ないんだから。
「放置してたのね」
なのに、あたしは恨み言のような言葉を漏らす。
シリウスは困ったように眉尻を下げて口を開いた。
「いや、俺もどう伝えたものかと……。教会に入るんなら、表向きは安泰だ。浄化の力が方々へ行き渡るだろ」
「言い訳は聞きたくない。それじゃだめなんだ。姫様は救われない」
街で噂が聞けるくらいにはすでに聖女の話は広まっている、教会に入っていたら、おしまいだ。
せめて道中、それまでになんとか間に合わせなければ。
そう、多くの人たちが喜ぶだろう。
でも裏では全く違う。姫様だけが割を食う。
「あたしは、姫様を助けなきゃいけない! それこそ」
あんたを、殺してでも。
「アウラっ……!?」
青銀の瞳を見開くシリウスを無視して、あたしは加速した。
時間がない。
いくら防音遮断機能が充実していても、これだけ魔力を使っていれば異変に気づくものが出てくる。
できれば、あんまり、顔を合わせたくない。
ずっと一緒に過ごしてきたんだ、わかる。
シリウスは身体能力も反射神経も普通の魔族とほとんど変わらない。
やっかいなのは、半自動的な魔法障壁と、魔法。
それから驚異の再生能力だ。
たぶん、シリウスの魔法障壁は身の危険を覚えたとたん半自動的に生じるものだろう。
なら、と、あたしは手甲の魔法式を活性化させ、術式を展開する。
「“我が手刀は、大地を分かつ”」
起動文を唱え、あたしは左拳を振り抜いた。
「“切り裂け”」
拳の軌道をなぞるように魔力の刃が襲いかかる。
逃げようとしていたシリウスが、前に手をかざした。
魔力の刃は障壁と相殺されて霧散する。
「なっ」
「“我が拳は、天をも穿つ”」
シリウスの青銀の瞳が驚愕に見開かれる。
「“貫け”」
障壁が展開されるよりも先に、あたしの右拳はシリウスの腹へと吸い込まれた。
ドンッッッッ!!!
重い衝撃音と共に、シリウスは椅子を粉砕しながら飛んで行った。
けれどあたしは舌打ちをする。
普通ならこれで大型の魔獣でも粉砕できる。
だけど相手はシリウスだ。魔王だ。
口から血を吐き出していても、人間の形を保っていた。
一発で仕留めるなんて、考えなければ良かった。
障壁を再構築される前に、二撃を入れればダメージは通る。
謁見の間で学んだとおりだけど、あのときは浄化の宝剣を使っても一撃では無理だった。
なのに今、即死させようと考えるのは慢心に他ならない。
あたしは何をしてでも姫様を救う。
それだけに、集中しろ。
唇をかみしめて、追撃に走る。
シリウスは戦闘に関しては素人だ、はやく、早く決めなければ。
くそ、視界が滲む。
「聞く耳、持たないって、ことだね」
低い声が耳に響いて、ぞくりと背筋が震える。
怒っているとも、悲しんでいるともとれるその声音には、けれど確かに覚悟の色が含まれていた。
回廊を支える柱に叩き付けられていたシリウスが脇腹を押さえながら立ち上がる。
けれど、あたしがもう一撃加える方が早い。
床を蹴り、必殺の一撃を見舞う。
もう迷わない。
青銀の瞳が、あたしをとらえる。
「唸……っ」
「“掌握する”」
厳然たる声音が響いた瞬間、あたしの手甲から魔力の光が消えた。
「!?」
込められていた魔力がすべて奪われたのだ。
シリウスの左腕にある魔王紋が脈動するように揺らめいている。
振り抜いた拳は魔法障壁だけを砕くにとどまり、また逃がす。
落ち着け、あたし。
周囲の魔力が使えなくなることはよくあること。
ただの手甲に戻っても体内魔力は健在だ。
あと一撃、あと一撃ですむはずだ。
足を止めず、よろめきながらあたしから距離を取るシリウスへと飛びかかる。
「“固有領域展開、我が意思にとくと従え”」
シリウスの手が、あたしにかざされた。
「“禁じる”」
絶対的な命令だった。
この空間内を満たしていた魔力が、一斉にあたしへと襲いかかる。
抵抗しても、次から次へと絡め取られていく。
逃がさないように足払いをかけて、そこまでだった。
シリウスを床に蹴倒して拳を振り抜いたところで、がんじがらめにされた体はまったく動かなくなる。
「やっと止まってくれたな。やっぱり君の拳は痛いぞ……」
「なん、で……」
脇腹をさすりながらも、上半身を起こし、いつもと変わらずのほほんと言うシリウスに、あたしは声を絞り出す。
この数ヶ月くらして、わかったと思っていたのに、こいつの思考がまったくわからなかった。
怒りなのか、いらだちなのか、おびえなのかわからない。
「何であたしを殺さない!? 慈悲のつもりか!?」
「だって君、本気じゃなかっただろ」
「なっ」
あっけらかんと言われて、がっと頭に血が上る。
だけど、その前にシリウスの手が頬に伸びてきた。
痛みに顔をゆがめながらも、へらりと笑う。
「それにな、そんな泣きながら殴りかかってこられたら、気にならない訳がないじゃないか」
ぼろ、と目尻から雫がこぼれる。
指摘されて、初めて自分が泣いていることに気がついた。
静かな青銀の瞳には、あたしの無様な泣き顔が映っている。
うそだ、今は戦闘中だ。
こんなこと、今まで一度もなかったのに。
悲しくても、どんなに苦しくても、手を緩めるなんてことはあり得ない。
