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第九話 強引な似顔絵王子

 すると、天野くんも立ち上がって、急にこちらに近づいてきた。

「え……?」

 私は顔を上げる。

「さ……、いいことしようか。」

 そう言って、天野くんは私の両肩をつかむ。

「いいことって、なにを?」

 私は天野くんの手を振り払うのも忘れて、呆然とする。

「そりゃ、一つ屋根の下、男と女、一緒にいて、やることは一つでしょ。」

「え………。」

 私の背中に冷や汗が流れる。構わず、天野くんは私の顔の横に自分の顔を近づけて、耳元でささやいた。

「スケッチに決まってるじゃん、描かせてよ。」

「は………?」

 私は脱力した。その顔を見て、天野くんは爆笑する。

「うっわー今、望月さん超焦った顔してた。ひっかかった、ばーか。」

「もうっ!人を脅かして!」

 私は猛烈に腹が立つ。天野くんはニヤニヤして、

「ねっ、あんまり人を無防備に信用すると、こんな痛い目に遭うよってこと、教えておきたかったんだよ。……さ、描くから座って。」

「やだ、絶対描かせない。」

「いいからいいから。」

 強引に私を座らせた天野くんは、ポーズを私に取らせようとする。

「はい、ここで腕を組んで。」

「嫌だって言ってるでしょ?」

「いいからいいから、ちょっと腕の上に、顔、乗せてみようか。」

「描かれるの嫌いなんだってば。」

「いいからいいから、ちょっと顔を上げて、視線はこのへんね。」

「絶対嫌だ。」

「いいからいいから、描かせないと襲っちゃうよ、今度はほんとに。」

「なにそれ脅迫。」

「無防備なあんたが悪い。俺本気。」

 笑いを含んだ天野くんの声は、冗談にしか聞こえないけど、さっき真剣な顔をして近づいてきたときのことを思い出して、若干寒気のした私は、一応素直に天野くんの言うとおりのポージングをする。

「いいね、そうだ、このティーカップも使おう。昼下がり、ティータイムも終わって気怠げにしてる雰囲気で。」

 勝手なことを言って、テーブルセットをいじりはじめる天野くん。私はふてくされて、もう返事もしてやらない。

「残りのティーセットは、キッチンに置いておくね。」

「そりゃどうも。」

 私はやけくそでお礼を言う。ごそごそとなにか袋から出して、こちらに戻ってくる天野くん。紙の擦れる音、木と木のぶつかり合う軽い音がする。鉛筆の音だろう。そして、天野くんは、私のななめ向かいに座った。

「ちょっとそのままで、小一時間、じっとしておいてよ?」

「そんなに?長すぎる!」

 私は悲鳴を上げる。

「だから、無理な体勢にしてないでしょ?」

「……いつもは、もっとさっさと描いてるじゃん。」

私は教室での天野くんのことを思い返す。女の子を褒めちぎりながら、さらさらと昼休憩の四分の一ぐらいの時間で、二枚描いてる。

「そうだね、いつもは、十分で一枚ぐらいのペースで描いてるけど。でも、今日は本気で描きこむから。……同じものが欲しいなら、もう一時間追加ね。」

「いらないよ!さっさと解放して。」

「じゃあ、俺のぶんだけね。」

 そう言いながら、紙に鉛筆を滑らせる天野くん。

「もう……、天野くんなんか呼ぶんじゃなかった。」

 私はブツブツと文句を言うけど、天野くんは平然としている。

「もう手遅れ。油断したあんたが悪い。」

「最低。ひとを脅かして描くとか。」

「何とでも。絵のためなら、手段は選ばない。……でも、ちゃんと描くから安心して?」

「ちゃんとって、何よ、ちゃんとって。」

「ありのままを描くから。飾らないそのままのあんたを。」

 そう言われて、私は黙る。

「だって、あんた、綺麗にも可愛くも、描いてほしくないんだろ?」

 そう言われた、この間のことを思い出す。今日も、天野くんは、私のことを「綺麗だね」とか褒めちぎることも無く、淡々と紙に鉛筆を滑らせている。

 どうして、彼は分かるんだろうか。私が、そういうのが嫌なことが。現実より綺麗に描かれたくないってことが。……て、そもそも、描いてほしくもないんだけど。でも、そんな気持ちすら、お見通しなんだろうな。

 ………太郎は、こんなふうに無防備に天野くんを招き入れて、そして強引に絵のモデルにされてる私を見て、何を思ってるんだろうか。これでも、私に、天野くんを勧めてくるんだろうか。窓辺のサンセベリアを眺めながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。

 それから、長い長い退屈な時間が過ぎて、やっと、

「出来た。」

 低い声で、そう言って、天野くんが椅子から立ち上がった。

「見て。」

 そう言われて、私はスケッチブックを見て、息を呑んだ。とてもリアルな、自分の姿が、そこにあった。

…ただの鉛筆画だっていうのに、とても立体的で、カップもソーサーも、浮き上がってくるかのようにリアルで、そして、自分の腕に顔を伏せている私は、濃い陰影に彩られ、そして、少し、怒った顔をしていた。肩に流れる黒い髪の一本一本も余すところなく丁寧に描かれ、袖に寄った皺も、本物のような質感が出ていた。

