冒険者ギルドをクビになった私、実は世界の虹を守る「階段の管理人」でした――なので前世の登山知識で天空へ逆襲します!
「悪いが、君はクビだ。虹の階段なんて“おとぎ話”を追う無能に、うちのギルドの席はない」
ギルドの受付ホールに、ガレンの声が朗々と響いた。
赤髪をかき上げ、見栄えのいい顔に薄笑いを浮かべたエース剣士。その隣で、鑑定士のミレイユが口元を扇で隠しながら、くすくすと笑っている。
はいはい無能無能。
私――霧島あかねは、心の中でだけ肩をすくめた。
前世でも山でパワハラ気味の上司に同じようなことを言われたっけ。「気象データばっかり睨んで、金にならん女だ」って。
違いといえば、あのときの上司は無能なりに命の重さを知っていたことくらいか。目の前のこの男は、それすら知らない。
「あかねちゃん、可哀想に」
ミレイユが甘ったるい声で言う。
「虹の階段が“見える”って言い張ってるの、あなただけよ? 現実が見えてないのねぇ。鑑定士として断言するけど、あなたのギフトは無価値。ただの――地味スキルよ」
無価値、ね。
私は返事をせず、ただ窓の外に目を向けた。
王都の空。灰色にくすんだ雲の切れ間に、ほんのかすかに――七色の光の帯が、天へと伸びている。
誰にも見えない。ここにいる誰一人、あれを見ていない。
でも私には見える。空へと続く、光の階段が。
年々薄れていく、あの虹が。
(……減ってる。去年より、確実に)
虹が消えれば、魔力の巡りが崩れる。七色そろわなければ、魔物は凶暴化する。この国はそれをまだ「おとぎ話」だと思っている。
「聞いてるのか、おい」
ガレンが苛立たしげに机を叩いた。
「返す言葉もないってか。まあいい。荷物をまとめて出ていけ」
私はゆっくりと視線を戻し、静かに口を開いた。
「わかりました」
その一言に、ガレンが拍子抜けした顔をする。喚くと思っていたのだろう。すがると思っていたのだろう。
残念でした。私はもう、ずっと前に、覚悟を決めている。
「では、あなた方が“おとぎ話”と切り捨てたものを、私が本物にしてきます」
◆
ギルドを出て、私は装備を確認した。
ロープ、アイゼン代わりの鉤爪、乾燥食料、そして自作の高度計。異世界に来て五年、コツコツ揃えた登山道具たちだ。
(誰も、本気で山を登ろうとしなかったからね)
目指すは霊峰・七彩山。かつて誰も頂に立てなかった、魔素嵐に閉ざされた死の山。
王家がガレンたちに「虹の階段の調査」を依頼していたことは、私も薄々知っていた。そして彼らが危険を嫌い、「調査済み、階段など存在しない」と嘘の報告を続けていたことも。
だって私、彼らが山の麓で三日で引き返して酒場で遊んでいたのを、この目で見たから。
報告書は嘘まみれ。
でも、それを暴くことに、今は興味がない。
大事なのは――虹を、架け直すこと。
前世の記憶が、胸の奥で静かに疼く。
吹雪の中、遭難した登山客を一人ずつ下ろして、最後の一人を庇って、私は足を滑らせた。真っ白な世界に落ちていきながら、思ったのだ。
「山は逃げない。でも人は見捨てられる。私はもう、見殺しにしない」
あの後悔が、今も私を動かしている。
見えているのに、見て見ぬふりをするなんて。そんなこと、二度とごめんだ。
私は空を仰いだ。
消えかけた光の階段が、私を待っている。
「――行こう」
誰にも見送られず。誰にも信じられず。
それでも、足取りは軽かった。
だって私は、登る理由を知っている。
◆
「……本当に、行くのか」
王都の門を出ようとしたところで、低い声に呼び止められた。
振り返ると、銀灰色の髪に鋭い青灰の瞳。鍛え上げられた長身を漆黒の騎士装束に包んだ男が、無表情で立っていた。
王国最強と名高い騎士団長、アルヴィス・レンフェルト。「氷の騎士団長」と畏れられる、あの。
(え、なんで騎士団長が私に……)
「霧島あかね。君の過去三年分の報告書を、すべて読んだ」
「……は?」
思わず素の声が出た。
「魔素濃度の変動、虹の減衰率、魔物の凶暴化との相関。君の数値はすべて正確だった。ガレンの報告よりも、遥かに」
淡々と、しかし一言一句をかみしめるように、彼は言った。
「誰も信じなかった。だが俺は、データが嘘をつかないことを知っている」
胸の奥が、じん、と熱くなった。
五年間。誰にも見えず、誰にも信じられなかった。
それなのに、この人だけは――黙って、私の数字を読んでいた。
「団長様は、私の“虹路視”を信じてくださるんですか」
「信じる、信じないの話ではない。事実だと判断している」
無愛想だ。とんでもなく無愛想だ。
でも、それが逆に信頼できた。
「同行を申し出たい。七彩山の調査、俺も――」
そこで彼は、ほんの一瞬、言葉を詰まらせた。
「……いや。麓までだ。麓までは、護衛する」
(なんで急に歯切れが悪くなったの?)
