第四十話 近づく努力
バスが駅について、私は熟睡していたタケルを揺り起こすと、タケルは伸びをして起き、立ち上がって、バスの天井に頭をぶつけた。
「痛ってぇ。」
頭をさするタケルがおかしくて、私が笑うと、タケルにデコピンされ、そのままじっと顔を見られる。
「そういえば、楓、中学の時みたいに、額、出さないの?あれ、俺、好き。」
「あー…。」
私は言葉に詰まる。最後に、天野くんに描いてもらった時、あの髪型に久々にしたな。
「高校になって、全然ヘアピンとか使わなかったから、どこへ仕舞い込んだかわかんないけど、探してみようかな。」
「そうしなよ、あれ、懐かしい。」
……やっぱり、タケルの中でも、駆といっしょにいた頃の私っていうのが、重要なポイントなんだろうな。
「やってみる。」
私が言うと、タケルは嬉しそうにうなずいた。電車の中で、タケルは、
「楓、腹減らない?」
と聞いてくる。携帯で時刻を確認すると、午後五時半。
「私は大丈夫だけど…お昼遅かったし。」
「そ、俺、減った。一緒にメシ食わない?」
「あ…うん、いいけど…。あんまり食べられないかもだけど。」
「いいよ、楓が食えない分は、俺が食う。家に連絡しときなよ。夕飯いらないって。」
そう自然に言われて、私はドキッとする。一人暮らしのこと、まだタケルには言えてない。携帯にメッセージを打つふりをする。
「大丈夫?返信とか無いけど。」
「大丈夫。大丈夫。言っておけば怒られない。」
私は作り笑顔を見せると、タケルも安心したように笑う。
「学校の駅の一つ前の駅に、俺の行きつけの店があるんだよな。俺、オフの日の夕飯は、たいていそこで食う。ラーメン屋だけど。」
「なんでもいいよ。」
タケルに連れられて、いつもは通過するだけの駅で降りる。タケルは「九州らあめん」と染めてある古そうな暖簾をくぐって、一軒の小さい店に入った。
「いらっしゃい。あらタケちゃん、久しぶりやね。」
六十代半ばになろうかと言う店主らしきおばさんが、タケルを歓迎する。
「あら、タケちゃんの新しかお友達ね。」
聞きなれない言葉の訛りが、なにか温かい。
「うん、俺の彼女の楓。」
「あら、可愛らしい彼女ね。」
「だろ?おばちゃん、いつものと、チャーハン大盛り、餃子三人前な。」
「はいよ。」
タケルはカウンターの正面に座るので、私も隣に席を下ろす。
「楓は俺とシェアするだろ?」
タケルが聞いてくるので、私がうなずくと、水とお手拭を運んできた店員に、タケルは取り皿と小皿を頼む。やがて運ばれてきた料理の量に、私は目を見張った。
「すごい…。タケル食べ切れる?私、そんなに食べられないかもだけど。」
「大丈夫だよ。これぐらい軽いって。昼がまずい上に量が少なくって、俺、腹減ってるから。」
「そっか…、あと、これ、何?焼きそば?」
白っぽい焼きそばのようなものが、結構な量で大皿に盛られている。
「博多名物焼きラーメンだよ。この店の裏メニュー。」
「へえ…、初めて見た。」
「楓も食ってみろよ、旨いから。」
「うん。」
タケルに言われるがまま、箸を進める。
「美味しい!ほんとにラーメンの味がする!」
私は目を丸くする。見た目は焼きそばなのに、豚骨スープとガーリックの味がしっかり麺に絡んでいて、ちゃんとラーメンの味がする。
「タケちゃんは、いっつもこん店ではラーメン食わんちゃ、ばってん、こればっかり食べるちゃ。」
ラーメン店のおばさんが笑いながら教えてくれる。
「博多ラーメンなんて、どこでも食べられるけど、おばちゃんの焼きラーメンは、ここでしか食えないもんな。」
そう言いながら、タケルも嬉しそうに料理を口に運ぶ。
「おばちゃん、冷やしトマト頂戴。」
「はいはい、タケちゃんはメニューになかメニューばっかり注文する。」
そう言いながら、店主のおばさんは太った肩をゆすりながら、冷蔵庫からトマトを出して切りはじめた。もの珍しさと美味しさが手伝い、お腹が空いてないはずの私も、ついつい結構な量を食べてしまった。
