行商人
そんなアトセ村に小さな変化が起こった。山を越えて行商人がやってきたのである。来訪者の噂はすぐに村全体に行き渡った。人数の規模がそれほど多くない村落であること、こんな辺鄙な村にやってくる人が少ないことに加え、各地を転々とする行商人や旅芸人のもたらす情報はは村にとって何よりも貴重な情報源であり、娯楽であった。人一倍村の外が気になるエメは来訪者を渇望しさえしており、行商人の顔を一目見ようとする村人がいなくなるのを見計らって話を聞きに行った。
行商人の周りに人がいなくなったのは、村のあちこちで松明がつけられるような時になってからだった。村の外は夕暮れ時でまだ明るいが、大樹の葉に夕陽を遮られる村の中は途端に暗闇が増してくる。行商人もこれ以上は商売ができないと露店を片付け始めた時だった。
「こんにちは、お兄さん。まだ品物を買ってもいいかな」
背中を向けていた行商人が振り返る。短い髪に長い鉢巻をつけた青年だった。手には植物が植えられた小さな鉢を持っている。背はエメよりも頭半分ほど高い。松明の色が邪魔で髪の色はよくわからなかった。閉店直前になって訪れた少女に対して眉をひそめることもなく、行商人は鷹揚に笑みを浮かべた。
「ああ、いいぜ。何を買う?」
エメは露店に並べられた商品を順々に見ていった。並べられているのはハーブだ。普段の食事でも使うようなものから、見たことないものまで多種多様なハーブが取り揃えられていた。
「よかった。ローズマリーとディルを切らしてたのよね。そこの2つを下さい。あと右端の細長い真っ赤な実が生っているのは何かしら? 見たことない」
「それはトウガラシってやつだ。食べると口から火が出るように辛くてな、北の国ではスープに入れたり、魔除けにも使ったりする」
「食べ物を魔除けに?北の国はそんなことするの?」
「魔物の被害が少なくなるんなら魔除けでも祈祷でもなんでもやるさ。トウガラシはヘタの部分に紐をくくりつけてな、鈴なり状にまとめたモンを軒先に吊るすんだ。その習慣を知らない奴が北の国を訪れたら大抵ビックリする。これの味を知らない飢えた泥棒は余りの辛さにビックリする」
行商人がニヤッと笑った。どんな人なんだろうと思っていたエメだったが、冗談を言って親しみやすさを出してくれて安心した。
「俺の名前はヘルバって言うんだ。嬢ちゃんの名前は?」
「エメって言うの。ヘルバさん、どうしてこの村に来たの? 馬車だとここまで来るのに苦労したでしょう」
「商人は儲けの匂いがするんならどこでも行くってな」
「でも、この村に商人が来るのなんて半年に一回あるかないかなのよ? 周辺の街にもこの村を知らないっていう人は大勢いるのに」
「そりゃ、ここに来ない商人は鼻が効かない、来る奴は鼻が効くって話だ。確かに麓の街から片道一週間もかかれば普通は行かない。食い物代だけで馬鹿にならないからな。ただ、それを差し引いても来る価値はあると思ったわけだ。端的にいうと商品のはけやすさと仕入れだな」
「どういうこと?」
「例え行商人が商品を仕入れたとしても売れなきゃ意味がない。訪れた街で簡単に手に入れられるものなら誰も商品を買わねえからな。その点に関してはこの村は文句ない。来ればほぼ商品を捌ける」
「商品が飛ぶように売れるっていうのはなんとなくわかるわ。小麦とか野菜とか山の中だと採れない必需品がいつだって不足してるもの」
一旦言葉を切ってエメは商品棚を見やった。来て1日目だというのに売り切れとなった商品がかなり多く見受けられる。売れ残っているのは、料理に滅多に使わないような癖のあるものだったり、トウガラシのような説明を聞かないと用途がわからないものが多かった。ローズマリーなどを買えたエメは運が良かったのだろう。2日目に来ていれば買えなかったに違いない。
「でも、仕入れって言うのは? 自慢じゃないけど、この村の特産品って言ったら木くらいしかないのよ?」
「なんだい、聞いたことないのか? この村の近くで採れる薬草、正確に言えば薬になるのは花弁なんだが、それが命紋病に効くことがわかったらしくてな、それの調達しに来たんだよ」
