男子、海咲乃
このお話は過去に読んだ色々な小説からインスパイアを受けつつ書いたものなので受け入れられない方は回れ右っ!
タイトル:階級制度
4月20日(水) 2年B組/32番/海咲乃在処
動物は何故群れるのか真面目に考えてみたことはあるだろうか。まあ一概に群れを成すわけではなくひたすら孤高を貫く動物もいる。だが、野生動物のたいがいは群れで行動するものだ。遺伝子に刷り込まれている本能と言ってもいい。今回、私は群れで行動する動物たちの心理を考察してみた。
まず、一番初めに思い浮かんだのが『自分を強く見せつける為』。この世に生を受けた命には、必ずと断定していいほど天敵がいる。それらに物量差を見せつけ身を守る為、或いは迎撃する為に彼らは群れを成すのである。数は時として何よりも恐ろしい暴力になる。
今の人間社会もそんなものだ。どこか飛び抜けていたり、異端な者を人は群れを成して容赦なく牙を剥く。私が人とのコミュニケーションを苦手とするのも仕方のないことだと言える。何かに突出している人間は辛い。いやホントに。
二番目に『子孫を残す為』。そもそも、群れを成すには大人だけでは成り立たない。子を増やすための交配は群れを作るメリットの一つだと言えるだろう。
余談だが、中学生の頃はセックスと言うだけで少し恥ずかしくて温かく、そしてなんだか大人になったような錯覚を起こしたものだ。が、この年になったらあまり何も感じなくなった。なんなら昼の駅前で声高々に叫んでもいいくらい。・・・私が捕まったら家のパソコンのHDDは跡形も無く粉々にしてほしい。これは遺言だ。
閑話休題。さて三番目、正直これは私が一番嫌いな理由。何故なら、これは私達人間が色濃く、そして根強く関わっている問題でもあるからだ。
これも余談だが、カースト制度という言葉をご存じだろうか。小中の歴史の授業を受けていればわかるだろう、ヒンドゥー教がどーたらこーたらというやつだ。原初の意味からは外れる様だが、一口に言ってしまえば階級などを区分けする制度である。
蟻などはそれが顕著に表れている動物で、女王蟻を守護する為にその他の蟻がいる。と言っても、人間が定義するカースト制度とは大きく異なるのだが。例えば普通の蟻や蜂などは女王を守ることが繁殖に繋がる。人間側の視点から見ると、ある種自己犠牲的に見える彼らの行動は、自分たちがどれほど外敵に蹂躙されても女王が彼らの代わりを量産するという役割を持つことを理解している為である。故に蟻という種族は女王を差し引くと一瞬で瓦解するのだが。こういった動物のカーストは軍隊を想像してもらうと一番手っ取り早い。そしてこの場合に限って、私はカースト制度を否定しない。各々の役割を理解、行動するのは動物ならではのシンプルな思考で好感が持てるからだ。ちなみに私の小学校の頃のあだ名は『蟻ん子』である。
さて少々話が飛んだが三番目の理由、それは群れを成すことで他者との違いを明確にし優劣を決める為だ。動物の群れの中では優秀なオスが群れの中ではボスなのに、どうしてこの学校に通う人間の中でもとりわけ優秀な私が虐げられなくてはいけないのか。
・・・私の嫌いな意味合いで使われているカースト制度について話を進めようか。基本的にこの手のカースト制度の根底には『差別』や『支配』、そして『排除』といったものが根深く残っている。ただ、これは普通の動物も例外ではない。むしろ先の蟻のような役割重視の話は例外と言っていいほどで異分子、奇形、異常個体・・・このような個体からは正常に遺伝子を伝えられない、秩序が守れないという理由から群れは彼らを排除してしまうのだ。
こういう風に動物たちはカーストに従って生きている。私だって趣味が合わない人間や、考え方の違う人間と100%仲良くできる自信はない。そして私が今日、対象になっているのは校内序列といった、学校内での生徒の差別化だ。
私のクラスの中ではだいたい4つのタイプがいる。まず男女が混ざり合った大所帯のリア充集団。こいつらは傍から見るとバカっぽい集団にしか見えない。内輪では大きな声で喋り、自分の発言が面白いのだと、青春を謳歌しているのだと信じてやまない。大抵このグループにはルックスやノリの良い者にしか入ることは許されず、一度入ると抜けるのも困難だ。だが、真に恐ろしいのはこいつらの下位カーストに対する支配力の強さである。クラスで何かをやる時、必ずこのグループを優先させないといけないといった空気を作ってしまう。それに逆らう者は明日から居場所が無くなり、自然、友人も離れていく。肉食獣的ポジションだ。
次に仲良しグループ。4~5人で統制されている主に同性統一のグループである。先のリア充集団にこそ所属していないものの、カースト的には中流階級と行ったところだ。ただ、こういう同性しかいないグループは何かのはずみで瓦解しやすく、その内輪揉めときたら時にクラス全体を巻き込む迷惑になるのだから困ったものだ。ただ、そういった下々の者をリア充集団は気にかけるので、面倒見のいい彼らを頭ごなしに非難するのもどうなのだろうかと思わなくもない。要は空気を固着させるのが彼ら彼女らの存在意義なのだろう。
あとは、オタク。こいつらが実質一番無害だ。2~3人の男子で構成されている傾向が強く、教室ではゲームの話で駄弁っていたり、ゲームをしていたり、たまにそのゲームをリア充集団に搾取されていたりとかそんなところである。ゲームが返ってくるのはまだいい方。借りパクされている下自民も少なからずいる。むしろ一番不憫な存在じゃなかろうか。
最後に・・・ぼっちだ。教室では孤独に飯を食い、積極的に何かに参加することもなく、常に一人でいる。体育の時間、先生に『好きなもん同士で二人組作れ』とか言われると、どうしていいかわからない。カースト上位の者に話しかけられると噛むし詰まる。同位の者に話しかけられると斜に構えてひねくれるどうしようもない連中だ。
だが、そんなぼっちはこのクラスには存在しない。ぼっち同士で組まされた人間はそれを友情だと勘違いする。そしてその拙い幻想に縋りつく。その結果、オタクというコミュニティが増えていく。オタクは群れを成して仲良しグループとなる。お前ら友達作れるんじゃねえかよと突っ込まざるを得ない。
ではなぜ4つ目のタイプを紹介したのか。
答えは簡単。私ただ一人を除いてクラスの人間がぼっちから脱したためである。
一番初めに言った通りだ。冷徹に、公然に。時に言い訳がましく、悪意を持って、人は異物に牙を剥く。4つ目のグループはなんてことはない。このクラスの唯一の異物、海咲乃 在処という名の枠組みだ。
以上の理由から私、海咲乃在処は常に一人だ。だがそれは群れを嫌うわけでも、群れから疎外されているわけでもない。効率的で、欺瞞に苦しむこともなく、他人に流されない。だから私は好きで一人でいる。ただそれだけなのだ。
「ふう、こんなところか」
放課後の誰もいない教室、俺はレポートを見終えひと仕事した雰囲気に浸っていた。何度見直していても感嘆の声しか出ず、とても1時間で作った即興の物とは思えない。指標を言えば『動物の習性に関して』という課題に対して、あくまで自然に人間の方にシフトしていったところだろう。問題点があるとすれば俺の名前が入っていることだ。たかだか偶然の確率で担任になっただけの人間に『僕、友達が居ないんです。えへ☆』とあからさまに弱い自分をさらけ出すのは意外と泣ける。多分、俺も先生も。
「しかしこれで大丈夫かな」
誰に聞かせるつもりもなく一人呟く。前述の通り、先生の出した課題は『動物の習性に関して』というものだった。まあ内容的にそんなに外している訳でもないだろう。外しているといえば先生の視点の方だ。なぜこんな中学生のレポートの様なものをせねばならないのか。好きではあるんだけどな、こういう課題。
なんやかんやでレポートも終わったことだし、職員室にいるはずの先生に提出しに行こうとした矢先・・・。
「・・・。」
なんだろう、視線を感じる。正直、このクラスで俺は好奇の視線を感じたことはない。それどころか俺の名前を知らない奴すらいるレベル。俺に興味を持てとは言わないが、先生が俺を呼ぶ時にちらほら聞こえる『誰?もしかして転入生?』とかいう囁きはやめろ。いい感じに死にたくなるから。あと、その後だけそこそこ目立って『なんだ、あいつか』みたいな視線も入り混じるので余計に性質が悪い。どうせそのあとすぐ忘れるんでしょっ!あたし知ってるんだから!
まあそんな話はさて置き、どこか刺すような視線が痛い。俺はただレポートをしているだけで人に恨まれるような人間でもなく、このような視線をぶつけられる謂れもない。どうにもやめてくれる気配もないので、意を決して振り向いてみる。するとそこには目も覚めるような美少女が・・・!
「・・・」
「・・・マジ?」
・・・本当にいた。何故かいたことに少し驚きつつも、冷静に分析してみる。
身長は165㎝の俺より少し小さめ、体格は普通。顔は小顔できりっとしたまつ毛と大きな瞳が顔の可愛さを引き立てる要因だが、その睨みつけるような視線が意志力と反骨精神を濃く醸し出していてどことなく残念だ。着崩されたブラウスと腰に巻かれた濃紺のブレザー、着用義務のあるリボンは胸元になく、ボタンを外しているせいか少し大きめの双丘は強調され、学校指定の赤を下地にしたチェックのスカートは若干短めだ。髪はこの手の不良チックな生徒にしては珍しく漆黒と言っていいほどの黒い長髪をポニーテールに纏めている。
文句のつけようのない正統派不良系美少女がそこにいた。何だよ正統派不良系美少女って。相反する二つの意味を兼ねているのか、不良の模範なのか全くわかんねえじゃねえか。あと自分で言っておいてなんだが、衣服が乱れているだけで不良とはどうなのだろうか。その基準ならこのクラスですら7割は不良だぞ。まあ、今向けられている三白眼ときたらそりゃもう刺激的で蠱惑的・・・キャッ、私ったら何言ってるのかしら。だいたーん!
