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第二十話 悩みを話せるひと。

 梅崎くんへの返事をはっきりできないまま、日曜日を迎えた。金曜日の物理の時間には、梅崎くんは、「いつでもいいから、その気になった時で」とにっこりしてくれたけど、いつまでも引っ張るわけにもいかない。土曜日の夜、一応、「今週は予定があるので、また今度。」と送っておいたけど、引きのばしてるだけだし。

 二時半きっかりに、いつものようにインターフォンが鳴る。黙って天野くんを迎え入れると、天野くんは例の変装姿で入ってきて、

「珍しく毒づくことも無く、すんなり入れてくれたね。」

 とニヤッと笑った。私は、黙って、天野くんにお茶を入れた。

「だんだん歓迎モードになって来たね、これは偽装結婚の脈ありと取っていいのかな?」

 天野くんの軽口に、反論する気も起らず、ため息で答えると、天野くんは私の顔をじーっと見て、

「悩みがありそうだね、よし、俺が描きながら聞いてあげるから、まずポーズを取ろうか。」

 と、ダイニングテーブルのいつもの席に私を座らせた。

「両肘をついて立てて、両手で頬を覆うように、頬杖ついて、視線はこの辺ね。」

 視線の目印に、と小さな絵の具のチューブをテーブルに置く天野くん。細かい指示を出して、私にポーズを取らせた後は、前の日曜日のように、小さな櫛で、私の髪を整える。

「うん、いいね、悩める少女のポーズ、完成。」

 天野くんは早速ダイニングテーブルの向かいに座って、スケッチブックを広げた。

「……で、望月さんの悩みって何?」

「うーん、天野くんて、モテるよね?」

「うん、まあ、それなりには。」

「……何がいいんだろうね、こんな変な人の。」

「望月さんの悩みって、そんなことなの?」

「いや、違うけど。」

 私は、天野くんが、視線の目印に、と置いた水彩絵の具のひしゃげたチューブをにらみつけて、答えた。

「うまいデートの断り方って、天野くん知ってる?」

「俺は時間が無い、以上。実際無いし。」

「でも、日曜日はこうやって私の絵を描きに来てるじゃん。」

「それは俺の大事なライフワークですから。…一応、建前としてアルバイトしてるってことにはなってるけど。で、望月さんをデートに誘ったのは、例の相合傘の彼かな?」

「そうだけど。映画のチケット貰って、日曜日、いつでもいいからって言われたけど、映画っていつまでもやってるわけじゃないよね、超大作とかじゃない限りは。」

「そうだね、半年のロングランなんてそうそう無いよ。」

 ……それすら考えての、映画のチョイスだったんだろうな。一部評論家からの評価はとても高いけれど、単館上映の、地味な作品。一か月足らずで、もしかしたら公開が終わるかもしれない。いつでもいい、と言いながらも、期限がしっかりある、映画のチケット。

