今日も逃げますわ♡
「あら、また閉じ込められましたわ」
リリアの夫、エリオットには少々困った癖がある。
妻を愛するあまり、しょっちゅう彼女を屋敷に閉じ込めるのだ。
「さて、今回はどのような仕組みでしょう?」
リリアは閉じ込められた部屋の観察を始めた。
「窓、は格子がかかっていてその格子は鉄製と。ドアは鍵が……まぁ、3つも! しかも全部仕組みが違いますわね。これは是非ここから出たいですわ」
リリアは3つの鍵について詳しく見始めた。
「エリオットも甘いこと。服を剝がないなんて」
リリアはドレスの裏から細長い金属製の棒を取り出した。
「そして、この鍵も甘いですわ」
それから10分後。
リリアがいた部屋には誰もいなくなっていた。
一方、エリオットの職場では。
「エリオット、そんな辛気臭い顔で仕事しないでくださいよ」
エリオットは王宮の文官として書類の整理を行っていた。
けれど、心はリリアのほうへ飛んでいる。
「アレス。あんなかわいい妻を置いて仕事に行くだなんて。あんな可愛いんだぞ。誰かが連れ去ってしまうかもしれない。ああ、心配だ」
「そうですか」
「みなさま、差し入れですわ」
その時、エリオットの職場にお茶とお菓子を乗せたワゴンを押してリリアが現れた。
エリオットは固まっている。
「さあ、どうぞ」
リリアはみんなの机の上にお茶とお菓子を置いていく。
「ありがとうございます。今回は何分かかりましたか?」
「十分ですわ」
「前より三分長いですね」
「ええ、エリオットも努力してくれてうれしい限りですわ」
「リリア! なぜここに!」
ようやく溶けたエリオットがリリアに叫ぶ。
「エリオット。甘いですわ。あんなもの仕組みの違う簡易な錠を3つかけただけじゃない。なぜあのような粗悪品が売っているのか謎ですわ」
「あれは、重犯罪者の檻に使用されている錠だぞ!」
「あら、では犯罪者たちは逃げ放題ですわね。 今度新しい錠を作りましょう」
リリアはそのまま空いている椅子に座り、お茶を飲み出した。
「紙とペン、貸してくださる?」
「はい」
リリアは何かを紙に書き出した。
夕方、リリアとエリオットは一緒に帰宅した。
「リリア、さっきは何を書いていたんだ?」
「錠前の設計図ですわ」
「設計図?」
「ええ、私のようなか弱い乙女に解錠される錠を重犯罪者に使っているなんていつ逃げられるか分かったものではありませんわ」
リリアはドレスの胸元から紙と分解された錠を取りだした。
「ですので、錠を作りましょう」
「……リリア」
「はい?」
「君はなぜ錠前の設計ができるんだ?」
「何度も閉じ込められて、開けているんですもの。できないほうがおかしいですわ」
「……」
リリアは満足そうに紙を眺めた。
「錠があるんですから、それを観察して改善すべき点をまとめましたわ。明日、さっそく職人を呼びましょう」
「……職人?」
「ええ。錠前職人ですわ」
「男か?」
「おそらくは」
エリオットは無言でリリアに抱きついた。
「まあ。どうしましたの?」
「俺も同席する」
「お仕事は?」
「休む」
「まあ」
「男と二人で話すなんて駄目だ」
「職人と商品の相談をするだけですわよ?」
「それでもだ」
腰に回された腕に力がこもる。
「では、一緒に会いましょうか」
「……いいのか?」
「もちろんですわ。あなたと一緒にいたくないなんて、一言も言っていませんもの」
エリオットの顔がぱっと明るくなった。
「リリア!」
「ただし」
「うん?」
「閉じ込めるのはやめてくださいませ」
「それは無理だ」
「即答ですのね」
翌日、屋敷の応接室に錠前職人が呼び出された。
錠前職人は表向きにこやかだが、いきなり貴族の遊びに呼び出されたとばかりにいら立っているのが雰囲気で分かった。
リリアは分解した重犯罪者用の錠をテーブルに置いた。
「こちら、あなたのお店の商品でしょう?」
「はい。当店でも最高級の品でございます」
「十分で開きましたわ」
「…………はい?」
職人は分解された錠を呆然と見つめる。
いらだった雰囲気など霧散した。
