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頭が飛んで龍になる

第八章:頭が飛んで龍になる


「手練がいると聞いタ。どなただろうカ」


 その日来たお客さんは、どこかで聞いたような訛りの強い言葉遣い。でもそれ以上に、見たことのないお面が気になって仕方がなかった。誰を探しているのかと思えば、多少は美味い鰻を焼クというのでたぶん清六だ。清六の待ち人という感じではないけど、私が関わることでもないからとっとと押し付けた。清六は畏まっていたけど、相手はそうでもない。山猿はやめたのカ、と不満そうだった。一から出直しです、と清六は妙に申し訳なさそうだ。話にならぬナ、とその人はお面を取り替えた。赤い面から、青い面へ。取り替えたんだけど、いつ取り替えたんだろう。見ていたし絶対変わったけど外すのが見えなかった。私が驚いていると、大陸の技です、見事なものだと清六が言っていた。この程度で驚くようでハ、とその人はもう興味がないみたいだった。手練というのハあっちだろうカと権兵衛を指したけど、そこまでではないと清六が言っていた。お面の人は、だろうナ、猿には見えン、と話を濁した。お前には期待しないガ、伝えておこウ。そう言って割り印のような紙を取り出した。花押というのだろうか、清六はほうと頷いているけど、私にはわからない。私の様子に気がついた清六が、麒麟です、と付け加えた。


「大陸では神仙の類とされます。世の吉凶を占い、お上も頼りにしている」


 この島に教えタのは我らダというのニ、頼るかもしれヌ。お面の人が不機嫌そうに言うと、困った時はお互い様です、と清六が言っていた。でもお面の人は清六を頼りにしてなくて、お前ではなイ、と突っぱねた。近く来るであろウ、あわよくばとレ。無理だろうがナ、とお面の人が帰ると、ようやく店の雰囲気が和らいだ。清六は、いいものを見せてもらった、と満足げだった。あんたの待ち人、もうすぐ来るのね!ようやく出ていくんだ!と喜んでいたら、「あの雰囲気だと何年かのうちだろう」と当たり前に言うのでぶん殴った。宿代を浮かせるために取り入った不届き者め!権兵衛は気にしなくていいから、そっちで食べてなさい。


 麒麟の花押はお上も信ずる。それ以上に、厄介な奴も信じていたのだと清六が言っていた。曾祖父さんより少し前、この世を焼いた大うつけ。そいつも麒麟の花押だった。吉兆の霊獣が、悪事に使われたのかもしれない。その名とその姿はあまりにも強力ゆえ、危険でもある。いつか、正しい者が使ってくれればいいのだが、と手拭い一つ持ち出して背中を擦っていた。一から出直しということらしい、本当に一からなんだとちょっとびっくりした。


 清六がひゅっと指を振り抜く。鈍いでしょう、と聞かれて、わざとでしょ?って言ってやったら困っていた。誰が見てもわかる。困ったものだなんて微妙に失礼なことを言ってたけど、だからって何か困るのだろうか。十分速いし十分綺麗。ちょっと調子が悪いだけ。でも清六は腰を落として汗が流れるまで何かを睨んでいた。指を抜き打つ直前に陶器になったみたいに、動かない。構えを解いて一言、だめだ、と言い残した。


 何が前と違うのかと聞くと、この技は見えるうちにはないという。見えているものは技のうちに入らず、見える者しか見えないものを飛ばす。なんとか飛ばそうとしてもばらばらでまとまらず思った以上に痛手、時間がかかるという。何言ってんだか、どこか悪くしたわけでもないのに。……それも見えない場所だ、と清六に落ち込みが見えた。働かせるのも悪いと思い、しばらく暇をやった。もともと一人でやってた店だからどうにでもなるし。治すのに手っ取り早い方法が、あるにはある、と清六は言っていた。


