2 ヘタレ残念のほほん魔王
『魔王降臨、か。教会もたまにはまともな仕事をしてくれる』
この声は、アイツベル国王陛下のものだ。
為政者としてふさわしく、威厳のあるお声だ。
けれど、その声音にはどこか疲れと焦燥が感じられる。
あのときの記憶か。とあたしは気づいた。
なら次に聞こえるのは、
『お父様、もう、隠してはならぬと思います。聖女は浄化のための礎。わたくしに覚悟はできております』
『ティアンナ……』
鈴を転がしたような、玲瓏とした姫様の声だ。
目の前にいらっしゃらなくったって姿は脳裏に鮮やかだ。
黄金の髪は波打ち、緑の瞳は春の新緑のよう。
愛らしくも美しい顔立ちは優しくて、実際とっても優しくて、でも強さを併せ持った素敵な方だ。
今も、きっとりんとした表情を浮かべてらっしゃるのだろう。
あたしは隣の部屋に控えて聴いていた。
『だめだ。教会にお前を託すには』
『わかって、おります』
そうだ、教会はだめだ。聖騎士にはまだマシなやつはいるけど、浄化司祭とか最悪だもの。
『ですが! 国内に魔獣の目撃件数も被害も、かつてなく増加しているのも事実でございます。わたくしが教会に入ることで民の不安をぬぐえるのであれば、王族としての義務を果たすことになりますまいか!』
姫様の覚悟のこもった声に、あたしはぎゅっと紺のスカートを握った。
まっすぐに、ひたすらあたしたち市井の人間たちを想って、行動に起こそうとしてくれる。
こういう姫様が好きなのだ。
普段、泰然とした態度を崩さない陛下に、くやしげな声音がにじむ。
『あと少し、あと少しであるものを……。魔王さえ居なければ』
だからあたしは決意したのだ。
今までのご恩を返すために。姫様を守るために。
そうだ、魔王を暗殺しよう。
*
意識が浮上し、白銀の髪が視界にちらついた瞬間、あたしは拳を繰り出した。
「うふぉあ!?」
残念ながら腕は全く動かなかったが、人間顔の魔王は間抜けな声を上げつつ飛び退いた。
くっそう、せっかく姫様の夢を見られたのに台無しだ。
そんなことを考えている間に、勢いほんの少しだけ持ち上がった体は、ぽふんっとベッドに戻る。
そう、ベッドなのだ。
あたしが寝かされているのは、豪華とも呼べる天蓋付きのもので、手は頭上の柱に布を使って縛り付けられている状態だった。足も似たようなものだ。
だがおかしい。なんでこんな普通の部屋にいるんだ、良くて牢屋か拷問部屋だと思っていたのに。
あたし、魔王の暗殺未遂をしたはずなのに。
拘束されているとはいえ、これじゃまるで客間じゃないかと混乱していると、違う男の声が聞こえた。
「シリウス、腕を拘束した理由が分かりましたね」
「……シュヴァルの言うとおりだったですはい」
白銀の魔王の傍らに、もう一人男性がいた。
年の興は50代後半くらいだろうか。なでつけられた栗色の髪に白髪が交じり、しわの目立つ顔には理知的な表情を浮かべている。
完全な人間に見えたけど、上等な軍服のような服の背から、主張するようにふさりとしたしっぽが見えた。
この人がシュヴァル、と呼ばれた魔族だろう。
白銀の魔王を見る前だったら、こっちを魔王と思っていたかも知れない。
なのに、少なくとも表面上は、全く殺気も害意も感じられなかった。
あたしがしたことを思えば、この反応はおかしすぎる。
「あーえっと君、いいかな」
遠慮がちに声をかけてきたのは、白銀の魔王だった。
謁見の間で見た壮麗な服の心臓のあたりに、あたしの短剣が突き刺さった穴が空いているから間違いない。
くそう、もう治ってやがる。
人間の顔になった魔王は、意外と若かった。だいたい20代後半くらいだろうか。
竜頭の名残と言えば、頭頂部に生えた二本角くらいなものだ。
よく見れば整っているのかもしれないが、内面がにじみ出ているせいか、城のメイドたちが見ても相手にしないか良くても財布にされるだろう。
気のせいじゃなければ、謁見の間で覚えた膨大な魔力の圧力も感じない。
と言うかあたしにとっては妖精のように愛らしく美しい姫様以外は路傍の石と変わらない。
当たり前のようだが、今は竜頭だった時の威厳は皆無で、服のサイズも合っていないせいか情けなさが倍増しになっていた。