「それは本当なの? 病に効く薬なんて存在しない、病を治すことができるのは聖贖者だけって聞いたんだけど」
「あー、そいつを煎じて飲めば病が治るわけじゃないんだ。ただ、飲めば病の進行を遅らせる事ができる。聖贖者は各地を放浪してて、すぐに治療してもらえるわけじゃないからな。近くの街まで使いをだしてとっ捕まえて来るまでも、治療中の時間稼ぎにも重宝するはずだ」
「そんなすごい薬草がこの村の近くに?」
エメの幼馴染には薬師見習いもいるが、彼からはそんな貴重な薬草が村の近くに生えているなんて聞いたことがなかった。いや、でも才能はあってもやる気のない彼は村の周辺情報に無頓着だ。そもそも耳にしていない可能性もある。今度会った時に聞いてみようとエメは思った。
「だからだよ。まだそのことを知ってる奴は多くない。今のうちに仕入れルートを確保すれば大儲け間違いなしだぜ」
「ヘルバさん、悪い顔してる」
「へっへっへ。そう見えるか?」
彼はエメに指摘されると口をニンマリと曲げて更に悪役の顔を浮かべた。さっき受けた印象は冗談が好きな好青年という風だったが、案外イタズラが好きな人なのかもしれない。
「そんなこと村の住人である私に喋っちゃっていいの? お金になるなら村独自に薬草を確保すると思うんだけど」
「そこに関しては心配すんな。ぼったくるつもりはない。村の薬士に商談を持ちかけて俺も村も利益が出るようにするさ。またここを訪れたいしな」
「訪れたい?」
「ああ、一度この目で村の景色を見てみたかったんだ。酒飲み仲間にここを知ってる奴がいてな。大樹の壁は壮観だから生きてるうちに一度は見とけって言われてな。実際来てみたが、奴の言葉に偽りはなかった。こりゃすげえわ」
「そうなの? この街以外にも壁のある街ならいくらでもあるでしょうに」
「石造りの壁ならな。こんな巨大な樹が連なってできてる壁なんて聞いた事ねぇな。なんていうか、この世のものとは思えねぇくらいに神秘的な光景だよ。一度みれば十分だと思ってたが、何度でも見てえな」
そんな感想を持つ人もいるのかと、エメは思った。彼女にしてみれば、世界と自分とを隔絶させる障壁だったからだ。魔物から自分たちを守ってくれる頼もしさを感じることはあったがどちらかというと忌々しさの方が優っている。
「ヘルバさんは各地の色々な景色を見たことあるの?」
「おうとも。なんせ行商人になった理由が世界の面白い景色を見るため、だからな。嬢ちゃんはそういうのに興味あるのか?」
「うん。私、村の外に出た事がないから。憧れは強くても」
「確かにこのフォール大陸には面白いものが沢山ある。白亜の宮殿が美しい至聖院本部、一年中溶けることない霊峰トーレスト、南の諸王国連邦は俺たちとは違った文化を楽しめたりもする」
そう言ってヘルバは言葉を切った。目の前にいる少女が自分の予想を超えて外の話に興味を持っている事がわかったからだ。少女の大きな瞳にはキラキラと旅への憧憬が表れていた。そんな少女を見ていたら、行商人の心にむくむくといたずら心が湧いてきた。これは焦らして話を溜めた方が面白そうだなと。
「そう言った話ならいくらでも話せるが、聞きたいか?」
「うん」
「どうしても?」
「うん」
「なら話してやる、と言いたいが大分話し込んでしまったし今日はもう遅い。話の続きはまた明日だ」
「ええぇーーー!?」
やっぱい面白い反応をする娘だなと、行商人は内心微笑ましく思った。
「逃げたりしないから安心しろ。それよりもこの村で泊まれる場所を知らないか? 馬も休めるところ」
「もったいぶらずに話してよ!……宿なら私が案内するよ」
朝落ち込んでいた人物とは思えないほどに、表情豊かに、露骨に不満げな顔をエメは見せていた。
「まぁまぁ。楽しい話はとっておくもんだぜ」
「ヘルバさんって結構意地の悪い人?」
「気づいたか?」
「気づいたよ……また悪人みたいな顔してるし。本当に明日は話してくれる?」
「ああ、嬢ちゃんの気が済むまでずっとな」