そのときは、まだ知らなかった。
この王国最強の騎士が、山頂で見せることになる、とんでもない姿を。
◆
七彩山の中腹。
魔素嵐の兆候を空気の匂いで察知し、私は岩陰でやり過ごした。
(前世で読んだ気圧配置とそっくり。この魔素の澱み方は、あと一時間で嵐になる。今動くのは自殺行為)
気象予報士の勘は、異世界でも死んでいなかった。むしろ、ここでは無双だ。
嵐が過ぎ、断崖にロープをかけて登り続ける。高所順応の呼吸法で、薄い空気にも身体を慣らしていく。
そして山頂付近――氷に覆われた岩場の陰で、私はそれを見つけた。
七色に淡く光る、小さなもふもふ。
猫と小狐の中間のような姿。その光が、今にも消えそうに、弱々しく明滅している。
「――生きてる?」
私は駆け寄り、外套でそっと包んだ。凍えきった小さな身体を、両手で温める。
しばらくして、もふもふがぴくりと震え、丸い瞳を開けた。
「……に、人間、なのじゃ……?」
「うん。人間。しゃべった、かわいい」
「かわ……っ⁉ 我は誇り高き虹の精霊、イリスであるぞ! 気安く撫でるでない、なのじゃ!」
言いながら、しっかり私の掌に頭をこすりつけてくる。尻尾を振ると、空気に虹色の粒子がきらきら舞った。
(あ、これは……甘えん坊だ)
保護者気質がむくむくと湧いてくる。前世で子犬を拾ったときと同じ感覚だ。
「イリス、どうしてこんなところで凍えてたの?」
イリスは、しばらく私を見つめてから、ぽつりと言った。
「人間はみんな……階段の“途中”で引き返すのじゃ。寒くて、怖くて、みんな逃げていく」
小さな声が、震えていた。
「じゃが、そなたは……最後まで登ってきた。ここまで来たのは、そなたが初めてなのじゃ……!」
ぽろり、と、七色のしずくが零れた。
私は、そっとイリスを抱きしめた。
「もう大丈夫。私、途中で引き返したりしないから」
見殺しには、しない。
それが、私の生き方だから。
◆
「な……なぜ君は、そんなに平然と登れる……ッ」
山頂へ続く最後の道。ここから先は、私の“虹路視”にしか見えない光の足場――天空の階段だ。
本来、麓で別れるはずだったアルヴィスは、なぜか強情に付いてきた。「調査は最後まで見届ける」と言い張って。
その結果が、これである。
王国最強の騎士団長が、断崖の縁で、三角座りをして震えていた。
「団長様……もしかして」
「……高い場所が、少々……苦手なだけだ」
「少々ってレベルじゃないですよね⁉ 顔真っ青ですよ⁉」
「うるさい。騎士団の誰にも言うな。特にイリスとやらにも……」
「もう聞かれてますけど」
イリスが私の肩の上で目をまん丸にしていた。
「氷の騎士団長が……高いところで泣いておるのじゃ……」
「泣いていない!」
泣きそうだった。
私は思わず吹き出しそうになるのをこらえ、彼に手を差し出した。
「団長様。ここから先は、私にしか見えない階段です。目を閉じて、私の手を握ってください。足場は、私が全部見えてますから」
アルヴィスが、青灰の瞳で私を見上げた。
迷い。恐怖。そして――かすかな信頼。
震える手が、ゆっくりと私の手を取った。
「……君がいれば」
消え入りそうな声で、彼は言った。
「君がいれば、登れる気が……する」
(うわ、不意打ち)
無愛想な鉄仮面のくせに、こういうことを真顔で言うのは反則だと思う。
私は少しだけ頬が熱くなるのを感じながら、光の階段へ、一歩を踏み出した。
「行きましょう。天空の頂へ」
見えない階段を、二人と一匹で、一段ずつ。
◆
天空の階段の頂。
そこには、澄み切った光の泉があった。
かつて七色に輝いていたであろう魔素源。今はほとんど枯れ、わずかな光が消えかけていた。
「これが……虹の源」
私は膝をつき、泉に手をかざした。前世の知識が、答えを導き出す。
(虹は空気中の魔素粒子と光の屈折。その源がここ。でも枯れているのは、自然現象じゃない――)
「イリス。これは、どうして枯れたの?」
イリスが、静かに――今までとは違う、深く老いた声で答えた。
