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第一話 水曜日の駆

「かえでー。」

 うしろから男の子の声がする。振り向かなくてもわかる、カケルだ。カケルが、ランドセルのフタをぱかぱかさせながら駆けてくる。

「一緒に帰ろーぜえ。」

 そんなことを言いながら、ニカッと笑う。

 前歯の先が、ちょっと欠けてる。永久歯生えたばかりのとき、すぐにやんちゃして欠いたんだ、てカケルのお母さんが言ってた。

 私、望月楓もちづきかえで早川はやかわ かけるも小学校四年生。家が近くで、よく帰り道が一緒になる。

 小学校では、おんなじクラスになったことがない。だから、学校でカケルがどうしてるなんか、知らない。でも、帰り道、私が一人で帰ってるのを見つけたら、ぜったいカケルはこっちに向かってぱたぱた駆けてくる。カケルの名前どおりに。

 駆、カケルって名前も、男の子は外を元気で駆け回ってほしいからって、そういう名前にしたってカケルのお母さんが言ってた。

「一緒に帰ってもいいけど、ランドセルのフタ、ちゃんと閉めなよ。」

 私は文句をつける。

「えー、めんどいー。」

 カケルは口をとがらせる。

「もうっ、後ろむいて!私が直してあげる。」

 カケルは素直にくるりと回る。私はしゃがんで、首を傾けて、カケルのランドセルの留め金をはめ込む。

「できた。」

「ありがと。」

 カケルはこっちを向いて、またニヤッと笑う。私より背が低くて、同級生には見えない。弟みたい。

 カケルは口を開く。

「おまえのクラス、リコーダーの宿題、出た?」

「出てないよー。」

「なんだよそれー、ずりーよー。俺らんとこ、しょっちゅうリコーダーの宿題出るんだよー。俺、苦手なのにー。」

 そうだよね。カケルは家の中でリコーダー吹くよりも、外で駆け回っていたい。

「やったかやってないか、ちゃんと親にハンコもらえとか、細かいんだよなー、うちのクラスの先生。算数の宿題も多いしさあ。」

 なにげない会話、いつもの会話。

「かえでとおんなじクラスなら、おまえの宿題ぜんぶ丸写しできるのになー。」

 私はくすくす笑う。

「そんなこと考えるから、私たち一度も同じクラスになれないんだよー。」

「そうなのかなー。」

「聞いたことある。あんまり家が近いと、一緒のクラスになれないんだって。」

「そっかあ。俺に宿題、写させないためかー。」

「そうだよ、カケルのばーか。」

 あっかんべをして駆け出すと、カケルが怒って追いかけてきた。すぐに抜かされる。

「へっへー。かえで、足遅ーい。でかいくせに。俺負けないもーん。」

 カケルはチビのくせに足が速い。だって名前が駆だもん。ちょっと離れたたれ目が、からかうようにニヤッと細められる。

 私はカケルに追いつこうと必死で走る。でも、ランドセルが邪魔で、重くて、息が切れる。

「待ってよー、待って!」

「かえでー、こっちこっちー。」

 カケルの背中を追いかけて、私は一生懸命走った。

 そんなことを繰り返しながら、季節は過ぎて、めぐって、私たちは中学生になった。


 小学校の間、一度も同じクラスになれなかった私たちは、中学校になって、初めて同じクラスになった。

 駆は、あの頃と同じ、ちょっと目が離れて、たれ目で、いつも笑ってるような顔で。でも、背がずんずん伸びて、いつの間にか、私より背が高くなっていた。クラブはバスケ部に入った。

 私は、茶道部に入った。水曜日は、必ず部活が休み。職員会議だって。

 水曜日の昼休憩、私は駆に声をかけられる。

「楓、今日なんか予定ある?」

「特にない。」

 私が言うと、あの頃の笑顔のまま、ニカッと笑って、

「なら、一緒に帰ろうぜー。」

 駆が言う。


 いつからだろう。そんな駆にドキドキするようになったのは。

 同級生なのに、チビで、生意気な笑顔で、いっつもランドセルのフタをぱかぱかさせて、弟みたいだった駆。格別かっこよくもない、ただの普通の男の子。勉強はできるわけでも、できないわけでもない。バスケも、上手いのか下手なのか、さっぱりわからない。ただの、家の近所の男の子。

 それだけ、だったはずなのに。

 駆が誘ってくれるから、水曜日は予定を入れないの。友達と遊ぶのは、別の曜日にする。

「楓ちゃんて、早川くんのこと、好きなんだよね。」

 他のクラスメートにも気づかれる。早川駆、がフルネーム。私以外の女の子は、駆を苗字で呼ぶ。

「そう…なのかな。」

 私はあいまいに言葉を濁す。


「だって、早川くんが『一緒に帰ろう!』て声をかけるとき、楓ちゃん、ぱあっと顔が輝くもんね、わかりやすい。」

 友達はくすくす笑う。

「そ、そうなのかな。」

 私は赤くなった頬を、両手で押さえる。好きってこういうことなの?一緒に帰るのを誘ってもらうのが嬉しいってことなの?声をかけてもらうことが嬉しいってことなの?

「で、早川くんも、きっと楓ちゃんのこと、好きだよね?」

「そんなことは、ないと思う。」

 ドキドキしてるのは、私だけ。だって、小学生のあの頃から、駆はちっとも変わらない。

 家が近いから、一緒に帰ろうって言ってるだけ。私にはそうとしか思えない。

「だって、帰るのを誘って、楓ちゃんが嬉しそうに顔を輝かせてうなずいてるとき、すごく早川くんも嬉しそうにしてるもん。」

「そう、かな。」

 私にはいつもの笑顔に見えるけど、駆も、私のこと、好きだって思ってくれたら、嬉しい。…まだ、中学校一年、つきあうとかって、具体的にはどういうことか、わからない。

 でも、私は駆が好き。自分の気持ちがわかったら、駆に好きって言いたい。好きって言って、もっと笑ってほしい。

 私だけを見て、私が駆を好きなように、駆も私に好きって言ってほしい。

 ねえ、駆、駆も私を好き?駆に聞いてもいいかな?