「ちがう、あたしは姫様を助けるんだ。何をしてでも、だから、だから悲しくなんてない、お前は魔族なんだ。犠牲にするのだってなんてことないっ!」
なのに、涙はぼろぼろあふれ出す。
知ってる。もうわかってる。
魔族は人間と全く生き方は違うけど、笑ったり泣いたり誰かを大事に思ったりするのはおなじで、狩るものとはもう思えなくなってしまっていた。
もう、同じように魔族を倒すことはできない。
あたしの涙をぬぐいながら、シリウスは、穏やかに言った。
「なあ、アウローラ。そうやって、誰かのために頑張るのは悪いことじゃないけどさ。自分を殺してまでやるのは、しんどくないか」
思い知ってる、苦しいよ。つらいよ。でも。
「じゃあ、どうしろって言うのよ! このままだと、姫様がっひめさまがっ」
「うん、だから。君は、どうしたいんだ」
幼子に問いかけるような、単純明快な問いかけに、あたしは瞬いた。
シリウスの青銀の瞳は、茶化す雰囲気もなくて。
ただまっすぐあたしを見ていた。
「姫様のため、じゃなくて君の気持ちはどうなんだ」
自分のことなんて、考えたことはなかった。
だってあたしは守られるべきものを守れと、そう言われて、姫様にお仕えするようになってからは、ただ姫様のためになることを考えて。
そんな、自分の気持ちだなんて人間みたいなことを、考える必要なんかないと教えられて、自分でも思っていたのに。
でも、でも。
魔族だって自分で考えて、自由に選択していた。
今更言われたってそんなのわからない。
けど、勝手に言葉はすべりだす。
「あたしは、姫様の笑顔が見たいだけなんだ。そうしたら、あたしも心が温かくなるから。それだけしかいらないと思ってた」
「うん」
「なのに、お前を殺したくないって思うあたしがいて」
あたしは間違いなくこいつを殺そうとした。
こんな、虫の良いこと言ったって意味がない。
握りしめていた拳が、ぱったりと落ちた。
もう、魔力の拘束はない。
恥ずかしくて、苦しくて、あたしは顔を覆って、抑えきれなくなった嗚咽を漏らす。
「ごめんなさいっ……」
ぐしゃぐしゃに引き潰されたような胸の痛みに耐え切れなくてその場に崩れ落ちた。
どちらに対しての謝罪が、自分でもわからなかった。
不意に、シリウスはあたしの体を引きよせた。
意外と暖かい胸に体を預けることになって、戸惑う。
けれど、背に回された手は、まるで子供をあやすように優しいものだった。
「いいよ。許す」
「そんな簡単にっ」
高ぶる感情のままに顔を上げれば、シリウスの青銀の瞳と目が合った。
「アウローラ、俺は引きこもりだけどさ、魔王だよ。だから俺が良いって言ったら良いの。そんで、今は君も魔王だ」
いつもののほほんとした雰囲気は変わらないけれど、どこか引きしまった表情でシリウスは続けた。
「だから魔王らしく、どっちも掴もうよ。君が言ってくれるなら、俺は俺のできる範囲で協力するよ」
あっさりと言い切ったシリウスに、涙が引っ込んだ。
「最後でへたれたわね」
「うっ、だって俺できないこと多いし」
たちまちいつもの調子に戻るシリウスに、悔しいけれど、ほんの少し安心した。
彼はちょっと目を泳がせていたけれど、ぽんぽんとあたしの背中をなでながら続ける。
「まあともかく。俺たちは今二人で魔王なわけだからさ、迷ったり悩んだりしたら相談して決めるのが良いと思うんだ。それで、俺は君が姫様を助けたい、って言うのなら協力しても良いと思う。魔族たちにも少なからず影響があるみたいだから」
「なんで、そこまで言うのよ」
たかだか、ひと月ちょっとのつきあいなのに。
しかもこいつにはかなりひどい対応しかしていないはずだ。
するとシリウスはきょとんとした。
「え、だって俺アウローラのこと結構好きだよ」
「はあ!?」
「だって辛辣だけど俺の趣味を笑わなかったし、一生懸命できるようになろうと打ち込む姿は尊敬できるし。俺あんまり運動しないから、バク転とかまねごとしかできないし、すごいよなって思うし」
「あんた馬鹿って言われない」
「よく言われる……いつもの調子が戻ってきたな」
あたしが真顔で言えば、ちょっとうれしそうに返されてうっと言葉に詰まった。
「君はそれくらい快活な方がらしいよ。まあでもさ、同じ屋根の下に暮らした者同士、助け合うのは当然じゃないかな」
ごく自然な調子で告げられたあたしは、告げられて、あたしはどっと肩を落とした。
ああもう、これはだめだ。なんかだめだ。
のらりくらりとしたただのヘタレだと思っていたのに。
たぶん、懐に入れた者は誰にでも同じことをするのだとわかってしまった。
あたしのようなやつにも平然と、何度でもさしのべて、とことんまで守り抜く。
姫様とも、アイツベルの国王陛下とも違うけれど、こいつはこいつで紛れもなく王なのだ。
認めるのは、めちゃくちゃ癪だけど!
「まあこれが終わったら、友達くらいに昇格してくれるとうれしいんだけど」
はにかみながら告げられたあたしは、シリウスの顔をぎっとにらみつけた。
ここまでされたら、こう言うしかないじゃないか。
「姫様を助けるために協力しやがれ」
「まさかの脅迫!?」
おののくシリウスは、やっぱりどこまでも変わらなかった。
 




