-007 『ただし、周りから見れば男一人』
「それにしても、凄い人たちだったわ」
説明を聞き終えて、ごくごくと美味しそうに水を飲んでライムが言った。
現在俺達がいるのは男子トイレの個室の中。嫌がっていたライムだが、流石に仕方ないので諦めてくれたのだ。
あの後、神田先輩が軽く頭を叩いたら、すぐに部長は息を吹き返した。目覚めると面倒だし、昼休みがなくなるので俺は意識が戻る前に退散したのだ。
「まぁ、学内でも屈指の有名人だからな」
「じゃあ、あんたにもなにか秘密があるの?」
ライムが期待の視線を向けてくるが、あいにくそんなものはない。しいていうなら、中学のときにあった事故ぐらいだ。
「俺はごくごく普通の一般人だよ。今は大きな秘密は抱えてるがな」
「大きな秘密って?」
秘密の張本人が興味津々の様子で聞いてきた。俺にとって変な隠し事といったら、こいつの存在ぐらいだ。
「お前だよ。自分がどれだけ非常識な存在か、まだ分かってないのか?」
「えっ? どういうことよ?」
ペットボトルから頭と腕だけ出して水を飲むライムは、どう見ても普通とは言えないだろう。俺は二日目にして早くも慣れてきた光景であるが。
「自分の性格が恨めしい……」
「どうしたの? 悩みがあるなら相談に乗るわよ?」
悩みの原因に言われても意味はない。けれど、その気遣いがなんだか胸にしみる。
部長にしろ、ライムにしろ、状況に流される俺の性格が一因でもあるわけだし。
色々と疲れた昼休みが終わり、午後の授業でも特にライムのことが見つかることもなく放課後となった。だが、俺にとっての本当の地獄はここからである。
「……よし、いくか」
「うん、楽しみだわ♪」
決死の覚悟で呟く俺と、嬉しそうに声を弾ませるライム。
今から入るところは同じであるのに、何故こうも態度が違うのか?
「……決まってる、場所と性別だ」
学校帰りに立ち寄ったショッピングモール。そして、目の前の店は女性服店。
考えてみて欲しい、男一人で女性者の服を選ぶ様子を。変態と思われること請け合いだ。
実際はライムの為であっても、彼女の姿を見せられない以上、傍目からは俺一人と見えるのだから。
「先に言っておくが、あんまり金はないからな。それと、くれぐれも目立つことは避けてくれよ」
「分かってるって、清司ってば心配性なんだから。それにしても、洋服選びって初めてのはずなのに、なんだか凄く心が躍るわ」
ばれることだけじゃなく、金銭的にも甚だ不安だ。
しかし、ここで待っていても不審者扱いをされるだけ。買わずに帰れば散々ライムに文句を言われたうえ、裸ワイシャツとの日常生活を送る羽目になる。
退路はない。もう俺には進むことしか許されていないのだ。
「さっさと決めてくれよ……」
「ちょっと、レディに買い物を急かせるなんて、紳士としてあるまじき行為よ?」
小声でそんなことを言い合いつつ、店内をうろうろと見回る。
あぁ、時折向けられる店員の視線がとても痛い……。
「よし、決めた。じゃあ、試着室へいきましょ!」
「少しは声のトーンを下げろ。気づかれるだろうが……!」
小声で怒鳴るという器用なことをしつつ、俺は試着室の前へとやってきた。そして、ライムが選んだ洋服と共に、店員に見えないようこっそり、ライム入りのボトルをそこへ入れる。
この中でなら、誰かに見られる心配もないし彼女も堂々と試着できるのだ。
「ふぅ、やっぱり外は気持ちいいわ」
「それはいいから、試着するならさっさとしてくれ……」
一刻も早く店から出たいのだ。今でこそ試着中の連れを待つ男という格好でも、先ほどまで一人でぶらついていたことに変わりはない。
「ねぇ清司」
「ん、なんだ?」
益体もない考え事を中断して、試着室へ目を向ける。そして、次の瞬間、その扉が開かれた。
「どう、似合ってるでしょ?」
「おぉ……」
思わず、声が出た。
ライムが着ていたのは淡い水色の服。
上下が一体になっているワンピース型で、ところどころに軽くフリルがあしらわれている。薄い布地のためか胸や腰など、ライムの身体のラインがよく分かった。
何度か裸を見たことがあるけれど、こんな風にちゃんとした服を着た姿は新鮮だ。