「どのように開けたのですか?」
「こちらをね——」
職人が身を乗り出し、リリアに近づいた。
「おい。お前、リリアに近づくな」
エリオットが鬼の形相で職人をにらむ。
職人は慌てて後ろに下がった。
「申し訳ありません!」
「ごめんなさいね。私の夫はちょっと焼きもち焼きでして」
「いいえ!」
職人は冷や汗を出している。
「エリオット、お仕事に行ってくださっても構いませんわよ?」
「絶対に嫌だ」
「仕方ありませんわね」
リリアは頬に手を当てると一つため息をついた。
「それで、この錠は問題がありますので私、改善案を考えてみましたの」
リリアは自分が考えた錠の改善案を書いた紙を差し出した。
職人は差し出された紙を受け取った。
最初は半信半疑だった。
錠前作りは、素人が一日眺めただけで理解できるほど単純な仕事ではない。
しかし、一枚目を見て。
二枚目をめくって。
職人の眉間に皺が寄った。
「……奥様」
「はい?」
「こちら、本当に奥様がお考えに?」
「ええ。昨日」
「昨日……」
職人はもう一度紙を見返した。
「このまま作れるとは申し上げられません。ですが……面白いです。お引き受けいたします」
今度は先ほどとは違う意味で、職人が身を乗り出した。
「奥様、こちらについてもう少し詳しく――」
「近い」
鬼の形相のエリオットだった。
「…………旦那様」
「離れて話せ」
「エリオット。図面が見えませんわよ」
「俺が持つ」
「あなた、錠前のこと分かりませんでしょう?」
「今日覚える」
リリアは目をぱちぱちさせた。
「まあ。では三人で考えましょうか」
錠には興味がある。非常にある。
だが、この夫婦は非常に面倒くさい。
職人は早くも依頼を受けたことを少し後悔していた。
それから数週間後。
「奥様、錠ができました」
職人が試作品の錠前を届けに来た。
「ありがとうございます」
その夜、エリオットが帰宅した。
「エリオット、試作品の錠前が届きましたわ。早速使ってみてください」
「……いいのか? 出れなければそのままずっと閉じ込めるぞ」
「まぁ、いやですが。出れなければ仕方ありませんわね」
エリオットはその錠前を見て、うれしそうな顔をした。
そのうれしそうな顔は次の日、悲しそうな顔に変わった。
エリオットは出かける前に早速リリアにその錠前を使って部屋に閉じ込めた。
これで、リリアはずっと自分のもとにいてくれるとでも言いたげに。
「エリオット!」
リリアがエリオットの職場に満面の笑みで飛び込んできた。
「三時間ですわ!」
「…………」
「三時間もかかりましたのよ! 今まで長くても十分でしたのに!」
リリアははじけるようにうれしそうだ。
エリオットは地の底に沈みそうなほど悲しげな雰囲気だ。
「出てきたのか……」
「ええ。出れはしましたわ。次は五時間を目指しましょう♡」
それから三週間後。
次の試作品が完成した。
エリオットは期待いっぱいに朝、リリアを閉じ込めた。
その日の昼。
「まだ来てない」
「そうですね」
「今日はまだ来てない!」
エリオットは嬉しそうに飛び上がった。
「はい、仕事してくださいね」
夕方、もうすぐ仕事が終わるという時間。
「…………」
エリオットは部屋をうろうろと歩いている。
「どうしたんですか?」
「まだ来ない」
エリオットはアレスの両肩をつかんだ。
「まだ、リリアが来ないんだ!! こんなこと今までなかった!」
「閉じ込めたの貴方でしょう? 成功じゃないですか、なんでそんなに心配なんですか」
「だって、今までならとっくに来てる!」
「今回は性能のいい錠を作ったんでしょう?」
「そうだけど!」
「なら成功したんですよ」
「…………」
エリオットは黙った。アレスの肩から手を放してまたうろうろ歩き始めた。
「怪我してないかな」
「知りませんよ」
「無理に開けようとして手を怪我してるかもしれない」
「だったら最初から閉じ込めなければいいでしょう」
「腹も減ってるかもしれない」
「朝食は食べたんですよね?」
「食べた」