「・・・」
だが、そんな見目麗しい美少女から仁王立ちで腕を組みながら睨みつけられるとなると、どうにもいたたまれない気持ちになる。ていうか、なんでこんな支配者階級に居そうな女が俺なんかを睨みつけてくるのか全く分からない。身に覚えもない。本当だ。嘘じゃない。嘘じゃないはず。え?嘘・・・。
「あの・・・?」
「・・・」
二度目の勇気を振り絞って声を掛けてみる。だが、相手からの返事はなく態度も一辺倒だった。おい、この俺が話しかけているんだぞ。この校内序列ランク外のこの俺が。友達に自慢したらまず間違いなく「え?誰?ていうか誰?」とか言われるレベル。たっはー☆死にてえ。
まったくしょうがない、このままではラチが明かないので俺は職員室に提出しに行くことにする。今日中に提出しないと肉体言語を使われることになるからな。全く、生徒をなんだと思ってるんだあのアマ・・・。
「・・・じゃな。」
なんとなく、無視して一方的に帰るのも悪い気がしたのでそれだけ声を掛けて隣を通り過ぎようとする。やっぱ俺いい奴だなーとか、今日家に帰ったら姉ちゃんに頭撫でてもらおうかなーとか考えていたら何かに触れられる感触がした。
「・・・」
「・・・」
咄嗟に後ろを振り返る。そこには先ほどの表情を崩さぬままの不良少女が立っていた。そして、何故か右腕を摑まれている。整った見た目に反して力は結構強い。フン、戦闘力に換算して本気の俺の1.1倍といったところか。力よえーな、俺。
「・・・なに?」
少し不機嫌な表情を作って件の美少女を見やる。姉の談だが、俺の不機嫌な顔は自分で思っているよりも大層不機嫌なそうだ。具体的には以前働いていたファミレスのアルバイトでこの顔をすると、先輩に『あと2時間あるけど今日はもう上がっていいよ』とか言われちゃうレベル。上がっていいよってなんだよ。こっちは金稼ぎに来てんだよ。まあ用事がある時とかは重宝するんだけどね、主に姉ちゃん絡みだけど。ていうか姉ちゃんくらいしかないけど。ちなみにそのバイトは『海咲乃がいると雰囲気が悪くなる』とか言う理由でやめさせられた。理不尽にもほどがある。ただ、実際そう思っていたのは店長だけではないらしく、送別会の一つすらしてもらえなかった。『あの、実はこれ・・・』と頬を染めながら言いつつ、同じタイミングで俺も辞表を出したのだから笑えない。その時だけは店長とシンクロしていたように思える。最後に店長とがっしと握手をし、綺麗さっぱり後腐れ無く職場を辞めれたのだから僥倖だ。
まあ長々と話したがこの顔をすれば手を離し、俺をこの息苦しい教室から開放してくれるはずだ。案の定、俺の不機嫌な顔に少しだけ怯えた表情になる。しかし、次にその柔らかそうな唇から発した言葉が
「プ、プリントを見せて頂戴」
というものだった。『は?何故?』という疑問はその美しすぎる澄んだ声にかき消されてしまった。しかも口調自体は若干お上品だ。なに、こいつ本当に不良なの?実は天使の生まれ変わりとかなんじゃないの?ていうか天使が俺のレポートを検分しに来たの?俺実はもう死んでたの?ありえないな。しかし、俺が常日頃から死の葛藤と戦っていることもまた事実。俺・・・負けたのか・・・?
「・・・ほら」
冗談はさておき、真剣な眼差しに押し切られるようにぶっきらぼうに手渡す。こんな真剣な眼差しを向けられたのは進路相談をした時の母さん以来初めてかもしれない。うっかり惚れてフラれてしまいそうだ。おいおい、フラれちゃうのかよ俺。
じっくり2~3分、俺のプリントを眺め終わる。
「あなたも独りなの?」
「・・・おう」
そんな率直な問いかけ。そして、ドライな回答。ていうか、あなたもってなんだよ。俺にはどうしても、目の前の美少女が俺と同じぼっちなどという在り難い幻想を受け入れることなどできなかった。
「・・・無理をしていないかしら。そうやって、いらないところで肩肘張って生きているといつか身を滅ぼすわよ」
もっともらしいことを言う。だが俺は無理などしていない。
「文末、見なかったのかよ。俺は望んで独りなんだよ」
群れるのが嫌いな訳じゃない。でも自分から何かしようとも思わないだけだ。
「それに誰かに合わせて自分の在り方を変えるなんていうのは自分という人間が薄っぺらく、その人付き合いすらも薄っぺらい証拠だろうが」
ただ、こんな初対面の女子に向かって説教臭いことを言うのもなんだかな。しかし、それを説教とは取らなかったのか、彼女は真剣な眼差しでこちらを見返すのみだ。射抜くような視線。この視線は嫌いだ。クラスの連中やその他大勢などの見下した視線や、どうでもいいモノを見る目ではない。意図はどうあれ、俺の事を決して捉えて離さない人を雁字搦めにする視線だ。
「あなたにとって、一人であることはそんなに大事なの?」
「大事かどうかじゃない。それしか生き方を知らないんだよ。」
「そう。なら、他の生き方を知ったら変わろうと・・・あなたは思うのかしら」
「・・・」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。偉そうなことを言ってしまったが要するに楽なんだよ、独りって奴が。独りって形態が。だから彼女の質問に対する答えはノーだ。俺は別に楽になりたいとは言わないが楽をしてここでの生活を終えたいんだよ。傷付き慣れた俺だが、自分から傷付きたいだなんて思ったことは一度もない。
「・・・ごめんなさいね、変な質問をしてしまって。先生には伝えておくわ。あとついでにこれも」
会った時より軟化し、少し表情を和らげたポニーテールの美少女はそれだけ言い残して去って行った。ああ、そうか。先生に言われて来たのか。・・・いや納得しねえけどさ。なんで俺のプリントをあいつが検分して先生に報告すんだよ。そんな親切な女子今まで知り合ったことねえよ。逆はあってもな。自分で言っておいてなんだが、この場合の逆ってなんだろう。アレか、仕事を押しつけて帰る感じのアレか。どっちにせよ、そんなに女の子と関わったことないからわかんねえけど。
ただ、さっきのキッツい様子からあんな風にやさしい対応をされると困る。もしかすると俺に気があるんじゃないかと並みの男子は勘違いしてしまうのだ。男は馬鹿なんだからそんな反応をするのはやめて欲しい。ま、俺はそこまであまくない。ソースは俺の体に染みついている。ソースだけに、な。ちなみにソースだけに甘くない、ダブルミーニングだ。・・・今、若干死にたくなった。
つーかそんなことより、明日学校でレポートの内容言いふらされてたらどうしよ・・・。マヂ病み・・・。まあ言いふらされたとしても『あはは、面白いね。で、海咲乃君って誰?』で終わるんだろうけどよ。・・・二重の意味で病んだわ。
×××
「あーくん、ちょっとそこの味醂とってくれるー?」
「はいよ」
「ありがとー」
「・・・あーい」
あの後、謎の美少女と別れてからずっと彼女の事ばかり考えて居る。俺が女子の事を考えてこんなにも悶々しているなんて、いつもなら即行動、即玉砕、即クラス中バレ、そして即ぼっちだというのに。でも、高校に入ってからはずっとこうだ。結局『俺には無理だ』『住む世界が違う』『諦めた方が楽だ』などと、自分を納得させてきた。恋愛ごとなんてものに、波風立てずに生きることを覚えたのだ。だからこそ腑に落ちない。
『知ったら変わろうと思うのかしら』
特に頭から離れないのがこの台詞だ。知ったらって・・・なんだよ。俺はもう十分知り尽くしているはずなのに。他者を裏切る狡猾さも、他者を見下す黒い部分も、そして他者を貶める嗜虐性も。それしか知らないんじゃない。それさえ知っていれば、バカな夢を見ることもなく、のらりくらりとただ生きることは出来るんだ。別にこの生き方が絶対に正しいなんて言うつもりはない。むしろ、他に妥協案なんていくらでもあるだろう。だが、紛いなりにも1年間俺はそうして生きてきた。そうやって、独りで今まで頑張ってきた人間が何故否定されなければならない。一人で足掻くことが悪で惨めで、群れて生きる人間は正しいのか?・・・堂々巡りの思考になる前に意識のほかにやる。全く、答えの出ない問いは嫌いだ。
「あーくんっ」
すると、不意に後ろから抱き着かれる感触があった。メロンと称しても違和感の無いボリューム、それでいて柔らかく適度に張りのある胸が押し付けられる(でも胸をメロンに例えるのはどうなんだろう。ちょっと硬すぎないかな)。一瞬、あまりの気持ちよさに昇天しかけてしまったがそれが我が姉、海咲乃亞里亞、通称あーちゃん(本人はこのあだ名を気に入っていない)のものだと知り、慌てて身をよじる。だが、思いのほか力が強く離れてはくれない。くっ、以前換算した彼女の戦闘力は俺のおよそ0.8倍だったはず。まさかこいつ、戦いの中で成長している・・・?
「んなわけない」
心を読まないでほしい。
「離れてくれよ、姉ちゃん」
結局力任せに暴れる訳にもいかないので、懇願による説得に出る。ちなみに、成功率4%。なぜ4%なのかというと、このスキンシップが始まってから早16年。そしてこの女が俺の言うことを聞く確率はほぼゼロ。
「やだっ!」
やはりというかなんというか、とても元気なお返事で俺の願いは却下された。今どき幼稚園児でもここまで元気がいい子はいないぞ。いやマジで。
「・・・ったく、んな事ばっかしてていつか襲われても文句言えねえからな?」
「んー、お姉ちゃん的にはまだかまだかと待ち構えているんだけどなー」
言いつつも手の力は緩めない。まさに雁字搦めだ。辟易しながら姉ちゃんの顔を見る。
整った鼻、目はいつもニコニコしており、糸目のようにも見えるが目を開くとそこそこ大きい。この位置からでは見えないが身長は俺と同じ165cmでその大半がすらりと長い足で形成されている。肩に届く程度の茶髪は触れる少し手前でカールされており、例の少女とはベクトルが違うが弟の俺から見ても可愛らしい美少女だ。胸にぶら下げている爆弾について説明をする必要はないだろう。ちなみに亞里亞は俺の二つ上で今は大学生だ。
「で?さっきから何女の子の事で悩んでるの」
「・・・別に女ってわけじゃ」
「ハイ、嘘」
背筋が冷たくなる。いつものことながら、俺は姉ちゃんに対して嘘が付けない。具体的には隠し通せない。半端にすればなおのこと、綿密にプランを立てた嘘ですら数時間後には看破される。
「そんなに汗出しながら言っても説得力ないよ。それにあーくんは癖が多いしね」
「はあ、そんなの誰にでも一つくらいあるって」
「咄嗟の反応と無表情だけはとっても上手。実際、それだけで大概の人は騙せるんだけど、嘘を付くときに一度瞬きをする癖と唇を右下にスライドさせる癖、極め付けは左手親指を中指にこすり合わせる癖と。目立って、目立ってしょうがないよ」
「ソ、ソースは・・・」
「人を騙したいならその所作は頑張って変えた方がいいよ。もっとも、私から言わせればお姉ちゃんに嘘を付くような子にはなって欲しくないんだけどね」
聞かれてもないことをスラスラと話し出す亞里亞。いや、んなもん気付くのアンタだけだから。やっぱこえーよ。つーか怖い。
「別に嘘付きたいわけじゃ・・・それに大した話じゃないから」
「ふーん。その割にはいつもより悩んでるんだね」
まあ、あれだけ長いこと頭抱えていたら気付くだろうな。ただ、気にかかっているだけでまだよく分からないというのが本音だ。一番よく分からないのが何故、彼女が俺の課題を先生に提出しに行ったのかという一点に尽きるが。ふと気が付いたら後ろに居た気配はすでになくなっており、その代わりに目の前に姉ちゃんの顔が急接近していた。ギョッとして身が固まったところを抱きすくめられる。相変わらず冷たい体だ。冷え性だと本人は断定しているが、俺は彼女が人に与えるプレッシャーから来るものだと感じている。
「まあでも、おねえちゃんは応援してあげるから。もちろん・・・」
そこで一旦言葉を切り、その深淵の眼で俺の瞳を覗きこむ。
「オトモダチならね?」
言ったろう?だから怖いんだって、愛すべき俺の姉ちゃんはさ。
×××
その翌日、授業を真面目に聞きながらも昨日会った少女の事が引っかかって仕方がない俺は先生に話を聞きに行くことにした。姉ちゃんからは釘を刺されたが、いつまでも俺だって子供なわけじゃない。ひとりでできるもん!