 水曜日、駆といっしょに帰る日、駆はかならず河川敷に寄って、バスケットの練習を少しだけする。きれいに整備された河川敷には、古びたストリート用のバスケットのゴールが置かれていて、そこで駆はドリブルとシュートの練習をする。狙い通りに決まると、私の方を見て、必ず

「見た?見た?」

 と、自慢げにニヤッとする。

「見た。綺麗に決まったね。でもまぐれかもしれないから、もう一回やって見せてよ。」

「なにを、こんちくしょ!」

 駆は真面目な顔になって、もう一回ドリブルからスタートする。河川敷のコートはフェンスの周りが緑で、木がざわめく。緑のコートの中で、駆は真剣な顔をして走る。

 真剣な顔をしてる駆も好き。

 笑顔の駆も、もちろん大好き。

 好きって言いたい、言いたい、我慢できない。でも、恥ずかしい。困らせたら、どうしよう。もう、一緒に帰ろうって、誘ってくれなくなったら、どうしよう。

 夕陽の中で、真剣にバスケをしている駆を見ていたら、胸から思いがあふれる。駆、大好きだよ……。

 次の水曜日は言おう。絶対言おう。好きって言ったとき、駆の笑顔が見たい。

 夕陽を背中に浴びながら、私は駆に告白する決意を固めた。


 駆と家の前で別れるとき、ばいばいって言う前に、私は少し、黙った。今、言っちゃおうかな…。でも、次の水曜日って決めてるしな。

「あのね、駆…。」

 思わず、すごく真剣な顔になる。私が思いつめた顔をしてるからだろう、駆も真面目な顔になる。

「あのね、あの、次の水曜日もね、……私と一緒に、帰ってくれる?」

 次の水曜日は、告白したいから、絶対一緒に帰りたい。だから、約束だけはしておきたい。

 私がそういうと、駆の顔がぱあっと輝く。…あ、私も駆に誘われた時、こんな顔、してるんだ。その時、わかった。

「ぜんぜんいいよ。ていうか、楓から誘ってくれるの、初めてだな。」

「そうだっけ。」

 嬉しそうな駆の顔を見た私は、それだけで顔が熱くなる。そっか、帰る約束するだけで、こんなに駆が嬉しそうなんだもの。駆だって、きっと私が好きなんだよね?

「うん、約束。来週は、一緒に帰ろうね。」

「うん、またバスケやるから、見てろよな。」

「うん、楽しみだね。」

「俺も、楽しみ。」

 そう言って、駆は手を振って、家の中へ駆けこんで行った。

 駆、大好き。

 次は、絶対、駆に好きって言うんだからね。あの、緑のコートの中で。



 そして、約束の水曜日。それは永遠に来なかった。

 次の水曜日は、駆のお葬式の日になった。



 月曜の夜、いつものように寝床についた駆は、永遠に目覚めることは無かった。死因は、不明。寝ている間に、駆の臓器は、すべて動きを止めた。

 水曜日、棺の中の駆は、眠っているままだった。二度と目を覚まさなかった。

 駆の両親は号泣していた。ひとり息子が突然、亡くなったんだもの。私の両親も、もらい泣きしていた。参列したクラスメートも、みんな泣いていた。

 でも、私は、信じられなくて、目を見開いて。なにも目に入らない、耳に入らない。

 お坊さんのお経の声も、みんなの泣き声も。なにも聞こえない。ぼんやり、ざわざわ。遠い遠いところで、誰かが何かを言っているのが時々聞き取れるぐらい。

 不意に、誰かが私の体をゆする。

「クラスメートの皆さんで、駆くんの顔の周りに、お花を置いてあげてください。」

 司会の人の声が、突然耳に入る。

 ぶち、ぶち、ぶち。

 係りの人によって、葬儀場に飾られる生花から、花がむしられる。クラスの子たちが、その花を、眠っている駆の棺に入れていく。

 いや、駆を花で飾らないで。駆に花なんて、似合わない。私は後ずさる。菊の花、百合の花、いろいろな花で、駆がうずもれていく。むせかえるような、花の匂い。

「ほら、あなたも駆くんにお花をあげなさい。仲良かったでしょ?」

 私の体をゆすっているのは、私のお母さんだった。駆の棺に花を入れろと、私の手に無理やり花を持たそうとする。

「いやあああああああ。」

 大声が出て、私はお母さんの手から、花を叩き落とす。

「駆は死んでない、死んでない、だって、約束したもの!今日は一緒に帰る日だったの!」

 私はその場から、駆け出した。


 走って、走って、走って。

 いつもの河川敷のバスケットコートの場所についた。私はここで、駆に好きって言う予定だった。駆はそんな私に、笑ってくれるはずだったのに。それなのに、駆はここにどうして来ないの?どうして?


 季節は、五月の終わりだった。河川敷の対岸の緑が鮮やかで…。花なんかひとつも見当たらなかった。こんな緑の鮮やかな色の中で、私は駆に好きって言う予定だったのに。

 どうして駆は、あんな冷たい箱の中に入って、似合わない色とりどりの花で飾られてるの?

 そんなのおかしいよ。駆は花なんて、似合わない。駆は、この緑が似合う。

 駆。

 駆。

 駆。

 戻ってきてよ、駆。 大好きだよ、駆。

 好きって、言わせてよ、駆…。


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