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ハスミ【1】

 ハスミは、手元でいびつに編まれた雲に目を落とす。きちんと目の数を数えているし、ゆっくり時間をかけて編んでいるつもりなのに、あちこちにゆがみやほつれが生じている。

 引っ張りすぎなのよ、といつだったか母は言った。なんでも力任せにしないで、優しく手を添えてあげるぐらいでいいの。と。

(綺麗な形じゃなくてもいいじゃないって、言ってほしかったのに)

 もうすぐ嫁入りという年になってまで、胸からにじみ出る甘え心は、けれど、口に出さない。出せば、母の美しい眉間に皺が寄ることは確実だからだ。

(――もうすぐ嫁入りかあ)

 ぼんやり考えて、ハスミは空を見る。少し欠けた月が空にどしりと腰を下ろしていて。その周囲にはたくさんの星が散らばっていて、その隙間を縫うように無数の竜の姿が見えた。

 あの月が、まん丸になる日の夜。ハスミは、母の元を離れる。

 ハスミの横で、綺麗な雲を編んでいた母が、ふう、と息を吐いた。

「――うん。出来た」

 そういうと彼女は、手元にある雲に軽く息を吹きかけながら空中に漂わせる。柔らかな風はそれを巻き込むと、空高くに運んでいく。

「父さん、気づくかしら」

 そう言って母は微笑みを浮かべて空を眺める。空には彼女の夫である竜が、星を手に入れようと飛び回っている。竜の心を癒す以外に何の利益も生まない雲が、やわらかく空で舞っている。

 この世の中には様々な生き物がいるが、言葉を操るのは「竜」と「人」だけだと言われている。だからこそ、この二つの種族は交われるのだ。そのあたりをけだるげに泳ぐ魚やピィピィと意味不明の音を発する鳥とは一緒に暮らせない。竜と人は、一緒に暮らして子を成すが、その生態は全く異なる。例えば、竜は基本的に夜行性で、人は昼行性。竜の体はどろりと長く、鱗がびっしりと敷き詰められているが、人はすべすべとして柔らかな皮膚を身にまとっている。瞳の大きさ。歯の生え方。尾の有無。爪の形。竜と人の共通点は、確かに「言葉を操る」ということだけだ。竜と人は、何もかもが違う。性別と呼ばれる、生殖機能も。竜は身体から「素」を発し、人の体内にある「卵」に触れさせるのだという。そうすれば、竜か人かどちらかの子が生まれる。一般的には、竜を男、人を女と呼んだりもする。

 竜と人は成長速度も異なる。竜はおおむね生後三年で成獣となり、寿命は十年ほど。人は十年で成人となり、約五十年間生きる。

 そして、「結びの儀」と呼ばれる儀式が満月のたびに行われる。月が一番美しく見える夜に、成獣になったばかりの竜と成人したばかりの人、そして夫に先立たれた人が一堂に会し、そこで結婚をするのだ。儀式を終えると、竜と人は「つがい」になり、空いている木の根元で生活を始める。生活と言っても中身はひどく単純で、人は昼間や夜に竜のために雲を編み、竜は夜になると食料と雲の材料となる星を狩りに行く。竜と人はその星を食べることで生命を維持させ、子を産み、そして寿命が来れば死んでいく。ただ、それだけだ。

 ただそれだけの人生なのに。欲望は果てしない。その営みの中の付属物である衣類にこだわり、僅かな時間一緒に暮らす伴侶の少しの言葉尻を捕まえては口を尖らせ。そして、子どもには――。

「――それにしても、あんたは本当に陰気臭い顔だこと。姉さんたちは、あんなに美人だったのにねえ」

 ねえ、とどこか粘ついた声で母は傍らに横たわって眠るハスミの妹の頭をなでる。ハスミは、池に写る自分の顔しか見たことがなかった。けれど、さざめく水面に移したその顔は、やはりあまり整ってはいなくて。

「ちゃんとお嫁にもらってもらえるといいけどねえ…。手先は不器用だし…。ちゃんと、つめや髪は整えてる?顔が良くないんだから、せめて身だしなみはきちんとしておくのよ」

 そういって深くため息をついた母は、しかし、次の瞬間ぱっと顔色を変えた。

「あなた!お帰りなさい!」

 いつの間にか目の前には静かに地上に降り立った竜がいた。赤い鬣の、美しい竜。母は目じりをとろりと下げて、美しい竜から大きな星を受け取る。一抱えほどもあるそれは、つややかに輝いている。表面には雲の材料となる薄皮がついているが、それでもその中が綺麗に輝いていることが月の明かりで見て取れた。

 まあまあ、と母は言った。

「こんなきれいな星、見たことがないわ」

「――たぶん、ハスミにあげられる最後の星だから」

 低く美しい声で父はそう言った。まあ、と母は感極まったような――おそらく、ハスミに対して何かの思いを抱いたわけではなく、優しい父とそれを伴侶にした自分に対して――声を上げた。

「大切に、処理するわね」

 母の言葉に父は満足そうに眼を細めた。そして、ハスミに向き直ると、元気でな、と小さくつぶやいた。ハスミは黙って頷く。――嫁入り前の女は、竜と口をきいてはいけないという掟があるのだ。ちなみに家族以外の竜に姿を見せてはいけない、だとか、初めての結びを営むまで髪を切ってはいけないなどという掟もある。それにどんな意味があるのかは、まだわからないけれど。

 ハスミは夜空を見上げる。僅かに欠けた月。おそらく明日には、綺麗な丸を描くだろう。――ハスミはこの家を出ていくのだ。嫁入りを、するのだ。

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