-001 『ただし、彼女には○○がない』
――突然女の子がやってくる。
例えば、異世界の姫(美少女)が助けを求めてきたり、
例えば、傷ついた天使(当然美少女)が落ちてきたり、
例えば、不時着したUFOから宇宙人(勿論美少女)が現れたり、
それは漫画やゲームではお馴染み、もはやお約束といっていいぐらいのベタな展開だ。
だが、これは普通に考えてありえないことだ。
同時に、男なら誰もが一度は夢見ることでもある。
かく言う俺自身、その一人だった。
……そう、『だった』のだ。
「もう出来るから、大人しく待ってなさい」
台所から聞こえる少女の声。それと共に、空腹を刺激する、美味しそうな香りが漂ってくる。
「まさか、実際に自分がなるとはな……」
ありえないことの当事者に、なんて。
「どうしたのよ?」
俺の呟きが聞こえたのか、料理を運んできた少女が聞いてきた。
しかし、当人を前にして愚痴を言うのは気が引ける。そもそも、そんなことができるなら、今のようなことにはなっていないだろう。
「いや、なんでもない。それより、なかなか美味そうだな」
丸机の上に並べられた料理は、いずれも食欲をそそる出来栄えだ。どれも家庭料理だが、俺には到底つくれそうにない。
「それにしても……」
目の前に座る少女を見て、しみじみと思う。
整った相貌。その容姿に似合う均整の取れた体型。瑞瑞しく潤う、シミ一つない綺麗な肌。
紛れもなく美少女だ。テレビで見る芸能人と比べても、遜色ないレベルの。
そんな彼女が親しげに、こうして料理などを作ってくれるなんて、まるで夢のようだ。
もし、ある一点がなければ、――否、あればそう思えただろう。
「はぁ……」
いくら美少女がやってきたといってもこれは酷すぎる。神様がいるなら、是非とも文句を言いたいところだ。
そんなことを考えながら俺は先ほどの、彼女との出会いを思い出す――、
日曜の昼下がり。スーパーでの買出しの帰り道。
両手には来週分の食材の詰まった重い袋。早く家に帰り荷物を降ろして、テレビでも見て休みたいところである。
「まぁあと少しの辛抱だ」
我が家であるアパートはもう見えている。周りに新築の高層マンションが建っているせいか、二階建てのくたびれたアパートは逆に目立つ。
そんな益体のないことを考えて家へ帰る最中、唐突にそれは起きた。
べちゃ。
と、頭になにかをぶちまけた様な衝撃。粘ついた気持ちの悪い感触と、ひんやりした冷たさが伝わってくる。
どろりと髪を伝うようにして、そいつは俺の顔へも垂れてきた。
「……なんだ、これ?」
それは、薄く透き通った青色で、とても粘り気のある液体だった。少なくとも、鳥の糞ではない。
「うへぇ……」
とりあえず、応急措置として服の裾で拭っておく。ねっとりと絡みつくのが、なんとも気持ち悪い……。
「というか、意味不明すぎる……」
いきなり頭から謎の粘液を被ることになるなんて、全くわけが分からない。まだ理解できるだけ、鳥の糞のほうがマシだ。
上を見上げても快晴の空模様が広がっているだけで、なにもおかしなものは見当たらない。本当に一体、なんなんだ?
