10 作業中の私語は時として有益
シリウスが集中をしはじめると、お互いの手の甲に、あの黒い魔王紋が浮かび上がった。
右手から肩にかけてなめるように熱くなる。
もぞもぞするけどいやな感じではなくて、くすぐったいと言うのが近いか。
入れ墨全体に広がった、と思ったら手の中に収束していく。
ころん。と敷布に転がったのは、あたしの小指くらいの結晶だった。
水晶のように透明だったけど、その中ではきらきらとした魔力が淡くきらめいている。
「うわっほんとにできた」
自分からこんな固いモノが落ちるなんて、と軽くショックを受けていれば、シリウスがはらはらした顔であたしをのぞき込んできた。
「大丈夫かい!? 痛かったり気持ち悪かったりは、疲れとかはないか!?」
「いや、一切全く」
「そうか……よかったあ」
あんまりに必死なシリウスに飲まれて、素直に言えば、彼は、心底ほっとしたように息をついた。
「なによ、そんなに危ないものなの?」
「いや、俺の時はこんなに精製が早くないし、作るごとにめちゃくちゃしんどいからさ。君に負担がないようでほんとよかったよ」
そういえば、さっきシリウスが自力で魔結晶を精製していた時は、砂粒だったのにすごく苦しそうな顔をしていた。
「ねえ、あんたが魔結晶作るときって、どんな感じなの」
「うーん、言葉にしづらいんだけど、水の滴る雑巾をぎゅっと絞ってる感じかなあ。あんまり楽しいもんじゃないよ」
シリウスはへらりと笑ったけど、わずかにこわばった表情で大体のことは察せられた。
「というか俺、精製がこんなに楽なのはじめてだよ! こんなに大きいのがこんなに簡単にできるなんてやっぱり君のほうが魔王向いてるんじゃないかな!」
「却下」
ただ、シリウスは喜色を浮かべて迫ってくるのをノータイムで切り捨てれば、がっくりと肩を落とした。当たり前だろうが。
「んで、どれくらい作るの。さっさと終わらせましょ」
再び、小指を差し出せば、シリウスの目があからさまに泳ぎだした。いったいなんだ。
「俺も瘴気をだいぶため込んでたし、念のために三日分くらいは精製しときたい。んだけど」
「だけど?」
「いつもは一時間やって休憩してってのを繰り返して丸一日だったもんで、時間が全然読めないんだわあはっはっは……睨まないでくれ怖い」
その一時間ごとに休憩して、と言うのが何のためか、察せられないほど鈍くはない。
ただ、それに思い至ってどんな顔をしたらいいかわからないでいるだけなのに、シリウスはあたしが怒っているとでも勘違いしたらしい。
シリウスが言い訳するように言葉を重ねてくる。
「じょ、徐々に瘴気の量を増やせば短縮できるかもしれないし! ただ、それの検証にも時間がかかるわけで、悪いけどもうしばらくは付き合ってもらわないといけないわけで」
「別にかまわないわ。あたしには全然負担がないから、続けてちょうだい」
待機することには慣れてる。
極寒の雪の中で丸一日息を潜めるよりは断然楽だ。
「じゃあ、やるけど。今更だけど仕事は大丈夫だったか? レブラントに連絡しとくけど」
シリウスはあたしを拉致同然に連れてきたことをようやく思い出したようだ。
自分が雇い主なのに妙なことを気にするよなあと思いつつ、あたしはどう答えたものかと悩む。
だって完全に弱みのような部分だし。自分から明かすには決まりが悪すぎる。
「この三日のこと。ほんとに何も聞いてなかったのね」
そうじゃなきゃこんな風に気楽に話題にすることもないだろう。と思っていれば、シリウスは不思議そうな顔になる。
「ハンナからお前がまじめにやってる、って聞いてたから心配してなかったんだが、なんだ。同僚からいじめられでもしたか」
「あたし窓割って床燃やして、洗濯物引きちぎったあげく、階段磨きすぎてレブラントさん転ばせたんだけど」
「すごいな君!?」
「何でそうなるのよ。あたし任された仕事を何一つ満足にこなせなかったのよ。役立たずもいいところだったわ」
自分で言っていてすごく悔しくて情けない気分になったけど。
なのにシリウスはよくわからない、とでも言うように眉をひそめた。
「朝しっかり起きてきちんと働いて、できなくてもあきらめないのはすごいと思うぞ。あのレブラントにしかられてもめげてないんだろう」
「仕事だし、それが当たり前でしょう。できなければあたしに価値はないわ」
何を言ってるんだこいつは。と言う目で見ていたと思う。シリウスはなんだか困ったような寂しそうな顔をした。