で、放課後の職員室。先生は俺を応接室に誘導し、一枚の用紙にたまに赤線、たまに何か書き込んでいく。そして最終的にはこめかみを抑えだしてこちらを見てくる始末。一体なんなんだろう。でもこんな美人(形式的には)に見つめられるのは悪くないので特に文句はなかった。
「はあ。しかし、なんだね。このレポートは」
国語教科担当の嬉野 御国先生は俺に今作業をしていた用紙を突っ返してきた。俺は点数の覧に書かれた81点という文字を見やる。まあこんなものだろう。うれしいのう。・・・今のナシな。
ちなみに俺がなぜこのようなものを書かされたのかというと、前回の授業でプリントを提出できなかったせいだ。何故出来なかったのかというと、睡魔に屈服しただとか、その日が自習時間だったことなど諸説ある。だがまず間違いなく、俺のことを認識しないクラスメイトが俺の分のプリントを配らなかったせいであろう。いくらなんでもしていいことと悪いことがある。姉ちゃんがその日の晩、俺の好物のポテトサラダとから揚げを作ってくれていなければどうなっていたことか。恐らく普通に翌日も学校行ってたところだ。あー、素晴らしくなきことかな学校教育。
「動物の習性についてですよね?」
「ああ、そうだ。君のぼっち事情を聞きたかったわけではない。ていうか、聞きたくなかった・・・」
「なんすかそれ。ていうか、これも立派な動物観察ですよ」
「人間観察、でなくてか?」
「愚問ですね。人間だけ他の動物と比類して知能が高いというだけで動物という枠組みから外れると仰るのだとしたらそれは傲慢が過ぎるのではないでもがぁ」
喋っている途中に口を塞がれてしまった。なんだかちょっといい匂いがする。だががっちりハマっていたので抜け出すに抜け出せない。超苦しい。
「屁理屈はいい、屁理屈は」
じろりと半眼でねめつけられ、精神的にも身動きできない。違和感の無いようシフトしていったつもりだったのだが、どうやらバレてしまったようだ。そしてよく見ると彼女の目の端には少し滴が溜まっている。本当に泣かせてしまったみたいだ。将来小説家にでもなれるんじゃないか、俺。ただ、泣いている理由がありありとわかってしまっているので、俺も泣きそうになるのが玉に瑕。いや、いつも瑕。
「でもこれ、なんか中学生の課題みたいっすね」
すると先生がむっとした顔になる。まずいな、これ先生が考えた問題だとしたら少し失礼だったかもしれない。なんだかんだで俺も楽しんで書いていたわけだし、何より、人の考えたことや作ったものを侮辱するのは俺的にもいけ好かない。ここは謝っておくべきだろうか。
「失敬な、ちゃんと知恵袋に投稿して考えてもらったというのに」
「あんたの方が失敬だ。金払って授業受けてる俺達の事について考えろ」
少しでも悪いと思ったのが間違いだった。海咲乃くん@あやまらない。
「知恵袋に乗ってるかな?」
「とりあえず端末に頼るなよ。国語教師が板書出来なくなったら笑い話にもならねえ」
老化が進むとか、コンピューターおばあちゃんとかは言わない。言えない。
「言うだけあって君の言葉は一々鋭いな。その鋭さが命取りにならんと良いがな・・・フッ・・・。」
何キャラだよ。そういえばこの人は少年漫画を好んで読んでいたな。
「しかし・・・ふむ、そうか・・・。君は・・・友達が居なかったんだな」
「そんなしみじみ言うのは止して下さいよ」
ていうかあんたなら一人でいる者の気持ちが分かるだろ。だが言わない。言ってしまえば終わらされる気がするからだ、あの拳で。その鋭さ、G級。
「・・・まあ、群れるのは嫌いなんで。関わりあいたくもないのに自分に嘘を付く、そんな欺瞞が許せないっていうのもありますね」
そして何より俺にだってプライドが・・・なかったな、そういえば。ちんけなプライドなんて持つ奴が教師に出すレポートにいちいち『友達いないの、うふ♡』って感じにアピールなどしない。俺はほら、ありのままを見てもらいたいだけだし。先生には気の毒だが、俺はこの手の課題をとても楽しんで臨んでいる。言葉にはし辛かったり、言いたくたって言えないことなんてたくさんある。それを許容するのが文章であり、課題であり、国語教師だ。
「ふふ、そう捻くれなくってもいい。誰にだってそういう時期はある」
「先生にもあったんですか?」
意外な返答だった。嬉野先生は美人で人当たりもよく、生徒からも「御国ちゃん」とか呼ばれているくらいフランクなはずなのに。・・・まあ、関係ないか。そもそもあの拳を研鑽するのにどれほどの修羅場を潜って来たのか。そしてその分の青春は当然、投げ捨ててきたのだろう。
「ああ、そして今もだよ。だってほら、私は未だに・・・独り身じゃないか・・・」
一言紡ぐごとに瞳が虚ろになっていく先生。ああ、そっか。距離が近すぎてどうにも友達から進めないってパターンか。少なからずいるんだよな、距離感が友達止まりの男女。まあそのことにもどかしさを感じているのは大概が男の方なんだけど。どうも、経験談です。
しかしこの俺、海咲乃在処には友達止まりの女子すらいない(正確には『居なくなる』が正しい。ここテストに出るからな)。こちらが一方的に片想いしているだけという状況しかなかった。、まあいいじゃん、片想い。この世で最も美しい独りよがりの形だろう?俺のような人間にはぴったりだ。
だからこれもいつも通りの独りよがり、俺は相手に期待しない。ただ、好いた好かんはさて置いて人の事を知ろうと思ったのは中学以来の事だった。
「ていうか」
「ん?」
「何ですかあの正統派不良美少女は」
うん、自分で考えたときは疑問に思ったがやはりしっくりくる。でも口を開けば文学少女っぽかったような気がしないでもない。黙っていればただの不良ってなんだろうな。世間的にはずっと喋っていてほしいよね。
「・・・君、せめてこのレポートの10分の1程度は考えて喋ったらどうだね。内容はさて置き、そこそこいい文章にまとめているのに」
呆れた様子の先生。でも褒められると面倒だ。照れ臭いし何より好きになってしまうから困る。何せ俺は『へえ~、海咲乃君って字が綺麗なんだね!』と女子に言われただけで、その翌日告白してしまうような男だ、もちろんフラれた。
しかして、フットワークの軽さとはこの場合において美点なのだろうか。人との距離感が分からなかったあの頃よりは幾分かマシだが。ていうかコミュ障に対人スキルを求めてはいけない。口では言えなくても文章で言えるのだからいいじゃないのよ。
「まあ、考えてはいますよ。ほどほどに」
言いながら、俺は昨日のポニーテール美少女を思い出していた。コミュニケーションこそ取りたがらないが、俺は身近な異性に少なからず興味がある。今思い出してみると結構可愛かったよな。あー、やべ。考えてるとよだれが・・・。
「・・・と、とりあえず、拭け」
「あ、どうも」
先生が俺にティッシュを手渡してくる。顔が若干引きつっているのが気になった。恐らく俺のよだれ顔でも見られたのだろう。後世まで次ぐ笑いの種になりそうなものなのにどうしてそんなに悲しそうなんだろうか。笑えよ、嬉野。むしろ俺が悲しい顔してえよ。
「で、話し戻しますけど、なんなんです?あの娘」
俺は件の美少女が気になっていた。当たり前だが好意的なものではない。容姿はまあ認める、とても綺麗な女の子だ。だが、初対面の人間に対してあの不躾さとぶっきらぼうな態度はいただけないな。俺の『絶対に許さないリスト』に追加するためにも、名前くらいは知っておいた方がいいと思っただけの事だ。あと血液型、誕生日、所属クラス、そしてスリーサイズもな。・・・ホントよ?他意はないのよ?
