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第四話 駆の笑顔。

 私はもう一度、そっとドアを閉める。

 えーっと、空耳?

 ……じゃなくて、空き巣、不法侵入?………もしかして、すごーくヤバい状況じゃない?これって。 女の子の一人暮らしってバレてて、すごく危ないことになってるんじゃない?このまま、警察呼んじゃおうか。

 ……でもでも、警察呼んで、もし、中になにもいなかったらどうしよう。ていうか、「お帰り」って言われたよね。

 てことは、おばさん…?

 隣県のおばさんが、一人暮らしの私を心配して、たまに訪ねてくることがある。お母さんの妹。

 ……でも、若い男の声だったよね。あ、おばさんとこのサトシかも。確か、サトシ、中学に入ったって言ってたよね。いきなり通報して、中にいるのが、おばさんとサトシだったりしたら、すごく気まずい。

 一応、玄関を開けっぱなして、いつでも逃げられるようにして、それから確認してみよう。私は玄関の前で深呼吸する。

 玄関のドアを全開にして、

「ただいまー!」

 大きな声で呼びかけてみる。しんとして、今度は、何の声も聞こえない。……やっぱり、さっきのは空耳かな?

 玄関には、サボテンのサボ太郎。相変わらず生意気にひとつつぼみをつけて、今朝と同じところにすまして座ってるみたい。……家の中は、特に荒らされた様子は無い。玄関扉を開けたまま、ベランダ、リビングのクローゼット、寝室、和室の押し入れ、トイレ、お風呂、人が隠れそうなところ、全部確認してみる。

 誰もいない。…やっぱ空耳か。じゃあ、やっぱり玄関扉は閉めておこう。かえって不用心だもの。玄関扉を締めて、チェーンロックを掛けて、私はため息をついた。

 その時、後ろから、ぽんと頭に手を置かれ、思わず、バッと振り向いてしまった。

 そこにはよく見知った笑顔。


 駆。………駆が、笑ってた。


 私は、真っ青な顔をして、玄関扉に背を当てたまま、ずるずる座り込んだ。

 駆の笑顔は、あの頃と同じだった。ちょっと離れたたれ目、少し欠けた前歯。でも、背がかなり違う。ものすごく高い。白いカッターシャツを着て、なぜか、うちの高校の制服を着てる。

 制服のパンツの下には、革靴が履かれてて、そして、その下には、なぜか、40㎝ほどの空間があった。


 駆は、宙に浮いたまま、笑っていた。そして、宙に浮いた駆は、口を開いて、言った。

「お帰り、楓。」

「か、か、か…駆の幽霊?」

 私は、口をパクパクさせる。すると、幽霊の駆は、小首をかしげて言った。

「あ、この体の持ち主って、カケルって言うんだ。初めて知った。」

 そして、言う。

「ごめんね、カケルくんじゃなくて。…あと、僕、幽霊でもないから。」


 

 …………どういうこと?

 意識が、遠くなりそうだった。あの時、死んでしまったはずの駆が、こうして、私の目の前に現れて、宙に浮いて、そして、駆じゃないって言い張る。

「玄関じゃ、なんだから、とりあえず上がりなよ。」

 駆は、自分の家でも無いくせに、そんなことを言う。私はふらふらと言われるままに靴を脱いで、リビングに上がった。

 …そうだった。冷蔵庫に食材入れなきゃ。こんな時に、妙にそんなことに頭が働く。のろのろとキッチンへ向かい、駆に背を向けるようにして、買ってきた食材たちを冷蔵庫に収める。……振り向くのが怖い。振り向いたら、やっぱり、駆がいて、そして笑って、そして、自分が駆じゃないって言い張るんだろうか。

「ね、ここ座ってもいい?」

 振り向く前に、駆の声がした。

「座っちゃおー。」

 リビングのソファーに、勝手に駆は腰かけたようだ。スプリングがきしむ音がする。その現実的な音で、私は少しずつ、落ち着きを取り戻した。

「なんか、飲む?」

 リビングのソファーに腰かけている、駆に声をかける。

「わお、歓迎してくれるんだね、僕のこと。さすが、依頼者の言うとおり、このスーツは違うなあ。」

 駆の言っている意味が、さっぱりわからない。

「とりあえず、もうちょっと頭を整理したい。……紅茶でいい?」

「……ごめん、僕、人間じゃないから、飲んだり食べたりはできない。楓だけ飲みなよ。」

 駆に言われる。

「うん…じゃ、申し訳ないけど、そうさせて。」

 もらいもののダージリンを丁寧に淹れる。迷ったけど、カップは駆の言うとおり、一つだけにした。紅茶の中に、少しだけミルクを注ぐ。薫り高いダージリンと、柔らかなミルクの香りが混ざって、心が安らぐ。お茶を口にして、やっと私は冷静になった。


「駆……じゃ、ないんだよね?じゃあ、あなたはいったい、何者?」

「あー、僕ね、僕は、精霊。」

「せいれい?」

 言いなれない言葉を、ぼんやりと私はなぞる。精霊。って何?