「…すごいね、天野くん。」

「やるでしょ、なかなか、俺。」

 得意げな顔をした天野くん。

「うん、凄いと思った。」

「そっか……、良かった、じゃあ、また描かせて?」

「え?」

 私は驚く。

「また来週、この時間に、俺、来るから、ここに。」

「いやいや…。もういいよ。」

「来る。」

 天野くんは真剣な目をしていた。

「あんたが、扉を開けてくれるまで、何時間だって、待つ。」

「嫌だって言ったら?」

「それでも待つ。」

「困る。」

「あんたが困っても、描く。」

 私は途方にくれた。天野くんの顔は怖いぐらいに真剣だった。

 私が黙り込んでいると、天野くんは、黙ってスケッチブックや鉛筆のセットを片付けはじめた。全ての荷物をリュックサックに入れてしまうと、また、あの丸眼鏡をかけ、よれよれの帽子を天野くんはかぶった。

「じゃ、僕は帰る。戸締り気を付けて。」

「うん……。」

 玄関先まで、一応、天野くんを見送る。見送るため、と言うより、言われた通り、戸締りのため、ていうほうが大きいけど。

「じゃ、また来週。」

 爽やかに、にこやかに、でも目は真剣に、天野くんは言った。彼の決意は、揺るがなさそうだ、ということが、私には分かった。何と言えばいいのか分からず、私は黙った。天野くんも、黙って、扉を開けて、出て行った。扉にロックをかけて、私は大きな大きなため息をついた。


 天野くんが来た週の水曜日、私は太郎と部屋で二人、向き合っていた。

「ねえ、太郎はどう思う、天野くん、なに考えてると思う?」

「うーん。」

 珍しく、太郎は笑顔ではなくて思案顔だった。

「前半はね、いい雰囲気だと思ったんだよ。珍しく、楓にしては満面の笑みとはいかないまでも、笑顔も見られたし、楓が積極的に男の子に話しかけるなんて、いままで無かったことだしね。いい傾向だと思ったんだけど。」

「ま、ちょっと気を許し過ぎたって、反省はしてるのよ。」

「……気を許す、っていうのは別に悪くはないよ、けどね、僕が気になるのは、どうも君たちの関係から、恋愛の匂いがさっぱりしないことなんだよね。」

「だって、パートナーがいらない同士だから。私たち。」

「そうだねえ。」

 いつの間にか、体育座りのまま、太郎はふわっと浮き上がって、考え込んだまま、くるっと回った。

「……ま、彼も楓に気を許してるのは確かみたいだから、リハビリ代わりに友達になるのはいいんじゃない?そのうち、恋愛関係に発展しないとも限らないしね。」

 そう能天気に言った太郎は、駆の顔をして、笑った。

「だーかーらー。駆の顔で、私に違う相手を勧めないで、って言ってるじゃない、いつも。」

 私はブツブツ言うが、太郎は気にも留めていない。

「僕のことも『慣れる』って言ったから、そのうち、天野くんにも慣れるんじゃない?……実際、三回目の僕に、だいぶ慣れて普通に喋れるようになってきてるじゃん?」

 私は、そんなことを言う太郎の顔を、じーっと見つめる。

 ……確かに、コイツは駆の顔をしてるけど、喋る内容も、仕草も、まるで駆を彷彿とさせない。だから会うたびに、「やっぱり他人なんだな。」と実感して、そして。

 ……恐ろしいことに、私は太郎を、話し相手として、きちんと認識し始めているのだ。いや、自分でそうしようと思ったのではあるけど。

 駆は駆、太郎は太郎だ。そして、太郎はとても喋りやすい。ストーカーのごとく、自分のことを付け回していると思うといい気はしないが、こうやって、天野くんのことも逐一見てるということは、詳しい状況説明などしなくても、相談相手になりやすい。そして、誰よりも私のことを親身に考えてくれる。

 天野くんは、私を三度も絵に描こうとするなど、(しかも、無断で、強引にとか)問題も多いけど、一人暮らしの私を、なにかと心配してくれてるようなことも言っていた。いい人とは、言えないけれど、悪い人とも言い切れない。

 太郎が言うように、水曜日の太郎と、日曜日の天野くんに、慣れてしまった方が早いのだろうか。……できれば、天野くんには、とっとと飽きてもらったほうがありがたくはあるが。何もせず一時間ポーズと取っているだけ、なんて苦痛以外なにものでもない。でも、その時間を避けるために外出などしていたら、ロスする時間は一時間で済まなくなる。

 かと言って、絵を描くためだけにマンションの前で待つクラスメートを通報などできないし。仮にそんなことをしたら、私はクラスの女の子につるし上げに遭うに違いない。

「……でも、別に彼、そこまで悪い人じゃないと思うな。確かに強引すぎるところはあるけど、それもこれも絵を描きたいだけでしょ。」

「いい人、ではないけどね。」

 私はもう、これ以上天野くんのことを考えるのも、時間の無駄な気がして、諦めて勉強することにした。太郎も、じっとソファーに腰かけているだけで、私の邪魔をしようとはしなかった。退屈じゃないのかな…とは思うけど、精霊の考えることなど、よくわからない。用があれば、向こうから話しかけるだろう。太郎に見守られながら、私は黙々と勉強に集中した。



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