「食えたじゃん、楓。」
タケルが嬉しそうに笑う。
「美味しかったし、思ったより食べてしまった。タケル、足りた?」
「十分だよ。残ったの全部もらっていい?」
「いいよ。全部食べて。」
タケルは美味しそうに皿に残った料理をすべて平らげていく。
「お嬢しゃん、旨かった?」
おばさんに聞かれるので、
「はい!とっても。」
と笑顔で答えると、おばさんも嬉しそうにしていた。
食後、お店のトイレを借り、用を足した後、私は古びて油じみた店の鏡を覗きこむ。
タケル、前髪分けてこいって言ってたけど、と思いながら、前髪をいじっていると、おばさんの声がした。
「タケちゃん、いろんな女の子ば連れてきたばってん、今度ん子が素朴で一番可愛らしかね。」
「おばちゃん、声大きい。楓に聞こえるよ…。今までの子は友達って言ってるだろ。彼女って言ってるの、楓だけだろ?」
「そういえば、そうやね。タケちゃんが女の子と一つん皿から、料理ば分けて食べとうんも、初めて見た。」
「だろ?おばちゃん、よく分かってるじゃん。」
「タケちゃんがよく連れてた女の子は、綺麗ばってん、性格のきつそうで、私は苦手やったと。」
「あれはただのマネージャーだって。楓が戻ってくるから、もう、ほんとやめて、この話。」
「はいはい、あー、いらっしゃい。」
他のお客さんが入ってきて、おばさんはタケルの前から離れたようなので、私はやっとタケルの隣に戻る。
「あ、楓…、聞こえてた?」
「ん?何?ちょうどお母さんから電話かかってきて、話してたから、何にも?」
「そっか、良かった。」
タケルは明らかにほっとした顔をする。私は笑って、「出ようか。」と言うと、タケルもうなずいて、清算を済ませて、二人で外に出る。外に出ると、完全に日が落ちて、風が立って寒くなってきていた。私が寒そうにしていると、タケルが黙って肩を引き寄せてきて、駅まで、二人で黙って歩く。
……タケルが、いろんな女の子を、さっきの店に連れて行っていたのはわかったけど、タケルが「彼女は楓だけ」って言っていたの、信じてもいいのかな。タケルが一つのお皿で料理をシェアしてるのを、初めて見たみたいなこと、おばさんも言ってたしな。そんなことを考えながら、私は肩を抱かれたまま、ゆっくりと足を進める。
駅に着くと、タケルは名残惜しそうにする。
「ごめん、家まで送ってやりたいけど、思ったより遅くなって、寮の門限があるから…。」
「私は大丈夫。」
「暗くなったのに、ごめんな。」
「大丈夫、駅からそんなに遠くないし、道も明るいから。」
「だといいんだけど。」
タケルは、私の前髪をかき上げ、額にそっとキスを落とした。
「楓、好き。」
「ありがとう、今日は、楽しかった。動物園、懐かしかったし、美味しいお店も連れてってくれて、ありがとう。」
「俺も…。」
タケルは立ったまま、私を抱きしめる。私も、タケルの身体に手を回した方がいいんだろうか、そう思うのだけど、私の両手はだらりと下がったままだった。
「楓、好き。今日はいっぱい楓の笑顔が見れて、楽しかった。ほんとはいっぱい、デートしたいのに、めったにオフがなくて、ごめん。」
「いいよ。私は大丈夫。」
「また、明日の昼、迎えに行く。」
「うん。」
タケルと別々の電車に乗って、私はほっとため息をつく。思ったよりもずっと平穏なデートができたし、少しずつ、タケルの心に近づいてきた、と信じたい。ほんとうはもっとタケルの言うように、学校以外のところで時間をかけて、打ち解けて行った方がいいのだろうけど、多忙なタケルのバスケの時間が、それを許さない。それでも少しずつ、私がタケルの心に寄り添えるようになりたい。そうすれば、周囲の雑音に悩まされず、タケルの気持ちを信じることができるようになって、私もいつか、タケルを好きになれるかもしれない。そう考えて、私は揺れる電車の中、目を閉じる。
………今日は日曜日、天野くんはどこで、何をしているだろうか。




