私、決めました! Ⅱ
ガヤガヤと賑わいを見せる人混みの間を縫うように、シエルとアネットはフィンガローの街を散策していた。二人は今、南門の商店街の丁度中央辺りまで足を伸ばしている。
相変わらずシエルの目には無邪気な子供のようなキラキラとした光が宿り、アネットはそれを微笑ましく眺めている。ひっきりなしにフィンガローの事やセンスティアの事などを尋ねるショートボブの少女に対して、騎士の少女は丁寧に一つ一つ楽しげに説明をしている。
「ホントすっごい! まるで夢みたいです。こんな世界が本当にあったなんて」
見るもの一つ一つその全てが新鮮な光景であるシエルは一時も興奮を隠しきれない様子であちこちに視線を向けている。ファンタジー世界に惹かれていた反面、そのようなものが実際には存在しないと言うことも理解していた下川惠理にとって、”現実”という途程もないほど強大でどうしようもない障壁に苛まれていた夢が叶ったのである。そんなセンスティに好奇心を掻き立てられないわけがない。
「ところでシエル、あれを見て何か気づくことはないか?」
そう言うアネットの指先は、一軒の古めかしい商店の軒先に掲げられた看板を指していた。その金属質の看板には剣と盾を模ったシルエットが彫刻されており、その上には見たこともない文字で何かが書かれている。恐らく、そこに綴られた異界の文字は店名を表記しているのだろうが、センスティアに来たばかりのシエルは当然それを読解する事が出来るわけがない――はずだったのだが……
「えっと、アルネス……魔装店……って――えっ!? 私、読める? なんで!?」
シエルは、本来ならば理解できるはずもない文字を読解出来てしまったことに驚きを隠せない。英語の筆記体にも似た細い線が流れるような筆質の文字だが、似ているのは形だけでその実は全く異なっている。初めて見るはずなのに、元から知っていたかのように自然に頭の中からセンスティアの言語が止めど無く湧き出てくる。
「はははっ、シエルは本当に期待通りの反応をしてくれるから嬉しいな。秘密はセンスティアへ来るときに使用したなんだ。あれを通ると、こちらの言語が自動的に理解できるようになるんだ」
「ふぇ、あの光ってそんな便利なんですか?」
「あぁ、シエルがこちらに来るきっかけとなった、失踪した神が空間転移門を作ったのだが、その際にあちらの世界から来た者が不便にならないように、と付けた機能らしい」
「やっぱり神様ってすごいんですね。そういうことも出来るんだ」
雑務などをこなすという事を聞き、シエルの中で親しみやすく感じられた神という存在の偶像的な意識がまた少し高まってしまう。
「読み書きだけじゃないぞ。現地の者達とも問題なく会話出来る。というよりも、私がこうしてシエルと普通に会話出来ているのもこれのおかげなんだ」
「なるほど! それは確かに便利ですね!」
見知らぬ土地で言葉が通じないという大問題は真っ先に頭に浮かんで来てもおかしくはない。シエルにそれがなかったのは、異世界人であるアネットと何の障害もなく会話が出来ていたからである。普通に考えれば異なる言語を用いる土地に赴くにあたって、現地の者達と意思疎通の手段がないというのは絶望的といっても過言ではない。仮にアネットという通訳者がいたとしても不便であることに変わりはないだろう。
そんな当たり前だがとても重要な事に気づき、シエルは空間転移門のおまけ機能のありがたみを知ることが出来た。
「さぁ、シエル、次はあちらを案内しよう」
はしゃぐようにフィンガローを見て回るシエルだが、アネットも無邪気な少女に街を案内するのがとても楽しそうである。まだまだ無邪気な少女に紹介したい場所がたくさんあるのか、高ぶる感情を隠しきれずに自然と足取りは早くなり、次なる場所へとシエルを誘う。
コツンコツンと石畳の地面をやや早いリズムで叩く二つの影は、人混みでごった返した活気溢れるメインストリートを抜けて落ち着いた雰囲気の区画に来ていた。
メインストリートと比べれば、行き交う人々はそこまで多くはなく、呼び込みや客引きの喧騒もほとんどない。軒先に看板を掲げる商店もあるが、そのどれもが商店街に構えていたそれとは雰囲気が異なっていた。シエルは先ほど知り得たばかりの自動翻訳術を試すべく、立ち並ぶ看板をそれぞれ見て回る。
「えっと、魔具屋……質屋……宝石屋……雑貨屋……時計屋……機巧品店」
先ほど同様、全く知らないはずの文字であるが、頭の中に直接言語が流れ込んでくるかのように何の苦もなくスラスラと理解することが出来た。
メインストリートに立ち並ぶ店々は食材屋や小道具屋などの日用品が多かったのに対して、この区画は少し日用品から外れている小洒落た店が多いように感じる。
「ここらへんは遊覧街と呼ばれている区間だ」
アネットがシエルに合わせて歩く速度を落とし、後から続くシエルに周囲にある洒落た外観の店を一件一件簡単に説明をしている。
目を奪われるような眩い光を放つ色とりどりの結晶を、ガラスショーケースに綺麗に陳列させた店や、コシュンコシュンと規則正しく白い蒸気を側面から伸びたパイプから吐き出しながら、ガタガタと動き回る奇妙な形をした機械のような商品を展示している店。フラスコ状の透明な容器にライムグリーンやバイオレットパープル、ショッキングピンクといった派手な色をした液体を密封した薬品を置く店や、様々なデザインの鎧などの防具を取り扱う店など多種多様である。
アネットがお店を紹介するたびに、軒先のショーウィンドウに引っ付き、輝いた目で展示品を眺めるシエル。
