俺が優秀な人材を逃したのは
廊下に靴の音が響く。
しんと静まり返るなか、苛立ちは募るばかりである。
どうしてこんなことになったのか。
最初は突然のこと過ぎて何もわからず、焦るばかりであったが、とりあえず分かっているのは、自分がたいそう上から叱られるということだけであった。
真相を知った今となっては、そんな馬鹿げたことで自分の人生の危機に陥っているなど考えたくもない。
自分の生徒達の残念さに笑える。
まあ、一瞬の笑みもこぼしていないが。
俺のクラスには大変優秀な生徒がいた。
日本でもトップレベルと言われるこの超進学校のなかでのトップに位置しているのだ。
数多くの大人が、言葉で言い表せないほどの期待を彼女に抱いている。
そんな超進学校の教師をしている俺は、自分で言うのもなんだか、エリートコースを突っ走っていると思う。
そんな俺が彼女の担任になった。
これはチャンスだと思った。
彼女は真面目で大人しく、大人びていた。
つまり、手間のかからない良い子ちゃんであったのだ。
俺ら教師にとって、そんな良い子ちゃんほど安心できる生徒はいない。
校長に彼女の学力の向上とサポートを言い渡され、またエリートコースを突き進んでいった。
前年の俺のサポートが良かったのか、今年も彼女の担任にしてもらえて、正直、うはうはだった。
これが転落に繋がろうとは考えもしていなかった。
彼女が退学すると言い出したのだ。
突然の宣言に俺は動揺した。
俺のサポートは完璧だったはずだ。
将来何かを発明したいという彼女は、理系科目が飛び抜けて得意だった。
英語は論文を書くのにいるからと、この学園の英語の教師よりもペラペラと、専門用語を話す女子高生の姿は、若干引くところがあった。
そんな彼女が最初の国語のテストを白紙で出したことが問題になったことがあった。
もちろん、教えていた国語の教師は半泣きで、どうしてどうしてとつぶやいていた。
なぜかとその理由を聞くと、国語は正直要らないと思うんですよ、と言う彼女に必死で国語の意義を説いたのはいい思い出だ。
結局は、全て正論で返されて、最後は半泣きで頼み込んだのだが。
最終的に、そんな状態の俺に同情したのか、深くため息をついてから、次からは解答しますが勉強はしませんよ?と言った。
もうそれだけで、あの教師は救われるだろう。
俺はもちろん!と何年ぶりかの良い返事をした。
それからというもの、解答用紙が埋まって提出されるようになった。
国語の教師は嬉し泣きしていた。
結局は泣くんかいと思ったのは俺だけじゃないと思う。
テストを拒むということは、相当苦手なのかなと思っていたが、勉強してないからか少し他のテストよりは低い点数であったが、全体で見ると、ぶっちぎりの1位であった。
ちょっとイラっとした。
そんなこんなで今まで囲ってきた望月希呼が退学すると言い始めた。
面倒臭いことが起こって、良い機会だからずっと前から呼ばれていた大学に行くというのだ。
必死に説得はしたものの、意思を変える可能性はないと断言され、諦めざるを得なかった。
ところで面倒臭いこととは何があったんだとい聞いたところ、目が笑ってない笑みを浮かべ、生徒会の奴らに聞いてください、と変にいつもより高い声で言われた。
背筋が凍るかと思った。
もちろん、俺はすぐに生徒会室に向かった。
そして、話を全部聞くまでもなく部屋を退出した。
退出の際、お前ら糞共のせいで俺の人生が、と呟いてしまったのは無理がないだろう。
そして、校長に報告をしにむかう現在に至る。
ノックを2回した後、ガチャリとドアを開ける。
部屋のなかには青ざめた顔の校長と青白い肌の少女がいた。
「あら、先生。お早いお帰りで。もしかして、あれらの話を途中で切り上げて来たのですか?」
「まあ、そうだ。」
「それより、不破先生、これは一体どういうことかね?」
先ほど聞いたことを淡々と述べる。
もちろん、望月の肩を持って。
というか、第三者から見ても悪いのはあいつらだしな。
俺の話を聞いた校長は益々顔を青くさせるも、望月に促されて退学届にハンコを押した。
満足気にそれを見届けた望月は、何かを思い出したように、あっと小さく声をあげる。
「不破先生の対応はとてもよく、この1年余りを楽しく過ごすことができました。」
営業スマイルともいえる笑顔でにこりと笑いかけた後、くるりと校長から背を向けた。
俺の方にゆっくりとした足取りで歩み寄ってきた彼女は、すれ違い様にそっと呟いた。
「これで借りは返せたかしら?」
「借り?」
「随分と前にあなたに助けてもらったのよ。まぁ、忘れているのなら別におもいださなくてもいいわ。私の気が済んだのだから。」
なんのことだかさっぱりわからなかったので、彼女の顔をついついガン見してしまった。
眼鏡の隙間から見えた目が青いような気がした。
そういえば、入学式のとき、あなたの青い瞳に心を奪われましたとか叫んでる奴いたなぁ。
周りに迷惑なほどの大声での告白だったので、「わからないほどこっそりとするのが青春だ!だから、黙れ!」と意味わからないことを叫んだような気がする。
そんなことを呆然と考えているうちに彼女は行ってしまったようだ。
では、用件が済んだ俺もお暇するとしよう。
丁寧に校長に謝罪の言葉を述べた後、流れる動作で部屋から出る。
今日はさっさと帰って高めのワインを飲みたい。
しかし、ある女子生徒によって思考を、止められた。
「秋人先生!も、望月さんは?」
名前を呼ばれて鳥肌が立った。
言いづらそうに、上目遣いで見上げるようすが、俺の苛立ちを更に大きくしているのにそれは気づいてない。
「先ほど、退学届が受理された。」
「……そうですか。」
残念そうに見せているものの、顔をヒクつかせている。
余程、彼女を退学にできて嬉しいのだろうか。
「あの、先生が私のことを案じて下さったのには感謝してます。話の途中なのに、急いで望月さんのところへ行ってくれたのも、私のためなんだと考えたら……。ありがとうございます、先生。」
相変わらずの上目遣いで、計算したように俺の手を取り、頬を染めた。
「正直、虫唾が走る。」
「えっ。」
あ、心の声が漏れてしまった。
まぁいいか、とさっさと手を振り払った。
それの目は訳が分からないと阿呆けた顔をしたが、すぐに上目遣いの、今度は泣き顏になった。
「どうして?あんなに愛してくれたじゃない。あんなに私の名前を呼んでくれたでしょう?」
なにそれ、寒気がする。
別に愛した訳でもないし、それほど名前を呼んだ記憶もない。
そっちが勝手に擦り寄ってきて、体がちょっと良かったから相手してやったけど、別にそれだけだ。
性格の悪さが始終伝わってきて、気持ち良さの欠片も感じなかったし。
それ以来、話しかけられても、教師として拒否できないので、それなりに接して来てやったが、誘いは全て断った。
そこに愛などあるはずがない。
というか、、
「一回やったくらいで調子乗んな。」
しんと静まり返った廊下にどこからか鼻で笑ったような声が聞こえた。
鼻で笑った人は誰でしょうか