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第十二話 天野くんの描く将来、楓の道。

 明けての日曜日、午後二時半きっかりに、天野くんはインターフォンを押した。ため息をつきながら、ドアを開けると、いつもの変装姿で、ぼろぼろのリュックを抱えて天野くんは入ってくる。

「よしよし、この間よりも早く入れてくれたね。ご苦労ご苦労。」

 茶化したように天野くんは言う。

「あんまりその不審な格好で、玄関前をうろうろされたら、近所の人目もあるし、私が困るのよ。」

 私はブツブツ言うが、天野くんは意に介している様子もない。

「そうそ、あんたの連絡先、俺知らないことに気がついたから、携帯の連絡先交換しておこう。」

「え?」

「ほら、どうしてもって用事があるときは、連絡してくれたら遠慮するから。…熱が出たとか、親類の法事とかさ。」

「はあ。」

 なんとなくうまく言いくるめられた気もするけど、天野くんと一応、携帯の連絡先を交換する。

「ちょっと着てほしい服装があったから、連絡しようと思ったら、あんたの連絡先、知らなかったわ。」

「なによ着てほしい服装って。コスプレなんてしないよ?」

 私は警戒する。

「別に。ただ、学校の制服だよ。」

「なんでまた?」

「いいから、着替えてきてよ。ほら、寝室あっちでしょ。」

 天野くんに強引に寝室に押し込まれる。ドアを閉める前に、

「うわ、ここはリビングにもまして、植物がすごいな。」

 とつぶやいて、天野くんはドアを閉めて行った。ほっとけ。

 私は天野くんの身勝手さに腹が立つけれど、ここでまた揉めると、彼が帰る時間が一段と延びる気がして、一応素直に制服に着替えておく。先週だって、絵を描き終ったら、さっさと帰ってしまったのだ。今日もそうしてもらうに限る。制服を着て、リビングに戻ると、天野くんはにっこりと笑って、古びた鞄を渡す。

「これをね、こう、胸に抱きしめる感じにして持ってくれるかな。」

「なに、この鞄。」

「うちの母親の学生時代の。この間、物置を整理したら出てきて、それでピンと来たんだよね、今日の構図。」

「はあ。」

「あ、鞄を持つ前に、もう一つ。」

 天野くんはリュックサックの中を開けて、ごそごそと中を探る。。天野くんが取り出したものは、ブラシと黒いヘアゴムだった。

「なにするつもり?」

「俺がやってあげるから、とりあえず椅子に座って。」

 天野くんはブラシを取りあげて、私の髪をとかし、二つに分けて、三つ編みを始めた。

「じっとしてて、すぐ済むから動かないで。」

「……何やってんの?」

 耳元で動く天野くんの手がくすぐったい。

「何やってんのって、おさげ。」

「おさげ?」

「そう、昭和の女学生風のスケッチを、今日はしようと思って。ほんとはセーラー服とか着てほしいけど、ほんとにコスプレっぽくなりそうだから、とりあえずうちのブレザーでがまん。」

 そう言いながら、器用に三つ編みを続ける天野くん。

「…よく三つ編みなんかできるね。」

「小さいころ、近所のお姉さんの人形遊びに付き合わされて、教えてもらった。ほら、手先は俺、器用なもんで。」

 そんなことを言っている間に、あっという間に三つ編みのおさげが出来上がった。

「よし、いいね。うなじが見える感じで、鞄を抱きかかえて、うつむいたところを、斜め後ろから描こう。」

 天野くんは楽しそうに、私を椅子に座らせて、角度を決めて自分も椅子を引き寄せて、描き始めた。

「なんか、すーすーする。普段、こんな髪しないから。」

「後ろで一つまとめか、普通に下ろしてるか、どっちかだもんね、望月さん。」

 そう言いながら、鉛筆を忙しく動かしている様子の天野くん。今日は斜め後ろから、ってことで、天野くんの様子はほとんどわからない。太郎に「もっと天野くんのこと、聞いてみれば」みたいなことを言われたな、と思って、ひまつぶしに私は尋ねてみる。