商店街でも見たこともない食材や日用品といった物が多かったが、遊覧街はいかにも異世界というような物が数多く揃っており、ショートボブの髪を揺らす少女のテンションを更に引き上げるには十分な場所であった。街並みを行き交う獣人や、一角馬、背に翼を持つ猫の様な生物などの存在が、より一層ファンタジー感を強調させる。
シエルが七色に発光するペンをウィンドウに飾っている魔具店を眺めていると、ふと後方から一人の少年が近づき、明るい声でアネットに声を掛けてきた。
「やぁ、アネット。戻っていたんだな」
その声に反応し、アネットが振り返る。
「あぁ、ついさっきな」
いままで摩訶不思議なアイテムに釘付けだったシエルは、アネットの方へ向き直る際にふとその少年と目が合った。歳はシエルやアネットとほぼ変わらないくらいに見える。身長はアネットよりもやや高めで、金色がかった短髪は自然に纏められている。おとなしそうな顔立ちをしており、服装は麻布のシャツに七分丈のベージュ色のパンツというラフな格好の上から、パンツよりやや明るいベージュ色のケープを羽織っている。
「っというとこの子が例の?」
この少年が言っているのは十中八九「この子が神の代行の?」という意味であろうことは、やや鈍感なシエルにもすぐに分かった。
アネットは手短にそれを肯定をする。
「あぁ、そうだ」
それに続いて、少々慌てながらシエルは自己紹介をした。
「あの、わ、私……えっと、シエルです」
シエルは自分のことをどこまで紹介すべきか一瞬悩んでしまう。この少年の反応を見るに、多少の事情は知っている様子ではあるが、結局は本名や異世界の事は念のため伏せておくべきだという結論に至り、名前だけの簡単な自己紹介となった。
モジモジとスカートの裾を弄りながら緊張している様子のシエルを横目で見ながら、ニコリと微笑んだアネットは補足を加える。
「シエルにフィンガローの街を案内しているところだ。その上で例の件を引き受けるかどうかを決めてもらう」
「そうなのか。確かに、いきなり神の代行なんて言われても実感湧かないしな。俺はメルヴィン・アッカー。そこで魔導具を販売してるんだ。よろしくな」
その言葉はほとんどシエルに向けられたものであった。そう言ってメルヴィンは先ほどまでシエル七色に光るペンを眺めていた一軒の店を指さす。その軒先に掲げられたプレートには流れるな筆体で《アッカー魔具店》と記されていた。
空間転移門の翻訳機能のおかげでシエルの言葉は問題なく伝わっており、シエル自身もしっかりと相手の言葉の意味を理解することが出来ていた。
「メルヴィンとは古い付き合いでな。こう見えてこいつは剣の腕もなかなか立つ」
「シエルか、よろしくな。引き受けるかどうかは別として、いまはこの街をゆっくり楽しむと良い。店の方にもまた遊びに来てくれ」
「はい! ぜひ!」
メルヴィンから魔具店への招待を貰った事に胸を躍らせるシエル。いままでガラス越しに眺めていた興味深い異世界アイテムの数々をもっと間近で見ることが出来ると考えただけでも、シエルの胸中にある好奇心の渦が爆発しそうであった。
「それじゃ俺はこれで、またな」
そう言うと急ぎの用でもあったのか、メルヴィンはそそくさと二人の傍らを抜けて、先ほど自分が指さした建物、《アッカー魔具店》の扉の向こうへと消えていった。彼を飲み込んだ扉にはめ込まれた透明度の高いガラスの表面には、薄緑色に発光した”準備中”を意味する単語が文字通り浮かんでいた。
「あぁ見えてメルヴィンは良い奴だ、何かあったら彼を頼ってみると良い。また落ち着いたら店の方にも顔を出してやろう」
「はいっ!」
アネットのキリっと見開かれた深蒼の瞳が少しだけ優しくなっているように見えた。紅の騎士が魔具店の少年の事を心から信頼していることが感じ取れる。
何か考え事をしていたかのように少しの間、無言で明後日の方向を見つめていたアネットはふと我に返ったかのように、小さな声を漏らした後、シエルに告げる。
「さぁ、シエル次へ行こうか。フィンガロー全土を案内するには時間が足りないぞ!」
真紅に燃る鮮やかなポニーテールを揺らす銀鎧を着込んだ騎士の少女、白と水色を基調とした爽やかなシャツと上着。それに合わせた可愛らしいミニスカート、膝上まで伸びるニーソックスにブーツというフィンガローの街並みの中では少々浮き気味な格好の少女。 二つの影は次なる観光地を目指して歩み始める。
こんばんわ、作者の村崎 芹夏です。 今回はなんとか一週間で更新することができました(汗
お気に入りに入れてくださっている方のためにも頑張らねば!という気持ちで執筆しました(笑)
ただ、例によって見直しは(ry はい、ちょいちょいやっていきます。
ストーリー自体に進展はほとんどありません。 ただ、今回はメルヴィン・アッカーという新キャラの登場回となっております。 ちょっとだけネタバレすると、メルヴィンさんは今後も色々と絡んでくるキャラになる予定ですので覚えていただけると幸いです。
私の作品は執筆中にちょいちょいと書きたいことが増えていき、本編から脱線することもしばしばで展開的には遅い方かと思いますが、どうかご容赦を!(笑)
最近ではクルーエルラボよりも代行神の執筆が楽しくて…さらに言えば未公開の作品の執筆も勧めているのでなかなかクルーエルラボの方が進んでないです(笑)
ですので次はどちらの作品をいつ頃更新できるかはまだ未定ですが、次回更新した際もよろしくお願いします。
ではでは、今回も読んでくださった方々、ありがとうございました。