「もしかしてさ、俺の言うこと素直に聞いているのは、それが理由?」
図星を指され、あたしは顔をそらして空いている左手でエプロンを握った。
挽回しなければとは思っていたし、あたしも何か役に立てるんだって証明したかったのもある。
なのに魔王にまで見抜かれたあげくこんな無様な姿をさらしては、姫様に顔向けができない。
黙り込んでいれば、シリウスの言葉を探すようにゆっくりとした声が降ってきた。
「俺なあ、できないことがあるとすぐにあきらめるぞ。朝早く起きるのをあきらめたし、瘴気を集めるようになってからは、外に出るのもめんどくさくなった。会える人も限られたから、一人でいることにも慣れたし、魔王らしくするのもあきらめた。まあそれは、向いてないのもあるけど」
「聞けば聞くほど情けないんだけど」
「自分でもそう思う。魔王になってなかったらのたれ死んでたんじゃないかな」
堂々とヘタレを肯定するシリウスにあたしは白い目を向けたのだけど、彼はさらに続けた。
「だからな、君みたいにできなくても、別のできる仕事を探そうとする姿勢は、すごいと思うんだよ」
シリウスの、茶化す気配なんて微塵もない言葉に、あたしは言い返す言葉を見失った。
なんでこの魔王はあたしにこんなこと言うんだろう。自分のほうが大変なくせして。
そんなの戯れ言だって思う。
あたしは役に立たなきゃ意味ないのに。
「もう無理よ。レブラントさんにあきれられてるもの」
「俺にはよくわかんないんだが、うちは自分からやめると言わなければ魔王城で働いてていいんだぞ?」
「何その無駄」
「いやあ、俺は別にここにいる必要がなくなるまで自由に暮らしてていいと思うんだけどな。それじゃあ魔王城が荒れるっていうんで、レブラントが仕事を割り振ってるだけだし。できないやつをいかに使うか考えるのが楽しいんだってさ」
「はあ!?」
魔王城のゆるゆるな制度にも驚いたけど、レブラントさんの一面にあたしは思わず声を上げた。
全然そんな風には見えなかったぞ!
絶対あたしのこと大っ嫌いって顔してた!
「できなくても将来に期待してるんだってレブラントは言うけどな。できることが見つかるまであいつはとことんまでやるぞ。今のあいつは燃えに燃えてるはずだ。俺もあいつにあきらめてもらうまで、どれだけの時間が費やされたか……」
「うわあ……」
哀愁を漂わせるシリウスに、あたしは顔を引きつらせた。
いちおう長いつきあいらしいから、誇張はあれど嘘ではないだろう。
こいつのぐうたらぶりを見てみれば、やる気にさせるのがいかに困難かくらい火を見るくらい明らかだ。
ありがたいけど、めんどくさい。
とってもめんどくさい。
「今のうちにな、一応できること的なの見つけといた方がいいぞ」
シリウスの本気の忠告に、あたしは考え込んだけど、あれしか思いつかない。
「でも、紅茶を淹れられるって言っても、一刀両断したわよ」
「あいつも突拍子もないからなあ。意図はわからないけど。というか、君、お茶入れられるの!?」
「……あたしがただ殴るだけが取り柄だと思っているような口ぶりね」
「いや君には命の危機を感じてばかりだし」
心底驚いた顔をするシリウスにむっとしたけれども、自分の行動を思い返してみれば確かにそうかもしれない。
むー数少ない取り柄だというのに。
姫様にも褒めてもらった魅惑の絶技だぞ。
だが証明するすべがないので黙り込んでいれば、するりと小指を離された。
顔を上げれば、立ち上がったシリウスに、興味津々といった感じで見下ろされていた。
まだそれほど時間はたっていないはずだけど、どうしたんだ?
「お茶っ葉も茶器もあるから淹れてみてくれよ。まだ時間もあるしさ」
シリウスが促す方向を見てみれば、別室へ続くらしい扉があった。
こういうところには必ずつきものの給湯室なのだろう。
いちおう今はこの城のメイドだし、雇い主に願われれば、やるけれども。
「ねえ、あたしに毒殺されるかもとか考えないの」
「え、やるの!?」
「やらないけど」
「そっかあ……」
即座に及び腰になったシリウスが、あからさまに肩の力を抜くのにあきれたけど。
「まあ、俺は君と話ができるだけで嬉しかったりするよ」
「ずいぶん寂しいわね」
「君が正直すぎて泣きそうだ」
それでも、まあ、その言葉が本心からくるのは、わかる。
あははと苦笑するシリウスに、背を向けてあたしは給湯室へ向かった。
姫様じゃあないけど、ちょっと気合いを入れて淹れてやろうか。




