1話:魔女さまと美少年
「ねえ、ししょー。ししょーは、まじょさまってなまえなの?」
「あー。名前じゃないわよ。美女にして優秀な私みたいな人は魔女って呼ばれるの。」
「へんななまえ!」
「あらぁ、じゃあルハナンは将来呼ばれたくない?魔女ルハナン様って」
「よばれるの?それってすごいの?」
「ええ、いろんな意味ですごいわよ。私みたいに」
「よばれたら、ししょーほめてくれる?」
「ううーん、まぁ、そうね。ナンバーワンよりオンリーワンは達成できるものね。褒めようかしら」
「じゃあ、なる!どうやってなるの?」
「そうね、まずは男を上手くあしらわないとね。それから、国王を影であやつって、神殿を服従させるのもいいわねえ」
「がんばる!」
「えらいわー。さすが私のルハナン。じゃあ魔女修行しましょう。まずは、パン屋と肉屋でお買いものしてちょうだい。それと、私の服のボタンつけなおして。夕食は肉多めのシチューがいいわ」
「がんばる!」
――――魔術師でも魔女でもいい。貴方がルハナンのままでいてくれるなら。ここで笑い続けていけるなら。
***
『オイジアク』
唱えた瞬間。ぱきんっ、とかざした指先から音が鳴った。空間にひびを入れたようなこれが、魔術使用時の音だ。
指先で空中に見えない呪文を描き、さらに呪文を唱えてようやく魔術は発動する。できる限り素早く描き、しっかりと発音する。それが癖になるせいか、一般人からすると魔術師は字が雑で、声が大きいという印象だ。わたしもいささか字には自信がない。師匠は声がやたら大きい人だった。
「さ、入って。とりあえず食事ね」
愛する我が家の鍵を魔術で解除し、客に扉を開けてやる。元々師匠の持ち物であるこの家は、貴族の古城を国王からぶんどったものらしい。王城の威厳を保つため、王都からは少し離れた立地だ。一人で住むには広すぎて、全体の8割は未踏の地だ。
振り返って客を見ると、ぽかんと口を開けて我が家を眺めていた。
目線で促し、ようやく食堂へ案内した。元城の食堂だけあって広い。天井も高く、明りを取り入れる窓も大きい。食卓は長すぎて端から端では声が届かないため、実際に使っているのは隅に置いた古ぼけた長机だ。
向かいあって座りながら、王城からの帰宅時に買ってきたパンをほおばった。料理は苦手ではないけれど、いきなり来た客の分の材料が面倒だったからだ。
簡単な夕食を食べ終えて、食後のお茶を飲みながらゆっくり客を観察する。
淡く波立つ栗色の髪は耳にかかる程度で整えられて上品だ。少したれ目がちな目は緑よりは黄緑に近く、しかし明るすぎることはない落ち着いた柔らかな緑が、うつむきがちに手元のカップへそそがれている。神殿のちょっと立派な服に着せられつつある12歳ほどの幼い顔立ちは、可憐な少女にも見える。これがいわゆる儚げな美少年ってやつか。名前は確か、
「リュウ……だったよね。本当に大丈夫?不満があれば、おっさん……じゃないや、国王陛下に言っとくよ。わたし結構仲良しだから」
名前を呼ばれたリュウは、ゆらりと視線を上げ微笑んだ。
「いえ、大丈夫です。ぼくは、ぼくの意思で貴方の旅についていきます」
そう、彼は先刻突然決まった(というより知らされていなかった)旅への同行者だ。
「えっとね、そう言われてもな。わたし旅があるなんて知らなくって。キミに聞くのも変だけど、詳しく教えてもえらないかな」
国王との会話では、とりあえず旅してこい、リュウを同行させてほしい、の2つの情報しかわからなかった。
「どこから説明すればいいですか?」
「最初。とりあえず知ってること全部よろしく!」
「国家で魔術師の資格を得たならば、国を出て、世界…といってもこの大陸だけですけど、ルールに従って一周しなければなりません」
「ルール?」
お、さっそく知らない情報が出てきたぞ。こういうことの説明係とかつくっておくべきだと思う。
「はい。まずは、大陸にある5国をすべて回ること。次にそれぞれの聖域にいらっしゃる精霊魔術の源である4大精霊さまに挨拶にいくこと」
「ふむふむ。それだけでもかなり時間がかかるなあ」
季節によっては行けない場所もある。船の移動も必要だ。