「うん、じゃあこれにするわ」
俺の反応を見て満足げにライムはまた試着室へ戻ってく。服選びが早く済んで助かったはずなのに、なにか胸の中にもやもやした感じが残った。
結局、買ったのは先ほどのワンピースと適当なシャツとスカート。
「はぁぁぁぁ……」
女性服を買う俺を店員は少し訝しんでいたが、特に何も言われず買うことができた。やはり、男一人でこういう店に来るのはつらい。
「何はともあれ、やっと終わった……」
精神的にもう限界だ。早く家に帰りたい……。
意気消沈でそんなことを考えていると、ライムが口に出した。俺が完全に失念していたあることを。
「じゃあ、次は下着を買いにいくわよ」
……勘弁してくれ。
「あははは……」
――いっそ殺せ。
なんどそう思っただろう。
『……なにをお探しですか?』と不信感全開の視線で問いかける店員。こちらを見てひそひそと小声で話す客達。汚いものを相手にするように、こちらを見ようとしないレジ係。
それらを耐え切り、なんとか手に入れたライム用の下着。それを得るために、誇りや尊厳などを大量に棄てることになった。このショッピングセンターには二度とこれないだろう……。
「清司、あれ!」
帰り道、そんな俺の胸中を察することなくライムが声を上げた。辺りの人が何事だという顔をして辺りを見回し、首をかしげる。
当然だ。手に持ったペットボトルが声を上げただなんて、分かるはずがない。
「だから、声のトーンを下げろよな。んで、今度はなんだ……?」
「次はあそこに行きましょ、清司!」
「いや、あそこと言われても分からんのだが」
「ほら、ゲームセンターよ!」
辺りを見回してみると、確かにゲーセンがあった。表情は分からないが、顔を出していたなら、また澄んだ目を輝かしているのだろう。
「もうここまでくれば、そのぐらいはいいか。ただし、あんまり騒ぐなよ?」
「勿論、分かってるわよ!」
言ってるそばから……。声を張り上げるなというに。
店内が騒がしいため、誰も気に留めていないのが救いだ。これなら、そうそう見つかることもないだろう。
「ねぇ清司、あのクマのぬいぐるみって取れる?」
「む、これか」
手元の声に、視線を筐体に向ける。見た感じでは、そこまで難しくはなさそうだ。
しかし、こういうのは見た目よりも、アームの強さによるところが大きい。位置がしっかりできたとしても、掴む力が弱ければスルリと外れてしまうのである。達人ならばそれでも取ることはできるのだろうが、俺にそこまで技術はない。
「まぁ試しにやってみるか」
三回で五百円らしいので、五百円玉を一枚投入する。普段なら勿体無いと思うところだが、服や下着で散々使っているのだ。今更少し増えたところであまり変わらない。
「微妙にずれたか……」
「ああっ、惜しい!」
どうやらボタンから手を放してからも、少しアームが動くようだ。結果、目標を掴むも重心からは外れてしまい軽くずらすだけに終わる。だが、掴む力は悪くなさそうだ。
「これならいけるかもな」
今度は惰性も計算してボタンを操作する。先ほどとは違い、狙い通りの位置でアームが止まった。そして、ぬいぐるみを掴み持ち上げる。
「わぁ」
ライムが声を上げた。しかし、途中でぬいぐるみは零れてしまう。縦から横に移動が切り替わるときの揺れで落ちてしまったらしい。
「あー……!」
「いけたと思ったんだけどな。けど、まだあと一回ある」
縦には殆ど動かさず、先ほど落とした獲物に狙いを定める。想定どおりの場所でアームは止まり、再びぬいぐるみを持ち上げた。
「よし、いけっ」
「このままいきなさいよ……」
俺たちの願いが通じたかのように、頼りなく揺れながらも遂にアームは穴まで落とさずぬいぐるみを持ってきた。そして、ライムが喜びの声を上げたその時――、
「やった! ……あっ」
何の因果か、アームから開放されたぬいぐるみは穴を囲う円筒にあたり、あっけなく横に転がっていったのだった……。
と、いうわけで、番外だったものを移行。
今後はこっちでライム達の物語を更新してきます。
少なくとも週一以上のペースで上げてく予定です。