代行神シエルにおまかせください! Ⅱ
センスティアの神はシエルが元いた世界のような超常的で偶像的な存在ではなく、優れた一般の者達から選ばれる。そこには種族や性別も関係ない。それはつまりものすごく極端に言えば、誰しもが神に成りうるチャンスを持ち合わせているということになる。ただ、やはり実際は言葉で言うほど容易いものではないということもシエルはアネットから聞いていた。
アネットの言う引き継ぎの儀式とは、正式には神聖継承式という名で、本来はセンスティアの神に選ばれた者がその儀式で神聖の加護を授かり、初めて正式に神として認められる。儀式を経て神聖を授かった神は魔力を更に上回る《神力》を行使することが出来るようになる。ゲンロウが創ったという空間転移門も神力を使うことによって瞬間的に空間を跳躍するという超常現象を可能としている。
シエルも明日、神として神聖の加護を授かりに行くことになったのだ。ただし、あくまでも神の代行という扱いになるシエルが行使できる神力は、正式な神のそれと比べて遥かに劣る可能性が高いという。なにぶん、代行神などという曖昧な存在はセンスティア史上でも初の事象であり、こればかりはアネットにも実際に儀式を行ってみなければ分からないという事であった。
しかし、シエルにとって、行使できる力の大小など些末な問題であった。 例え、大きかろうと、小さかろうと、幼い頃から憧れていた魔法という現象を自身で扱うことができる、そう考えただけで胸が躍るようである。そしてなにより、その力を使って誰かの為に何かが出来る、それは心の中で疼く気持ちを掻き立ててくれる。
「基本的にこの家はシエルの好きなように使ってもらって構わない。ただ……」
アネットの言葉の末尾が濁る。
「ただ……あそこの部屋だけは現状のまま残しておいてもらえると助かる」
そう言いながらアネットが見つめる先は、現在シエル達が立つ場所から丁度真正面にある木製の扉、二階廊下の突き当たりに位置する一室であった。
突き当たりの部屋に向けていた視線をシエルに戻したアネットは、若干の重苦しさが垣間見える声で言葉を続ける。
「あそこはゲンロウの私室でな……」
アネットはその言葉の意味する事を最後まで告げることはなかった。しかし、シエルにはそれだけで彼女が何を言いたいのかが理解出来た。
この騎士の少女は失踪した主の帰りを待ち続けているのである。本来ならゲンロウを探しに行きたいところだが、何らかの理由でそれも叶わず、ただただ帰りを待つことしか出来ない。ならばせめて、主の帰るべき場所を守っておきたい、そう決めているのだ。
古めかしい家屋だが各所の清掃がきっちり行き届いていたのは、いつゲンロウが帰ってきても大丈夫なように、アネットが定期的に手入れをしていたからであろう。
また一つアネットという少女を知ることが出来た気がしたシエルは、コクりと小さく頷き、アネットに就寝の挨拶を済ませると案内された自室へと入っていく。
部屋の中は実に簡素なものであった。部屋の隅に置かれたシングルサイズのベッド、木製のデスク、そして壁際に棚が一つ。元々あまり使われていない部屋だったのか、広さに対して圧倒的に家具が少なく、どことなく寂しい印象を受ける。
ベッドの横には大きな窓があり、この部屋唯一のお洒落といえばそこに備えられているパープルブラックの気品ある美しい生地に、数多の斑になった黄色い刺繍があしらわれているカーテンぐらいだろうか。窓辺に下げられたこの布はどことなくシエルが大好きな夜景を連想させる。
しばらく使われていなかった部屋といっても、もちろん他の場所と同様に掃除は隅々まで行き届いており汚れや埃は影すら見えない。これもアネットの努力の賜物だろう。
夢にまで見た異世界への訪問という尽きることのない興奮のせいで自分でも全く気付かなかったが、フィンガローの街中を歩き回ってシエルの体は相当に疲れていたらしい。部屋へ入ったシエルは、ほぼ無意識のうちに備えられたベッドへ飛び込んだ。クッションや布団の生地が良質な物なのか、飛び込んだことによる体への衝撃は無く、それどころか優しく包み込むように滑らかに反発するため、それすらも気持ちよく感じてしまう。
