第二話 緑色の部屋
駆がいなくなって、それでも季節は残酷にめぐる。私の心は何も変わらないのに、私は一年ずつ年を取っていく。
あれから。
家の都合で引っ越しをした。駆の実家の近くから、都心部のマンションが、私の家。中学も転校した。高校は、そこそこの進学校に入った。
高校に入ったとたん、父親に海外転勤の辞令が下りた。家族で海外に行くか、両親だけ行くか、父親の単身赴任か、さんざん家族で話し合いをした。結局、私が勧めたように、両親だけで海外に行くことになった。父の会社は、パートナー同伴のパーティを主催することが多く、父親だけの単身赴任と言うのは難しいらしい。では家族で、という話に当然なったけど、私は行くのを渋った。
高校入学したばかりだから、というのが一応の名目。せっかく受験勉強して入ったのに、また一から環境に慣れるのは、面倒くさい。そういう建前で、心配する両親を押し切って、私はマンションで一人暮らしを始めた。
もちろん、理由は、別にある。
理由は、部屋を埋め尽くす、緑色の植物の鉢の数々。サンセベリア、ゴムの木、ポトス、サボテン…。ほかにもまだまだ、いっぱい。
中学を転校して、都心のマンションに住むようになった頃から、私は観葉植物を育て始めた。緑の中で、私は駆のバスケット姿を、いつも見守っていた。緑の中で、私は駆に「好き」っていう予定だった。
花はキライ。
だから、私は、部屋を緑色に埋め尽くす。
観葉植物は、結構手がかかる。手入れがいらないって思われがちなエアープランツだって、状態をよく見ながら、水をあげないと枯れてしまう。
水はあげすぎもよくない。あげすぎると、根が腐って枯れちゃう。肥料も同じ。時々、日に当ててやらないといけない。でも、当てすぎると、葉が日焼けしちゃう。大きくなりすぎると、株分けしたり、植え替えしたり。手間も費用も結構かかる。
両親と一緒に海外に行ったら、この観葉植物たちはどうなる?丹精込めてる植物たちがかわいそうで、私は海外に行くのをためらった。もちろん、そんなことは理由にならないのはわかってる。だから、それは口に出さなかった。ひたすら、高校を変えたくない、って言い張って、認めてもらった。
駆が死んでから、私は笑わなくなった。笑えなくなった、が正しいのかも。
駆のお葬式の後、学校に行くと、なぜかクラスのみんなが、私が駆を好きだったって知っていて、お葬式の日、お母さんの手から花を叩き落として、勝手にいなくなった私を、みんなずいぶん心配してくれた。
「大丈夫?楓ちゃん。」
いろんな人にそう言われた。いつになっても、私が笑わないからだろう。
「大丈夫?」
「大丈夫?」
「大丈夫?」
その言葉で、私の周りはあふれた。もっと具体的な言葉で、慰めの言葉を言ってくれる人もいた。そして、そのたくさんの言葉は上滑りして、なにも私の耳に届かなかった。
泡のようにいくつも生まれて、ぷちぷちとはじける、「大丈夫?」という言葉。その言葉は、私と世の中を隔てる、薄いベールのようになった。
触れてはいけない、かわいそうな子。
だから、転校が決まった時、私は内心、ほっとした。転校先では、私は暗くて、地味な子として扱われた。ここでは誰も、私と駆のことを知らない。私はただの笑わない、暗い子。
誰ともなるべく喋らなくていいように、私は休み時間は本をめくるか、勉強をするかしていた。そのせいか、成績はむしろ上がった。
もちろん、クラスの子に話しかけられたら、ちゃんと相手をする。うんうん、と話を聞いてあげる。勉強を教えて、と言われたら、教えてあげる。ノートを見せて、と言われたら、ためらわず貸してあげる。
そのせいか、暗くて地味ではあっても、そんなに嫌われたりはしなかった。いつまでもおしゃれに目覚めたりすることもなく、流行にも疎かったりするから、ちょっと軽んじられてはいるみたいだけど…別にどうでもよかった。
お母さんは、そんな私を、最初はずいぶん心配していた。お母さんに心配をかけないように、私はなるべく、いつも通りに規則正しく生活するように心掛けた。
朝、ちゃんと起きること。自分の服を自分で手入れすること、朝ごはんをきちんと食べること。そして、成績を落とさないこと。
少しずつ、少しずつ、私が笑わないことが普通になって、両親は何も言わなくなった。あきらめた、のかもしれない。この子はこういう子だって、思うようにしたのかもしれない。
そして、少しずつ、部屋に観葉植物が増えて…。私の部屋は緑色に染まるようになった。
中学の転校先でも、地味な子で、高校に進学しても、おなじく、笑顔の少ない地味な子で。それで良かった。私は、駆がいないと笑えない。駆以外の人は、いらない。
緑に包まれた部屋で、私は眠る。それだけで、よかった。
高校二年の五月、ベッドの中で、私はゆっくりと目を覚ます。
…今日は水曜日。そのせいか、また駆の夢を見た。夢の中の駆は、あの時と同じ、ちょっと欠けた前歯で、少し離れた目で、ニカッと笑って。全然かっこよくない。でも、私にはキラキラしてた。あの笑顔が大好きだった。
ベッドの中から、そっと手を伸ばして、目をつぶる。二度と触れられない、あの笑顔に近づきたい。ため息をついて、私はベッドから滑り降りた。
朝の日常は、いつも決まっている。まず、植物の手入れ。どの植物も元気か、枯れた葉は無いか、一本一本チェックする。必要があれば水やりをして、水やりをした植物の鉢には、日付を書いた付箋を貼っておく。いつ、水やりをしたかの記録。
それから、パジャマ姿のまま、アイロンをかける。ブラウスがぴんとしわなく伸びていると、気合が入る。制服のプリーツスカートにも、丁寧にアイロンがけをする。
朝ごはんを作る。トーストと目玉焼きとサラダ。日によっては、ご飯とお味噌汁の時もある。
そして、制服を身につけて、玄関できれいに磨いた靴を履く。玄関の下駄箱の上に置かれたサボテンに向かって、いつものように
「行ってきます、サボ太郎。」
と、声をかけようとしたとき、私はあることに気づいて、顔をしかめた。
サボテンに、つぼみがついていた。
観葉植物は、基本花はつかない種類を選ぶ。でも、サボテンは、ごくごく稀に、こうやって花をつける。花は嫌いなのに。
衝動的につぼみをむしり取ろうとしたとき、私の指は、トゲに阻まれた。
「痛っ。」
ちくりと広がる痛みとともに、指にじわっと赤い血がにじみ出た。まるで、たった一つの花を守るかのように見せた、サボテンの抵抗。
「いいよ、勝手に咲きなさいよ。なによサボ太郎のくせに。」
私はサボテンに毒づいて、玄関を後にした。