第三話 似顔絵王子
私の所属する2-1のクラスにて、昼休憩に教室の後ろのほうで、声がする。
「いいね、可愛いよ。もうちょっと指、曲げてくれるかな。」
「こんなふう?……恥ずかしいよ…。」
「恥ずかしがることないよ。ちょっとごめん、髪に触るよ?」
「あ……。」
「そう、こんな風に髪をかき上げたほうが、きみの綺麗さが際立つよ。いいね、そのままで…。」
……またやってるよ。私はため息が出る。これは、うちのクラスではごくありふれた光景。
「似顔絵王子」と呼ばれている、天野 匠くんが、クラスの女の子をモデルに、デッサンをしているのだ。鉛筆一本で、さらさらとスケッチブックに似顔絵を描いていく。出来上がりは本物よりも二割増しぐらい可愛くなっている、と評判。
おまけに、似顔絵を描いているときの表情が、素敵、らしい。
まあ、確かに綺麗な顔はしていると思う。さらさらとした手入れの行き届いた栗色の髪に、鼻筋が通って、形のいい唇。そして細く整った眉毛の下に、きらきらと輝く瞳。そんな瞳でじっと見つめられて、そして唇からこぼれる甘い言葉。
「可愛いね。綺麗だよ。その表情が素敵だね。」
そりゃあ、人気も出るよね。似顔絵描いてくれって言う女子が殺到するのもわかる。私はごめんだけど。
「はい、出来たよ。これは君に上げる。……もう一枚、描かせてくれる?次は僕のコレクション用。」
天野くんは、必ず女の子を二枚描く。一枚は本人に上げるため、そして、もう一枚は、自分のためらしい。毎日とは言わないけれど、結構な頻度で、天野くんは女の子を描いている。自分から立候補してくる子ももちろん多いんだけど、天野くんは積極的に、自分からも声をかける。
同じクラスになってはや二ヶ月。私も一度、声をかけられた。丁重にお断りしたけれど…。描かれるのがどうこうとかじゃなくて、あの嘘くさいほめ言葉で「可愛いね、笑って」なんて言われた日には、虫唾が走る。
自称、私の親友、宮崎 凛音も二度ばかり描いてもらったらしい。一度は天野くんに声をかけられて、そして、二度目は自分で申し込んだらしい。
「最初はね、横顔を描いてもらったのよ。」
「うん。」
「でもね、それじゃ、匠くんの顔が見られないじゃない?二十分もあの視線を独り占めするのに、自分が見られないってもったいないよね。」
「そうかあ。それで二回目は正面を描いてもらったんだね。」
「うん。すごく真剣な眼差しで見つめられて、ドキドキしちゃった。」
大きな胸に、そっと両手をあてる凛音。
「素敵だよね、匠くん…。」
「そうだね。」
私は適当に相槌を打つ。
「そうだね、って全然思ってないでしょ!楓ったら。」
凛音は頬を膨らませて、私をにらみつける。
「…ごめん、だって、興味が無いんだもの。」
「そういえば、楓、匠くんのモデル、断ってたもんね。前代未聞だよ、そんな人。」
「そう?だって、絵にも天野くんにも、正直私、なにも惹かれないから。」
「もったいなあい。楓、可愛いのに。」
ふん、嘘ばっか。私にはわかっている。凛音がなんで私のそばにいるのか。地味で、凛音の引き立て役になり、かつ、凛音の苦手な英語の対訳を、私のノートを丸写ししたりとか、なにかと便利に使えるためだから。
天野くんも、さして私に興味もないらしく、私が断った時も、「あ、そう、じゃあ、またの機会に。」とかなんとか言って、二度と声をかけてきたりしなかった。私以外のクラスの全女子コンプリートも間近いだろうけど、だからって私にもう一度声をかけてきたりしないんじゃないかな。他のクラスの女の子も、どんどん立候補してるんだもの。モデルには困らないだろう。
「でも、あんなにモテモテなのに、なんで彼女作らないんだろうね、匠くん。」
凛音は不思議そうに聞いてくる。
「さあ…でも、自分の彼氏が、しょっちゅう女の子に声をかけて、『可愛いね、綺麗だよ』ってやられたら、微妙じゃない?」
「それもそうか、やっぱり匠くんは観賞用でいいや。」
それ以前に、凛音にはちゃんと彼氏がいるくせに。それはそれ、これはこれ、らしい。
放課後、凛音に、
「ねえー、アイス食べて行かない?他の子とも約束してるんだけど、楓も行こうよ。」
と、聞かれる。
「うーん、また今度。今日は用事があって。」
友達の誘いは、あまり断らないことにしてるけど、水曜日はやっぱりその気になれない。家に帰って、緑に包まれていた方がマシ。だいたい、凛音も誘ってはくれるけど、私なんて正直、いてもいなくてもどっちでもいいに違いない。うんうん、てうなずいてくれる地味な友達。いると便利だけど、いなくてもどうでもいい存在。
私はひとり、電車に乗って、降りて、駅前のグリーンショップで観葉植物用の肥料と酵素を買って、スーパーで食材を買って、家に戻る。
カードキーでドアを開けて…するとその時。
「お帰り。」
家の中から、声をかけられた。