-003 幕間 『ただし、中身はそこにはない』
あるマンションの一室。その扉の前に女がいた。
歳のほうは二十代中頃だろうか。大きな胸にすらりと伸びた肢体、釣り目がちなせいかキツい印象のある整った容姿。
キャリアウーマン然とした、冷たい雰囲気の眼鏡をかけた美女である。
ピーン、ポーン。
女がチャイムを押すと電子音が響くが、扉は一向に開く気配はない。
ピンポン、ピンポン、ピンポン。
女は少し苛立った様子でボタンを連打し始める。すると、それに耐えかねたのか、扉が開き中から若い男が出てきた。
「……あー、なんなんだ? 人が気持ちよく寝てたってのに……」
寝起きの様子で、男はあくびをかみ殺しつつ突然の訪問者に文句を言う。しかし次の瞬間、彼の眠気は一気に醒めた。
「私の荷物はどこだ?」
短い問いかけ。そして、突きつけられた冷たい鉄の塊。
女の手には黒光りする拳銃が握られていた。
「ひっ!?」
驚き、部屋へと逃げようとするが、それは叶わない。
女は男の胸倉をつかみ、もう一度問う。
「答えろ。お前が三日前、駅で私から盗んだ荷物はどこにある?」
「しっ、知らない、な、なんのこ――」
パンッ。
乾いた破裂音。
銃口から立ち上る細い煙と、砕け散った玄関の置物が、女が持ったものが本物であることを示していた。その事実に、男は身を震え上がらせる。
「最後だ、私の荷物はどこだ?」
「ひっ!? こ、こっちです……!!」
最初の態度とは打って変わり、恐怖に顔を歪めた男はまるで従順な犬のように部屋へと女を招き入れる。拳銃を構えたまま表情を変えず、女は土足で部屋に上がりこむ。
「こっ、これでしょうか……?」
恐る恐る、といった様子で男が差し出したのは少し大きめの銀色のアタッシュケース。
見た目にはなんの変哲もない、ごくごく普通のものだ。それは三日前、彼が駅で置き引きしてきたものである。
「開けろ」
「は、はい」
女の命令に男がアタッシュケースを開ける。しかし、その中にはなにも入っていなかった。
「えっ?」
男自身も、この光景は予想していなかったのか呆けたような表情になる。しかし、すぐに己に向けられた冷たい視線と銃口に気づき、まくし立てるように口を開く。
「そっ、そうだ、あっちに、中身は出しておいたんだ!」
弁明するようにそう言うと、女をさらに部屋の奥へと案内する。
そこは様々なものが散乱していた。それも、男物や女物など、統一性もなく滅茶苦茶に。
それらはすべて、彼と仲間達が集めた盗品であり、この部屋はそんなものを置いておく倉庫のような場所だった。
「あ、あの中身は、ここにある……。まだ何も売ったりしてないし、全部あるはず……」
男が指し示した先には数冊のファイルと、ペットボトルほどの大きさをした円柱状の透明なケースがあった。
確かにそれは女が盗まれた荷物に入っていたものだ。欠けたものは一つも無い。だというのに、彼女の顔はいっそう不機嫌なものになっていた。
「中身をどうした?」
「えっ……?」
女が足で指し示したケース。そこには元々あるものが入っていた。だが今その中身は空になっている。
「あぁっ!」
女の言わんとしていることがようやく分かったのか、男は顔を青くした。
昨日、仲間と酒を飲んでいるとき、酔った一人がその中身を外へぶちまけた事を思い出す。そのときはこんなことになるとは思わず、ただ馬鹿騒ぎをしていただけだが、今となってはそれが恨めしい。
「どうしたと聞いている」
凍てつくように醒めた女の声。もし、自分が嘘をついたら、すぐに見抜かれて殺されるだろうと男は思った。彼は震える手でベランダを指し示し、偽りなく応える。
「あそこから、外にぶちまけた。おっ、俺がやったんじゃない、仲間が、仲間がやったんだよ!」
言い訳がましく、必死の形相で告げる男に女はまた問いかける。
「いつだ?」
「きっ、昨日の、昨日の昼、十二時ぐらい……。仲間達と酒を飲んでたら、ひとりが酔ってでいぃぃぃぁぁぁっ!?」
話の途中で男は倒れこみ、絶叫を上げる。その肩からは赤い血が流れていた。
女の銃口からは真新しい煙が立ち上っている。
「ぐげっ」
まるで蛙のような声をして男が倒れる。
女が地面を転がる男を蹴り飛ばしたのだ。どうやらそれで気を失ったらしい。
「……無駄足か」
忌々しげに呟くと、女は盗まれた荷物を回収して去っていった。