「ああ、彼女の名は廿楽彩夏。なんだか・・・」
「なんだか僕の名前と語感が似ていますね、運命を感じます」
「・・・うん、そうだな」
俺の喰いつきが良すぎたのか先ほどの引き笑いから『笑い』を取ったような表情になってしまっている。しかしどうにもこの先生の前だと饒舌になってしまう。理由は勿論わかっている。この人は俺から目を逸らさないからだ。行動面だけじゃない、この人は本当の意味で俺を見捨てない。こんな捻くれた俺でも。
「う、嘘ですよ、あんな性格キツそうなの。ていうか先生も美人なんだから、そんな顔してたら勿体無いですよ」
『そんなんじゃ行き遅れますよ』と心の中で付け加える。ちなみに俺はこれを実際に試して逝きかけの刑に処されたことがある。件の少女が俺の1.1倍の武力だとしたらこの嬉野御国という女、恐らく1,4倍はあるからな。やっぱ力よえーな俺。
ふと、先生を観察してみる。身長は俺と同じか少し上くらい。目鼻はくっきりとしており、今年で25とは思えないほど幼い顔をしている。黒髪は手入れが行き届いているのか手櫛をしても引っかからない、流れるような長髪だ。昨日の廿楽も凄かったがそれを上回るはちきれんばかりのバストは腕を組んでいると更に強調され、童貞には刺激が強すぎる。ダークグレーのジーンズ、タイのついたシャツの上から紺のベスト。その上から白衣を羽織っている。外見的判断では魅力的な女性だと思う。外見は、な。
だがしかし、『綺麗なバラには棘がある』、『瑠璃は脆し』。美しかろうと内面をおろそかにしている者には人が寄り付かないし、長続きしない。あとついでに『兵は凶器』。これは言わずもがなである。
「ふっ、そんなことを言ってくれるのは君だけだよ」
と言うと、どこか達観した目で窓の外を見る先生。そうしていると儚げな印象も相まってとても綺麗だ。彼女の事情も相まって哀愁を誘う。あぶねえ、うっかり結婚を申し込んで貰われてしまうところだった。
「・・・で、なんで彼女に」
そして方向修正を開始する。なんでとは勿論、彼女にレポートの検分を依頼したことである。ていうか、こうやって目を通すなら意味ないじゃん。俺あいつにからかわれただけじゃん。結構可愛いとこあんじゃん。まあ好感度は±0で。俺の上昇値はお前らが思ってるほど高くねえんだよ。MAX値も高くねえけど。だからよくフラれるけど。
「ん?彼女からは何も聞いていないのか?」
「ええ、なーんにも」
レポートを見られて2~3質問されただけだ。
「ふむ、まあ言ってみればあの子もあれで君と同じ問題児でな」
え?なに、俺問題児なの?友達と彼女と知り合いがいないことと、理数系科目が苦手なことと、コミュニケーション能力が無いことを除けば結構優秀な方だと思うんだけど?へえ、結構ズタボロなんだ、俺。でも客観的に自分を見れるって素敵なことだと思う。そんな自分が実は嫌いじゃない。むしろ好き。
「クラスの人間と仲良くできないらしい」
意外だな。あれだけ容姿に恵まれているというのに俺と同じポジションだなんて。ま、人が人を虐げる理由なんて星の数ほどある。大方、その人目を惹きすぎる容姿が同性間で色々トラブったり、腫れ物のように扱われているだけだろう。お気の毒に。俺にはそんな気持ちどころか、容姿すら持ってないからわかんないけど。
「いや、俺は望んでぼっちなだけっすから。問題児ってほどのもんじゃないっすよ」
「褒めてはいないから照れなくてもいいぞ」
「・・・そうすか」
窓の外を見やる。校庭では。クラブ活動が行われており、どの部活も一様に頑張っているのが窺える。俺だって運動くらいは好きなんだぞ。人間関係が苦手なだけで。視線を戻すと、表情から何かを読み取られたのか先生は同情の微笑を携えていた。こーら☆そういう言外の攻撃が一番辛いってわからないのかなー?在処悲しい☆
「・・・まあ、君の事は思いのほか好評価だったぞ。あとレポートも」
「マジすか」
自分のレポートを読み返してみる。まあ、いい文章だとは思う。だが俺が女子だったと仮定して、こんな内容の文を読まされた暁にはどうだろう?いや、でも俺は結構異性に興味津々だからな。もしかしたら文章だけでも好きになっているかもしれない。このクソビッチが。でも援助交際だけは絶対にしないから、安心してよ。
「うむ。私には理解のほかだが」
「いやあなた一応教師でしょ。生徒のことわかんないとか職務放棄にもほどがありますよ、全く」
「生徒というよりは君自身が掴めないよ。まあそういうところが好きなんだが」
そんな直球ドストレートで返されるとこちらもどうしていいかわからない。額面通りに受け取ると、摑み処の無い俺が好きということだろうか。やめてくれそういうの。いつもみたいな冷静沈着な俺で居られなくなる。KOOLになれ。ただ、この先生から良い評価を貰えるのはやぶさかではない。普段が普段だからな。
「褒めても何も出ませんよ」
「いや別に褒めてはいないが」
褒 め ら れ て な か っ た !
言葉を額面通りに受け取れない俺の弱点を突いてくるとは、流石俺を1年間調教してきただけのことはある。それ故に言葉もエッジが利いてて俺のハートはズタボロだ、エッジのくせに!命中率80のくせに!だがこちらにも効果的な切り札があることを忘れるな。カウンターが怖くて迂闊に口に出せないけど。まるで核か何かだな。不平等条約を強いられている・・・全く。
「・・・好いても何も出ませんよ。」
「出させるさ。君はこの私に興味を持たせたのだからな」
こういう、無駄にかっこいいところを見せるのが婚期を遅らせる要因なんじゃないか。事実、女子からラブレターの様なものを貰って目が死んでいる彼女を見ることなどしょっちゅうだ。俺が同じ立場だったら泣いて喜んでいる。そして吐いていることだろう。やっぱり、人の好意なんて目に見えないものは嫌いだ。そこにほんの少しの悪意を添えられたとしても気付かないのだから。もしかしたら、先生も俺と同じなのかもな。人の好意が信じられないから人と上手く付き合えない。それが一生を共にするものと来たら俺などの比ではない。
「ていうかさっきから脱線しすぎです。それで?なんでぼっちで問題児な彼女に、同じくぼっちの俺へとコンタクトを取るように指示したんですか?」
「ん。気になるのはそこか」
彼女は考え込むように腕を組み、唸り声を上げる。ていうか考えなくても分かるだろ。ぼっち同士引き合わせたところで気まずいだけじゃないか。なんだ?ひょっとして化学反応でも起きると思ったのかこの人は。ぼっち♂+ぼっち♀=♂♀になるとでも言いたいのだろうか。そんな盛り放題やり放題のわくわく動物ランドな展開はやめて欲しい。
「なに、簡単な話だ。君達が意気投合すれば教室からぼっちがいなくなる。それに、問題児を更生するのは教師である私の役目だ」
やっぱりだよ。やっぱりそんなこと考えてたよこの人。しかも若干熱くなってるし。
ともかく、この人のやっていることは蜜柑箱の中から腐った蜜柑を取り除いて別の箱に入れているだけの事に過ぎない。いくら移して見えなくしても、蜜柑の腐臭は目立つ。周囲の連中から後ろ指差されること請け合いだ。そんな歪な関係から何が生まれるというのだろうか。いや、何も生むつもりなんてないんだろう。俺達のクラスで言えば4つあるグループを3つにしたいというだけだ。『ぼっちを無くす』なんてのは聞こえのいい言い訳で、要は区分けしておくことでどんな人間でも分かりあえるとか本気で信じているのだろう。全く、稀有な人だ。
「まあこの調子で彼女と関わりを持ってくれたまえ。言わずもがなだろうが、彼女もかなりの器量よしだぞ」
「ははっ、そりゃあ無理な相談ですね」
そう・・・最早顔がいいとか、頬を染めた顔を思い出すと悶々するとか、シャツを摑まれた時の上目遣いの表情がたまらなかったとか、そんな理由じゃ俺は動かない(全部顔じゃねえか)。そうは簡単に騙されない。俺がどれだけの女の子に顔だけで判断してフラれたと思っている。顔がいいからという理由で告白はしてはいけないのだ。いや別に告白しろというわけじゃないけど。
「む。・・・どうしてだ」
困惑を表情に浮かべむすっとふくれっ面になる先生。そんな童女が取るような所作も嫌味にならず、男のツボをついてくる。もうホント『俺でよければ貰いましょうか』とか、ポロっと言いそうでマジ怖い。
「そんなことができるなら最初から俺はぼっちになんかなっていませんよ」
「違う」
「え?」
「どういう了見で、君が、私の決定に、逆らおうというのだ。これは命令だ」
おい教師、ここ職員室だぞ。多少はオブラートに包めや。まあ人生そんなうまくいかない事なんて知っている、ああご存じだとも。そして、嬉野先生の一生独身人生が今ここに確定した。俺が貰わなきゃ誰が貰うんだよ、こんな面倒くさい女。
「命令と言われても・・・第一、どうやって会うんすか。クラス教えてやるから会いに行けとか、そういう公開処刑はやめて下さいよ?」
実は中2の頃、既に経験済みだったりする。会いにいった子には『ごめん、私彼氏いるから他の男子と二人っていうのは・・・』とすげなく断られてしまった。もちろんデートのお誘いである。断っておくが、ただのじゃんけんの罰ゲーム。あわよくばだなんてこれっぽっちも思っていない絶対にだ。あとで聞いた話によるとその子に彼氏はおらず、傷付いたのは俺一人じゃなかったという話。その時、俺達は校内可哀想な人ランキングで首位+次位を獲得していたことだろう。つーか、嘘を付いてでも俺と噂になりたくないってどんだけ先見据えてんだよ。彼女の夫になる男はさぞかし安心することだろう。そんな相手が居ればの話だがな。その彼女は3年経っても彼氏はおらず、その時付いた嘘から周りの友人達からも距離を置かれ、2-Cでぼっち道を歩んでいるらしい。話はずれるが、噂では『海咲乃に話しかけられるとぼっちになる』というジンクスがあるらしく、その話を聞く度に
『海咲乃って誰?』
『俺もよく知らない』
『なにそれ、怖い・・・』
という、別の意味で怖いお話が成されているのである。発足当時の頃の俺はメンタルも不完全で、いっそのこと話しかけてやろうかと思ったくらいだ。でも話しかける勇気ねえし、学校の七不思議の一つになれただけで俺は満足だった。ちなみに、その罰ゲームを行使した友人だった人達は俺のことなどすでに記憶にないようだった。とりあえず、毎日上履きに画鋲を仕込んでおくのは忘れない。これマメな。
そんな俺の心中を知る由もない先生は呆気に取られた顔をしている。なに、俺何か変なこと言った?