「では夕食を食べればいいじゃないですか。一緒に」
「寂しがってるかもしれない!」
「それは貴方でしょう」
ピタリとうろうろと歩くのが止まった。
「帰る!」
エリオットは上着をひっつかみ、そのまま扉を開け出て行った。
「まだ勤務時間ですよ!」
「リリアの方が大事だ!」
「知ってますよ!」
エリオットは馬車を急がせ、屋敷へと戻った。
「リリア!」
玄関を抜け、階段を駆け上がる。
朝、自分がリリアを閉じ込めた部屋へ向かい、錠を慌ただしく外した。
「リリア!」
勢いよく扉を開ける。
「まあ、おかえりなさいませ」
リリアはソファに腰掛け、のんびりと本を読んでいた。
「…………」
「今日はお早いのですね」
「リリア!」
エリオットは駆け寄ると、そのまま妻を抱きしめた。
「怪我してないか?」
「しておりませんわ」
「具合は?」
「元気ですわ」
「寂しくなかった?」
「そうですわねえ」
リリアはエリオットを上目で見つめた。
「あなたが帰ってこないので、少し退屈でしたわ」
「リリア……!」
抱きしめる力が強くなる。
「まあまあ」
リリアは嬉しそうな夫の頭を撫でた。
「それよりエリオット」
「なんだ?」
「今回の錠、とてもいいですわ」
「!」
「まだ開けられておりませんもの」
エリオットの顔が輝いた。
「じゃあ……!」
「ええ。もう少し試したいので、閉め直してくださいな」
「…………」
エリオットは妻を見つめた。
「いいのか?」
「ええ」
「本当に?」
「性能試験ですもの」
エリオットは嬉々として立ち上がった。
リリアだけ残し、再び錠をかけた。
夕食の時間になり、エリオットが錠を開けようとした。
カチャリ。
内側から扉が開いた。
そこから、リリアが顔をのぞかせ、エリオットに気づくとはじけるように微笑んだ。
「開きましたわ! 閉め直してから四時間十二分! 先ほどの七時間十五分と合わせれば十一時間二十七分ですわ!」
「…………」
翌日、リリアは職人に報告した。
「奥様、その錠もう売りましょう」
数か月後——
商品化された錠前は、まず貴族や商会の金庫用として評判になった。
そして、その噂はほどなく王宮にも届いた。
さらに数か月後——
リリアの錠前は王宮の宝物庫にも採用された。
あちこちで注文が殺到した。
それもそのはず。誰も鍵がなくては解錠できなかったのだから。
職人の小さな店では生産が追い付かなくなってきた。
「奥様、工房を作りましょう」
リリアはあちこちに顔を出すようになった。
エリオットはついていける日はついていったがどうしてもいっしょに行けない日もあった。
今日は、リリアはエリオットと一緒に商人に会っていた。
「奥様ほど優秀で素晴らしい方には初めてお会いしました」
「まぁ、ありがとうございます」
リリアはにこやかに対応している。
その横では、思いつめたように能面のエリオットがいた。
工房を始めてからというもの、似たようなことは何度もあった。
リリアを褒める者。親しくなろうとする者。中には夫がいると知りながら、あからさまに好意を寄せる者までいた。
そのたびにエリオットはリリアの隣にいた。
いられるときは。
その日の夜。
エリオットはまたリリアを閉じ込めた。
「あら、夜に閉じ込めるなんて初めてじゃなくて?」
「…………」
「…………エリオット?」
返事がない。
エリオットはそのまま移動したようだ。
リリアは閉ざされた扉を見つめた。
「……どうしたのかしら」
いつもと違う。
閉じ込められること自体は珍しくもない。
けれど、エリオットはいつだって嬉しそうだった。
『今回は出られないぞ』
『明日の朝までここにいてくれ』
そんなことを言いながら、リリアが脱出すればひどく落ち込む。
そして結局、リリアが自分のところへやって来ると嬉しそうに抱きついてくるのだ。
それが今日はない。
「…………」
リリアは扉の錠に触れた。
「仕方ありませんわね」
いつものような楽しさはなかった。
「妻を閉じ込めておいて、一人でどこへ行きましたの」
