代行神シエルにおまかせください! Ⅲ
アネットはシエルが案内した私室へと入っていくのを見送った。別れ際にゲンロウの部屋はそのまま残しておいて欲しいという旨を告げた時、彼女はその言葉に含まれる意味を汲んてくれたかのように無言で小さく頷くだけで返事をした。
騎士の少女にとってこの返答はとても助かった。理由を説明すれば、ゲンロウの失踪以後、自身が抱き続けていたどこにもぶつけようがない憤り、不甲斐なさ、やるせなさが入り混じったこの気持ち悪い感情を少なからず吐露してしまうことになるだろう。
それはいきなり異世界へ来て代行神という大役を引き受けることになったシエルに不安を抱かせることになってしまうし、自分自身にも辛さがこみ上げてきてしまう。
シエルがどこまで察して気を使ってくれたかは分からないが、彼女は本当に良い娘である。まだあどけなさが残り、少々慌てる面も多いため代行神としては不安はある。だが、そこは自分ができる限り助力してあげれば良い。まだ短時間しか一緒に過ごしてはいないが、明るく気立ての良い性格、興味を引かれるものに無邪気でいられる純粋さ、そしてなによりルオン広場での一件、困っている者に対して躊躇いなく一生懸命を尽くせる優しさを持ち合わせている彼女の人間性に紅の騎士は強く惹かれていた。
アネットはシエルが案内した彼女用の私室へと消え、その扉が閉まるのを見届けると、廊下の突き当たりにある扉までゆっくりと歩く。ここはこの家の主であり、の一人であり、アネットが仕騎として仕えてい者……ゲンロウの私室である。
懐かしむ表情を浮かべる騎士の少女はゆっくりとドアノブを捻る。鍵穴は存在するが鍵が掛かっていない木製の扉は、古臭い軋み音を上げながらゆっくりとその口を開いた。
扉の先にはアネットの記憶と寸分違わぬ懐かしさが広がっていた。大まかに纏められた研究資料や書類が並べられた仕事机。太陽の暖かい匂いが仄かに香る洗濯を終えられた純白のベッドシーツ。部屋の壁紙が見えない程びっしりと敷き詰められた背の高い本棚には歴史書を始めとする、見るからに難しそうな分厚い本が隙間なく収められている。
本と書類に囲まれた部屋の中央にはゲンロウのお気に入りだった、レプライアスというモンスターの毛皮を使ったふかふかの揺り椅子が置かれている。彼は相当にこの揺り椅子が好きだったらしく、椅子に揺られながら資料や本を持ちながらウトウトとしているのをアネットは何度も目撃したことがあった。
ゲンロウは装飾品の類にはあまり興味がなかったため、部屋の中にはそういった物はほとんど置かれていない。装飾といえるのかは分からないが、唯一飾ってあるものといえば、彼の仕事机の上に置かれた手作りの写真立てぐらいである。その写真立て中に収められているやや色褪せ始めている写真には、フィンガローを出て南にしばらく行った丘、丁度今日シエルと共に立ったあの美しい丘で現在よりも少しだけ若い容姿のゲンロウと、その横で満面の笑みを浮かべる小さな女の子が写されていた。
時折、ゲンロウは何かを思い出すかのようにこの写真をただボーッと眺めていた事があった。彼にとってこれは大切の思い出の欠片なのだろう。この写真でゲンロウと共に写っている少女が誰なのか、アネットには大凡の検討がついていた。正確には今日、検討がついたというべきであろう。
ぐるりと部屋の中を見回したアネットは小さくため息を漏らした後、室内灯が反射してぼんやりと薄い輝きをみせる、自身が着込んだ銀色の鎧の内側へと左手を滑らせ、そこから一枚の羊皮紙を取り出した。アネットの左手の中に収められた、何とも古めかしそうな印象を受ける薄茶色をしたそれには、センスティアの流れるような文字で何行かの文章が走り書きされていた。
「まったく……本当にあなたという人は……」
悲しみや切なさというよりは、言うことの聞かない子供に手を焼いて困っているような表情のアネットは左手に掴まれたそれに目を落とす。この羊皮紙のメモは失踪した四神、ゲンロウがアネットに宛てて密かに残した物であった。綺麗なのに大胆というか、どこか大雑把な印象を受ける彼特有の筆質が異様に懐かしさを覚える。
アネットは何度読み返したかわからないそれを、シエルの休息を妨害せぬようにボソボソと極小の声量で口にする。
『 我が仕騎 アネットへ
この美しき世界センスティアに大きな影が迫っておる。ワシはそれを調べるため約束の地へと向かう。しばらくの間、あちらの世界の下川恵里という少女にワシの代わりを任せる。
他の神達……特にレーミアはグチグチと言うだろうが、まぁなんだかんだで納得してくれるだろう。だからお前も恵里の仕騎となり、しっかり彼女を支えてやってくれ。それがお前の主としての最後の頼みだ。
このメモの事は誰にも、例え他の神達にも内密にしておくように。いらぬ混乱は招きたくないからな。では留守を頼んだ。紅の騎士の誇り高き忠誠に感謝を。
追伸、惠理を探す時は街が一望出来る見晴らしの良い丘で、夜間に待っていることをお勧めする』