「やっぱ幽霊みたいなもの?」

「うーん、幽霊とはちがうなあ。精霊って言うのは、ヒトや動物以外の、モノとか植物とかに宿る魂だよ。簡単に言えば。」

 ………説明されても、意味が分からない。

「じゃあ、あなたも何かのモノに宿った魂ってわけ?」

「そう。なんの精霊か、は契約によって明かすことはできないけど、とにかく、僕はモノに宿る魂。それが、この人間のスーツを着て、楓のところに現れた。……でも、前から楓のことは知ってるよ。」

「……なんで?」

「だって、僕、ずっとここに住んできたから。」

「…………。どういうこと?」

「僕の実体となるものは、この部屋にある、楓の持ち物のひとつなんだよ。……すべての持ち物に、魂が宿るわけじゃなくて、たとえば、毎日触るとか、毎日話しかけるとか、なにかしら思いを込めて愛着が湧くものってあるでしょう、いろいろ。」

「うん。」

 コイツが何を言っているか、100%理解できるわけじゃないけど、とりあえず、話を聞くのは得意だ。うんうん、と、とりあえず聞いてみよう。少なくとも、駆の顔をしてるんだ。私に危害を加えるつもりはなさそうだし。

「そういう風に、愛着を持って接されると、モノにも魂が宿るんだよね。だから、割とこの部屋、精霊にあふれてるよ。」

「恐ろしいこと言わないでよ……。」

 恐怖で身がすくむ。すると、駆……みたいなコイツはむっとした顔をする。

「見くびらないで欲しいな。精霊って言うのは、決して悪いものじゃないよ。楓の思いが凝って、そして魂を宿すんだから、この部屋の精霊はすべて、楓から生まれてる。いわば楓は僕らの生みの母だ。」

「はあ。」

「生みの母に、危害を加えようとするヤツなんていないでしょ?……もっとも、僕らは無力で、ただそこにいるだけで、話すことも、何を動かすこともできないから、いいことも悪いことも、しようがないんだけどね、本来は。」

「……本来は?」

「今回は、僕はこの人間の形のスーツを着て現れたから、一応、話すことはできるようになった。」

「………なんで、駆のカタチなの、あんたは。」

「さあ、依頼者が、これを着て現れたら、楓が喜ぶんじゃないかって、そう言うから。もっとも選択権は無かったけど。このスーツしか用意されてなかったから。」

「依頼者って、誰?」

「うーん、依頼者は楓のことはよく知ってるけど、楓はその人の名前を聞いたところで、知るわけがないんだよね。」

「……どういう意味?」

「えーっと、僕はドラえもんみたいなもんだ、って思ってほしい。」

「ドラえもん?」

「そ、ドラえもんがなんでのび太くんのところに来たか、楓知ってるでしょ?」

 えーっと。私は記憶をたぐり寄せる。

「未来の子孫が、あまりにダメダメなご先祖さまを心配して、のび太くんを助けるために、ドラえもんを寄こしたんだっけ?」

「そうそう、そんな感じ。……もっとも、僕には不思議なポケットはついてないから、話し相手ぐらいしかできないんだけどね。」

 ……………。わかったような、わからないような。

「あ、あと、僕はこの部屋から出ることはできない。正確に言うと、できるのはできるんだけど、この姿は見えなくなる。……あと、水曜日しか、この姿で現れることができないらしい。」

「水曜日だけ………駆の姿が見られるってこと?」

「そうなるね。」

 頭がぐらぐらする。その未来の私の子孫って人は、本当に私のことをよく知っているらしい。……どうして水曜日に、私が駆の笑顔を見たくなるのか、その理由も理解してるってことだろう。

