ハスミ【3】
つっかえつっかえ話すハスミの言葉を、その人は相槌をはさみながら聞いてくれた。ミイナをはじめとする女の子たちから言われたこと。姉や妹たちから言われたこと。母に言われたこと。基本的にハスミの全てはそんな「言われたこと」で出来ていて、話しながら自分自身の中に何もなかったことに気づいて、ひどく恥ずかしくなる。けれどもその人はそんな中身のないハスミの言葉を、きちんと聞いてくれて、それがひどく申し訳なくて、そして、嬉しくて、嬉しく思う自分が申し訳なかった。
「不思議じゃのう」
その人はそう呟いた。
「お前さんと、その話していた人たちとの違いがわしには分からぬのじゃが」
「…違い、ですか?」
うん、とその人は頷いて空を見上げる。空は、まだ柔らかな青色をまとっている。
「同じように、生まれて、育って、生きておるのにのう」
ハスミはその人を見て、そして、目を伏せる。
「――同じじゃ、ないですよ」
全然。同じなんかじゃない。そう、心の中で呟く。
否定するのだろうな、とハスミはちらりとその人を見る。いつか、近所のおばさんが言ったように。きれいごとを唄う昔話のように。
けれどその人は、うん、と頷いた。
「――そうじゃの」
どこか、納得したような顔で。
けれど、とこちらに向き直る。
「少なくとも、わしはお前のことが嫌いではないぞ。――顔も、仕草も、その、思考も」
そう言ってから、送ろう、とその人は言った。ゆっくりとその人は、歩みを進める。ハスミは数歩遅れながら、その人の後ろを歩く。
「世の中というのは、不思議なものじゃの」
その人は静かに言う。ハスミは、目の前で揺れる背中を見ながら、その言葉を聞いた。
「誰かが価値を生み出し、別の誰かがそれを何の根拠もなく信じて縋る。奴らが集まるとそれは常識となり、そこからはみ出したものは攻撃対象となる。社会はそうして形成される」
その人は、そういって少しだけ笑った――ような気がした。背中しか、ハスミには見えなかったからだ。
「生まれる時代を少しだけ違えただけで、悪は善になり、善は無価値になる。誰かのわずかな勘違いで、美は醜になり、醜は透明になる。異質なものは、正常となり、正常が罪となる」
のう、とその人は独り言のようにつぶやいた。慰めを受けているのだろうか、とハスミは思う。お前のその容姿は、という但し書きが付きそうな気がして、ハスミはその人の言葉に耳を傾ける。
「女が人で、男が竜。そんな当たり前が当たり前ではなくなる時代が、あったかもしれないし、これから来るやもしれぬぞ」
その人のその言葉とほとんど同時に、ハスミは森を抜けていた。ほっと息を吐く。目の前には、広い台地が見える。ところどころに木が伸びている。一つ一つが、誰かの住処だ。ふとそれに気づいたとき、つん、と鼻の奥が痛くなった。一つ一つには、誰かが住んでいる。女がいる。子どもがいる家もあるし、竜が木の上で寝息を立てている家もある。まどろんでいる女がいて、雲を編む女がいて、はしゃぐ子供がいる。今日の結びの儀に出るのだろう。身支度を整えている女や竜の姿も見える。そしてその木の形は、様々だった。高く伸びた木。横に広い木。深い緑の葉を宿している木。面白い葉の形の木。太い木。柔らかな色の幹。
「――あのっ…」
言いかけたハスミはしかし、きょとんと眼を瞬かせる。先ほどまで自分の前を歩いていた人は、いなくなっていた。ハスミは後ろを振り返る。暗い森の中。ところどころ木々の隙間から光が漏れている。その光は、昨日父のくれた星のように美しく輝いていた。