「……人間が、忘れたのじゃ」
「忘れた?」
「はるか昔、この国は虹の管理人と契約を結んでおった。魔素源への感謝の儀式を捧げる代わりに、虹の恵みを受ける。それが約束じゃった」
イリスの身体が、淡く光を増していく。
「じゃが、時が流れ、人間は忘れた。感謝を忘れ、儀式を絶やし、虹を“おとぎ話”と嗤うようになった。だから泉は枯れ、虹は消えていく」
「……それを直すには」
「新しい管理人が要る。空を読み、階段を見て、最後まで登りきる者。異界より来たりし、“空を読む者”――」
イリスが、私を真っ直ぐに見つめた。
「そなたのことじゃ、あかね」
心臓が、大きく脈打った。
「私が……虹の管理人?」
「試したこと、許してほしいのじゃ」イリスの瞳が潤む。「弱ったふりをして、そなたを見ておった。人間に、まだ希望を託せるか……最後の賭けじゃった。そして、そなたは我を抱きしめてくれた。見殺しにしない、と言ってくれた」
私は、そっと微笑んだ。
「試されてたなんて、全然気づかなかったよ。まあ、どっちにしても抱きしめてたけどね。かわいいから」
「かわ……もう、そこではないのじゃ!」
イリスが泣き笑いで、私の胸に飛び込んできた。
「あかね。我と契約してくれるか。この世界の虹を、共に架け直してくれるか」
私は迷わず、頷いた。
「うん。それが私の――やるべきことだから」
光が、私とイリスを包んだ。
枯れかけた泉が、応えるように、七色の輝きを取り戻し始める。
◆
「儀式を、なのじゃ」
イリスに導かれ、私は泉に手を浸し、心の中で唱えた。
感謝を。この世界の光と巡りへの、感謝を。
前世で、山に生かされ、山に還った私だからこそ、わかる。
自然は、当たり前じゃない。恵みは、当たり前じゃない。
だから――ありがとう。
瞬間。
泉から、まばゆい七色の光が噴き上がった。
光は天を貫き、王都の空へと放たれていく。枯れかけていた魔素源が、脈動を取り戻し、世界中に虹の粒子を送り出す。
「あかね、見るのじゃ……!」
私は頂から、王都を見下ろした。
そして――かかった。
王都の空に、天へと続く七色の巨大な虹。
本物の、虹の階段が。
今や、私だけじゃない。地上の誰の目にも、それははっきりと見えているはずだ。
遠く、王都のほうから、地響きのようなどよめきが伝わってくる。
人々が空を見上げ、指をさし、声を上げている。
「……綺麗」
隣で、アルヴィスが呆然と呟いた。彼は今、高所であることも忘れて、立ち上がって空を見ていた。
「君が言っていたものは、本当に――あったんだな」
「はい。ずっと、そこにあったんです。誰も見ようとしなかっただけで」
虹の粒子が、山じゅうに舞う。
そのきらめきの中で、私は静かに思った。
さて。
私を「無能」と切り捨てた人たちは、今、どんな顔で、この空を見上げているのかな。
◆
――同刻。王都、謁見の間。
ガレンとミレイユは、国王ロレンツの前で、報告書を読み上げていた。
「――以上より、七彩山に虹の階段なるものは存在せず。ただの古い伝承と結論づけます。陛下、あの山の調査は、これにて打ち切りを進言いたします」
ガレンが胸を張る。ミレイユが優雅に微笑む。
「あんな“おとぎ話”に国費を使うなど、無駄でございますわ。見えると言い張っていた者も、先日、無能ゆえ解雇いたしましたし」
老王は、白い眉の下から、静かに二人を見ていた。
そのときだった。
謁見の間の窓の外が、突然、七色に染まった。
「な……ッ」
窓へ駆け寄った衛兵が、震える声で叫んだ。
「そ、空に……虹が……天まで続く、巨大な虹の階段がァ――ッ!」
ガレンの顔から、みるみる血の気が引いていく。
ミレイユの手から、扇が落ちた。
「そ、そんな……存在しないはず……“調査済み”って……」
国王が、ゆっくりと立ち上がった。
「調査済み、とな」
低く、しかし部屋を凍らせる声だった。
「存在しないものが、なぜ今、余の王都の空にかかっておる?」