しばし布団に包まれる心地良さを味わうシエル。この気持ち良さは反則級だからきっとこの布団にもセンスティアの魔法が掛かっているのだろう、などという根拠のない事を考えて小さな幸せを噛み締めていると、そこで自分にまとわり付く邪魔な布の存在を思い出した。
普段なら夜はパジャマに着替えて睡眠に入るのだが、現在は私服……剰え普段はあまり履くことのないミニスカートという如何にも寝苦しそうな格好である。しかし、あちらの世界でアネットに出会ってから直ぐにセンスティアにやって来たため、当然着替えなど持ってきていない。
疲れであまり働かない頭を駆使し、しばしの間考えた結果、上着だけを脱いであとは妥協するという結論に至った。女性しかいない家屋の一人部屋とはいえ、さすがに衣服を脱いで寝るという選択は乙女の恥じらいが残るシエルには選択できないものであった。
フカフカの布団から押し寄せる誘惑に抗いつつ、もぞもぞと気だるそうに水色と白色の爽やかで可愛らしい上着の袖から腕を抜くと、それをパサりとベッドの横にあるデスクへと放る。下川恵里の部屋、つまりあちらの世界の自分の部屋でこんなことをすれば、翌朝には母親の小言によって睡眠から呼び戻される事は確実なのだが、今だけは許して、とシエルは心の中で意味も無く呟いてておく。
そんな事をしたためか、シエルの頭の中で母親の顔が浮かび、連鎖するかのように父親の顔も浮かんでくる。そうして何度目かもわからないが、自身が異世界という非現実的な世界に実際に来てしまったことに感慨深さを感じた。
両親は明日から長期の海外旅行に出かけることになっている。朝早くから出発する都合上、恵里が寝ていても起こさずに出て行くと言っていたため、自分が部屋に居なくても気付くことはない。それで娘が知らぬうちにいなくなったという不安を両親に与える心配はなさそうだ。元の世界の事をなにも考えずに来てしまったが、シエルは少し安堵出来た。
そして次にゆらゆらと脳内に滲み出てきたのは、今日一日の記憶であった。学校が終わって夜に秘密の夜景スポットに出かけたら摩訶不思議な騎士の少女と出会い、異世界へと付いてきて欲しいと告げられ、気付いたらセンスティアの地に足を付けていた。フィンガローの街を散策してたくさんの初めてに心を奪われ、魔法というファンタジーには必須の力を目の当たりにし、ルオン広場では夜遅くまで老婆の探し物探索を手伝いをした。そして……神の代行を引き受けた。そう、センスティアを統治する神の代行を引き受けたのである。
もしかしら自分はとんでもない決断をしてしまったのではないか、そう思う部分が消えたわけではない。しかし、こんな自分でも誰かの役に立つ事が出来るなら、そう考えると嬉しさで胸がドキドキする。そしてルオン広場でエマルダが感謝を示した"ありがとう"がシエルの心に強く響いていた。
一生分の波乱万丈を経験したのではないかと思うほどに驚きと興奮がひっきりなしに訪れる一日であったが、明日からはきっともっと色々あるのだろう。不安と期待の入り混じったシエルは、ここでついに全体重を受け止めている清潔感溢れる純白のシーツから伝わる温もりと、夢へと誘う睡魔に抗うことが出来ず、鉛が張り付いてでもいるかのように重い瞼を流れに任せてそっと閉じていく。
視界が黒一色の世界に覆われてからは、疲れきったシエルの体が本日二度目の眠りに落ちるのにそう時間は要さなかった。
こんばんわ、作者の村崎 芹夏です。
はてさて、せっかくのお正月休みなので執筆の方を張り切ろう!ということでルンルン気分で書いた結果、昨日に引き続き更新ができました。
毎回こういうペースで更新ができればいいのですが…実際はそうもいかず…
明日からは忙しい現実に引き戻されてしまいますorz
さて、今回の内容ですが、ゲンロウ邸のみです。物語自体は進行していません。 なんか書いていたら変なとこでヒートアップしてしまって心情?みたいな点を中心にズラズラと書いております。
毎度のことながらゆーっくりゆーっくり展開が進んで行きます(笑)
ではでは今回も読んでくださった方々、ありがとうございます。
また次回更新した際もどうぞよろしくお願いいたします。