第五話 似顔絵王子の裏側
次の火曜日、私は放課後、ざあざあと雨の降る窓を見つめて、ぼんやりとしていた。放課後、担任につかまって雑用を頼まれていたので、教室にはもう、誰もいなくて…、私は一人、もの思いにふける。
別に傘が無いわけじゃない。もうちょっと雨足が落ち着いたら、帰ろう。明日は、水曜日。駆…じゃない、太郎が現れるって約束した日。私は片時も離せなかった太郎の置き書きのメモを、制服のブレザーのポケットの中で握り締める。
太郎が来たら、いやでも駆を思い出すのに、駆と同じ顔をして現れて、そして、私にまた、恋をしろ、笑えって言うんだろうか。そんな残酷なことってないだろう。太郎の依頼者って人は、なんだって太郎に駆の姿なんてさせてるんだろう。そんなことを考えながら、私は何分間、ぼうっと窓を眺めていたのだろう。
ふと、人の気配を感じて、左側を向くと、そこには壁に寄りかかりながら、一心不乱に私の顔をスケッチしている天野くんがいた。
「ちょっと、なんで勝手に人の顔、描いてるのよ。」
「悪い、もうちょっとじっとしてて、すぐ終わる。」
私の抗議の声にかまわず、天野くんはスケッチブックにコンテを滑らせる。私は、なんとなく動くのも悪い気がして、腹ただしい気もしながら、さっきみたいに窓を見ながら、机の前に座っていた。
やがて、
「できた、はい、終わり。こっちのほうは、あんたに上げる。」
そう言って、画用紙を一枚破って、天野くんは私に紙を寄こした。
「別に…いらないし。」
私はそう言ったけど、一応、受け取った。どんな風に自分が描かれているか、怖さ半分、興味半分。確か、天野くんに描かれると二割増しで可愛く仕上がってるって評判だよね。
…天野くんの絵は、確かに上手かった。黒々とした線で、陰影が上手につけられていて、そして…私の横顔は、意外に普通だった。毎朝、三面鏡で見慣れた自分の顔、そのもののように見えた。…てことは。ふっと、私は笑った。
「満足?」
天野くんは柔らかな微笑みを浮かべて、私に尋ねる。
「や、別に満足も何もないんだけど、天野くん、女の子を二割増し可愛く描くって評判だったけど、私の目には、これ、普通に見えるのよね。ってことは、私、実際はこれの八掛け程度の容姿なんだな、と思って。」
私がそう言うと、天野くんは黙り込んだ。そして思いもかけないような低い声でこう言った。
「……女の虚栄心てすげえな。その自己評価の高さにびっくりだよ。」
「は?」
似顔絵王子、と呼ばれて、いつも甘ったるい言葉を吐いている唇から、意外な言葉がこぼれて、私は驚いた。
「俺いっつも、本物より五倍は可愛く描いてるつもりなんだけど、……たったの二割増しかよ。どんだけ自惚れてんだろうな。」
天野くんはこれまで見せたことのないような、皮肉な微笑みを浮かべていた。その顔をじっと見てはいけないような気がして、私は慌てて、自分の似顔絵に目を戻した。
「……てことは、私は、実際はこれの五分の一程度の見た目ってことか。」
天野くんの失敬な言葉に怒るのも忘れて、私は絵に描かれた自分の横顔に見入る。
「あ?別にあんたの絵は、ありのまま、見た目通り描いたけどな。……別に、あんた、綺麗にも可愛くも描いてほしくないんだろ?」
またまた思いがけない言葉を吐いて、天野くんは肩をすくめて、スケッチブックを片手に教室から出て行ってしまった。
翌日、私はいつもの時間に目覚めた。今日は水曜日…だけど、太郎の姿は、まだ見えなかった。けれど、玄関のサボ太郎は、つぼみを開いて、とうとう花を開花させていた。棘だらけの姿に似合わない、淡いパステルカラーの可憐な花を見て、私はひとつ、ため息をついた。
そして、今朝もいつも通りの日課をこなしていく。植物たちの様子を観察して、必要なものには水をやり、付箋を貼って、ブラウスにアイロンをかけ…。
アイロンがけをしながら、私は太郎の服装を思い返していた。…太郎は、なぜか、うちの高校の制服を着てたな。この部屋から一歩も出られないっていうのに、なんであんな恰好なんだろう。