「天野くんは、やっぱり美大とかそういう系に行くの?クラスの子が言ってたけど。」

「そうだね。国立の芸大が第一志望で、あとは美大を二、三、受けるつもり。」

「……で、将来は、やっぱり画家?」

「いや、俺、ほんとは職業画家は、まったく考えてないんだ。」

 その答えに、私は驚く。

「え?なんで?そんなに絵が好きなのに。」

「うーん、もちろん、美大に進んだら、四年間、本気で絵を勉強するよ。で、留学もしようと思う。アメリカか、ヨーロッパに。」

「そこまでして、なんで?」

「そうだね、なんて言えばいいか…。俺は、売れる画家にはなれないと思う。ていうか、なりたくない。」

 天野くんの答えに、ますます驚く。

「言ってる意味がわからないんだけど…。」

「僕は、人間のあるがままの姿、そのままの表情を描く絵描きになりたいんだよ。…いつか、僕の描いた絵を持ってきて、見せてあげる。クラスの女の子たちのね。」

「うん……。」

「それを見ればね、僕の言いたいことが分かってもらえるかって思う。」

「ふうん。」

 来週は梅雨入りするって天気予報で言ってたけど、雨が降ったら、さすがに公園の似顔絵描きができないから、梅雨入りしたら、天野くんもここに来ることも無いんじゃないかな、と私は思ったのだけど、あえて、それには触れなかった。

「じゃあ、大学を卒業したら、天野くんはどうするの。」

「人間をたくさん観察できる職業に就くよ。」

「人間をたくさん観察できる仕事、ってなんだろう。」

「当ててみてよ。」

 愉快そうに天野くんは言うので、私は真剣に考える。

「接客系だよね…。夜のお仕事とか、観察できそうだよね、バーテンダーとか。」

 黒服が似合う、と言っていたクラスの女の子の言葉を思い出して、言ってみる。

「うーん、そういう仕事は、プライベートの人の顔はたくさん見れるけど、仕事をしている男の顔は見れないなあ。」

「え…天野くん、男性も描くの?女の子ばっかり描いてるから、興味がないのかと思ってた、男性を描くの。」

「そんなことも無いよ。」

 あっさりと天野くんは言う。

「男には『描かせて』って声をかけづらいのと、あと、十代の男は表情が乏しい。四~五種類ぐらいの表情しかないように見える男が多い。その点、女の子は十代から、ちゃんと『女』だ。いろんな表情を見せて面白いから、僕は学校では女の子ばかり描いてる。」

「男の子は、表情が乏しい、…のか。」

天野くんの視点がよくわからなくて、相槌に困る。

「笑う、怒る、それ以外の表情が乏しいんだよね、十代の男は。でも、男も四十代ぐらいになると面白い。すごくいろんな表情を見せる。俺は、若い女だけじゃなくて、超一流の男たちが集うところで、働いてみたい。」

「人間観察のため?」

「そう、まさにそれ。」

 超一流の、男たちが集う場所、か…。

「高級ホテルとか?」

「ご名答。どう、俺、優秀なドアマンやクラークになりそうじゃない?」

「確かに、似合ってる。」

 にこやかにほほ笑みながら、『超一流の男たち』を迎え入れる天野くんが容易に想像できる。どんな時でも、彼は微笑みを絶やさず、全ての客が快適に過せるように気を利かせるホテルマンになるんだろうな。

「留学して、絵だけじゃなくて、語学も磨いて、俺は超一流の接客マナーを身につけて、世界で戦う男や、それに群がる女たちを見てみたいな。そして、それを絵に描く。これが、俺が描く将来の自分。」

「ふうん……。」

 ちょっと毒気を抜かれて私は言葉に詰まる。世の中、いろんな仕事があるけど、人間観察のため、ホテルマンになって、それを絵に描くことを考える高校生なんて、あんまりいないんじゃないかな。

