第二十一話 「次に会えたら、絶対告白したいの。」
次の週の日曜日、梅崎くんと午前中に待ち合わせた。
「ごめんね、十一時半とか、ちょうど昼時のロードショーにしちゃって。」
梅崎くんにすまなそうに謝られる。
「ううん、いいよ。大丈夫。」
私は答える。男の子と映画館に行くなんて、初めてで緊張する。飲み物を注文すると、梅崎くんがさっと財布を出して払ってくれた。申し訳ないな。
映画そのものは…やっぱりちょっと難しくて、内容も重めだった。けれど、主人公と、敵役の人間が対決するラストシーンは、すごく緑が鮮やかな渓流をバックに撮影されていたので、映画の内容よりも、その木々の美しさに目を奪われた。
「どうだった?映画?」
「映画、めったに見ることないけど、正直、難しかったな。でも、ラストシーンの緑が綺麗だったね。血を流して倒れていく主人公と、自然の美しさが妙に調和してて、よく計算された映像だと思ったよ。」
「そっか、もっとわかりやすい内容が良かったかな?俺は面白かったけどね。…今度は、望月さんが好きなの見てみようよ。」
そう言われて、私は返答に困る。今日が最初で最後のつもりだしな…。
「この後、ちょっとつきあって欲しいところがあるんだけど、その前にお昼にしようか。」
「うん。」
「ごめん、あんまり時間がないから、ファーストフードでいい?」
「いいよ、何でも。」
私が答えると、梅崎くんはうなずいて歩きはじめた。ファーストフードのチェーン店でそそくさと昼を済ませ、私たちが向かったのは、ちょっと年季の入った博物館のような建物だった。
「こども科学館」と書かれた、そのビルに入った梅崎くんは、さっさと二人分のチケットを買って、私に渡した。
「奢ってもらってばかりで、申し訳ないよ、払うよ。」
私が言うのだけど、梅崎くんは、
「今日は僕のわがままで来てもらってるんだから、いいんだよ。」
と、気に留める様子もない。
「午後二時からね、ここの二階でサイエンスショーがある。子ども向けの実験教室なんだけど、それを望月さんと見たいな、と思って。」
「サイエンスショー…。」
これまた梅崎くんらしいイベントだな、と思いながら、私たちは階段を使って二階に向かった。
そこまで大きくない部屋は、すでに子どもたちであふれていた。私たちは後ろのほうに立って、ショーを見学する。滑車を使って、重い荷物を持ち上げる、という実験が今日のショーの内容らしかった。
身体の大きな小学生が一人呼ばれて、大きな段ボールを持ち上げさせられるが、重すぎて少しも動かない。それが滑車を一つ、二つ増やすたびに、だんだん軽くなり、最後には指一本でロープを引っ張ると、大きな荷物が、かんたんに浮き上がるところまで行って、小学生が無邪気な歓声を上げていた。内容は、中学でも習うような力学の話だけど、中身はしっかり物理だ。
「ここはさ、僕の原点なんだよね。」
腕を組んでじっとショーを見ていた梅崎くんが、静かに口を開いた。ショーが終わって、小学生たちに記念品が配られて、部屋から子どもたちが出て行ってから、私たちはゆっくりと教室を出た。
「小学生の頃、僕は、ずいぶんここに来た。ヨットを作る実験をしたり、ロボットの簡単なプログラミングがあったりしてね、とても楽しかった。」
「うん。」
一階のホールのベンチに腰かけて、梅崎くんと話をする。
「こんなこと、大人になって、もっとやりたいけど、これって何の勉強すればいいですか、って、ショーの先生に聞きに行ったら、『これは、全部、物理っていう学問が基になってるんだよ』って教えてもらった。」
「そっか。」
「それで、物理って面白いんだな、って思ってさ…。こういうの、もっとやりたいなと思って、高校に入ったら本当に物理の時間があるって、ショーの先生に聞いて、楽しみにしてた。ロボットとか作って動かしたりとか、そういうのをやるのが、物理だと思ってさ。」
「そっか…。」
「それが、高校入って、実際に物理やってみると、小学生の自分が夢見てたような実験はあまりなくて、紙の上の学問ばっかりで、びっくりだったけど、でも、それはそれで、面白くもなった。波が動くのも、音が耳に届くのも、船が動く仕組みも、飛行機が空を飛ぶ仕組みも、すべてこの数式が関わってくるって思うと、楽しくてさ。」
「そうなんだね。」
「勉強に煮詰まると、たまにここの科学ショーに来て、僕の原点を振り返ってみるんだ。子どもの時の僕は、これがやりたかったんだよね、て再認識して、モチベーションを上げてる。」
「そっか、梅崎くんらしいよ。」
「……そういう思いを、望月さんとだったら、共有してみたいなと思って。それで、今日、誘ってみたんだけど。今までだったら、こんなこと、誰にも話したことなかったんだけどね。」