羊皮紙のメモを最後まで読み終えたアネットはどこか遠くを見つめるように、ぼーっと天井を眺めていた。
ゲンロウの失踪時に発見されたメモは、いまアネットが手にする羊皮紙と合わせて二枚であった。うち一枚、三神に提出した方のメモには『四神諸君へ。ワシはしばらく留守にする。留守の間は、あちらの世界のとある少女にワシの代行を頼むように』という至極簡潔で適当な内容であった。しかし、それもまた確かにゲンロウの筆跡で間違いはなかったし、直筆のサインも添えられていた。つまり彼は失踪以前に二種類のメモを残したことになる。神々に対しては適当な物、アネットに対しては少しだけ詳しく書かれた物を。
なぜゲンロウが異世界の少女を……しかも名指しで後継として指名したのか正確な理由は分からないが、シエル……下川 恵理が彼と深い関係であることは間違いないだろう。だが、ゲンロウの名を聞いてもシエルが反応を示さなかった事を鑑みるに、彼女は”ゲンロウ”という人物に心当たりが無いようである。シエルの知っている人物であるが名前が違う……もしくは彼女はゲンロウのことを知らない……いくつかの可能性は浮かんでくるが現段階で答えが出る事はないだろう。しかし、これだけははっきりとしている。ゲンロウの人選に間違いはなかった。まだ短い時間しか共にしていないが、アネットはそれだけは胸を張って言えるほどにシエルという人物を評価していた。
アネットはもう一度手にしたゲンロウからの個人的なメモに視線をやる。既に内容を丸暗記できるくらいは繰り返し読んだであろう羊皮紙は少しくたびれてしまっていた。
何度読み返してもこのメモの内容には分からない点が、下川恵理の正体以外にもいくつかあった。
センスティアに迫る大きな影とは一体なんなのか。約束の地とはどこの事なのか。そもそも誰との約束なのか。こんな内容ではまるで遺書みたいではないか。しかし、ゲンロウに仕える騎士としてこの手紙から唯一読み取れること、それは今自分がやらなければならないこと。突如姿を消したゲンロウを捜索することではなく、彼が後継として任命した下川惠理という少女の仕騎となり、身を呈して支えててやることである。
そこでアネットの頭の中には満面の笑みを浮かべる下川惠理……シエルの姿が浮かんでいた。ゲンロウが空間転移門に自動翻訳の追加機能をわざわざ加えたのは割と最近の事であった。あの時、なぜこんな機能を追加するのかと尋ねてもはぐらかされるだけであったが、今思い返してみれば、彼がわざわざ翻訳機能をプラスしたのは、異世界人である下川惠理を自らの代行に任命することを以前から決めており、センスティアを訪れた彼女が言語で困らないようにという処置だったのかもしれない。
アネットはこのメモを発見した時はどうすべきか大いに悩んだ。手紙の内容に背いて他の神にもこのメモを見せるべきではないのか、下川恵里という未知の存在よりも神であるゲンロウを優先して探すべきではないのか……
仕騎としてどうすべきか悩みに悩んで出した結論は信じる事であった。確かにゲンロウは奇特者であった。しかし博識で聡明でもあった。彼がこんな文章を残したからには必ず何らかの意味がある。そして、わざわざ異世界の少女を自身の代わりに任命したことにも必ず理由があるはずである。ならば自分がすべきことは、このメモ通りに秘密を守り、下川恵里という新たな主に全力を尽くしてゲンロウの帰りを待つ、ただそれだけである。
騎士の少女は抱いた決意を再度確認し、自身しか存在の知らない羊皮紙の大切なメモを汚てしまわぬように丁寧に再び鎧の内側へとしまい込むと、ゲンロウの部屋を後にする。
やや老朽化が始まっているこの建物の床は、女性が歩くだけでも苦い軋み音を上げてしまうので、すでに睡眠に入っているであろうシエルを起こさぬように細心の注意を払って自室へと戻っていった。
こんばんわ、作者の村崎 芹夏です。
年も明けいよいよ寒さが厳しくなってきましたね。 私が住んでいる地域は雪の降らない所なのですが、世間では雪の影響がやばいとかやばくないとか。 雪がなくても寒いものは寒い、ということでいつも布団から出るときは一苦労です(苦笑
はてさて、今回はアネットさん視点で進んでおります。アネットさんのやるせない心情を表現したかったのですが、なかなか難しい… なんか今回は全体的に少し雑になってしまったという自覚があるのですが、読んでる方々としてはどうでしょうか?
アネットさんの能力仮初の神門 これについてはいまでも少し悩んでます。 アネットさんは戦闘時以外は武器を装備していないスタイルにしたかったのでこういう都合的能力を差し上げたのですが… こんな便利能力(後々説明を出しますが、便利能力といっても制約が色々とあるのです)を与えてもよかったのか、と。
あまり後先考えずに書いていくとこういう事が起こるからいけませんな。
例によって、見直しせずにそのまま更新していますので、誤字脱字、不自然なところなど見つけ次第修正していきます。
ではでは今回も読んでくださった方々、ありがとうございます。
また次回更新した際にもよろしくお願い致します。