「同一人物?」
あ、やべ声に出た。けど、魔王はへらりと笑いながら頭をかいていた。
「いやあ、レブラントが『はじめが肝心なのです!』って言うもんだからさ、初めて会う子の前では半分本性にすることにしてるんだ。あれ疲れるし不便なんだけどなあ」
いや、そっちじゃなくて口ぶりのほうだったんだけど。竜頭はまさかのファッションだった。
ただ、あたしの驚きを正確に理解したらしいもう一人のほうが付け足した。
「シリウスはこちらが素ですよ、お嬢さん」
とがめるでもなく、さらりと肯定されてあたしは絶句する。
ちょっとはイメージというものはあったんだ。
魔王と言えば、凶暴で凶悪な魔獣を操り、人間界を蹂躙する魔獣の王だ。
おとぎ話でもその恐ろしさは語り継がれている、
竜頭の時はまさにー!という感じであたしも若干テンション上がった。
だって強い方が殴りがいがあるじゃないか。倒しても罪悪感がないし。
けれども、それが仕事仕様で、実際が平々凡々としたへたれ臭漂うのほほん魔王だなんて誰が思う!?
がっかりだ、いろいろ裏切られた気分だ。
あたしが衝撃を受けていれば、のほほん魔王は、わざとらしく咳をすると言葉を続けた。
「ええとこういうときって、自己紹介から始めるんだよな。俺はシリウス。一応この城で魔王やってる。んでこっちが相談役のシュヴァルだ」
魔王……シリウスの口ぶりは、妙にはにかみが混じっていた。
まるで女慣れしてないみたいな。
というか、わざわざ殺そうとした相手に自己紹介するなんて頭大丈夫なのだろうかこの魔王。
あたしが目を点にしていると、魔王は期待に満ちたまなざしを向けてくる。
明らかにあたしが名乗ることを期待している風だけど、誰が名乗るか。
よし、おーけー落ち着けあたし。
魔王があたしが思っていたよりもめちゃくちゃ残念なのはよくわかった。納得しよう。するしかない。
とはいえ、あたしの目的は変わらない。
なんとしてでもこいつを殺さなきゃいけないんだ。
アイツベルのために、何より姫様のために。
仲良しごっこなんてするものか。
「きみ、どこからきたのかな。出身は」
「……」
「どうやって、ここにやってきたんだい? ここ魔界だよ? 比較的人間界に近い場所にあるとはいえ、魔界の魔力はしんどいだろうに」
「……」
「きゅ、求人広告に応募してきたのは魔王城に入り込むためだったのかい?」
「……」
「ええと、じゃあどうして俺を、暗殺しにきたのかな」
「……」
「…………すまん、シュヴァル。代わってくれ。心がつらい」
いや折れるの早くないか。
無言を貫いただけで涙目になって落ち込む魔王に内心あきれてツッコミを入れていれば、魔族が穏やかに言った。
「シリウス、彼女から聞く必要のあることは、それほどないんですよ」
「えっまじ?」
「あなたの対人スキル向上のために放っておきましたが」
「スパルタだった!?」
部下にすら遊ばれている魔王を気にする余裕はなく、あたしはシュヴァルと呼ばれている男をにらみつける。
あたしの視線を綺麗にいなした彼が取り出したのは、あたしが魔王に突き立てた短剣だった。
「これはアイツベル王家で保管されている宝剣です。二本とない特別なもの。そして、瘴魔の森に住まう魔族から、数日前に疾走する人影を見たとの報告がありました。背格好からして間違いなく彼女でしょう」
「え、この子あの瘴魔の森を抜けてきたの!?」
魔王がやたらとびっくりした顔をしていた。
森の向こう側に出たのは初めてだけど、昔は何度も入り込んだことがあるからたいしたことじゃない。
アイツベルと魔界を隔てる瘴魔の森は、ただ瘴気と魔力が濃くて、魔獣がたくさん出るだけなんだから。
十分に注意していたつもりだったけど、早く抜けることに注意していたせいで、視線を無視したことは悔やまれた。
「え、でもあの短剣、浄化の力が宿っていたぞ。教会にはまだ聖女いないし、人間界に聖女はまだ見つかってないっていってたじゃないか。とはいえこの子は聖女じゃないし……」
「おそらくアイツベル国内で秘匿されているのでしょう」
何でそこまでばれているんだ、何も言っていないのに!?