「い、いえ、これはっ、何かの魔術で……いや、あの女が、何か細工を――」
「あの女、とは。おぬしらが“無能”と切り捨て、解雇した者のことか」
老王の瞳が、鋭く光った。
「王家の記録には、こう残されておる。『失われた虹の管理人、いつか異界より“空を読む者”として再来せん』と。……余は、ずっと待っておったのだ」
ガレンが、がくりと膝をついた。
ミレイユは、真っ白な顔で、ただ空の虹を見上げることしかできなかった。
自分たちが「無価値」「見えていない」と嗤った、その虹を。
◆
数日後。私はイリスとアルヴィスと共に、王都へ凱旋した。
空には、あの日から消えることのない、七色の虹の階段。魔物の凶暴化はぴたりと収まり、王都は祝祭の空気に包まれていた。
謁見の間。
国王ロレンツは、群衆と貴族たちが見守る中、私の前に立った。
「霧島あかね。おぬしは、忘れられた契約を蘇らせ、この国を――いや、この世界を救った」
老王は、深く頷いた。
「よって、おぬしを『王国虹守護官』に任命する。何人たりとも、その功績を侮ることは許さぬ」
割れんばかりの拍手と歓声。
その片隅で。
資格を剥奪され、罪人として引き立てられていくガレンとミレイユが、崩れ落ちるように、私を見ていた。
「なぜ……なんで、お前が……あんな地味な女が……」
ガレンが、うわ言のように呟く。
「あの力が……国を救う、本物だったなんて……俺は、俺は、それを、自分の手で追い出して……ッ」
ミレイユは、扇で顔を隠すことも忘れ、ただ呆然と涙を流していた。
「わたしの、鑑定が……“無価値”だと切り捨てたものが……本当は、いちばん価値が……あった、なんて……」
私は、二人の前を、静かに通り過ぎた。
喚かない。嗤わない。
ただ、一度だけ振り返って、告げた。
「見えないものを“無い”と決めるのは、あなたたちの自由でした。でもね」
私は、空を指さした。七色に輝く、天への階段を。
「見えないものを、見ようとしなかった。それが、あなたたちの敗因です」
それだけ言って、私は前を向いた。
背後で、二人が膝から崩れる音がした。
でも、もう振り返らない。
私はもう、彼らのために使う時間を、一秒も持っていないから。
◆
祝祭の喧騒が落ち着いた、静かな夕暮れ。
私は王城のバルコニーで、空の虹を見上げていた。
「あかね、ギルドから“戻ってきてほしい”と使者が来ておるぞ」イリスが肩の上で報告する。「今なら幹部待遇じゃと」
「あー、それ丁重にお断りしといて。今さらすぎるでしょ」
「ふふ、そう言うと思ったのじゃ」
イリスが尻尾を振ると、虹色の粒子がきらきらと舞った。
隣に、アルヴィスが並んだ。相変わらずの無表情だが、その手には二人分の温かい茶が握られている。
「……ひとつ、報告がある」
「なんですか、団長様」
「イリスの古い記憶によれば」彼は、いつになく真剣な声で言った。「この世界には、色を失った“伝説の虹”が、まだ六つ残されているそうだ」
私は目を見張った。
「六つ……」
「そのすべてが枯れれば、いずれこの世界の魔素は、完全に止まる」イリスが続ける。「架け直せるのは、虹の管理人――そなただけなのじゃ、あかね」
私は、しばらく空を見つめた。
それから、ふっと笑った。
「なんだ。まだ、登る山が残ってるってことね」
前世の私は、一つの山で還った。
でも今世の私は、まだ登れる。何度でも、どこまでも。
「行きましょう。世界中の、消えかけた虹を架け直しに」
「我も一緒じゃ!」イリスが跳ねた。
「……俺も、同行する」アルヴィスが静かに頷き、それから小さく付け加えた。「高い場所は、その……君が、手を引いてくれるなら」
「はいはい。ちゃんと引いてあげますよ、団長様」
くすくす笑いながら、私は夕焼けに染まる虹の階段を、もう一度見上げた。
虹は消える。
でも、何度でも架け直せる。
だって私は――消えゆく虹の、管理人だから。
さあ、次の空へ。
色を失った、伝説の虹たちが、私たちを待っている。