「何を言っているんだ君は」
「はい?」
「今日は風邪で休んではいるが廿楽は君と同じクラスだろうが」
訪れた沈黙。気が付くと多少残っていた教師たちも今はおらず、コピー機の作動音しか聞こえない静寂の中
「・・・。・・・まあ、知ってましたけど」
出て来たのはそんな精一杯の強がり。意地があんだよ、男の子にはな。
×××
で、更に翌日。先生にはああ言われたが、どうすればいいのかわからない。結局、クラスの中でもカーストの低い俺が教室で目立つようなことをするのは気が引ける。『俺の一挙手一投足にクラスのみんなの視線が注がれるなんて嫌だ、恥ずかしい』というよりは申し訳ない気持ちになる。先生にはああ言われたが俺から話しかけるつもりは一切ない。そもそも、本当に同じクラスなのだろうか。あれほど目立つ奴が居るのであればすぐに気付くはずだ。そしてうちのリア充カーストに所属していなければおかしい。全く覚えがない時点で先生の言葉は素直に疑うのが吉。
そう結論付けて歩いていたら教室のドアまではすぐだった。俺はいつもの様に静かに、そして後ろ手にドアを閉めるのではなく引き戸に向き直って閉めた。こうすることには意味がある。俺に関わらず、教室のドアが開くと誰もがそこへ視線が集中する。しかし数瞬後、彼らの視線は『お前じゃねえよ』的なものに早変わりし、急速に興味を失う。まあ、どこにでもありそうな面倒くさい風習である。それくらい、気にしなければいいと思うだろう。だが俺の両親は何も彼らに金を払っているのではなく、学校に金を払っているのだ。とどのつまり、そのような視線があったとしても、俺の側に我慢しなければならないという理由はない。面倒なことからは真っ向から逃げ出すが、不快なものには全力を持って対処するのが海咲乃在処という人間だ。ただ、それに対して毎日のように不機嫌な顔を作り、ガンを飛ばし返すのも疲れる。だから俺は『見返す』のではなく『見ない』事を選んだ。そうすることによって俺の機嫌もよくなり、彼らもガンを飛ばされてサッと目を逸らすような事もなくなる。まさに一石二鳥の解決方法だった。そして、自分の席に着く。それが毎朝の俺のルーチン・・・のはずだった。
自分の席に向かう為教室の方に向き直ると、感じたのは視線の雨。まさに雨のようなそれらは一つ一つが俺を突き刺すようにしてやまない。由々しき事態だと思う。なんせこいつらは俺の話題が出る度に『海咲乃君って誰?ああ、あの不良か』と罵り、お前じゃねえよと払いのけ、数日前は俺のことなど存在すら忘れていた連中だ(ちょっと涙でた)。その視線を一つ一つ拾っていくと、どことなく好奇の色を仄めかせていた。そんなものを目の前にして俺は思考だけを加速させていく。
まず、こうなった原因を考えろ。俺は二日前、彼女と出会った。変化というか、何かあったのはそれくらいだ。本当にそれ以上は思いつかない。そして十中八九、それで間違いないのだろう。だが仮に、彼らのあずかり知らないところで俺に恋人が出来たところで噂になど成りようもない。・・・はずだ。
次にどうして伝わったのか。それに関してはどうでもいい。それこそ、俺の存在など認識していない連中なのだから。彼女主体の問題だ。発信源は廿楽彩香でまず間違いないだろう。
そして何が起きたか。教室内の異物を探る。まずは黒板。相合傘など、そういった類のものではないらしい。次に窓。何か異常が起きて、入ってきた俺に助けを求めている・・・といったわけでもない。そもそも視線の質からしてそれはない。
最後に、いつもの俺の指定席。わが校の授業方針で席は各々好きなところに座れるのだ。自由な校風が売りだとかなんとかでそうなったらしい。俺は教室左斜めの窓際を好んで使用する。理由はご存じの通り、群れるのは嫌いだからだ。余談だが、なぜ教室の最後方という素晴らしく条件のいい席が俺にあてがわれているのかと言うと、別にここはいい席でも何でもないからだ。大学などでは特に珍しくもないがこの学校は階段教室を採用しており、つまり教壇からはよく見えるのだ。そしてやはりというかなんというか、鎮座していた『それ』が原因だった。すらりと伸びた足をいつも俺が使っている椅子の上に置き、机に腰掛けている。こーら、お行儀が悪いですよ!でもパンツが見えないように身体だけは後ろを向いているのは好感が持てた。
表情は初日に会った時とは対照的というほどでもないが、わかりやすい笑顔を張り付けている。どうでもいいことだが、その顔に見惚れているオタク連中がちらほら。制服は出逢った時の様に着崩されてはおらず、模範生徒と呼んでも差し支えないほど綺麗にまとまっていた。ポニーテールをストレートに変えたのは何故かよくわからんが、こいつとあの不良が結びつかず少し固まってしまった。クラスに積極的に興味を割こうとしない俺なら尚のことだ。
その手には携帯ではなくタブレット端末が見られ、ずっとそこへ目を向けている。これは後からクラスメイト(たにん)が話しているのを聞いたのだが、彼女はいつも教卓の前に座る『ちょっと変わった子』らしい。全く、何が変わっているのかが分からん。お前達だって自分の好きな席くらいあるだろうに。俺に視線が向いていたのは紛いなりにもそこそこの生徒は俺の指定席を認識していたということだろう。逆にそのことの方が驚きだった俺は、なんつーか色んな意味で泣きそうになった。そして俺が彼女のところへ座るのかが気になるといったところか。答えはノーだ。俺は一人、陰に徹する。
それにしてもこいつはいったい何がしたいんだか、初めて会った時からよく分からない。大体、何故俺なのか。見た目、性格、カリスマ、協調性、どれを取っても俺より持っている奴なんていくらでもいる。まあ強いて言えば、成績だけは文系科目で学年トップだ。理数系が死んでいるので総合成績は結局中の下あたりだが。それに、そこへ俺が行って「は?誰この人。ていうか何この人」とか言われちゃっても困る。超困る。他に空いている席を探す。だがしかし、ロクな席も空いておらず、あまりの席も多くない。
ちなみに、いつも俺が後ろの席をストレスなく取れるのは言わずもがな、誰も俺の近くになど座ろうとしない(座りたくない)からだ。恐らく近くに来られる可能性を考慮してのことだろう、聡いお坊ちゃんたちである。
俺にとってあいつらは本当の意味での他人。ならばその逆もやはり他人なのだ。まあ仕方ない。俺がいけないのだ。思わず目を反らしたくなるほどの力を感じさせる俺の存在が。それくらい思わないとやってらんない、いやマジで。
で、そんな俺が右往左往していたのが目についたのであろう。件の廿楽と視線が合う。そのまま数瞬見つめ合う。ちなみに、俺と視線が合った時点で即座に目を反らす女子が5割。『朝からやなもん見た』というオーラを隠しもしない2割が不機嫌な表情を形作り、残り2割は怪訝な表情、つまりは俺の顔を覚えていない。そして最後の1割、どっちかっつーと1厘である『俺と2秒以上視線を交わす女子』であるところの廿楽は、文字通り大輪の笑顔を輝かせて
「おはよう、在処くん。今日もいい朝ね」
涼しい顔で俺のファーストネームを呼ぶのだった。おい、これ幼稚園以来じゃね?マジやべえ、嬉しすぎる。そして嬉しい以上に周りの反応が痛い。『在処?何かのあだ名か?』『いや、きっと暗号だよ。アリカクンだよ』とか言う声まで聞こえてくる。だがそんな冷徹な言葉でさえ俺を傷付けるには至らない。そうだ、嬉し涙を堪えろ。ここは教室、こんな奴らに見せるほど俺の涙は安くねえ。
「突っ立ってないで、どうぞ。ここがあなたの指定席でしょう?」
指定されてるわけじゃないんだが。しかしクラス中の視線が集まる中、俺は手招きされるがままに彼女の隣に吸い寄せられていくのだった。願わくば彼女が食虫植物でありませんように。俺にもう吸い取るほどの旨味はねえんだから。
×××
「えー、P20問4の解はそうだな・・・内山田、できるか?」
「はい」
「よし」
「・・・」
1限目、数学の授業が始まっている間、俺は胃がきりきりして仕方がなかった。小中の頃、イジメに遭った時だってこんなに激しい胃痛を経験したことはない。
ちなみに、俺が経験したイジメの中で最も酷かったのが、小学生の頃、金魚の死体を俺の机の中に入れられたことだ。あの時、俺が胃痛を我慢できたのはそれを大きく上回る怒りがあった事が起因しているのだろう。冗談のつもりだか何だか知らないが、人間の傲慢で生き物を死なせた挙句、ロクな供養もせずに人を陥れるための道具として扱った。だから、その時ばかりは我慢が効かなくて、その同級生の鼻を平たくなるまで殴り続けた。そいつは転校し、顔に一生残る傷が出来たそうだが一生を台無しにされた金魚のことを思うと同情の余地もない。むしろそうなって正解だったと思う。そして俺はそのことが原因で周りから距離を置かれ、それを引きずりまくった挙句に今もこうしてぼっちだった。だがそれでいい。命を粗末に扱うようなやつを憐れみ、それに義憤した俺が後ろ指差されるなら、そんなものは友情なんかじゃない。欺瞞に満ちた、歪で滑稽な紛い物だ。
だから、今もそんな『海咲乃@一人LIFE楽でいい』を歩んでいたはずの俺だったのだが・・・。
「そこ、答えが間違ってるわよ」
えー、右手に居られますのが美少女その1廿楽彩香でございます。・・・なんでいんだよ。ちなみに、その2はいない。いるとしたらその他大勢といったところだ。ちなみに姉ちゃんは美少女零(Zero)。なんといっても姉ちゃんだからな、そん所そこらの女じゃ釣り合わねえぜ。そして彼女以上に俺に関わってくるような女性はいない。
ま、それはいい。人間誰しも気まぐれで行動を起こしてしまうことはある。俺が声を大にして抗議したいのは、その行動が教室中の生徒を釘づけにしているということだ。男子はあからさまな嫉妬の視線、女子はたまに黄色い声をあげる。教師も、いつもと違う廿楽の席に少なからず興味を惹かれているようでそんな女子の注意すら行わない始末。『見世物じゃねえぞ』と言わんばかりの視線を投げ返すが、それで収まったのは数人の視線だけだ。全く、俺の眼力も堕ちたもんだ。
「・・・。そなの?」
正直、間違っているよと言われてもわからない。俺のこれまでの人生?いやいや、俺自分に正直だし。自分嫌いじゃねえし。人にとやかく言われることじゃねえだろ。
話を戻すと、中間・実力・期末テストで数学のワースト3位を争っているのはこの俺、海咲乃在処だ。そのおかげで文系科目はトップなのかなと、思わず苦笑する。伊達に人間観察が上手なわけではない。それしかすることのなかった人間を舐めてもらっては困る。うん、今正に超困ってる。助けてママ!