なんて答えたらいいんだろう。私は子どもたちの声でざわめく科学館のホールで、悩んだ。
「梅崎くんと私じゃ、理系に来た動機がまるで違うよ。私は、すごく不純な動機で理系だから。…あんまり、他人とうまく接することができないから、なるべく人とかかわらない仕事で、ずっと働ける仕事って、理系かなと思って。それで理系なだけだし。」
「別にそれでもいいと思うよ。わからないなりに、一生懸命理解しようとしてる望月さんの姿はとても好感が持てる。僕が思う勉強のやり方とか、楽しさを、いろいろ教えてあげたいなとか、そんなことを思ったのは、望月さんが初めてなんだ。」
「私は…。」
梅崎くんのまっすぐな言葉に、どう答えていいのかわからない。
「私じゃなくても、もっと真面目で、真剣に勉強してる子っていくらでもいるよ。なんで私なのかな…。」
下を向いて、自分の膝を見つめてそう言うと、梅崎くんは言葉を続けた。
「僕はさ…あんまり周りに流されない、自分を持ってる子が好きなんだ。流行りものに乗っかって、キャーキャー言ってる女なんて、バカみたいだなと思って、正直、いままで女の子に関心無かったんだけど、あの時、可愛い袋にいっぱい詰められた消しゴムもらった時に、なんか、やられたって思った。」
「え…。」
「見た目は可愛い袋なのに、中身は地味で、しっかりしてて、日常に役立つものを選ぶなんて、なんか望月さんらしいな、と思って、もっと望月さんのこと、知りたくなって、あの日、わざと参考書忘れて行った。」
やっぱりそうなんだ…。
「荒川のことも、最近まで知らなかったとかさ、あと、いま望月さんと同じクラスの、女の子の絵ばっかり描いてる天野さ、あいつも人気あるけど、望月さん、あいつにも興味無いでしょ?唯一、あのクラスで天野に絵を描いてもらってない子だって、僕、聞いてさ…。」
急に天野くんの話題が出てきて、驚くけど、黙って梅崎くんの言葉を聞いていた。
「可愛いねとか持ち上げられながら絵に描かれてる女も、チャラチャラしてるあいつも大嫌いだったんだけど、そういうのに流されない望月さんて、すごくいいと思う。」
「ごめん、梅崎くん。」
私は、梅崎くんの言葉を遮った。
「私、そんな梅崎くんが思ってくれるような女の子でもないよ。消しゴムだって、友達と選んだものだし、それに、天野くんにも、何度も似顔絵も描いてもらってる。」
「え……。」
梅崎くんは顔を上げて呆然とする。
「天野くん、似顔絵描くとき不必要なぐらい女の子褒めるの、私も最初は嫌だったんだけど、それもこれも、いい絵を描きたくて、モデルの表情を引き出すためだって、最近わかったし。あんまり梅崎くんの口から、他人の悪口とか、聞きたくなかったかな。」
「あいつ、かばうの?なんで?」
梅崎くんは驚いた顔になる。
「梅崎くんはさ、すごく真面目で、物理のこともすごく好きで、大学もそういう方面に進んで、研究を進めていくんだろうね。立派だと思う。でも、私は、一人で生きていくために、薬剤師とか、検査技師とかになるために、しょうがなく理系なの。学問が好きな、梅崎くんとは根本的に違う。」
「それはさ…人それぞれだし、そこは僕は気にしないんだけど…。」
急に能弁になった私に、梅崎くんはびっくりして、言葉を選ぶのに必死な感じだ。
「それにね、私、好きな人がいるの。片思いだけど。」
「え………。」
さらに梅崎くんは衝撃を受けたような顔をする。
「まさか、それって、天野とかだったりするの?」
梅崎くんの発言に、私は思わず苦笑する。
「違うよ、天野くんは、ただの友達…。私が好きなのは、中学の時からの人。引っ越して、もう会えなくなってしまって、私、告白しそびれたこと、今でも後悔してる。バスケが好きで、すごく笑顔の素敵な人だった。だから、次に会えたら、私、絶対告白したいの。私、その人のこと、今でも大好きだから、ごめん。」
言い切ったら、私はすっきりした。
「今日は、これを返そうと思って、ここに来たの。」
私は鞄から、参考書を取り出す。
「ありがとう。とても分かりやすくて、こんなダメな私でも、ちょっと物理が好きになれたみたい。でも、もういらない。私も、同じもの、買ったから。これは梅崎くんに返すね。」
呆然としている梅崎くんに参考書を渡して、ソファーから立ち上がる。
「今日は、映画に誘ってくれて、ありがとう。でも、もう誘わないで。梅崎くんの気持ちを知ってしまった以上、友達にもなれないと思う。だから、もう携帯のメッセージも送ってこないで。私、帰るね。今日はありがとう。」
一人で外に出ると、少し小雨がぱらついていたが、身体が火照っていた私には、その雨が涼しく快適に感じて、そのまま濡れて、駅まで走って帰った。
駆。駆。駆に会いたいよ、私。
そして、天野くん、ありがとう。私に勇気をくれて。