昨日の残り物をお弁当に詰めて、支度をして私はマンションの扉をそっと閉める。……今日帰ってきたら、また、太郎は駆の笑顔で、「お帰り」って言うんだろうか。
昼休憩、天野くんは、またクラスの女の子の似顔絵を描いていた。
「うん、いいよ、こんな風に、頬に手の甲を添えて、ちょっと、小指触るよ、そうそう、そうすると可愛いね。」
「あ……。」
「あと、視線はこっちにしてみようか。そのほうが君の魅力が際立つよ。……いいよ、絵理ちゃん、綺麗だね。」
………おかしいな、昨日毒を吐いていた天野くんとは別人のようだ。天使のような微笑みを浮かべて、女の子を極上の褒め言葉で彩る。そおっと後ろから描かれている「絵理ちゃん」の似顔絵を覗いてみる。
うん、確かに本物よりぐっと可愛い描かれ方をしている。目も心なしか大きくなって、涼しげで、どこか儚げな清楚さを持っている。ポーズは、いま天野くんが取らせたとおりの姿なんだけどね。
それに、私の似顔絵の、太いコンテでぐいぐい描きこまれた線と違って、鉛筆で描かれたデッサンのせいか、絵全体がとても繊細で柔らかい。でも、本人の特徴をよく捉えていて、誰が見ても、絵理の顔だってよくわかる。器用だな……ていうか、本当に絵がうまいんだな、天野くん。女の子が、「こう描いてほしい」っていうのを、よく汲み取っていると思う。
しかし、昨日のブラック天野はいったいどうしたことだ。私なんか、名前にちゃん付けどころか、「きみ」とも呼ばれず、「あんた」呼ばわりだったぞ。謎な人だな…。
「ねえねえ、昨日ケーキバイキングの新しいお店見つけたんだよね!楓も行こうよ!」
凛音が私に話しかけてくる。
「いいよ、いつにしようか。」
私は上の空でぼんやりと答える。
「早速今日とかどう?」
「え……?」
……いつもは水曜日だと、この手のお誘いは断ってるんだけど、私はいま、あまり太郎に会いたいとは思えない。だから、
「いいよ、今日でも。」
私は、凛音の誘いに応じた。
「ほんと、やった!じゃあ、帆乃夏たちにも知らせておこ!」
凛音は私の下から離れて、ほかの女の子のところに行ってキャアキャア言いはじめた。
放課後、白を基調としたやや広めのカフェで、ケーキバイキングをしながら、女子が盛り上がっていたのは、
「また描いてもらってたねー、絵理のヤツ。」
「確か三回目?よくやるよねー。」
……天野くんの話題だった。
「まー、似顔絵王子に近づくには、絵を描いてもらうしかないからね。……告白しても、振られるだけだしね。」
「『ごめん、忙しくて、誰とも付き合う気、ないんだ。』ってヤツでしょ?」
「なんか、予備校にずっと通ったり、有名な画家の教授に、ずっと絵を習いに行ってるらしいよ、で、日曜日はバイトだって。」
「なんのバイトだろうねー。」
「黒服とか?似合いすぎる!」
「まさか高校生で黒服はないっしょ。」
どうでもいい話題に、私は二つ目のケーキを口に入れずに、そっと上のフルーツをつつく。ああ、このケーキバイキングに行くお金があれば、観葉植物の液肥が買えたのにな…とか思いながら、フォークで、フルーツをお行儀悪く転がしていると、
「あれー、楓、食欲ない?」
凛音に気づかれてしまう。
「いや、そんなことないよ、もうたくさん食べて、お腹いっぱいなだけ。」
急いでそうやってごまかす。
「楓はほんとに匠くんに描いてもらわなくていいの?」
……うーん、もう描いてもらったっていうか、勝手に描かれちゃったんですが。
「別にいいかな……。なんで天野くんて、あんなに女の子ばっかり描くんだろうね。」
「そうだねー、ま、ヤロー描いても絵にならないんじゃない?」
「あは、そうだね…。」
「ところで、今度、うちの彼氏の高校と合コンやるんだけど、楓も行こうよ!」
「あー、私はそういうの、ちょっといいかな…。誰とも付き合う気が無いし。」
「何それー、おっかしー、匠くんみたいー。」
……うーん、私は駆以外、いらないってだけなんだけど。……だんだん、女子のくだらないお話に付き合うのが面倒になって来た。
「門限あるから、私、帰るね。」
そうやって嘘をついて、私は一人、お店を後にした。