「ええ、式は覚えてる?ここは、これを代入するのよ」
「そか、ありがと」
「いいえ、たいしたことではないわ」
「・・・」
で、そんなやり取りが5~6回続いている。どうすりゃいいのこれ。親切に見てくれるありがたさというよりは、いちいち解き方を教わっているという申し訳なさが際立って仕方ない。こんな扱い辛い女初めてでホントにどう対処したものやら。
「次のページよ。めくって?」
一瞬、心臓がドクンと跳ねた。なんだよこれ・・・。女の子が、上目遣いで、めくって?嫁入り前の女の子にここまでの事を言わせてしまう自分が末恐ろしい。あとこの発想が自分でもちょっと気持ち悪い。具体的に言うと中学生の頃、カエルの解剖で体を開きっぱなしのカエルが麻酔切れで飛び起きて臓器をズルズル引きずりながら廊下を這って行った時の事を思い出した。うちの中学の伝説である。お蔭でちょっと冷静になれた。
「ん」
が、気持ちとは裏腹に本気で動揺してしまって、気の無い返事しかできない。手も動かない。
「・・・しょうがないわね、ほら」
痺れを切らして、よっと身を乗り出しながら俺の教科書のページをめくる廿楽。その際にぶつかる肩からとてもいい匂いがした。やばい、いい匂い過ぎて気が狂いそう。よくテレビの洗濯用洗剤か何かのCMで子供が『ママの香りがする―』とか言っているだろう。ホントにあれだけは理解できなかったがこれは違う。これは母性の塊だ。やばい、お母さんの香りがする・・・。うちのお母さんこんないい匂いさせねえけど。胸だったら多分昇天してたろう事は想像に難くない。
しかしまずいな、今のアクションは。これじゃあ『馬鹿な男に弄ばれている廿楽彩香』の図が出来上がる。俺が嘲笑を受けるのはまだいい、もう慣れてしまった。問題は俺のせいで彼女まで下位の者だと認識されることだ。今更俺が自己保身になど走ろうはずもないが、そのせいで廿楽が馬鹿にされるのは納得がいかない。俺は少し、ほんの少しだけ声を大きくして
「悪いな、廿楽。急に勉強教えてくれだなんて」
ほんの少しの嘘を混ぜる。ああ、世の中ほどほどが一番だ。こんな可愛い子に話しかけてもらえたんだ。これ以上を望むのは分不相応、俺じゃあ役不足が否めない。
「・・・え?」
思った通り、戸惑いの視線を向ける廿楽。しかし、この聡い子は俺の意図を組んでくれるだろう。少ししか話してはいないがわかる。そういう子だ。
「俺この前の数学ヤバかったんだよね。助かったわ。でもこれ以上は授業集中できないだろ?もう自分の勉強に戻ってくれていいぞ?」
「・・・」
そんないつもより少し大きめな俺の声を聞いた男子はあからさまに安堵の息をつき、女子はつまらなそうな声を上げ、先生は慌てて授業を再開した。狙い通り、クラス中の関心の視線は静まっていく。それを確認し終わり、窓の外を見やる。グラウンドでは体育の授業(女子の)が行われている。内容はドッヂボールらしく、見ているだけで辛そうだ。何が辛いって片側のチームは残り一人になってしまっている。なるほど、今のこのクラスとあの子の状況は少し似ている。別に、俺は今仲間を撃たれて一人なあの子の様に、外部からの攻撃や口撃でぼっちになっただなんて言うつもりはない。でも、一人だってこと、そしてそれに絶望しているわけではないことはよく似ている。気を抜いていた耳に歓声が聞こえる。
「お、一人当てたな。」
・・・ただまあ、俺と違って彼女は現状に満足はしていないようだ。その負けん気は買いだが、俺が間違っているだとか見習おうとは思わない。俺のような協調性の無さが服を着て歩いているような人畜無害ですらも、ひとつの人間の在り方なのだ。これからも彼女や廿楽、クラスメイトのその他大勢と似たような時間を過ごすのだろう。でも、それに無理に足並みを揃える必要なんてない。あいつらの歩みで出来た轍を数歩離れた場所からそういうものかと目で追い、俺はひねくれながら別の道を行くのだ。
気付けば授業もあと10分。このまま外を眺めていようと思ったが
「・・・いて」
肘の辺りにチクリと刺すような痛みが走る。先生に注意されたのかと思わず振り向くがそこには何もない。あるとすればムスッと唇を尖らせて真正面を向いている廿楽の仏頂面だけだ。なるほど、ご機嫌斜めなワケね。こんな可愛い反応なら大歓迎だけど。今までに俺がぶっきらぼうな態度を取った女子連中と比べたら雲泥の差、天使のようなもんだ。たいがいの女は泣きだして自分の都合のいいように嘘を混ぜ込んで俺の立場を不利にする。そんな醜い世の中でも本物の『天使のような女の子』を見れて俺は内心喜びを隠せなかった。
そんな思考に耽りながらふと、視線を下にやると8cm四方のノートの切れ端が俺と廿楽の間(と言っても1mも離れていないわけだが)辺りに置いてあった。その紙には綺麗な字でこう書かれてある。
『昼休み、屋上に来て。by廿楽』
美少女と屋上というワードに釣られなくもないが、誘われる理由に心当たりはない。俺もその紙片の枠線に沿って
『悪いな。昼休みは飯だから。あと誘われる理由がわかんね。by海咲乃』
と返事を書いた。それをスーッと廿楽の方にスライドさせる。恐らく俺と『昼休みの屋上で飯を食べよう』とか、そんなだろ。自惚れとかそんなんじゃなくって流れ的に。こうして考えてみると『流れ』なんてものを理解している自分が殊更おかしく思えた。流れとか、雰囲気とか、そんなものを理解しているのはリア充くらいのもんだと思っていたのにだ。 まあ、でも俺は気付いてやらない。恋愛小説でよく見る鈍感な主人公。アレをリアルでやると人が離れていくことは検証済みだ。ソースは中学の頃の俺。それで諦めてくれることを願おう。
案の定、俺の返事を見た廿楽は悲しそうな表情を覗かせる。意外だ。てっきり怒るものばかりだと思っていたのだが。そんな顔を見ていると、どうにもこの廿楽彩香という女の子に興味を惹かれてしまうのだから不思議だ。もっと色んな表情を見てみたくなる。なにこれ、俺ってSなの?中学の頃、クラスの女子に足蹴にされた時、あの時の快楽は、愉悦は全部嘘だったというの?ていうか、なんでそんな状況に陥ったんだっけか。ああ、そうだ。俺が高い所にある物を女子に取ってもらう時、スカートの中が見えないように『海咲乃くん、這いつくばって。馬の様に。みじめな畜生の様に』って言われたんだったな。おい、後ろ要らねえだろ。あと馬に謝れ。
幼き頃の悔恨を果たしていると、何故かまた廿楽との距離が縮まった。おい、この女に距離感というものはねえのか。ほぼ初対面の人と人との距離は約1mだって先生に教わりませんでしたか。いや2mだったっけな。ていうか近いよ、君。ほら、またクラス中の視線が俺達に集まり始めた。ったくよぉ、壇上で50分も喋っている教師のこと考えろよ。アレ、すんげえ疲れんだぞ。・・・まあ教師も授業そっちのけでこっち見ているから問題ないのか。何やってんだよ教師、金払って授業受けてる生徒の事考えろよ。いくら親の金で授業受けているからって疲れるのは俺達自身なんだぞ。まあ生徒もこっち見て・・・こわ。無限ループこわ・・・。もういいや。お前らは可哀想な俺の事だけを、迷惑を被る俺の事だけを考えてろ。もう知らん。
益体もない思考に耽っていても事態は好転しない。これ以上火に油が注がれる前に教室を出よう。ふふん、こうなったときの為に俺は保険医とは確約を取り付けている。『教室の空気が悪くなったら来てくれて構わない』という約束を。さて、そうなると問題の言い訳は・・・そうだな。お腹が痛いので保健室、だ。
「あの・・・」
そう思い席を立った矢先(立ってしまったことにより教室中の視線が集まっている)、若干涙目になった廿楽から思いもよらない言葉が放たれる。そして俺は、なぜあと数瞬早く保健室に行かなかったのかと、後悔した。
「・・・私、お弁当を作ってきたのだけれど、迷惑だったかしら・・・」
「・・・そう、お弁当ね。俺も中学の頃よく作ってたわ、お弁当。あー、おべ・・・。・・・え?」。
その時の『え?』は派閥だらけのこのクラスで、珍しくも皆の気持ちが一致していたのだろう。平穏はいつだってそう、意外なところから崩れて行く。
×××
目立つという現象について考えたことはあるだろうか。先日のレポートでは『出る釘は打たれる』的な話をしたのだが、秩序と安寧が彼らの全てではない。群れの異性を惹きつける為に派手な姿をとる者もいれば、力が一番強い者が群れのボス足り得ることもある。人間で例えると香水やアクセサリーを身に付ける、ケンカの強いDQN中学生がモテる、などである。だからこそ今日、授業中に起きた出来事の説明は難しい。廿楽はどうしてあんなことをしたのか。目立ったせいで何か起きたのは俺達が教室に居辛くなったことだけだろう。というより、下手したら廿楽のこれからの学校生活に支障が出るかもしれない。何せ俺と言えば知名度0%の男、海咲乃在処だからな。・・・じゃあ問題ないか。・・・そうか・・・( ^ω^ )
んで、昼休みの屋上。前述の通り、教室で馬鹿みたいに目立ってしまった俺と廿楽はそそくさと教室を出てきてしまった。昼までの休み時間中も廿楽と俺の席は変わらず、クラス中の視線を集めまくりだったが、アレは正解だったようにも思える。どちらかが一人になれば奴らは恐らく興味本位でいくらでも話しかけてくるからな。
「ここ、風が強くて気持ちいいわね。あなたもそう思わない?在処くん」
言葉遣いとは裏腹に、子供のようにはしゃぎながらフェンスから身を乗り出す廿楽を横目に見つつ、地べたに腰掛ける俺。
「・・・そだな」
先ほどからはしゃぐ廿楽の姿を見て、うっかり『スカートとかめくれないかなー』なんて思ってみてもそこは現実。誰かが力を加えでもしない限りあの鉄壁は動かない。これがリアルだ。神風とか何キスだよ、何ガミだよ。
しかし、こんな無愛想な男と飯を食ったところで何が嬉しいのやら。手作り弁当にホイホイ釣られて来てみたものの、温度差が激しい。気温がどーこーいうわけではない。にこにこと上機嫌な廿楽に俺が付いて行けないのだ。それにしても、距離感が近すぎる。どうしてファーストネームなのだろう。俺にはそういうリア充どものルールは適用されないんだけど。むず痒い通り越して掻きむしりまくって血が出るレベル。オ、オヤシロ様の祟りよぉーー!!しかし、ひぐらしの季節にはまだ遠い。まだ桜が散り終えて間もないのだから。
「あの・・・さ、なんで下の名前?」
「・・・おかしかったかしら?迷惑なら改めるわ。」
緊張した面持ちでこちらの顔色を窺う廿楽。先生の話からすると彼女は俺と同じ圏の人間だという。なるほど、これは人とのコミュニケーションが苦手なぼっち特有の所作だな。だからこそ腑に落ちない。どうして彼女は殻を破ろうとしたのか。そんな癖が付くほど続けていればわかっているはずだ。一人でいることの気楽さを。他人に合わせる息苦しさを。
「おかしくねえし迷惑ってほどでもねえけど、変。出来れば名字で頼む」