リリアはいつものように錠を外すとエリオットを探して屋敷を探して——エリオットを見つけた。
剣を手にして椅子に座り込んでいる。
「エリオット」
「…………やっぱり、出てきたんだな」
「ええ」
「俺がどんなに閉じ込めても、君は出ていく」
「当たり前でしょう。閉じ込められるのは嫌いですもの」
「……そうだな」
「今日来ていた商人、君を素晴らしいと。君を見ていた」
「商談相手ですもの。お世辞が言えなくてどうしますの」
「お世辞じゃなく、リリアが魅力的だからだ」
エリオットはやっとリリアのほうを向いた。
「これからもっと増える」
「何がですの?」
「君を欲しがる男が」
エリオットは椅子から立ち上がった。
「俺より金のある男もいる。俺より地位のある男もいる。俺より君に相応しい男だっている」
リリアにゆっくりと近づく。
「笑えるだろ?」
「?」
「君を閉じ込めるために作った錠なのに」
エリオットが乾いた笑みを浮かべた。
「あれのせいで、君はどんどん俺の知らないところへ行く」
エリオットは剣を抜いた。
「だったらもう……誰にも取られないところへ、一緒に行ってくれないか」
リリアは抜かれた剣をちらりと見て、エリオットの瞳を見つめる。
「それは、死んでくれという意味ですの?」
「…………」
エリオットは動かない。ただ、少しだけ剣を握る手に力が入ったようだ。
「そう……」
リリアは少しうつむいた後、顔を上げた。
「あなたが本当にそれを望んでいるのでしたら、構いませんわよ」
「え?」
リリアがエリオットのもとに近づく。
エリオットはリリアが近づくごとに下がっていく。
「な、何を言ってるんだ」
「あら。あなたが一緒に、とおっしゃったのでしょう?」
「本気にするな!」
「まあ。では、冗談でしたの?」
「違う、でも……!」
エリオットの背中が壁についた。
リリアが迫ってくる。
リリアはエリオットの顎を人差し指で押し上げた。
「わたくし、あなたが思っているほどあなたから離れて平気ではありませんわよ?」
リリアは口角を釣り上げた。
「あなたに殺されるなら、それも悪くありませんわ」
「……っ」
リリアはエリオットの顎にあった人差し指をそのまま伝い、エリオットの頬を触り、自分と目が合うようにした。
「その前に一つ、教えてくださいませ」
すっと、リリアの笑みが消えた。
「どうして、わたくしがあなたから離れることになっていますの?」
「わたくし、毎回あなたの檻から逃げましたわね」
「……ああ」
「そのあと、どこへ行きました?」
「……俺のところ」
「そうでしょう?」
何回、閉じ込められても。
鍵を開けた後、リリアは毎回エリオットのところへ行った。
「閉じ込められるのは嫌いですわ」
「……知ってる」
「でも、あなたは好きです」
リリアは剣を持っているエリオットの手を触った。
「わたくしを閉じ込めたいなら、お好きになさい」
「……」
「わたくしは何度でも逃げますけれど」
再び口角を釣り上げた。
「逃げた先は、あなたのところですわ」
「それに、あなた。勘違いなさってますわ」
「何を……?」
「もし本当にわたくしから離れようとなさったら――」
リリアが剣を持つ手に触れる。
エリオットは抵抗しなかった。
その指を一本ずつ柄から外し、リリアは剣を取り上げた。
「今度はわたくしが、あなたを閉じ込めますわよ」
翌朝。
「あら、また閉じ込められましたわ」
リリアは閉まった扉をペタペタと触っている。
扉には新しい錠がついている。
「……嫌だった?」
エリオットが不安そうに聞いてくる。
「ええ、嫌ですわよ」
「…………」
「ですから」
「今日も逃げますわ♡」
それから一年後。
「エリオット」
「なんだ?」
「新しい錠が完成しましたわ」
リリアはにっこりと笑った。
「今度のものは、私でも開けられないかもしれません」
「本当か!?」
「ええ。試してみましょう?」
エリオットは嬉々として妻を部屋へ連れていった。
ガチャリ。
「エリオット! 開きましたわ! 素晴らしいですわ! 1日以上かかりました!」
「リリアぁ……!」