「やっぱ、天野くんて、ちょっと変わってる。」

「変わってる?俺は自分に正直に生きたいだけだよ。」

「浦部さんを断ってるときは、絵と心中しそうな勢いだったのに。」

「ま、実際、心中したいぐらい絵が好きだけど、実際それじゃキャンバスも絵の具も買えないってんじゃ、意味ないからね。それに部屋に引きこもってたって、いろんな人間を見ることは不可能だし。」

「それでホテルマンか……。」

「そう、人間観察できて、なおかつ、絵の元手となる収入を得ることが出来る。最高だよね。」

「変人……。」

 私は少し笑った。

「望月さんは?将来は何を目指してるの?」

「私は、天野くんと逆かな?人とあんまり関わらない仕事をしようと思ったら、理系の道しか思いつかなかった。文系脳なのに、理系に行っちゃって、私、結構大変なの。」

「へえ……。そんな理由でリケジョだったんだ。」

「うん。私は、可愛い植物たちを世話をして、一生独りで終える予定だし、独りで長く生きていけて、さらに、接客が最低限な仕事って、理系がよくない?検査技師とか、研究員とか。」

「なるほどね…。」

「だから、毎週、こうやって天野くんに時間を取られるって、なかなか邪魔なんだけど。」

「はっきり言うね。」

 天野くんは楽しそうに笑った。

「だって、ほんとうに、数学や物理化学に取り組まないと、私なかなかついて行けないのよね。日曜の午後は貴重なのに。」

「なるほど、教えてあげたいけれど、哀しいかな僕は文系で。」

「うん、ほんと迷惑。私にメリットって何もないじゃん。」

 やっと言いたいことを言えた気がして、私は胸がちょっとすく。ここまで言ったからって、天野くんが遠慮して、もう来ないって言うとはとても思えないんだけどね。

「塾とか行かないの?」

「これ以上人とかかわるのが面倒。来年になったら、そうも言ってられなくなるかもしれないけど、まだ二年の間は、なるべく一人でなんとかしたい。」

「へえ、面白いね。それも望月さんらしくて。」

 今日はなんだかんだと喋っていたせいか、割と時間が早く過ぎて、『出来たよ』と天野くんが言うのが、意外に早く感じられた。

「へえ…。」

 相変わらずの出来栄えに、私は感心する。天野くんが言うように、ちょっと昭和風と言うか、レトロな感じに仕上がっている。鉛筆だけで、ここまで表現できるって、すごいな。

「自分のうなじって、見るの初めてだな。」

「悪くないでしょ。」

 天野くんは自信ありげに、ニヤッと笑う。近づいてきて、おさげを縛っていたゴムを回収される。そのまま無造作に、手ぐしで三つ編みをほどかれる。相変わらず気軽に触れてくるんだから。

「へえ、こうやってウェーブしてる髪の望月さんも新鮮だな。今度はこれも描いてみよう。」

 三つ編みでゆるくウェーブした私の髪を馴れ馴れしく触りながら、そんなことをつぶやく天野くん。

「もう!いつまでも気楽に触らないでよ。」

 私は天野くんの手を振り払う。

「いつも黒髪ストレートのロングだけどさ、髪型変えようとか思わないの?」

 邪険にしても、一向になにも気にしていない天野くんが尋ねてくる。

「思わない。自分で切るには、このぐらいの長さがないと不便。」

「え、自分で切ってるの?」

天野くんが驚いたように目を見開く。

「うん、だって、美容院代がもったいない。そんなお金があったら、株分けの鉢や、植物の肥料が買える。」

 そう言うと、天野くんが爆笑した。お腹を抱えて苦しそうに笑ってる。ふん、丸眼鏡のぼさぼさ頭の天野くんに笑われたって、痛くもかゆくもない。

「…なんか、理由がすごく、あんたらしくて笑える。」

「あっそ、もう描いたんなら帰ってよ。言ったでしょ、私、勉強しないといけないの。」

「ごめんごめん、じゃあ、また来週。」

 笑いすぎて涙目のまま、天野くんは帰って行った。


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