「まあ、映画ぐらい行けばいいじゃない。別に俺、映画終わった後でも描けるし。」

「…それじゃ、天野くんのために行くかどうか迷ってるみたいじゃない。そういう意味じゃないんだけど。」

「ごめんごめん。」

 天野くんは笑い声を立てる。

「彼…、梅崎は、映画に誘う以外のアクションは起こしてこないの?」

「携帯にメッセージが二日に一回ぐらい来る。」

「なるほど、なかなか絶妙な間合いだね。毎日じゃ重いし、間が空きすぎると、自分の存在感は薄れるし。賢い彼らしい動き方だね。」

「梅崎くんのこと、よく知ってるの?」

 私は不思議に思った、あんまり共通点もなさそうだよね、天野くんと梅崎くん。

「んー、去年は同じクラスだったよ。秀才だよね、彼。」

「うん、物理で一緒なんだけど、物理のクラスでたぶん一番できるよ。」

「なるほど秀才ぶりは健在か。もっとも、俺はあんまり彼と喋ったことはないけどね。どうも、彼からは毛虫のように嫌われてた気がするから。」

 なぜか愉快そうに言う天野くん。

「なんで嫌われてるの?」

「さあ?たぶん、いつでも女の子の似顔絵ばっかり描いてるから、一部男子からは反感を買うよね。……前は望月さんだって、そんなふうな目で俺を見てたじゃん。」

 そりゃあ、綺麗だね可愛いねを連呼しながら、教室で似顔絵なんか描かれたら、うっとおしく思う人がいてもしょうがないだろう。

「せめて黙って描いてればいいのに、心にもない甘いほめ言葉を絶え間なく聞かされたら、周りはうっとおしいでしょ。」

「そうかねえ。女の子は、ほめられるとすごくいい表情になるよ。頬が上気して、目がキラキラしてね。でもまあ、硬派な男には反感を買うのはしょうがないのかもね。…しかし、彼が女の子を映画に誘うとはね、意外だよ。」

「なんで私なんだろうね。」

「さあね、彼に聞きなよ。」

 少し突き放すように、天野くんに言われた。私が押し黙ってしまうと、しばらく天野くんも描き続けた。やがて低い声で、天野くんが喋りはじめた。

「デートのお誘いを断ることぐらいはなんてことないけどね、本当につらいのは、本気で好きになってくれた相手を断ることだよ。何度やっても慣れるもんじゃないね。俺だって、女の子に一瞬で嫌われる魔法のひとことがあれば、教えてほしいぐらいだ。」

「そうだよね。デートぐらいでこんなに悩んでごめんね。」

「……とりあえずさ、中途半端な関係が嫌なら、来週デートでもなんでもして、きちんと断りをいれるしか無いんじゃないかな。『友達としてなら』とか半端なことを言わないことだね。あきらめをつけさせてやらないと、残酷だよ、相手にとっても。」

「わかった。ありがとう。」

「別に……。まさか、望月さんの恋の相談に乗ることになるとはね。」

「悪かったわね、めったにモテない地味女で。」

「そういう意味じゃない。……俺も信頼されたもんだな、と思ってさ。蛇か毛虫みたいに、前は睨みつけてたくせに。」

「そうだっけ?」

「そうだよ。」

 うーん、自分でも、ちょっと天野くんに対しての偏見が、以前より薄れた気がする。前は、軽薄でどうしようもないチャラチャラした男の子にしか見えなかったけど、天野くんはひたすら絵が好きで、描くことが好きで、それだけにしか興味がなくて、パートナーを作るつもりもないほど、絵に没頭したいだけなんだって分かってきたし。 それに……。天野くんは、意外とあったかい人なんじゃないかな…。でなきゃ、女の子の告白を、いつまでも断り慣れないなんて、思わないんじゃないかな。

 帰り際、天野くんが、そうそうこれ、と汚いリュックサックから大きなボトルを出してきた。

「これ、こないだ夕飯ご馳走になったから、そのお礼。」

 それは、観葉植物専用の栄養剤だった。

「ありがとう…これ結構いいやつだよね。高かったでしょ。」

「今まで無理やりモデルさせて、その詫び料も入ってるって思って。あんたが何なら喜んで受け取るか、散々考えたけど、こんなものしか思いつかなかった。」

「そっか、すごく嬉しいよ、これ以上の嬉しいものってないかも。」

 私が笑ってお礼を言うと、天野くんは私の顔をじっと見つめて、ふっと逸らした。

「そんな簡単に礼を言っちゃっていいのかな。ずっと俺に描かれ続ける羽目になるよ、そんなに隙を見せてたら。」

「もうあきらめてる。何を言っても、天野くんは描きに来そうだもん。」

 そう言うと、天野くんは、下を向いてリュックを担ぎ直した。

「来週、アイツと映画見に行くなら、終わったら連絡して。あんまり遅くなるようなら、来ないかもしれないけど。」

「わかった。連絡する。」

「じゃあ、また。戸締り気を付けて。」

 静かに天野くんは、扉を閉めて帰って行った。


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