ま、俺は敏感肌でな、あんまり掻きむしると傷残っちゃうんだよ。それに、こんな見目麗しい女が俺みたいな下階層の人間と交わりあうなんてもう変どころの騒ぎじゃない。あと交わりあうって言うといい感じにエロスを感じさせるのが癪。
話を戻すと、俺と廿楽で化学変化など起きない。最下と彩香が交錯する時、物語は別に動き出さない。まったく、役不足もいいとこだ。俺の答えに不満顔ながらも「そう・・・」と少し寂しげに苦笑する廿楽。なんだか俺が悪人みたいじゃねえかよ馬鹿野郎。こいつ野郎じゃねえけど。
「それにしても、お弁当を作って来ただけだというのに、みんな騒ぎ過ぎよ。先生も全然注意をしていなかったし」
こいつ真面目そうだし矛先は先生の方にあるんだろうな、俺もイラっときたくらいだし。ここに来る前に貰った弁当を食いながら答える。うん、なかなかに美味。
「・・・いや、だってあんなこと授業中に言うからさ」
その時のクラスメイト達の顔と言ったら・・・思い出すだけで笑えてくる。いやまあ現状全然笑えてないからどうしようもねえけど。それに、直接伝えたはずだが俺には彼女からそれを受ける理由は何もない。いい加減気付いてほしい。ぼっちは臆病なのだ。責任の伴わない理由、つまり『言い訳』などという大義名分がないと施しすら受け取れない臆病者、それが俺だ。・・・今食っているのはアレだ。残したら勿体無いお化けとか勿体無い廿楽とか出るだろ。後者は二人きりの時ならいくら出てくれても構わないのだが。断じていやらしい意味ではない、ちょっとだけだ。
「そんなにおかしなことだったかしら?」
「そうだ。・・・それに俺達に接点はないだろ」
ただ一つの共通点はぼっちであること。他に探せばあるのかもしれない。だけど俺が知っているのはそれだけ。つまりそういうことなのだ。俺は彼女という人間をあまりにも知らない。嬉野先生も結局はクラスと名前しか教えてくれなかったし。つーか、俺がぼっち最後の生き残りだと思っていたのがなんだか恥ずかしい。在処、一生の不覚。
「飯、食い終わった」
「お粗末様」
言いながら、弁当箱を回収する廿楽。ふと、顔を見ると目が合う。その瞳は俺に何かを期待している目で、ずっと視線を離そうとはしなかった。・・・廿楽よ、俺に何かを期待しているようじゃ甘いぞ。俺は今までこの生活を生き抜いた男。したがって、お前の望むものを与えられるような人間だと思うな。
「あんがとな、世界一美味かった」
だからこれで我慢してくれ。これが俺の限界。失望させることこの上ないが、これが俺の精一杯。だが、そんな月並みな言葉ですら廿楽は嬉しかったようで、もじもじと指を合わせている。
「せ、世界一は大げさじゃないかしら。・・・でも、ありがとう」
はにかみながら嬉しそうに頬を染める廿楽を見ていると『母さんの次にな』とは言えなかった。別に俺マザコンとかじゃねえけど。どっちかっつーとシスコンだけど。姉ちゃんの方が料理上手だけど。まあ、なんにせよ俺の為に作ってくれたというのだから誰かと比較するような言葉は言えない、言わない、それが男だ。つまりオンリーワン。そらぁ世界一ってなもんよ。あー、世界一美味かった廿楽の弁当。
よっと腰を上げつつ、これからどうしようか考える。なんでもいいが、女子と二人でいつまでもいるってのもなんだか気恥ずかしい。ここから出る方向で考えてみるか。
「もう帰ってしまうの?まだ昼休みは30分もあるわよ」
「え」
マジ?結構話してたと思うんだけど・・・。気のせいか。まあそんなこんなで時計を見やると13時ちょうど。次の授業まできっかり30分だった。正直、あの教室に戻るのが辛い。好奇の視線をぶつけられるだけならまだいい。しかし、何か話しかけられようものなら俺は即座に来た道を引き返す自信がある。こんな風に一対一で話すのならともかく、俺が何か答える度に他のクラスメイトから矢継ぎ早に質問攻めにされるのだ。そんな事態になったらもうおしまいだ。第一部、完だ。それで?誰がこの海咲乃在処の代わりを務めるんだ?・・・代わりなんざいくらでもいるだろうけど。
「せっかくの機会なのだし、もう少しなんていうか・・・その、お話ししましょう?」
それよりは、こちらにおわす天使様の提案に従う方が賢明な気がした。人とコミュニケーションを取るのが極端に苦手なぼっちな俺達。だが、勇気を出そうと頑張る廿楽の姿はとても愛らしく思えるのだから不思議だ。なんなら今告っても・・・よくありませんね。はい。
「・・・お言葉に甘えるか」
『女子に優しくされた』という事実。それだけで俺はこの高校生活を誇れる。小・中と女っ気のない人生だったからな。自慢ではないが、それもこの日までの布石だったというなら、俺はそんな青春時代を許してやれる気がした。・・・許したところで多分僕のことなんか覚えてる人いませんけどね。絶対に許さない・・・。
「ふふ、よかった」
地べたに座りなおす俺。廿楽と真正面に向き合う。彼女はにこにこと笑顔を絶やさない。本当に先日と印象ががらりと変わってしまった。
「なにが、そんなに嬉しいんだ?」
仕方ないので俺から話題を振ることにする。この女、楽しそうにする癖には中々自分からは喋らないタイプだ。そして彼女は沈黙が苦しくないのだろう。だが俺は違う。つい最近知り合ったばかりの人間とこんなにも距離が近いと不安になる。沈黙が気まずい。
「だって、あの海咲乃君とこうやってお話出来ているのよ」
オイ待て、『あの海咲乃君』ってどの海咲乃君だよ。あと、君付けで呼ばれたことないんだけど、俺。気味が悪いわ、君だけにな。うるせえ死ねよ。は?死なねえよ、殺すぞ。
「俺なんかのどこがいーのよ」
俺の中のクソつまらん俺と血気盛んな俺が醜い争いを始めているのはさて置き、この少女が言う『あの海咲乃君』というのには少なからず興味が湧いた。
「ん、まあ、色々よ。色々・・・」
「色々、ねえ。・・・なに、そゆ罰ゲーム?」
中学時代、『俺に話しかける』という罰ゲームを女子たちが画策していたことがある。あの頃はまだ『モテ期か』と勘違いするだけの心の余裕はあった。だがそんな『いじめても壊れない』というのが俺という人間の欠陥。そしてそんな俺を『乱暴に扱っても壊れないし、怪我もしない玩具』として認識されるのには時間はかからなかった。そんな灰色の青春時代が続いた結果、今ではご覧の通り、人間不信の海咲乃在処君だ。結局人間はサンドバッグにはなれないんだから。
「ま、待って」
あわあわと手を前に振って俺の言葉を否定しようとする廿楽。どうしよう、超可愛い。
「私はそんな罰ゲームなんて参加すら無理よ。あの人達はまさに異人だし。近寄りがたいのよ」
「でもそんなところが?」
くだらない前フリをする。言葉は信用ならない。ならば、俺は態度で判断すればいい。
「・・・信じて。私の友達は海咲乃君だけよ」
えっ。なんだかドキドキするフレーズだな。つい、もう1000回ほど言って欲しくなったわ。まあそれはさて置き、こいつはどうやら信に足るようだ。これがチャラい頭の悪そうな連中なら冗談で最後までノリで持って行くはずだからな。
「俺、もう友達なの?」
「ち、違うのかしら?」
不安げに聞き返す廿楽からはまったくもって悪意が感じられない。というか本当に何も知らないのかもしれない。
「なるほど、わかった。じゃあ今日からお前のものは俺のもの、俺のものは以下略だな。おお、心の友よ」
「今どき剛田くんは流行らないんじゃないかしら?」
なんだと?俺の歌が聴けねえってのか。上等だ、今度カラオケとか誘ってみよう。・・・まあ、来ないんだろうけどな。経験済みだ、気にするな。
「そういえば海咲乃君、あなた携帯電話は持っているのかしら」
「・・・おう」
いやいや、今時持ってない方が少ないんじゃないの?ちなみに最新機種だ。アプリやらなんやらもいろいろ使えるらしいが、ぼっちの俺にはソーシャルゲームか、リアルの人間と共通点の無いアカウントのTwitterくらいしか使用目的はない。なぜか姉ちゃんには2日でバレたけど。更にアカウント変えても翌日にはバレてたけど。
「せっかくだし、アドレスとか交換しないかしら?」
「しない」
「え・・・。ど、どうして?」
悲しげな瞳でこっちを見る廿楽。罪悪感+罪悪感×罪悪感=罪悪感だ。要約すると罪悪感で胸がいっぱいになった。
「・・・その昔、知り合いに『プテラやるからラプラスくれよ』と言われてな。俺は快くラプラスを送ったというのに、そいつが送ってきたのはLV2のポッポ。そして唖然としている俺に向かって『NNプテラだぜ。ありがたく使えよ』とか言って俺の通信ケーブルを持って去って行ったんだ。あとはわかるな?」
「確認を怠ったのが全ての間違いよ。そして、素早さが全てのあの時代に、プテラとラプラスじゃレートが釣り合わないわ。上手く騙されたわね」
そうだよ、俺にとってプテラは神だったんだよ。化石使わなかったら最後にしか出て来ないあの世捨て人な感じが俺には好感が持てた。その頃からぼっち道は確定していたのかと思うと涙がちょちょぎれないでもない。つーかそんなコアな世界の話しなくてもいいだろ。『ラプラス可愛い』くらいの事は言えないのか、そんな可愛い顔してるくせに。ちなみに、通信ケーブルは力づくで返して貰ったがな。姉ちゃんが。
「というかちゃんとアドレスは教えるから、そんな悲しい話しないでくれるかしら」
よく見れば若干涙目になっていた。そんな顔もいじらしい。これだけ男を釘づけにする武器を持っているというのに、どうして彼女の周りには人がいないのだろう。それとも、これが同性のやっかみというやつの恐ろしさなのだろうか。女子は女子で束になって廿楽を排除するし、男子は女子の陰湿な争いを前に声もかけられない。・・・納得はいくが、どうでもいい話だ。俺にはどうしようもないってところが特に。
「変なアドレス教えたりしない?出会い系とかの」
「しないわよ、どこまで疑心暗鬼なの?」
こいつは知る由もないがとある日、俺は同級生に電話番号を聞いた。家に帰り、意を決して教えられた番号にかけたのだが、何故だかラーメン屋に繋がったのだ。それ以来、俺は怖くなってしまい人に電話番号を聞けなくなったという寸法だ。ちなみに、そこの醤油ラーメンはなかなか美味かった。
しかし、これは面白い。初めて会った時からそうだったが、こんなにも不器用な俺達でも成り立つ会話ってのがちゃんとあるもんなんだな。ただ、初めてのそれが少し怖いのは、素直に喜べないのはどうしてなんだろう。
「はい、登録し終わったわよ。気になるならメールでも打ちましょうか?」
「・・・お前、優しすぎるだろ。その優しさがこえ―よ」
「はいはい。ほら、送信終わったわよ」
思わず画面を見てみると、そこには絵文字やら顔文字やらでデコレートされた『これからもよろしくね。』という文字が写っていた。
「マジか・・・メールがこんなにも嬉しいものだなんて思わなかったぞ」
「…ちょっと大袈裟すぎじゃないかしら?」
きょとんとした顔で尋ねる廿楽。俺は彼女の事をこんなにも分析し終えているというのに、彼女の方は俺の事を全く理解していないようだ。まあこんなジャブで理解するのも、されるのも嫌だけどな。