 …………って待って、子孫、てことは。

「子孫がいるってことは、未来の私は、結婚して、子どもがいるってこと?」

「そういうことなんじゃない?」

「……私、まっっっったくそのつもり、無いんだけど。」

「それが困るから、依頼者も僕を寄越したんじゃないかな。」

 ふわり、とまた駆……みたいな精霊が浮かび上がる。

「楓がその気にならなきゃ、自分たちが生まれてこないから、だからその気にさせるために、僕を癒しの精霊として、遣わすことにしたんだよ、依頼者。」

「その気?」

「楓が、また恋をして、笑顔を取り戻すことだよ。……僕ら精霊も心配してたんだよ、楓のこと。ずっと友達らしい友達もいなくて、学校行く日以外は、ひたすら部屋に引きこもってるでしょ、楓。このままじゃ、恋の一つもしないまま、オバサンになっちゃうよ?」

「大きなお世話よ。」

 私は精霊から顔をそむける。よりにもよって、駆の顔をして、そんなことを心配しないでほしい。私がこうなったの、誰のせいだと思ってるのよ、誰の。

「……ね、僕に駆くんのこと、教えてよ。あと、僕に名前つけて。まさか、駆って呼ぶわけにもいかないでしょう。」

「名前、ねえ。」

 だいたい、コイツはなんの精霊なんだ。………たくさんある観葉植物の、どれかな気はするんだけど。私が愛情を持って世話しているのだから、魂が宿ってもおかしくはない。

 あ……玄関先のアイツのことを思い出した。そういえば、私が買ってきて、初めてこの家でつぼみを付けたんだった、サボ太郎のやつ。じゃあ、名前はやっぱり…、

「……太郎。」

「太郎?」

 駆の形の精霊は、小首をかしげる。

「そう、あんたの名前は、太郎。」

 あのつぼみは、太郎が現れる前兆だったんだな、きっと。それにしても……

「だいたい、なんで太郎は、駆の顔をしてるのに、駆のことを知らないのよ。」

「えー、だって、僕が精霊になったの、ここ二年ぐらいなもんだよ。それ以前の楓の知り合いなんて、知るわけないじゃん。」

 ………そっか、私がサボ太郎を買ってきたのは、駆が亡くなって一年ぐらいしてから。その一年後ぐらいに、サボ太郎に精霊が宿ったってわけか。あれ、待てよ。

「なんで太郎は、ドラえもんなんか知ってるわけよ。私がドラえもんのアニメなんか見てたの、小学校のころだよ?」

「さあ?僕もよくは知らないよ。……依頼者に、そう説明したら理解してもらえるだろうって、そう言われただけだし。」

 ふうん。確かに理解はしやすいけど…。

「その依頼者っていうのは、駆については、あんたに説明しなかったわけ?」

「うん、……もう亡くなってるってことだけ、教えてもらった。名前も教えてもらえなかった。薄々、それが楓の恋人だったんだろうってことは理解してるけど。」

「まだ、恋人、とは言えなかった。大好きだったけど……。」

 私の目に、涙がじわりとにじむ。……お願いだから、駆と同じ顔で、微笑まないでほしい。

「大好きな人だった。大好きだった、駆のこと。駆……駆……こっちに来てよ。」

 私は、太郎に手を差し伸べる。太郎は困った顔をして微笑んだ。

「ごめんね、なかなか罪なスーツだね、これ。じゃあ、ちょっとだけ。」

 太郎はふわりと飛んできて、私をそっと抱きしめた。

 ………一瞬で、心が冷えた。

 

 太郎の身体は、とても、なんというか無機質で。

 冷たいわけじゃない。室温程度はあると思う。でも、なんていうか、ほんとうに彼は『モノ』なんだなって実感できた。人肌の温かさというか、柔らかさ、熱、そんなものをまったく感じられない。

「ね……わかったでしょ、僕は人間じゃない。」

「よくよくわかったよ……。すごい生殺しだ、これ。」

 私は泣き伏せた。あとからあとから、涙がこぼれる。

 駆の笑顔がこんなに近くにあるのに、触れることはかなわない。太郎は、駆じゃない。

 太郎はまた、ソファーに腰かけたんだと思う。顔は上げられなかったけど、また、ソファーのスプリングがきしむ音がした。重みは、ちゃんとあるのに、どうして…って思う。

 私は、泣いて、泣いて、泣いて…泣き疲れて。

 駆のお葬式でも涙は一滴も出なかったのに、私は、あれから、初めて泣いたのかもしれない。泣き疲れて、私は眠ってしまった。いつの間にか、私はベッドにいて。そして、太郎の姿は消えていた。

 リビングのテーブルのメモ帳には、太郎の書置きが残っていた。

「また水曜日にね、楓。 太郎より。」

 と………。


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