「……うーむ、分からん」
突然、晴れた空からこんなものが落ちてくるなんて、聞いたことがない。
「とりあえず、突っ立っていても意味ないか」
色々考えたところで、多分なにも分からないだろう。それよりも、今はやるべきことがある。たとえ空から粘液が降ろうと俺がするべきことは変わらない。
「さっさと帰ろう」
そして、すぐにシャワー浴びよう。
「ふぅ、さっぱりした」
隣でシャワーの流れる音を聞きながら、軽く湯気が立ち上る身体をバスタオルで拭いていく。ひやりと肌に触れる冷たい空気が心地よい。
謎の粘液は、拍子抜けするほどあっさりとシャワーで洗い流すことができた。詰まりそうで怖いので、とりあえず排水溝には流さず洗面器の中に入れてある。どうやって処理をするか考えるのは一休みしてからだ。
「って、おい」
何でシャワーが流れているんだ? ちゃんと止めて出てきたはずなのに。
『ふん、ふふんふふ~ん♪』
しかも、水音にまぎれて鼻歌まで聞こえてきた。誰もいないはずの浴室には、気持ち良さそうにシャワーを浴びる人影がある。
「……誰だ?」
いきなり勝手に浴室に入って、我が物顔でシャワーを浴びる相手に心当たりなどない。
……いや、一名ほどやりそうな知り合いはいるけど、流石にあの人でも突然出現するような物理法則の超越はしないはず。
「女、か?」
湯気とガラスでよくは見えないが、体格的にどうやら女性らしい。時折聞こえる鼻歌の声から察するに、俺とあまり変わらないぐらいの年齢だろう。彼女はいまだこちらに気づいた様子はなく、先ほどから変わらずシャワーを浴びている。
「ふむ」
浴室の中の様子を想像してみる。気持ち良さそうにシャワーを浴びる、美少女の姿を。
思春期の脳というのは逞しいもので、脳内に描かれるのは桃色の光景。なまめかしい胸や腰、足など。顔や、大事なところは湯気がしっかりシャットアウトしているところが、惜しいところだ。
しかし、どんなに思い浮かべたところでそれは妄想、実物ではない。だが望むならば、目の前のガラス戸を開くだけ現実となるのだ。
「ごくり……」
喉が鳴る。いまだシャワーを浴びる、一糸纏わぬ少女の姿を想像して。
「……確かめるだけだ。家主として誰がいるのか、勝手に入ってきた人間を確認する必要がある」
以上、自己弁護および理論武装完了。
あまり音を立てないよう、そっとガラス戸の取っ手を回す。そして、細心の注意を払って覗き込む。
「……は?」
そこにいた相手に、俺は自分の目を疑った。
肩をすぎた辺りで揃えられたしなやかな髪。
まるでポキリと簡単に折れてしまいそうな華奢な細腕。
どちらかというと小ぶりだが、決して小さくはない胸。
柔らかそうでありながら、過剰な肉の付いてない腰周り。
水を伝わせる、しなやかで健康的な両足。
「なんだ、これ……」
けれど、あっけに取られたのはそのどこでもない。
「えっ?」
声に気づいたのか、少女がこちらを振り向いた。彼女は瞳を大きく開いて硬直し、こちらを見続ける。
その顔は、やはり整っていた。少し釣り目がちで気が強そうな印象を受ける、可愛いというより綺麗と評される類の美少女である。
しかし、彼女にはある一点が決定的に欠けていた――、
「なんで色がないんだよッ!?」
髪も、腕も、脚も、胸も、顔も、全てに色がない。
一体何を間違ったのか、彼女の身体はまるで澄んだ水のように青く透き通っていた。
「いっ、いやァ――――――ッ!」
我に帰った少女が叫んだ。そして、胸を手で隠すような格好で勢いよく扉を閉める。
「うわっ!?」
「だっ、誰よあんた!?」
「いや、誰って言われても……」
戸惑いと怯えの混じった声が浴室から響くが、その質問はこちらがしたいところだ。なんだかもう、ここまで訳が分からないと驚きを通り越して、少し冷静になってくる。
「あー、そのなんだ。とりあえず、ここで話すのもなんだし、部屋の方で話さないか?」
ガラス戸を隔てて話すよりはいいだろう。お互い、色々と聞きたいことはあるだろうし。
「確かに、それもそうね」
予想外にあっさりした返答。有難くはあるが、警戒心なさ過ぎないだろうか? あっちも混乱しているのかもしれない。
そんなことを考えていると、扉が開き透明な少女が出てきた、――裸で。
「いや、服を着ろよ!?」「服着なさいよ!?」
見事に声が重なる。そういえば、俺も何も着ていなかった。
「……あー、すまん。ちょっと待っててくれ、着替えてくる。それと、そっちの服も用意してくるから」
「あっ、ちょっと……!」
呼び止められるが無視して、気まずい雰囲気から退散する。なにはともあれ、まずは服だ。問題を先送りしただけかもしれないけれど。