「いや、姉貴以外からはこちらがメールを送っても『ごめん、寝てた。』って内容のメールしか貰ったことが無くてな」
それでも返してくれる相手ならまだいい。返事が来ないことも当然(何が当然なのかはわからないが)ある。メールをしたことを相手に伝えると『ええ?来てないよ?』とまで言われる始末。言われて自分の携帯を覗いてみるとメールが一件届いている。なんだ、返してくれていたのかと思い、開いてみると『MAILER-DAEMON』とかいう外国人からメールが届いているのだ。そうまさに悪魔だ。メールアドレスを交換したのに、変更したアドレスを知らされていないという形で俺に牙を剥いてくる。これが悪魔でなくてなんなのか。
「もうやめて・・・これからは私が毎日メールするから・・・」
涙目で訴えかけてくる彼女の言葉は俺の嗜虐心を煽る以上に、俺の芯に触れるものがあった。きっと、もう好きになりかけているのだろう。ただ、好感度がMAXになろうとも俺は中学の頃の様に感情で行動などしない。自分を見失わない。かつての俺にとって恋愛感情などというものは不可侵であり不可視、不可説であった。だからこそ、行動することでしか答えを見つけられなかった。答えを見つけることしか見えていなかった。そのせいで不可侵を忘れ、傷を負い、彷徨い続ける。傷付いても得られないのなら適当なところでお茶を濁せばいい。これが今の俺の処世術だ。
「俺の為に悲しんでくれるのか。・・・いい奴だな、廿楽は。お前、俺の友達か何かか?」
「・・・ごめんなさい、やっぱり少し考え直させてもらってもいいかしら?」
目を瞑りながらこめかみを抑える廿楽。こいつは典型的な『周りに振り回されるタイプ』ってことかな。よく言えばマゾヒストで、悪く言えばドMってところか。・・・本当に悪く言っただけじゃねえか。
「ああ、いつまでも考えな。俺はそろそろ授業だから行くとする。自分のクラスに帰るんだな、お前にも家族がいるだろう」
「あーもう!貴方と同じクラスだから!!」
そんな大声出さないでよ。在処がビックリしちゃうでしょうが。
×××
そして放課後。何故だか、俺のクラスの下駄箱の前に腕を組みながら仁王立ちしている女がいる。見る者を威圧しかねないその美貌は、真一文字に引き結ばれた口によって凛とした佇まいを見事に形作っていた。これは俺の持論だが、優秀であること、希少価値であること=無条件で良いものというわけではない。特化されたステータスは時として人を威圧してしまうものだ。実際、彼女は見目麗しさはトップクラスだが社交性、協調性、そして変なところで思慮が及ばない。今だってそうだ、彼女の美が放つ威圧感は周囲の人間を捉えて離さない。そして最も浅慮だと感じたのが
「さ、帰りましょう。在処君って寄り道はする方かしら」
この俺に、話しかけてしまったことだ。名前も知らないクラスメイト達からの追及を躱し(躱すまでもなかった気がするが)、誰にも気付かれることなく学校を退散しようとしたところ、やはりというかなんというか件の廿楽には目ざとく見つけられていた。前述の通り、影の薄い俺と違ってどこに居ても目立つ彼女が、一人になって追及の手を逃れることなんて、頭の片隅にすら置いていなかったのだ。まあそれを知りながらも彼女を一人置いてきたことに、多少の罪悪感は抱いてしまったが。
「・・・なんでわかった?」
それに、こう見えてもスニーキングミッションは得意な方だ。去年の文化祭とかも何の役職もつかずに、ただ嬉野先生と職員室でダラダラしていただけなのに何の言及もなかった。ま、打ち上げの参加とかも聞かれなかったけどな。だがそれでいい。何も尽力していない人間など、外から眺めるだけでいい。それはただの異分子であり、輪の中に必要のないものだから。ちなみに、職員室では他の男性教師二人も交えて麻雀をしていた。その時から昼休みはたまに4人で打っている。友達のいない学生にはこういうのも大事なのだ。
閑話休題。そんな俺に彼女は下校の予定なんかを聞いてくる。女子に予定を聞かれたのは以外ながら初めてではない。『どうせオチは姉ちゃんなんだろう』というわけでもない。あれはそう、中学上がり立ての事だった。
『ねえ、海咲乃君。今日の放課後、何か予定ある?』
俺より少し身長の低い女子だった。話しかけられた俺は当然驚いた。小学生のころの金魚事件、それはとても長く尾を引いたもので中二の夏頃まで、俺はそのことで忌み嫌われていたからだ。そんな中、俺に話しかけてくる女子。その時の俺はまともな思考回路ではなく、もう適当に『うん』と『わかった』しか使えなかった。放課後、適当にゲーセンなどでぶらぶらし、俺もその子も時を忘れて楽しんだ。少なくとも俺は。
『今日は楽しかったね』
『う、うん』
そしてその帰り、ベンチに腰掛けながら俺は、緊張した面持ちで彼女の話を聞いていた。夕陽が差し込む駅前は、まさにお膳立ての整ったステージで、俺の新しい一歩を誘うひと時だった。・・・まあ、駅前だったから人めっちゃいたけど・・・。
『・・・今日、付き合ってもらったのはね。海咲乃君に大事な話があったから』
『だ、大事な話って・・・?』
『私、私ね・・・海咲乃君のこと、ずっと・・・!』
初めての事、だから真剣に彼女に耳を傾ける。一言も聞き漏らすまいと、そんな俺の耳に届いたのはよく通る、毎日耳がおかしくなるほどに聞いているあの声だった。
『あら、お姉ちゃんから弟を奪おうだなんていい度胸じゃない』
『え?』
突然登場した見知らぬ第三者に少女はぽかんと大きな口を開け、他人のふりをしたくなるほどの羞恥を浴びせられた俺はやれやれと諦めモードに入る。
『あら、あなた知らないの?弟はお姉ちゃんの所有物だって法律で決まっているのよ?』
『え?ええっ?』
姉ちゃんの妄言に狼狽え、驚きを隠せなくなる少女。このままでは俺が次のステップに進むための道が閉ざされてしまう。そんなオチが見えていながらも、彼女が動き出した以上俺には止める術などない。昔からそうだ、彼女は無愛想な俺の代わりの感情発現器なのだから。
『ねえから。そんな法律ねえから』
『ほーら見てご覧なさい、このキレのあるツッコミ。こんなに仲良しなのよ?いつかはこのコンビで笑いの天下を取るつもりなのよ。』
『姉ちゃんはピンの方が絶対ウケるから』
『だ・か・ら、あなたが隙入ることなんて出来ないの。そういう運命なのよ、わかった?なら早々に立ち去ってアイドルの追っかけでもしていなさい。あなたみたいな無難な子にあーくんは釣り合わないのだから。悔しかったら私以上の美人に生まれ変わるか、分相応というものを弁えてから恋愛に励みなさい。では、さようなら。さあ行くわよ、あーくんっ』
俺の慎ましやかなツッコミも虚しく、襟首を掴まれズルズルと引き摺られていく。
後日、その少女が転校する予定だったという事実を聞き、家に帰ってそのまま在処は寝静まった。そして2時間ほど寝た後、あの日の彼女との思い出を思い出して、泣いた。そのさらに翌日、教室に入るなり『よっ、シスキノ!』と、シスコンを揶揄するあだ名を付けられて泣いた。いや、ホントに泣いた。
まあ、つまりこれが人生で2回目だ。ただ、姉ちゃんが現れない限りはあのような末路を迎えるべくもない。なあ?そうだよな?後ろ振り返ったらいねえよな?
「でもね在処君、あなたって自分でも思ってるより目立つのよ?・・・悪目立ちだけど」
うるせーよ、ほっとけ。いいことで目立ったことなんてねえよ。雑誌の懸賞でゲーム機当たったことあるけどそれくらいだ。ついでに言うとそれを自慢する友達すらいなかったよ。
「ていうか下の名前・・・」
「・・・。・・・あら、ごめんなさい」
少し天然が入っているようだ。そんな様子を見ていると強く出ることも出来ず
「・・・まあ、いいけどよ。人の多いところではやめとけよ。勘違いされっから」
釘を刺すにとどまるしかなかった。そう、そんな今も痛い勘違い野郎がいる。『こいつ本当は俺のこと好きなんじゃないのか』とか考えている勘違い野郎が。
「いいんじゃないかしら、別に。私は困らないわ?」
ふむ、そういうスタンスか。俺もどちらかというと困らない。だが、今朝みたいに廿楽が下位カーストの人間だと思われることに、俺は妙な歯がゆさを感じた。何故だかはわからない。ただ、俺が落ち着かなかっただけだ。
「それに、私好きよ。在処って名前」
おいおいおい、好きとか言われちゃったよ。もうこれアレだよ、これとかアレとか言うなよ。脳が退化するぞ。まあなんだ、今日という日を思い出にして俺は生きていこうと思うよ。
「私の男避けという意味でも・・・いいのではないかしら」
よくねえよ。それって結局俺の女避けにもなっちまうじゃねえか。女寄ってこないけど。しかし寄ってくるって表現もこえーな。羽虫じゃねえんだから。煩わしさで言ったら似たようなもんだけど。だってそうだろ?こっちはなにも知らないんだぜ?まあそんなに女寄ってこない・・・もう・・・!もういいだろ!!!!
「見たところ、在処君は女の子が寄って来ないようだし」
「うっせ、心の中を読むな」
「ふふ」
朗らかに笑う廿楽を見ていると、真面目に考えているのが馬鹿らしくなってくる。だが、思考は止めてはいけない。少なくとも、『こいつの目的』『それを達成するための手段』『害意の有無』を丸裸にするまでは。案の定、『丸裸』というフレーズに以下略。そして下ネタに自己嫌悪。
「まあ本屋くらいしか行かねえよ。その本屋も昨日行ってきたから帰るだけだ」
「つまらないわね」
「そーだよ。俺はつまんない男だから、遊ぶなら他の男を当たってくれ」
とりあえず突き放してみる。そして、一つだけ嘘を織り交ぜた。本当は今日、姉ちゃんのお使いで近所にあるスーパー、高月に寄る予定だ。しかし、この女を撒く為にいつもの帰り道にある高月に寄るわけにはいかない。どこかで適当に別れるしかないな。
そんなことを考えていると、おあえつら向きに別のスーパーまでの道が見えてくる。少し罪悪感を感じないでもないが仕方がない。女子を連れてスーパーで買い物とかねーよ。魚屋のおっちゃんとかにからかわれて俺も廿楽も気まずい思いをするだけだっての。ああ、でもこいつは男避けに丁度いいのか。俺がいるだけで他の男が寄ってこなくなるって、それどんなハイリスクノーリターンだよ。よく敢行しようと思ったな。こいつを偉い役職に就かせると大変なことになるぞ。
「じゃあ、俺こっちだから」
「ん、それじゃあまた明日。メールするわね」
思っていたよりあっさりと引き下がる廿楽に、俺は意外感を覚えながらもぎこちない所作で手を振りかえす。
「・・・また明日、か」
別に、今までの俺の価値観を否定するわけではない。何度も繰り返すようでアレだが、俺はここまで一人で歩いてきた。他人に寄る辺を作ることの息苦しさがあることも間違えているとは思っていない。ただ、あの廿楽彩香という少女と話している時はそんなことも忘れられるような気がした。
3万字単位で更新していこうかと思います。