あたしがだらだらと冷や汗をかいていれば、白銀の魔王が不満そうにいった。
「じゃあ、魔界領に聖女をよこしてくれたっていいのになー」
「姫様をこんな場所にお連れするものか!」
「ふぉわ!?」
魔王の言葉に思わず怒鳴ったあたしはさっと青ざめた。
しゃべってしまった。
「なるほど、聖女はアイツベル王女でしたか」
聞き逃してくれなかったシュヴァルの念押しに、あたしはベッドに寝そべったまま歯がみする。
姫様のことになるとすぐ熱くなってしまうのはあたしの悪い癖だ。
ごめんなさい、陛下、姫様。
よりにもよって人類の天敵である魔王にばらしてしまいました。
あとはもうこれ以上余計なことをしゃべる前に、舌をかむしか。
「えーと、そんなに思い詰めないでくれるとありがたいんだけど。と言うか俺は君をどうこうする気ないからね?」
「……は?」
あたしが再度絶句していれば、魔王はさらりと続けた。
「だって君。狙ったの俺だけだろ? レブラントもガーくんもゴイルちゃんも殺そうと思えばできたのに、しなかったからさ」
「あたしはあんたを殺そうとしたんだぞ!?」
「うん。だから何でかなってさ」
命が狙われているにも関わらず、まったく問題にしていない魔王に、あたしは湧き上がる怒りと苛立ちに任せて叫んだ。
「よくぬけぬけと言えるな! 瘴気で侵した魔獣でアイツベルを侵略しようとしているのはお前だろう!? たくさんの人間が故郷を蹂躙されて、多くの人間が死んで、姫様が悲んだ! 魔獣さえ増えなければ、姫様は聖女にならないままで生きて行けたのに。お前が人間界を侵略しようとしなければっ」
「い、いやいや!? 俺百年引きこもってるけど魔獣なんて増やしてないぞ!?」
「……は?」
ひきこもり?
魔王の言葉を理解することを、頭が全力で拒否していた。
「う、嘘をつくな」
「嘘じゃないって、俺むしろ人間の国には是非生き残ってもらわないと小説が読めなくなるからすっげえ困る!!」
あたしが弱々しく言い返しても、魔王は異様な熱意に飲み込まれた。
「いいか、人間は大変素晴らしいんだぞ。特にここ80年くらいの娯楽小説の充実は最高と言っても過言じゃない! 俺には続きが楽しみで仕方ない作品が数えられないほどあるんだ! むしろ人間界に移住したい! そして作者様がたの素晴らしき創作物に一日中耽溺したい! そもそも滅ぼすなんて何それ怖えよ!」
な ん だ そ れ !?