「このあたりに、色街はありますか?」


 上玉の女と一夜過ごせば治ると聞く、とふざけたことを真面目に言うので真面目に殴った。したくなったからってうら若き女に聞くんじゃない!と本気で怒鳴ると、こいついい歳して女を知らず皆がどう思っているのかわからないらしい。甲斐性なしめ。もう後は放っておく。権兵衛が真っ赤になって何か言いたげなのは見なかったことにした。




「かなめさん、なんだいあれ」


 常連が聞いたのは、清六が編んだわらじの山。ここ数日で躍起になって編んでいるけど、納得いくものが一つも作れないらしい。だからほとんどかまどの炎にくべられて、もらっていいかいと聞く人がいても「こんなものを履いてはいけない」とすぐに燃やしてしまう。十分上手なのに、全然違うらしい。やれやれ、何やってんだか。……そう言ってしまいたいのはやまやまだけど、本人が必死だからそれはやめておいた。私は……誰でも思うか。


 しばらくの間、清六が歩く音が気になって仕方なかった。少し前まで通っても気がつかないくらいだったのに、他の客と同じくらい足音がするからお客さんだと思ったら清六だったりする。静かに歩きなさい!……別にうるさく歩いているわけでもないのに、口をついて出た。清六は、気をつけてはいるんですが、と笑ってみせた。無理をしている気がしたから、少しだけ手を止めて話をした。足音なんて履き物次第で変わるし、父さんも下駄の音を鳴らしていた。そんな程度の話だった。


 まだ沼津に来て間もない頃、よく峠に足を運んで夕陽を見て帰った。父さんがいつも行くから私もついていって、一緒に帰る。まだ小さかったけどよく覚えていて、父さんの下駄の音を聞きながら蜻蛉が飛ぶのを見ていた。からん、ころん、からんからんころん。綺麗な音だったわよ。人がせっかく話しているのに、清六ときたら水を差す。それ、下駄ですか?……下駄よ。父さんは下駄を履いていた。出かけるとき見てたし、間違いない。あんたは父さんを知らないんだから、勝手なこと言うんじゃないわよ。不機嫌になって仕事に戻る。でも、どうしても気になった。あれは、下駄の音だろうか。


 よく覚えている下駄の音。高らかに、奏でるように鳴っていたあの音は、今も耳に残っている。……でも、下駄ってああ鳴るかな。少しだけど気になった。父さんのことだから、変わった下駄でも履いていたのかもしれない。そう思ったけど、気になって仕方がない。私が、父さんのことをわかっていないなんて。間違えているなんて、絶対ない。しちゃいけない。だから、久しぶりに納屋を探った。もしかしたら、あるかもしれない。弔いのときに一緒に棺桶に入れなかったものが、何か。




 明け方、清六が井戸の水を頭からかぶっていた。この寒いのに、何やってんのよ。軽口を聞いても清六は真剣なようで、顔色を変えなかった。仕方ないわね。あんたに、いいものをあげる。あんたにはもったいないような、すごくいいもの。操ならいりませんよ、なんて言う清六に、何馬鹿言ってんのよ、と渡したのは、下駄。父さんが峠に行くときに履いていた、使い古し。あと、これも!清六に向かって投げて、清六はわたわたしながら受け止めた。父さんの杖を。


 驚いている清六に、言ってやった。父さんは変なことが得意だった。下駄を履いているのに足音が鳴らないとか、そんなの。その代わりにこの杖で、楽しそうに地面を叩いて鳴らしていた。からん、ころん。やってみなさい。下駄を履いた清六は、杖で五回ほど地面を叩いて、音を鳴らした。その杖を持つ手が震えて、清六が唇を噛んだ。曇っていた空に晴れ間が差して、お天道様が顔を出す。清六は空を見上げて、とてもいい気分です、と言っていた。首がどこまでも伸びて、空に飛んでいきそうな、そんな。まったく、せっかく気を利かせたのにこの言い方。何言ってんだかわかりゃしない。清六はこちらを見て、少しだけ笑った。


「もう少しがんばれそうです」


 当然じゃない。父さんはあんたみたいなのでも、きっと助けてくれるわ。またいつもの明日が始まる。空の向こうには、何かいいものが飛んでいたのかもしれない。




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