「そして、帰ってきたらレポート5000枚」
「は!?」
「それと今回新たに加わったルールは、国王へ各地のお土産を買ってくること……だそうです……」
なぜかリュウが申し訳なさそうに声を小さくしていく。
「あんの、おっさんっ」
後半のルールは遊びすぎだ。5000枚なんて読む方が嫌じゃないのか。もう行きたくなくなってきた。わたしインドア派だと思う。ひきこもり万歳。湿気の多い暗がりでこそこそ暮らしたいのに。
「ルールはこれだけです。本来は、同期の魔術師と旅によって絆をつくり、経験をつませるのが目的なんだとか。昔は5,6人で固まって旅をしたんだそうです」
「ありがとう。……でも、20年ぶりの新魔術師がわたし一人だけなのに、絆もなにもないわね……。難度と経験値が上がるけど。それで一人旅だと不安だから、魔術師でもないキミを同行させろ、と」
「えっと……ごめんなさい……」
たれ目な目元をさらに下げるリュウ。いま、しゅんっていう効果音が聞えた気がする。
その可愛さにほだされそうになるけど、待て待て、国王とリュウの目論見を見破らないといけない。魔術師に行かせる修行になぜ魔術師でないリュウを連れて行けというのか。そしてリュウ自身になんのメリットがあるのか。あんなおっさんでも親しげでも、王は王だ。目的なく人を動かすことはないし、個人より国全体の流れを優先する。安易に考えると、いつのまにか面倒事に巻き込まれる可能性だってあるのだ。ちょっとまじめになろう。
わたしは、あえて露骨に疑わしい顔をしてみせた。眉をひそめたまま、相手をじっと見つめる。良心が痛まなくもないけれど、まずは身の安全確認。
「……一応、魔術の素養はある、みたいなんです。だから神殿に保護されて」
「保護?」
「数年前、記憶喪失で倒れていました。自分の名前もわからなくて、リュウっていうのは神官さまがつくてくださいました」
記憶喪失。このご時世じゃなければご都合主義の御伽話だったろう。最近ではめずらしくもない。三軒先の肉屋のクレイズさんちのお嬢さんも記憶喪失で苦労したとか。夕食のパンを作ったパン屋の見習いは、記憶喪失のところを親方に助けてもらったんだとか。嫌な世の中になったもんだねえ。
けれど珍しくないからこそ、当たり障りのない嘘にも使える。
「そう。この旅についてくる理由は?」
「神殿で魔術を教えられる人がいないからです」
リュウはよどみなく、わたしから目をそらさずに告げた。柔らかな緑はわたしを映している。この子はいま、わたしに試されていることを理解しているのだろう。賢い。
しかし、内容は信じたくないものだ。
「待って、神殿は光魔術の総本山よ。魔術が消えかかって、使えなくなることが増えているとは聞いてるけど、そこまで進んでいるの?5万人がいるのよ、神殿には。神殿長さまも?巫女も?」
「魔術の素養を失っていないのは、ぼくだけです」
「……そんな」
魔術には2種類がある。わたしの精霊魔術と、神殿関係者が操る光魔術だ。精霊魔術は、空気に溶けている精霊の力を借りて火・水・風・土を操る。そして、
「光魔術が使えないならば、医療はどうなるの……?」
光魔術は大陸神ユラン様の力を借りて、時と癒しを操るのに。今現在、誰も医療を施せない。
「だからルハナンさんについていきます!旅の雑用でもなんでもしますっ、僕に魔術を教えてください!」
空気に聡く、賢く。誠実。素直な美少年。なにより、私や国に、害をなす気配がない。
わたしは初めて、リュウににっこり笑いかけた。
「出発は明後日にしましょう。本当は明日って言われたけど、二人分の準備をしなくては。初期魔術の準備もいるしね」
歓喜した栗毛の少年は、飛び上がってカップを割ったけれど。
キミは今から、わたしの旅の仲間。
他人には厳しく、味方には甘く。師匠が教えてくれた『敵をつくりつつも気ままに生きるための魔女のコツ』だ。
そう決意したとき、リュウの後ろで水しぶきが舞った。
いや、これは。
窓ガラスの破片。
ようやく認識が追いついたところで、音もなく食堂全ての窓ガラスが割れた。
人をこき使うのが大好きな師匠。子供にも容赦ありません。