ミチル【6】
朝日が、ゆっくりと顔を出しはじめる直前。空間は静寂に包まれる。
竜は、眠りにつくため木の上へと降り立ち、女たちもゆっくりとまどろむ。昼間は子育てと雲編み、夜は夫の手入れで忙しい女たちの、つかの間の睡眠時間だ。そろり、とミチルは衣擦れの音を気にしながら立ち上がる。こんな時間に起きているのは初めてで、うなじから肩にかけてが、すこしふわふわと浮いた感触がする。
「…どこに行くつもり」
静かな声は、しかしミチルの耳にしっかりとねじ込まれる。母が、こちらをとろりとした、少し眠たそうな目で、けれども意思をもって見ている。
「ミチル」
母の顔は、こわばっている。今までに、見たことがないぐらいに。
「どこに行くのと、聞いているの」
胸の中に、かたいごつごつとした何かがあるような気持になる。肩と目じりが、ぴりぴりと痛い。
「行っては駄目だよ」
「…わ、たしは…別に…」
母は知っていたのだろうか。ミチルがたびたび迷いの森に足を踏み入れていたことを。あそこにいる人が――彼女が、彼が、どこかおかしいと気づいていたことを。
「あんたは、もう少ししたら結びの儀を行うの。そこで竜と結ばれて、そうして子どもを産むの。竜の手入れをして、星を処理して、営みを行うの。産んだ子供はきちんと育てて、そして結びの儀に送り出すの」
母は、幼いころにそうしたようにゆっくりと、けれども意思をもってミチルに話しかける。
「――…分かってるわ。母様がしたように、そうする」
それ以外の道など、あるわけがない。あるわけがないのだから、そうする以外には生きられない。その辺にいる毛むくじゃらの生き物のように葉や木の実を口にするなんて、考えられない。思い切り飛び上がったところで、星には手が届かない。竜以外の生き物と語り合い、混じることなど、不可能だ。
「…でも」
だとしたら、あの人はどうやって生きているのだろう。つがいである竜が、あの森にはいるのだろうか。それは、女の竜なのだろうか。あるいは、男の竜か。
「ただ、知りたいだけなの」
あの人が、月の神なのかどうか。
もしもそうだとしたら、どうして結びの儀をあの雲で邪魔したのかが知りたいのだ。もしかしたら、とミチルは思う。もしかしたら、私が結びの儀が嫌だと駄々をこねていることを知って――?
「知るって何をだい」
眠さも手伝ってだろうか。苛々とした風の母の視線は、とても痛い。お日様は、こんなにも早いのかと思う速度で青空を浮かんでいく。
「知ったところで、幸せなことなんざ何もないよ」
母は、目をそらして苛立ちを封じ込めるようにため息をつく。一瞬、母の視線が外れたその時を、ミチルは見逃さなかった。ほとんど姿を現した太陽の下を、力いっぱい走り出す。母の叫び声が、耳たぶに触れた気がした。
長い髪に蹴躓かないように左手でたくし上げながら、ミチルは走る。エリカの声が、聞こえた気がした。若い女たちの声が、あちらこちらから聞こえる気がする。
――迷いの森に向かっているわ。やっぱりあの子が、あの雲を飛ばした犯人なのね。
それでもミチルは走る。振り返って「違う」だなんて叫ばない。そんなことは、どうだってよかった。
ただ、会いたかった。
竜と愛し合いたくなかったわけではなかった。ただ、あの人と愛し合いたかっただけだった。




