私、決めました! Ⅴ
「お嬢さん、騎士さん、本当にありがとう」
「いえいえ、それよりも見つかって本当に良かったです。その懐中時計、とても大切な物なんですね」
少し老婆は何かを考えるような間を空けた後、手にした懐中時計を見つめながらゆっくりと語り始めた。
「この時計はね、機巧師だった私の息子が造ってくれたものなの」
「すごい! この懐中時計って手作りなんですか!」
「ふむ、たしかにこれは実に精巧に出来ている。御子息は相当な腕の職人だったのであろう」
機巧師とは、魔力に頼らず純粋な機械構造のみで制御を行う精密機器を創り出す職人の事を言い、近年ではフィンガロー……いやセンスティア全土でもかなり珍しい部類に入る職種である。もともと機巧師はセンスティア全土に数多く存在していた。生活を便利且つ、豊かにするために機巧を駆使し、様々な機器をその手で生み出していたのだ。しかし、機巧品は構造が複雑すぎる、製造には手間がかかるなどの問題点も抱えていた。
ある時、そんな問題点を解決すべく考案されたのが、センスティアに満ちる《魔力》という資源を機巧品に組み込む術、魔導機巧である。本来、機械制御で行う構造の一部、もしくは大部分を魔力制御に置き換えることで、機巧の持つ複雑さを大幅に解消し、自然と製造の手間も削減された。また、今までは古くから受け継がれてきた技術を持つ職人にしか創ることができなかった機巧品に、魔力という身近な力を取り入れることにより、幅広い者たちがそれを扱うことができるようになったのである。
もちろん最初からうまくいったわけではない。何度も何度も失敗を繰り返し、長い年月をかけ成長を続け、現在でも伸び続けている技術なのである。そんな長い成果と魔導機巧品を生み出す職人、魔巧師の努力を経て魔導機巧という概念が広がり、人々に根付いていったのだ。理想的とも言える魔導機巧。その分野を目指す若き職人は次第に増え、それと同時に、利便性や扱い易さが圧倒的に劣り、かかる労力も魔巧師のそれとは比べ物にならない機巧師は反比例するかのように減少の一途を辿り、現在ではその存在ですら稀少とされていた。
それでも未だ機巧師が僅かに存在しているのは、極少数派の機巧品に強いこだわりがある愛好家達と、現在に至るまでの技術進歩をもってしても魔導機巧では制御できない極一部の機巧品が存在するからである。
現在では職人である機巧師が少数となってしまったため、当然のように機巧品も数少なくなっていた。アネットでさえも機巧品を目にしたのは数える程でしかない。
「えぇ、息子は私の誇り……なのよ」
嬉しそうに自身の息子の事を話す老婆。だが、その表情に一瞬の陰りが差したが、シエル、アネットの両者が気づく前に老婆は先ほどと変わらぬ笑みの表情に戻すと、思い出したかのように慌てて言葉を続ける。
「それよりも、遅くなってしまったけど自己紹介がまだだったわね。私はエマルダって言うの」
「あっ、はい! 私はシエルです」
「私はアネットだ」
老婆の自己紹介に対して、相変わらずシエルはどこかぎこちない様子で、アネッは凛々しい声で落ち着いて手短に名前を名乗った。
「シエルちゃんにアネットさんだね。今日は本当にありがとう。おかげで大切な物を見つけることができたよ」
エマルダは全身で感謝を表すかのように再び深々と頭を下げた。老婆の手の中では星明かりが表面で滲む懐中時計がしっかりと握られている。
日が完全に落ち切ったルオン広場の外灯が映し出す人影は既に三つしか無く、昼間の活気がまるで嘘だったかと思うほど静まり返っていた。広場中央に設置されている三連の噴水も本日の労働を終えたのか、煌びやかに光っていた水流は既に姿を消している。
「それじゃあ私はそろそろお暇しようかしら。二人共、本当にありがとうね」
しばしの雑談の後、エマルダは何度目かの良い礼の後、ルオン広場を後にし、帰路についた。シエルはそれを手を振りながら見送る。
そんなシエルの心の中で何度も繰り返される一つの言葉。
(ありがとう)
いままでの人生で幾度となく耳にした言葉である。だが、改めて聞くとその言葉の素晴らしさに気づかされた。そのたった一言で全身が暖かくなる気がする。そのたった一言で心が満たされている気がする。そのたった一言で誰かの役に立てたことを実感することが出来る。シエルは心の中でとある決意し、無意識のうちに大きく首を縦に振っていた。
「すっかり遅くなってしまったな。すまないシエル、もう時間的にこれ以上フィンガローを案内するのは難しそうだ」
ふとアネットがシエルの顔を覗き込み呟いた。広場内にいくつも設置された、宙に浮く光球が外灯の役目を果たしているが、二人がいる場所は丁度、外灯球と外灯球の間に位置しており、他の場所よりも薄暗くなっている。だが、そんな場所でもはっきりとわかるほどにアネットには申し訳なさそうな表情をしていた。シエルに案内したい場所がまだまだたくさんあったのが無念で仕方ない様子である。しかし、もちろんアネットはエマルダを恨んでいるわけではない。むしろ、シエル同様に老婆の助けになれたことを誇りにさえ感じていた。
「ううん、大丈夫です。街はまた別の日にゆっくり見てまわれば良いんですから」
「別の日……?」
「私、決めました!」
泥だらけの顔に街灯球よりも明るい笑顔を浮かべたシエルはひと呼吸置いてから、意を決したように言葉を続ける。
「代行神、お引き受けします!」
「――本当か!?」
「ちゃんと務まるかはいまでもすごい不安です。正直に言えば自信はあまりないです。でも分かったんです。私、エマルダさんにありがとうって言われてすごく嬉しかった。アネットさんに代行神を頼まれた時もちょっと驚いたけど、でも嬉しかった。誰かに頼られること、誰かのために何かをすることってこんなにも心が温かくなるんだなぁって。だから、私……うまく出来るかはわからないけど、代行神に挑戦してみたいんです!」
ぎこちないながらもそう言い切ったシエルの表情は星闇の薄暗さなど吹き飛ばす程に輝き、その瞳は騎士のそれに似たような志を帯びていた。
一つの大きな決意を表明した少女の対面では、騎士の少女が紅のポニーテールを揺らしながら驚きを隠しきれない表情でいる。そのサファイアの様に透き通った蒼い瞳の端には月明かりを反射させる涙滴がうっすらと滲んでいた。
こんばんわ、作者の村崎 芹香です。
近頃の冷え込みに恐怖を抱いております。 奴らは私を布団という楽園に閉じ込めたがっているに違いありません。
はてさて、今回でとりあえず第一章の締めとなりました。
まぁ、わかりきっていたことなのですが、シエルさんが代行神を引き受けてくれたみたいですね。 よかったよかった。
シエルさんの心境の変化をもう少し具体的に表現したかったのですが、どうにも語彙の少ない私には…… 一応、いつものようにちょいちょい修正していく予定です。
次回からはどういう展開が待っているのでしょうか!?(笑)
一応、クルーエルラボの方もちょこっとずつ執筆しているのですが、やはりどうにも代行神の方が執筆が楽しくてついついこっちばかり勧めてしまいます(笑)
いっそこっちをメインにしてしまおうか……
一週間に一度更新を目標にやっておりますが、来週は年末ということもあってもしかしたら更新できないかもです><
ではでは今回も読んでくださった方々、ありがとうございました。
また次回更新した際にはよろしくお願いいたします。