拳を握って振るわれる熱弁の情けなさに、あたしは戦慄した。いやドン引きした。
さらに恐ろしいことに、別段驚いた風もないシュヴァルが口を開いた。
「そもそも、魔王は瘴気を抑える役割を持つ存在です。魔界に充満する瘴気をその身に集めていますからね。私たちも魔獣にはかなり手を焼いていましたが、シリウスが魔王になってからは、この地域での魔獣被害は激減したのですよ」
あたしは穏やかにつむがれる言葉に混乱していた。
だって、魔獣は瘴気に侵されると暴走するもので、上位種族である魔族と魔王が瘴気をまき散らしているから、人類の敵なのだと、ラウディス教会では教えている。
あたしも、魔獣と魔族は倒すべき存在だって村長様から教わったのだ。
「じゃ、じゃあ、アイツベルに出現してる魔獣はなんなのさ!」
「おおう、人間界も大変なのな。魔獣って瘴気で濁ると暴走するじゃないか。受肉していない魔物も現れるし、魔界でも困ってるんだよね。聖女がいても瘴気が浄化しきれないんだったらこっちにこれなくてもしょうがないよなぁ」
「さっきから何言ってるんだよお前ら!」
しみじみ言う魔王に、声を荒げる。
あたしは腹の底から湧き上がるのは、常識ががらがら崩れる恐怖だ。
難しいことはわからない。
でもこいつらが嘘をついていないようだ、というのはなんとなく分かってしまった。
だって、こんなベッドに寝かせて、拘束する手首ですら鎖ではなく柔らかい布なのは、たぶんあたしを傷つけないためだ。
それにあんまり考えるの得意じゃないけど、思い出せ。陛下たちはなんて言ってた?
「……ねえ、魔王」
「シリウスだよ」
「お前は、ほんとうに100年間ひきこもってたのか」
「……改めて人様から聞くとすんごく胸にくる」
胸を抑えてうずくまられても姫様以外はかわいくないというか地味に気色悪い。
ああ魔王だったか、ならいいや。
「ええ、シリウスが魔王となったのは約100年前です。あなたの口ぶりからすると、アイツベルで魔王が確認されたのは、ごく最近のことですね?」
シュヴァルの言葉に、あたしは不承不承うなずいた。
教会が魔王の出現を発表したのは1ヶ月前だ。魔獣が急激に増加したのも3ヶ月前。その前からずっと居たのなら時期が合わない。
「彼がアイツベルへと侵攻することだけはありませんよ。魔王を倒したとしても、また新たな魔王が現れるだけです。このように人に友好的な魔王であるとは限りませんから、あなたがたが困ることになります」
ああ、分かる。分かってしまった。少なくとも、アイツベルを苦しめる魔獣が、この魔王が原因ではないってことは。
殺せたとしても意味がなかった。
全くの早とちりだったことに虚脱と羞恥を感じながらも、あたしは次の行動について考え始める。
なら、姫様のもとに帰らなきゃ。
姫様は今でも心を痛めている。また別の方法を探さないと。
魔王が瘴気も魔獣も生み出してないらしいとお教えしたら、姫様の役に立つかも!
うんよし、失敗はしたけどなんとかなるかも知れない。
あたしがうきうきと算段をつけていれば、魔王がええと、たしかシリウスと言ったか。
彼が神妙な顔をしつつ口を開いた。
「それでね、ここからが本題なんだけど」
改まった口ぶりに、あたしは表情を引き締めた。
この魔王も魔族も、油断ならないけれどどうやらずいぶん平和的だ。
だって殺そうとしたのにあたしのこと処刑しようとしないし、そもそも抗議する気もないみたいだから、うまくすれば、アイツベルに帰れるかも知れない。
じゃなくても絶対帰ってやる。
あわよくば姫様になでてもらうのだ。
けれどその空想は、見るも無惨に打ち砕かれる。
「君も、魔王になってるみたいなんだよ」
へらり、と全く困ってない顔で、魔王シリウスはとんでもないことをのたまった。
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